なお、かまぼこ板である ~漆塗りの黄金雷と「たんぐすてんばぁ」を公募へ送るまで~   作:ヒツジ(ラム肉

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表には、黒漆の奥で輝く黄金の雷。

裏には、電流によって刻まれ、真珠粉で白く満たされた樹の枝。

だが、白い木肌の上では、せっかくの真珠が目立たない。

そこで私は、裏面を葵漆で覆い、真珠の樹をその中へ沈めることにした。

表で一度、黄金の雷を黒漆の下から研ぎ出している。

同じ要領で、今度は葵色の中から雪をまとった白い樹を呼び戻せばよい。

なお、この一枚を普通に絵の具で塗っていれば、とうに完成していた。



第五話 夜と雪と紅

真珠粉で埋められた枝を、葵漆で覆う。

 

表面に作った黄金の雷を黒漆で隠したときと、工程そのものは変わらない。

 

薄く塗る。

 

乾かす。

 

また塗る。

 

そして、また乾かす。

 

ただし、黒漆と葵漆では見え方が違う。

 

黒は、光を沈める。

 

金色の雷を深い闇の中へ閉じ込めるには、実に都合がよかった。

 

葵色は、黒ほど強くない。

 

青とも緑とも言い切れない色が、光の具合によって沈んだり、わずかに明るくなったりする。

 

その中へ真珠の白を入れれば、きっと雪景色になる。

 

少なくとも、私の頭の中では既になっていた。

 

問題は、頭の中の景色が、実物でも同じように見えるかどうかである。

 

漆を薄く伸ばす。

 

真珠の枝が、少しずつ色の下へ消えていく。

 

太い幹は、まだ白く透けて見える。

 

細い枝は、ひと刷毛ごとに見えなくなる。

 

表のときと同じだ。

 

せっかく作ったものを隠すのは、二度目でも少し落ち着かない。

 

だが、一度経験している分、手は止まらなかった。

 

「一度隠した方が、後で美しく出る」

 

言葉にすると、ずいぶん意味ありげである。

 

実際にしていることは、かまぼこ板へ漆を塗っているだけだ。

 

一度目を塗り終える。

 

白い枝は、ほとんど見えなくなった。

 

葵色の板。

 

よく見れば、表面にわずかな起伏がある。

 

その下へ真珠が眠っている。

 

乾燥させる。

 

また待つ。

 

漆を使った制作では、待つ時間が長い。

 

思いついた瞬間の勢いだけならば、一日で完成している。

 

実際には、塗膜の都合もあれば、湿度の都合もある。

 

焦れば曇る。

 

触れば跡がつく。

 

乾いたと思って研げば、表面だけがよれて剥がれるかもしれない。

 

物づくり欲は熱を持っている。

 

だが、漆はその熱に付き合ってくれない。

 

待てと言う。

 

私は待った。

 

その間、表面を何度も眺めた。

 

裏側を作っているのに、つい表面も確認してしまう。

 

黒漆の中で、黄金の雷が静かに光っている。

 

裏面がまだ途中であることなど、表からは分からない。

 

完成した顔をしている。

 

「お前はよいな。もう終わっていて」

 

板へ話しかけても返事はない。

 

裏返せば、葵色の塗膜が乾燥を待っている。

 

こちらは、まだ途中だ。

 

二度目の漆を重ねる。

 

一度目よりも深い色になる。

 

青緑の奥行きが増し、木目はほとんど見えなくなった。

 

真珠の枝も完全に沈む。

 

裏面だけを見れば、何も描かれていない色漆の板である。

 

ただし、私はその下に何があるか知っている。

 

見えないからといって、なくなったわけではない。

 

この状態も、少し面白い。

 

本当は真珠の樹がある。

 

だが、表面からは分からない。

 

研がなければ現れない。

 

作品を完成させるというより、埋めたものを発掘する感覚に近い。

 

十分に乾いたことを確かめ、研ぎ出しを始める。

 

表面を傷つけすぎないよう、細かな紙やすりを使う。

 

最初は、何も見えない。

 

葵色の艶が曇り、削れた粉が薄く広がる。

 

拭き取る。

 

もう一度研ぐ。

 

中央付近に、白い点が現れた。

 

真珠の幹だ。

 

「見つけた」

 

表の黄金を研ぎ出したときも、最初は小さな点だった。

 

あのときは金色。

 

今度は白。

 

点を中心に、少しずつ周囲を研ぐ。

 

白い線が伸びる。

 

太い幹の輪郭が見え始める。

 

そこから分かれる枝。

 

さらに細い末端。

 

葵漆をすべて削り落としてはいけない。

 

真珠の白を完全に表へ出せば、ただ白い線が描かれた板になる。

 

所々に漆を残し、枝を沈める。

 

太い幹は比較的はっきりと。

 

細い枝は、一部だけ。

 

末端は葵色の中へ消えてもよい。

 

雪に覆われた森を遠くから見れば、すべての枝が同じ濃さでは見えない。

 

手前の木は明るく。

 

奥の木は、霧や雪に紛れる。

 

板の表面に遠近などない。

 

それでも、見え方の強弱をつければ、奥行きは生まれる。

 

研ぐ。

 

拭く。

 

光へかざす。

 

また研ぐ。

 

真珠粉は、金粉とは違う光を返した。

 

正面から見れば白い。

 

少し傾けると、銀色に近づく。

 

さらに角度を変えると、薄く青や桃色が混じる。

 

はっきりと虹色になるわけではない。

 

意識して見なければ気づかないほどの変化である。

 

その控えめさが、葵色によく合っていた。

 

金色の雷は、見る者の目を引く。

 

真珠の樹は、近づいた者だけに光を見せる。

 

表と裏で、性格が違う。

 

同じ板に刻まれた、同じ電流の跡。

 

片方は空を裂く光。

 

片方は雪をまとった枝。

 

仕上げ方を変えただけで、同じ模様が別のものへ変わる。

 

「これは、思ったよりよいな」

 

私は研ぐ手を止めた。

 

予想していた以上に、樹に見える。

 

中央の太い線は幹。

 

左右へ分かれた枝は、雪の重みでわずかに垂れているようにも見える。

 

細かな末端が、葵色の中へ消えていく。

 

冬の朝。

 

まだ空が暗く、雪だけが薄く光を拾っている。

 

そんな景色に見えなくもない。

 

もちろん、見えない者には、白い放電模様である。

 

それでもよい。

 

作品は、全員に同じものとして見える必要はない。

 

雷に見える者もいる。

 

樹に見える者もいる。

 

川や血管に見える者もいるだろう。

 

かまぼこ板に見える者もいる。

 

それは間違いなく正解である。

 

研ぎ終えた面を、柔らかな布で磨く。

 

絹を当て、何度も擦る。

 

きゅっ。

 

きゅっ。

 

表面に艶が戻ってくる。

 

葵漆が深くなり、真珠の枝が柔らかく浮かぶ。

 

黒漆の表面とは違う。

 

漆黒の夜ではなく、雪雲の下にある静かな森。

 

同じ磨き方でも、色と素材が違えば、光の返し方も変わる。

 

私は板を表へ返した。

 

黄金の雷。

 

裏へ返す。

 

真珠の樹。

 

表。

 

夜空。

 

裏。

 

雪景色。

 

「うむ」

 

一枚で二つ。

 

見る者が裏返さなければ、片方しか見えない。

 

しかし、見えない場所にも景色がある。

 

それでよい。

 

これで完成である。

 

そう思い、机の上へ板を置いた。

 

少し離れて眺める。

 

表面を上にすれば、黒い小板の中に金色の雷が走る。

 

裏面を上にすれば、葵色の中に白い枝が浮かぶ。

 

どちらも悪くない。

 

表裏に十分な違いがある。

 

一枚の作品として、これ以上足す必要はないだろう。

 

私は満足して、板を手に取った。

 

そして、横から見た。

 

側面が見えた。

 

何も塗られていない。

 

薄い木の色。

 

かまぼこ板そのものの断面。

 

表が黒。

 

裏が葵。

 

その間だけ、白い木肌が一本の線となって残っている。

 

「……ここだけ、素のままだな」

 

当然である。

 

これまで表と裏を作っていたのだから、側面はそのままである。

 

厚みもわずかしかない。

 

展示したところで、正面から見ればほとんど目立たない。

 

誰も側面など気にしないだろう。

 

ならば、放っておいてもよい。

 

私は板を机へ戻した。

 

表を見る。

 

黄金の雷。

 

裏を見る。

 

真珠の樹。

 

横を見る。

 

かまぼこ板。

 

「……芸がないな」

 

またである。

 

裏面が何もないときも、寂しいと思った。

 

今度は側面である。

 

表と裏が別の景色なのに、その境界だけが何も語っていない。

 

黒と葵。

 

夜空と雪景色。

 

黄金と真珠。

 

その間を、ただの木の色でつなぐ。

 

それはそれで、自然な仕上げかもしれない。

 

だが、自然すぎる。

 

私は、色見本を眺めた。

 

黒。

 

葵。

 

白。

 

金。

 

ここへ、もう一色加えるなら何がよいか。

 

金や銀では表裏と競う。

 

青や緑では葵に近すぎる。

 

黒では表面とつながりすぎる。

 

白なら裏側へ溶ける。

 

ならば、まったく違う色。

 

細い側面だからこそ、強い色でもよい。

 

赤。

 

紅。

 

黒い夜と、葵色の雪景色の間を走る、一本の紅。

 

炎。

 

血。

 

生命。

 

境界。

 

意味はいくらでも後から付けられる。

 

重要なのは、側面まで作品になるということだ。

 

「そうだ。紅漆だ」

 

決めた。

 

理由は、見栄えがよさそうだからである。

 

それで十分だった。

 

側面を軽く整える。

 

角は鋭いままだと、漆が薄くなりやすい。

 

ごくわずかに面を取る。

 

削りすぎれば、表面と裏面の漆まで傷つける。

 

せっかく研ぎ出した二つの景色を守りながら、細い断面だけを整える。

 

板を固定し、紅漆を塗る。

 

面積は小さい。

 

だが、小さいから簡単とは限らない。

 

筆を少しずらせば、黒漆や葵漆の面へ赤がはみ出す。

 

側面の幅は狭く、筆を置く場所も少ない。

 

一筆。

 

板を回す。

 

また一筆。

 

四方を塗り、乾かす。

 

一度では、木の色がわずかに透ける。

 

二度目を重ねる。

 

紅が深くなる。

 

鮮やかな赤ではない。

 

漆の中へ沈んだ、重い紅。

 

黒とも葵とも違い、それでいて両方の間に置いても浮かない。

 

乾燥後、側面も磨く。

 

細い赤い線が、板の周囲を一周した。

 

表を上にすれば、黒漆の縁から紅が覗く。

 

裏を上にすれば、葵色の周囲に赤が走る。

 

正面からは、ほとんど見えない。

 

少し傾けたときだけ現れる。

 

隠れた場所にある、強い色。

 

「これでよし」

 

今度こそ、完成である。

 

表。

 

黒漆の闇。

 

その中を走る、黄金の雷。

 

裏。

 

葵漆の冷たい空気。

 

その中に浮かぶ、真珠の白い樹。

 

側面。

 

二つの景色を囲む、紅漆。

 

夜と雪と紅。

 

一枚のかまぼこ板へ、ずいぶん多くのものが詰め込まれた。

 

最初は、普通に絵を描いても面白くないと思っただけだった。

 

電流で模様を刻めばよい。

 

それだけでは美しくない。

 

ならば金粉を入れよう。

 

金色には闇が必要だ。

 

黒漆で覆い、研ぎ出そう。

 

裏が寂しい。

 

同じでは芸がない。

 

真珠粉を使おう。

 

白い樹には雪景色がよい。

 

葵漆で覆おう。

 

側面にも芸が欲しい。

 

紅漆にしよう。

 

一つひとつは、どれも自然な判断だった。

 

積み上げた結果、普通のかまぼこ板絵から、ずいぶん遠い場所へ来ただけである。

 

私は完成した板を、机の中央へ置いた。

 

悪くない。

 

いや。

 

かなりよい。

 

一枚目としては、十分すぎるほど満足できた。

 

これなら、公募へ送ってもよいだろう。

 

見る者が何を思うかは分からない。

 

美しいと思うかもしれない。

 

手間をかけすぎだと思うかもしれない。

 

なぜ、かまぼこ板で作ったのかと首を傾げるかもしれない。

 

どの反応でも構わない。

 

少なくとも、普通に絵を描いただけではない。

 

当初の目的は、十分に果たしている。

 

私は椅子へ深く腰掛け、完成した作品を眺めた。

 

表を上にする。

 

黄金の雷。

 

裏へ返す。

 

真珠の樹。

 

横へ立てる。

 

紅の縁。

 

「うむ」

 

満足である。

 

一枚目は完成した。

 

悪くはない。

 

だが、私の物づくり欲は、まだ熱を帯びていた。

 

机の上には、完成した作品の隣に空いた場所がある。

 

そこへ、もう一枚並べれば、きっと見栄えがよい。

 

「……一枚だけでは、少々寂しいな」

 

誰も、二枚作れとは言っていない。

 

だが、一枚でやめろとも言われていなかった。

 

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