綾華様は、私にとって誰よりも大切で、守るべきお方です。もしもの時は、この命に代えてでも……いえ。自惚れではありませんが、綾華様の悲しむお顔は見たくありません。今のは聞かなかったことに。
「いいか、蓮。綾華様を守ることが、お前の使命なのだ」
「分かっています、お父さま」
蓮は物心ついたときから、口酸っぱく言われてきた。
神里家の属家である天鷺家に生まれた蓮は、綾華の傍付きになる者として、ありとあらゆる技術を叩き込まれた。
「剣筋が甘い!このままでは綾華様をお守りすることなどできぬぞ!」
「…はい」
蓮にとって、別にそれが苦だったわけではない。
これが俺にとって必要な技術であるのなら、習得しなければならない。
蓮はそう思って…あるいは、そう自分に言い聞かせていたのかもしれない。
まだ会ったこともない主のために、剣を鍛え、作法を学んだ。
だってそれが、彼が生まれ持った使命なのだから…
「…夢、か」
幼き日の夢を見た蓮は、静かに身体を起こす。
いつも通りに顔を洗い、いつもの服装に着替える。
ただ一ついつもと違うのは、今日は主である綾華は傍にはいないということ。
「…行ってまいります、綾華様」
まだ眠っている綾華がいる部屋に向けて、蓮は静かに、誰も聞いていない別れを告げた。
稲妻には乗り物がないため、普通は徒歩で移動する。
だが蓮は、神の目による岩元素を行使して、自身の足元に勢いよく岩を生成することによって移動時間を短縮している。
カタパルト式に飛び跳ねて移動していく様は、一般人に見られた時に町で少し噂になった。
そうして蓮は目的地に到着する。
周辺には武器を携帯した何人かがうろついており、蓮はその中でも見知った顔に声をかける。
「お久しぶりです、九条さん」
「む、天鷺か。こんなところで何を…いや、そういうことか」
赤い面を頭につけている女性…九条沙羅は蓮の顔を見るなり、やや訝しむ表情をするが、合点がいったのかすぐに納得した表情を浮かべる。
「綾人殿の言う『助っ人』とは天鷺のことだったのか」
「ええ。任務は確か、役人の護送でしたよね」
蓮が綾人から任命された仕事。それは天領奉行の役人の護送を手助けすること。
どうやら冒険者協会に頼もうにも人手が足りないらしく、綾人まで話が回ってきたということだ。
「天鷺の実力なら、確かに信用できる」
「恐縮です」
「…準備が整ったようだな。行こう」
「はい」
そして役人の護送が始まったのだが…
「…」
「…」
悲しきかな。彼らは両者共に、徹底して仕事に真面目なのだ。
故に、任務中の雑談は彼らにとってノイズでしかない。特に蓮は、この空気を気まずいとも思っていないだろう。
それに加え、九条沙羅と天鷺蓮という実力者2名が先陣を切っているため、これに喧嘩を売ろうという輩はそうそういない。
しかし蓮は、どこか落ち着かない様子であり、それを見かねた九条が声をかける。
「どうした、天鷺。いささか落ち着かない様子だが」
「いえ、綾華様が居ないのはやはり落ち着かなくて…」
「…綾華殿の傍を離れるときはいつもこうなのか?」
「いつもといいますか、今回が初めてなんです。ですが、任務に支障はでないようにしますので」
やはりどこまでいっても仕事人な蓮は任務は任務と割り切っているらしい。
九条はその反応に、何とも言えない感情に苛まれた。
そして少し時は流れ、道中で休憩をはさんでいた。
蓮は道端の岩に座り込み、すぐそばに咲いていた花を眺める。
「その花が気に入ったのか?」
「九条さん。いえ、綾華様が好きそうな花だな、と」
「…どこまでいっても綾華殿の傍付きだな、天鷺は」
九条は苦笑する。
蓮にとって、綾華の利となるか。綾華の好みなのか。それらが物事に対する評価基準となっている。
自身の感情は基準に値しないと、そもそも無駄に感情を出す必要はないと、蓮はそう思っている。
「だが天鷺。お前もいつまでも綾華殿の傍付きというわけでもあるまい。これから先、このような任務が増えるかもしれないぞ」
「そうかもしれませんね。私も成長した、ということでしょう」
九条は蓮のことを、危ない、と思った。
己の信念がなく、相対的な見方でしか物事を見られない。
この考え方はいずれ、いざという時に彼を危険に貶めることになるかもしれない。
そんな蓮を、九条は放ってはおけなかった。
「蓮、いつまでもその考え方では、この先いつか、後悔するぞ」
「…どういうことですか?」
「自分の信ずるものを心のなかに持っておけ、という話だ。私も将軍様への忠誠を誓っているが、時には私自身がそうしたいと思って選択することもある」
九条は蓮の隣に座り込み、続ける。
「いざという時、真に頼れるのは自分の意志だ。その時は前触れもなく、いつか必ず訪れる」
「九条さん…」
「お前にはないのか?自分自身で決断した経験が」
「自分、自身で…」
そう言われ、蓮は思い出した。
「神の目」を授かった時。あの時は心から、綾華を守りたいと思った。
使命感などではなく、自分自身の意志で。
「…ありがとうございます。九条さん。スッキリした気がします」
「ふ、それはよかった。さあ、護送の続きといこう」
「はい」
そうしてその後も滞りなく、役人の護送は完了した。
蓮は行きの時と同じ要領でカタパルト式に移動する。
しかしその速度は心なしか速く、見様によっては「早く帰りたがっている」風に見えるかもしれない。
あっという間に神里家の屋敷にたどり着いた蓮は、その門をくぐる。
その帰りを長く待っていたように、綾華が蓮を出迎えた。
「…おかえりなさい、蓮。任務はどうでしたか?」
「ただいま戻りました、綾華様。任務は滞りなく終えましたよ」
やはりと言うべきか、綾華の機嫌は若干…いや、かなり悪い。
一日蓮がいなかっただけでこれである。
いかに綾華と蓮の関係が長いか、それを裏付けるようであった。
「やはり、綾華様の傍が一番落ち着きますね」
「えっ?」
「私は綾華様の傍付きです。たとえ一時的に離れても、必ず綾華様のお傍に戻ってきます。使命ではなく、私の意思です」
「蓮…」
その言葉を聞いた綾華は、笑みを浮かべた。
「そう…そうですか…」
「綾華様?」
「…さあ、夕食を食べましょう!今夜はトーマがご馳走を作ってくれたのですよ?」
「ふふっ、それは楽しみですね」
綾華と蓮は屋敷の廊下を進んでいく。
やはりこの時間が、彼らにとっての日常なのだ。
「それで?今回の結果は満足か、若」
「ええ。いずれ持たなければならない自分の考えを、蓮くんは持つことができました」
月夜が照らす庭で、綾人はどこか不敵に笑う。
「彼は優秀ですが、芯が脆い部分がありましたからね」
「だからってお嬢と引き離すとは、オレも最初は驚いたぞ?相変わらず若のやり口は何というか…」
「おや、人聞きの悪い。私はただ、最も効率の良い一手を打っただけですよ。九条沙羅も、一役買ってくれたようですしね。しかし…あれほど帰りを急ぐとは思いませんでしたが」
「ははっ、アレには若も驚いたか?」
「ええ。彼の秘めた感情は、思ったよりも大きかったようです」
そう言いながら、綾人は月を見上げる。
「己の信念を持った今なら、彼はもっと強くなりますよ。剣士としても、人間としても」
天鷺蓮について……
蓮は、幼い頃からずっと私の傍にいてくれました。私に剣術を教えてくれたのも彼なんですよ。……ふふっ、今思えば、随分と厳しい師匠でしたね。彼の指導は、今でもこの身体に焼き付いています。