自堕落な世界を作りたい 作:菜売古謝
テイワット大陸南。
雷神が統治する国、
武士にしては脆弱で未熟。そのほとんどが傷つき果てていて、足取りは鉛のように重い。
「クソッ……幕府軍め、舐めやがって」
赤い髪の男が、列の後方で毒を吐いた。
新兵が多い一団の中では経験は長い方。血気盛んな人物で、剣の腕はそれなりで舌の方もよく回る。ただし短絡的な思考回路が全てを台無しにしていると言っても過言ではなく、無謀な
「やめなさい、
「……」
笠田と呼ばれた男は、荒くれ者さながらの顔をさっと伏せる。そのまま押し黙った。
声をかけたのは一回り、いやそれ以上離れているであろう少女であった。羽衣のような衣装に身を包んでおり、
長い歴史を誇る
珊瑚宮
この場にいる者の中で、彼女の言葉に反抗出来る者はいない。
「返事がないようですが」
「は……申し訳ございませんでした、珊瑚宮さま」
稲妻は雷神を頂点とし、雷神を絶対かつ永遠の統治者とする神の国。
それなのに、彼女達は反乱軍であった。
決起に至った理由は
その『神の目』を、強制的に徴収するのが『目狩り』だ。雷神──
「それから、この人に感謝を。事ここに至って、所属は関係ありません。力を貸して頂けたから、先走ったあなた達を回収できた。私だけでは無理でしたよ。そこのところ、肝に銘じるように」
珊瑚宮心海は静かに声を張った。
言いながら、隣を歩く人物に目配せをする。
「僕のことは気にしなくて、いいです。こっちはこっちで目的があって稲妻に来ました。あなた達を助けたのは成り行きです」
異国の衣装に身を包んだ少年、
身長は心海よりも高く、170を少し上回った程度。ただし顔は
「目的とはなんですか? あなたはファデュイの外交官ですから、やはり将軍との面会を?」
「それで合ってます。でも、独断ですけどね。上司は怒ってると思いますよ──というか怒ってました。何から何まで勝手にやりましたからね。もちろん、皆さんに協力しろとも言われてません」
紫色の髪ごと額の汗を拭い、彼は上空に浮かぶ島々を見た。相変わらず不思議な場所である。天に向かって伸びていく島の羅列は、一体どこまで続いているのだろうか。果ては見えない。妖しい紫色の空は上に行けば行くほど濃くなり、地上から見える範囲はそう多くない。
「めちゃくちゃ罵倒されてから解雇されたんで、外交官の肩書きはもう使えませんね。それどころか処分されるかも……あの人ならやりかねないのが怖い。私怨で」
少年は「裏切り者には厳しい人なんで」と続けた。
ファデュイとは北国スネージナヤの外交使節団だ。
そして、テイワットの国々が無視できない規模の巨大軍事組織でもある。構成員達は氷の女皇の命に従い、各地で活動──暗躍している。
「行く宛てはあるのですか? あなた、出身は稲妻ですよね?」
「ありませんよそんなの。ついでに言うと、ここが帰る場所だとも思ってません。たしかに、生まれたのは稲妻ですけどね」
「なるほど。色々とお考えはあるようですが、このままお別れという流れでも困るでしょう。共に
「珊瑚宮さま! その者は
心海の提案に即座に
──あの人、図太いなぁ。
野盗のような柄の悪い顔を眺めながら、そんな感想を抱く。
自分達が先走ったせいで
目狩り令が強制執行されるにあたり、珊瑚宮心海をリーダーとする
笠田ら八名は先手必勝とばかりに奇襲をしかけ、そして
「
「そうですよね。大丈夫ですわかってますから、そんな睨まないでください怖いです」
少年は肩をすくめた。
毛嫌いされるのには慣れているから大丈夫。実は少し傷ついているが我慢するしかない。平静を装ってはいるが敵意を向けられるのは苦手だ。そんなことじゃやっていけないから慣れろ、と上司に言われたのが懐かしい。次に会ったら焼き殺されるかもしれない。
「やめなさい、笠田。いい加減にしないと、私にも考えがありますよ」
「は……申し訳ありません。つい……」
「……はぁ」
珊瑚宮心海は庇ってくれているが、彼、笠田の言っていることは間違ってはいない。とはいえ
「すみません。私の能力不足です統率者として至らないからこんなことに……はぁ」
「なんでそうなるんですか……別にいいですよ。嫌われるのは慣れてますし」
珊瑚宮心海は良識があり、そのせいで心労が増えていると言えた。自分で言うのもなんだが、少し前まで怪しい組織の人間だった奴に情をかける必要はないと思う。彼女の立場になると気持ちはわかるが、普通の人間はもっと打算的で自分本位だ。
上に立つ人間ならなおさら。利用できるものはとことん使い潰すという人間は少なくない。だからこそ上に立てるという面は否定できない。まあ、頭の良い彼女はそこら辺も理解していて、その上で今のような振る舞い方をしているのだろうけど。
「でしたら、申し訳ないんですが少しだけ我慢して貰えませんか? 私がしっかりと統率しますので、一緒に来てはもらえませんか? 行く宛てがないのならなおのこと、置き去りにするわけにはいきません」
心海は声をひそめた。
笠田達に聞かれたくなかったのだろう。追っ手の気配は消えたとはいえ、依然として
「大丈夫。私を信じてください。納得してもらうには時間が足りないと思いますが、この場はどうか私に免じて。早まったことは考えないで欲しいのです」
そう言われても困る。
少年は苦笑いするばかりであった。
信じてもらえるのはとても嬉しい。それに旅は道連れ世は出会いとも言うし、ここまで来たのならできれば一緒に戦いたい。本心だ。嘘じゃない。
でも、一緒に行くのは無理だ。どうしようもない理由がある。
「珊瑚宮さまに使われるのなら、それはアリだなって思いますよ。でも無理です。見てください、これ」
「これは……」
心海に見えるように五指を広げる。彼女はしばし声を失っているようだった。
指先は紫色に変色している。その他の箇所は死人のように青いか、あるいは病的なまでに白い。手首には斑点が浮かんでおり、口の中に広がっているのは鉄の味だ。喉がとても痛くて、異常なまでに息苦しい。
それら全て、この国に上陸してから始まった不調である。
「僕はこの国に
少年は軽い口調で打ち明けた。
先程までとは違い、今度は笠田達にも聞こえるように、自分の状態を述べる。
「だから、一緒には行けません。使えない病人が増えても仕方ないでしょう。でも大丈夫。ツテがあるので、密航用の船は手に入ると思います」
それで
これでもう、彼女は諦めるしかないだろう。
「で、ですが……生まれは稲妻で、生活していたこともあるんですよね? もしや、これが原因で離れることに?」
「はい。稲妻で生まれて、兄のような、父のような人と暮らしていたことがあります。でも、その時はなんともなかったですね。別の不調はありましたけど、この症状が出たのは今回が初めてです」
初めてではあるが、直感的にわかる。これは呪いの類いであると。今はどうしようもないものだ。そのように伝えると、少女の瞳が一瞬泳いだ。
「だから、ここでお別れです。もし解決策が見つかったら戻ってくるかもしれないですけど、今すぐ力になるのは難しいです。申し訳ないんですけど」
ここで笠田を見ると、彼はそっぽを向いて歩みを早めた。バツの悪そうな顔をしている。何か思うところがあったのかもしれない。
「珊瑚宮さま。迎えは、この岩場の向こう側ですよね」
「ええ、そういう手筈になっています……」
久しぶりに踏んだ稲妻の地。
残念ながら目的は果たせなかったが、次の機会を待てばいい。このままではそのうち倒れてしまう。それはだめだ。野垂れ死ぬために戻ってきたわけでは無いのだから。
「急ぎましょう。皆さんを見送ったら、僕も
歪な形の岩の間を抜けて、砂浜に出る。雷鳴の下で波が荒ぶっていた。空は妖しい紫色。ところどころ赤い。いつ来ても不思議な場所だと思う。天に浮かぶ島々はどこまで続いているのだろうか。紫色の空は上に行けば行くほど色が濃くなり、地上から見える範囲は多くない。
「珊瑚宮さま、行ってください。短い間でしたが、お世話になりました」
「わかりました。こちらこそ、助力、感謝します」
手を差し出されて握手をしたが、感触はよくわからなかった。痺れていて。
息が苦しい。美しい娘を見つめていてドキドキしている、なんてわけがない。空気が更に薄くなったようだ。頭の前半分が痛い。重い。近くで雷鳴が聞こえた。電流の音を聞いた。近い。あまりにも近すぎたそれは、雷電の気配。
ふと、紫紺色のモヤが見えた。
『時間を与えます。構えなさい』
空気に電流が走る中、声が聞こえた。
感情の欠落した女の声が。
頭に走っていた痛みが痺れて、弾ける。
「全速力で
飛び跳ねるように振り向く。気配の方向を仰ぎ見る。岩場の上から人影が跳んだ。紫色の髪が烈風に揺られる。紫紺色の着物がたゆたう。その右手の先で光るのは雷神の刀。
冷たい眼差しとともに、急降下。
少年は刀を掲げ、名を呼んだ。
「雷電──
濃厚な紫色。同じ色の刀身が衝突し、風が生まれた。電流が迸った。空気が感電してびりびりと震え、落雷が連続する。
刀身が悲鳴をあげる、骨が軋む。
女は踵を宙に浮かせたまま、ギリギリと腕に力を込めてきた。焼けた肉が空中で更に焼かれて落ちてくる。生物だったであろう黒い粉が、少年の髪に降り注いだ。
「っ、単純な落下攻撃……力技すぎる」
「あなたのことは見ていましたよ。それなりの使い手を尽く無力化していましたね。その手並み、賞賛に値する」
冷たい声が耳に触れる。
その紫色の眼差しは興味なさげに少年に注がれ、次に反乱軍の面々を。珊瑚宮心海を映した。
それだけで腰を抜かした者が半分。残りも気迫にあてられ、蛇に睨まれた蛙のように動きを止めた。
「珊瑚宮さま、早く出してください! この場を乗り切ればどうにかなります! この人は化け物ですけど無敵じゃない! 魔神戦争の頃ならいざしらず、今は万能じゃないんです!」
砂浜に響き渡る裏返った叫び。全身から汗が吹き出す。身体中が痛い。女は涼しい顔で軽く息を吸い込んだ。
そこにいるだけで周囲を威圧し抑圧する。
彼女こそが稲妻の支配者、雷電将軍。しかしその真名を知る者はごく一部。
「っ、いけません、雷電将軍とまともに打ち合うなど──」
「──黙っていなさい、珊瑚宮の娘。去るなら早く去りなさい。人間の本質は愚か。しかし考える時間を設けることで過ちに気づくこともある。無闇に民を減らすのはほんいではありません。これ以降は懸命な選択を期待します」
早く消えろ。さもなくば消す。
神の脅迫を受けた者達の中で、笠田が真っ先に泡を吹いて倒れた。珊瑚宮心海が彼を抱えて船上に飛び乗り、若い男が大慌てで船を出す。
離脱していく反乱軍の面々を、雷神は見向きもしなかった。
「あなた、私の名前を口にしましたね。それに
少年が答えるより早く、雷神は腕を凪いだ。その瞬間、細い体が吹き飛んで轟音が生まれる。
「どうして黙っているのですか。私は質問していますよ。ああ、そうでした。こういう時は体に聞けばいい。簡単なことです。さあ、構えなさい」
雷電将軍は興味
喋れないし、
「聞こえませんでしたか? 構えなさい。まずは抵抗の意志を殺してから、ゆっくりと答えてもらいます。私を
少年はほんとまじで殺してくれと思った。
髪を掴まれて引っ張られて、首がもげそうになってメチャクチャ苦しかったのだ。拷問。あれは完全に拷問だった。
以降、自分が何を喋ったのかは曖昧だ。
よく覚えていない。はっきり覚えているのはその日一番の落雷のこと。頭を掴まれて岩から引きずり出された直後、真上から特大の雷が落ちてきて、それは地面をも抉って地下に向かった。
どこかに落ちていくのを感じながら、僕は早く死んでくれと願った。瀕死状態で痛めつけられ続けても死ねないのは、地獄だった。いやほんとマジで。
「それで、気付いた時にはナタの地下まで流されてた……と。いや、オカシイでしょ。なんで生きてるのよあなた。ガンジョーすぎるわよ。それに、なんで今まで黙ってたのよ。ここに来てから半年よ半年! ヒック……いくらなんでも遅い! 打ち明けるの遅すぎるわ!」
そんなこんなで色々ありましたが、僕は死ねませんでした。地下で地脈に吸い込まれちゃったらしく、流されて流されて、遠く離れたナタという国で発見されて生き延びました。
あっちこっち汚染されてたとかで、大シャーマンのおばあちゃんに診てもらい、ようやく完治しそうなところまで来ています。たしかにおかしいよな。ガンジョーすぎるわいくらなんでも。あれだけのことがあったんだから、普通の人間なら跡形がなくなっててもおかしくない。
「私、あなたに頼もうと思ってたのよ。稲妻に密入国して、小説を買ってきてって」
「いいですけど、もしかしたら死ぬかも……」
「全くよくないわよ頭おかしいんじゃないの? ヒック……あー、世間はほんとザンコクね。ヒック!」
兎にも角にも、僕は生き延びた。
現在はシャクリを連発している大シャーマン、シトラリおばあちゃんの診察中。気になる年齢は三桁いってるらしい。でも自分では若いと思ってて、趣味はロマンティックな恋愛小説。稲妻の作家が好きなんだってさ。鎖国してるから外に出回るのが遅くて、早く読むために僕を密入国させようとしてたようだ。そんなことのために危ない橋を渡らせないで欲しい。
「あーもー、どいつもこいつもー、ひーーック。うざったいわねラクガキするわよ顔にラクガキー」
「あの、診察は?」
「今、何時だと思ってるのよ! 深夜よ深夜! こんな時間に押しかけてくるなんて、ジョーシキがないわ!」
「起きるの待ってたんですよ、十時間くらい」
「なによそれ! 十時間なんて待ちすぎよ! 頭おかしいんじゃないの!」
十時間も寝過ごした人に言われたくない。しかも起きるなり飲酒してゴロゴロしてるし、こんな生活してて大丈夫なんだろうか。
外にはほとんど出ないし、メチャクチャ不健康。
たまに出かけたと思ったらやっぱりお酒飲んでて深夜徘徊するし、見てて不安になる。老人の深夜徘徊ってヒヤヒヤするんだよ。そのまま失踪とかしそうで。
「とにかく! 診察は明日よ! パッと見ダイジョーブだから、ダイジョーブよ!」
「大丈夫ですか? シトラリさまの発言、すっごく心配なんですけど」
最近、頭の悪い発言が増えてる気がする。
お酒の飲みすぎで脳が縮んでなければいいけど……痴呆になったら大変だし。自分の体よりもロリおばあちゃんの脳味噌の状態の方が心配だ。本人は若いって言ってるけど、現実を見た方がいいと思う。
これはナタの現地の人が言ってたんだけど、二百歳超えてる女はもれなく老婆だ。それを少女と呼ぶような特殊な文化はナタにはないから、何を言われても真に受けないようにしろって。あと、寝巻きで深夜徘徊させるのをやめさせてくれって、孫みたいな存在のオロルン君が言ってた。