星はずっとそこにあった。俺が見なかっただけだ。空には環がかかっている。銀色の帯が、山の稜線に沈んでいく。この土地の人間は、それを神様の道と呼ぶ。夜になれば必ずそこにあり、朝になれば消える。誰も不思議に思わない。雪が降ることを不思議に思わないのと同じだ。俺は五つのとき、その帯の向こうに、オリオン座を見つけた。前の生で、俺は一度も星を見なかったのに。
生まれたときから、意識はあった。ただ、思考はできなかった。肉体が、絶えず眠りを要求してくる。目を開けていられるのは一日のうち僅かで、その僅かな時間も、腹が減ったとか、寒いとか、そういうもので埋まる。考えるための時間がなかった。意識はある。認識する意志もある。だが肉体がそれを許さない。あれは、閉じ込められているのとは違う。閉じ込められているなら、外がある。外に出たいという思いもなかった以上、あれはただ、そういうものだった。落ち着いたのは、四つか五つの頃だ。歩けるようになり、眠りが減り、ようやく自分の頭が使えるようになった。そこで初めて確かめてみようと思った。自分が何なのか。ここが何なのか。いや。正確に書くべきだ。俺は確かめようと思ったわけではない。ただ、外に出たときに、たまたま上を向いた。それだけだ。
冬の雪の降っていない夜だった。空気が刺すように冷えていて、息が白く残る。父と兄が薪を運んでいて、俺はその足元で、邪魔にならないように立っていた。顔を上げた。環があった。銀色の帯が、東の空から山の向こうまで、真っ直ぐに架かっている。綺麗だ、と思った。この世界には、こういうものがあるのかと。輪を持った星というのがあるのは知っていた。だからこの星もそういうものなのだろうと。あるいは、この世界には魔法があるらしいから、その類のものかと。どちらでもいい。俺には関係がない。そう思って、視線を外そうとした。そのとき、環の下に、三つ並んだ星が見えた。
俺は天文に詳しかったわけではない。むしろ、何も知らない。前の生で、俺は空を見上げたことがない。見上げなかった、というより、そこに星があるということを思いつきもしなかった。だがあれは知っていた。三つ並んだ星。その周りを囲む、四つの明るい星。オリオン座。どこかで習ったのだったか、それとも誰かに教わったのだったか。覚えていない。覚えていないのに、見た瞬間にわかった。そこから先は、早かった。北を探した。ある。冬の三角。ある。全部、ある。位置も、角度も、ずれていない。
ここは、地球だ。
その夜、俺は眠れなかった。考えたのは、いくつかのことだ。一つ。ここが地球なら、あの環は何だ。二つ。ここが地球なら、この世界の魔法は何だ。三つ。ここが地球なら、俺が死んでから、どれだけの時間が経っている。どれにも答えは出なかった。当然だ。五つの子供に、答えが出るはずがない。いや、五つの子供でなくとも、答えは出ない。俺は前の生でも、何一つ考えずに生きていたのだから。そして四つ目のことを考えた。これは、答えが出た。それを知って、俺はどうする。どうもしない。答えは、それだけだった。俺は朝になったら起きて、飯を食い、兄の後ろについて外に出る。それだけだ。地球であろうと、地球でなかろうと、俺の一日は変わらない。だからどうもしない。そう結論を出して、俺は眠った。 次の日から、俺は空を見上げなくなった。
村の名は、フーシという。意味を訊いたことがある。誰も知らなかった。母は昔からそう呼んでいるから、と言った。父はそういうものだ、と言った。村長は少し考えてから、フーシはフーシだ、と言った。誰も疑問に思っていない。名前とはそういうものだと思っている。俺だけがそれを聞くたびに、少しだけ引っかかる。だがその引っかかりが何なのか、俺は考えなかった。考えなかった、と書いておく。考えられなかったのではない。考えなかったのだ。
フーシは、狩りの村だ。北に山があり、山から魔物が下りてくる。それを狩る。狩った肉を食い、骨と皮と、腹から出てくる石を売る。それで塩や布を買う。狩れなければ、死ぬ。単純な話だ。だから村の子供は、歩けるようになったら弓を持たされ、五つになれば刃物を持たされ、七つになれば大人の後ろについて山に入る。そして魔法を習う。この世界には、魔法がある。誰もが使う。母は火を熾すのに使い、父は獲物の血を止めるのに使う。強い者は、それで魔物を殺す。村では強いことが尊敬される。当たり前だ。強い者が狩れば、村が生きる。だから村の男はみな、少しでも強くなろうとする。俺は七つで山に入った。そしてその日のうちに、大人二人分の獲物を仕留めた。
父は何も言わなかった。兄はすごいな、と言って笑った。村長は俺の顔をしばらく見ていた。母だけが、その夜、俺の頭に手を置いて、こう言った。あなたは、きっと、前にも生きていたのね、と。
この村には、輪廻という考え方がある。人は死ぬ。死んだあと、また生まれる。前の生のことは、普通は忘れる。だが稀に、忘れずに生まれてくる者がいる。そういう者は、生まれつき賢く、生まれつき強い。月が割れた時にそういう仕組みができたと、村の年寄りは言う。正しい。母は正しい。俺は前にも生きていて、そして忘れずに生まれてきた。母はそれを言い当てた。だが母はそれ以上、何も訊かなかった。訊く必要がないからだ。母にとって、それは、ありうることだった。ありうることだから説明がつく。説明がつくものを人はそれ以上、掘らない。俺はそうだね、とだけ答えた。母は笑って、それきりその話をしなかった。
これが、俺が村で受けた、唯一の問いだ。問いですらない。言い当てられただけだ。俺は前の生で、二十一年生きた。何も望まず、何も選ばず、何一つ成さないまま、いつの間にか死んでいた。死にたかったわけではない。生きたかったわけでもない。死ぬ気力すら、俺にはなかった。ただ、生きていて、そして殺された。それだけだ。その二十一年について、誰かに話したいと思ったことは、一度もない。だが訊かれたら、答えたと思う。誰も、訊かなかった。
そうして、俺は十五になった。村の人間は俺を尊敬していた。同時に、恐れていた。その二つの境目のあたりに、俺は立っていた。誰も、口にはしない。俺も、口にはしない。空には、環がかかっている。毎晩、そこにある。俺はもう十年、上を見ていない。