月のない空   作:朝凪小夜

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第十一話 石の出るところ

 

 船を降りたのは五日後だ。沿岸を南に下って、大きな川の河口で降ろされた。そこから先は、道だ。都までは、まだ遠い。ひと月半、と船頭は言った。俺は歩き始めた。一人だった。一人で歩くのは慣れている。だが以前とは、少し違っていた。俺は鳥の声を聞くようになっていた。

 

これは、認めておく。サキと別れてから、俺は道を歩くときに、音を聞くようになった。鳥が鳴いている。鳴きやむ。それに意味があるかどうかは、わからない。わからないが、聞くようになった。一度、鳥がやんだ場所で道を外れた。外れて、迂回した。迂回した先で、振り返った。何もいなかった。何もいなかったのか、いたが出てこなかったのか、俺にはわからない。わからないまま、俺は迂回した。俺はそのとき、少し、腹が立った。自分に、腹が立った。俺は殺せる。殺せるのに、迂回した。なぜか。わからない。わからないまま、俺は歩き続けた。

 

川に沿って三日歩いた。人が増えた。道が広い。荷車が通れる幅がある。そして荷車が、実際に通っている。北の道では、サキのような車を三日に一度、見かける程度だった。この道では、半日に何台も通る。俺はその荷を見た。石だ。黒っぽい石が、積んである。削られていない。掘り出したままの粗い石だ。

 

四日目に町に出た。町、と呼ぶべきものだ。港より大きい。家が二百はある。そして煙が上がっていた。いくつも上がっていた。俺はその煙を見て、火事だと思った。思って、走りかけた。誰も、走っていなかった。町の人間は、誰も煙を見ていなかった。俺は足を止めた。

 

あれは何だ、と俺は訊いた。道端で、荷を降ろしていた男に訊いた。男は俺を見て、少し、笑った。旅の者か、と言った。そうだ、と俺は言った。窯だ、と男は言った。窯、と俺は言った。石を焼く、と男は言った。俺はその意味が、わからなかった。

 

男は親切だった。というより、暇だったのだと思う。荷を降ろし終わって、次の仕事まで、間があったらしい。男は俺を町の中に連れて行った。連れて行って、窯を見せた。石を焼いていた。大きな石を割って、粉にして、それを水で練って、焼く。焼いたものをまた割る。割ったものを選り分ける。選り分けたもののごく一部だけを取る。残りは、捨てる。捨てる方が、圧倒的に多い。

 

これが石になる、と男は言った。俺はその選り分けられた小さな粒を見た。サキが持っていた、あの石だ。あれの元になるものだ。これは、どこから採る、と俺は訊いた。男は山を指した。東の山だ。あそこの土は変わってる、と男は言った。掘れば出る。掘るのは、大変だがな。

 

俺はこう訊いた。なぜ、あの山なんだ。男は少し、考えた。それからこう言った。昔、何かが落ちたらしい。落ちた、と俺は言った。空から、と男は言った。俺はそこで、動きが、止まった。

 

男は続けた。どこの山でも、多少は出るんだ。この辺の土は、どこを掘っても、少しは変わってる。だがあそこは、濃い。だからあそこを掘る。濃いところの近くは、魔物も出る。だから掘るのは、命がけだ。男は笑った。だから石は高い。

 

俺はその説明を聞いていた。聞きながら、頭の中で、いくつかのことを並べた。空から、何かが落ちた。落ちたところの土が、変わっている。変わった土から、石ができる。石を使うと、魔法と同じことができる。そして変わった土の近くには、魔物が出る。どこの土も、多少は変わっている。濃いか、薄いかの違いだけだ。

 

俺はこう訊いた。何が落ちたんだ。男はこう答えた。知らん。昔の話だ。誰も見てない。

誰も見てない。俺はその言葉を繰り返した。男は頷いた。三百年か、四百年か、前の話だ。落ちたと言われてる、というだけだ。本当に落ちたのかも、わからん。男はそう言って、笑った。だが土は、変わってる。それは、本当だ。俺は頷いた。頷いて、それ以上、訊かなかった。

 

俺はその夜、宿を取った。安い宿だ。寝床に横になって、天井を見た。考えたのは、こういうことだ。空から、何かが落ちた。落ちたのは、三百年か、四百年前。落ちた場所の土が、変わった。その土から魔法の効果を持つものが取れる。そして空には、環がある。この星は、地球だ。地球に、環はなかった。……。俺はそこまで、考えた。考えて、止めた。

 

なぜ止めたのか、いまでもわからない。あと、一歩だった。あの夜も、あと一歩だった。空から落ちたものと、空にある環を繋げばよかった。繋げば、答えが出た。俺は繋がなかった。繋がなかった理由をいまなら、こう説明できる。俺は答えが出ることに、興味がなかった。答えが出たとして、俺はどうするのか。どうもしない。だから考えない。いつも通りだ。俺はそうやって、三十六年、生きてきた。この夜も、同じだった。

 

次の日、俺は窯をもう一度見に行った。なぜ行ったのかは、わからない。やることがなかったからだと思う。窯では、男たちが働いていた。石を割る者。粉にする者。練る者。焼く者。選り分ける者。全員が、別の仕事をしていた。誰も全部をやっていない。俺は選り分けている女に、訊いた。これは、なぜ、こうすると効くんだ、と。

 

女は俺を見た。それからこう言った。そう決まってるからだよ。俺はなぜ決まっている、と訊いた。女は少し、面倒そうな顔をした。昔から、こうやってる。こうやると、できる。こうやらないと、できない。それだけだ。訊いた。なぜ、こうやると、できるんだ。女は手を止めなかった。止めずに、こう言った。知らないよ。

 

俺はそこに、しばらく立っていた。女は俺を無視して、選り分けを続けた。手は、速かった。正確だった。何千回もやっている手つきだ。俺はそれをどこかで見た。サキの手だ。石を袋にしまう、あの手つきだ。この女も、原理を知らない。知らないまま、正確に、手を動かしている。そしてその手から出てくるものが、俺の村の火を熾していた。

 

この町の全員が原理を知らない。誰も知らない。なのに、石は、できる。できて、運ばれて、村に届く。届いて、火が熾る。仕組みを知らないまま、仕組みは、動いている。三百年、動いている。そしてこの仕組みは、俺一人より、はるかに多くの火を熾している。

 

俺はその日、町を出た。出る前に、石を一つ、買った。三日ぶんの稼ぎ、とサキは言っていた。俺には村がくれた金がある。だから買えた。買って、握ってみた。温かくなった。俺は火を熾せる。だからこの石は、俺には、要らない。要らないものを買った。なぜ買ったのか、わからない。わからないまま、俺はそれを荷に入れた。四十年、持っていた。

 

道を南に下った。人が、増えていく。町が、増えていく。どの町にも、窯があるわけではない。窯のある町は、限られている。だが石はどの町にもあった。運ばれてくるからだ。運ばれてくるものは、高い。窯のある町では、安い。俺はそれを当たり前だと思った。当たり前だ。運べば、金がかかる。だが少し歩いて、こう気づいた。窯のある町でも、安いのは、粗い石だけだ。いい石は、ない。いい石は、都に行く。都で加工される。加工されたものが、また戻ってくる。戻ってきたときには、高い。

 

俺は道端で、荷を待っている男に訊いた。なぜ都で加工する。ここでやれば安いだろう。男は笑った。できないんだ、と言った。なぜ、と俺は訊いた。男はこう言った。やり方を知らない。誰が知っている、と俺は訊いた。都の連中だ、と男は言った。

 

俺はそこで、初めて、都というものの形を理解した。都は原料を持っていない。持っているのは、地方だ。都が持っているのは、やり方だ。やり方を知っている者が、知らない者から、安く買って、加工して、高く売る。それだけの構造だ。三百年、それが続いている。地方はそれを当たり前だと思っている。なぜなら、やり方を知らないからだ。知らない者は、知っている者に従うしかない。

 

そのときにこう思った。俺はやり方を知っている。いや、知らない。だが俺は原理に、近い。この町の誰よりも、近い。都の連中より、近いかもしれない。俺はそれを確かめに行く。……。俺はそこで、足を止めた。止めて、こう思った。いま、俺は確かめに行く、と思った。初めてだ。俺が、何かをしに行こうと思ったのは。

 

それは、目的と呼べるほどのものではなかった。ただの興味だ。だが俺はそれをはっきりと、意識した。俺は道の真ん中で、しばらく立っていた。それから歩き出した。その夜、俺は火を熾さなかった。買った石を握った。温かくなった。俺はそれを見ていた。誰かが、原理を知らないまま、その手で作ったものだ。俺はそれを手のひらの上で、しばらく見ていた。空を見なかった。

 

 

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