道が石畳になった。都に近い、ということだ。石畳は歩きやすい。泥に沈まない。雨でも崩れない。こんなものをどうやって敷いたのか、と思った。思って、少し歩いて、答えが出た。人が敷いたのだ。大勢の人間が、石を運んで、並べて、突き固めた。それだけのことだ。誰かが、それをやらせた。やらせるだけの力を持った誰かが。
その道で、隊列に会った。馬が四頭。荷車が三台。人が、十人ほど。俺は道の脇に寄った。脇に寄るのが、決まりらしい。俺の前を歩いていた男が、そうしたからだ。俺も、そうした。隊列が通り過ぎるのを待った。馬の一頭に、男が乗っていた。その男が、俺を見た。見て、通り過ぎた。それから四半刻ほどして、後ろから、一人、戻ってきた。
戻ってきたのは、若い男だ。俺より、五つか六つ上に見えた。身なりがいい。布が、厚い。染めてある。汚れていない。村の誰も、こんな布を持っていない。男は俺の前に立って、こう言った。お前、名は。
俺は名乗った。男は頷いた。どこから来た、と訊いた。ミチノから、と俺は答えた。男は少し、間を置いた。それからこう言った。ずいぶん、遠いな。俺はそうだな、と言った。男は俺の荷を見た。それから俺の手を見た。最後に、俺の目を見た。その順番が、妙に、印象に残っている。
男はこう言った。狩りをやっていたな。俺はそうだ、と言った。男は頷いた。わかる、と言った。手を見れば、わかる。それからこう続けた。うちの主が、お前を見た。俺は黙っていた。男は続けた。興味を持たれた。だから訊いてこいと言われた。都で、仕事を探しているのか、と。
俺は少し考えて、こう答えた。学問所に行く。男は俺を見た。しばらく見ていた。それから笑った。
その笑い方が、俺には、わからなかった。馬鹿にした笑いではない。少なくとも、そう見えなかった。だが笑った。男は笑い終わって、こう言った。文は、持っているか。俺は革の袋から、村長の文を出した。男はそれを受け取った。開いて、読んだ。読むのは、速かった。読み終えて、俺に、返した。
これは、と男は言った。村の役人が都の役所に宛てたものだ。俺は頷いた。男はこう言った。役所には、届く。届いて、受け取られる。受け取られて、それで、終わりだ。
俺はどういう意味だ、と訊いた。男はこう答えた。学問所は、貴族しか入れない。
俺はそこで、何も言えなかった。男は俺の顔を見ていた。俺が、どういう顔をしていたのかは、わからない。たぶん何の顔もしていなかったと思う。俺は驚かなかった。いや、驚いたのかもしれない。だがそれを顔に出す習慣が、俺にはない。男はこう続けた。知らなかったのか。知らなかった、と俺は言った。男は頷いた。そうだろうな、と言った。その言い方には、俺を責める色は、なかった。ただ、そういうものだ、という言い方だった。
俺はこう訊いた。村長は知らなかったのか。男は少し考えた。それからこう言った。知らなかったんだろう。あるいは、知っていたが、他に言いようがなかったか。どちらでも、同じことだ。俺はそうだな、と言った。
同じことだ。村長は俺を村から出したかった。出すには、理由が要る。学問所というのは、都合のいい理由だ。本当にあるのかどうか、村長は確かめようがない。確かめようがないから、あると信じた。信じて、俺にそう言った。嘘ではない。学問所は、実際にある。俺が、入れないだけだ。村長はそこまで、知らなかった。知らなかったことを俺は責められない。誰も、悪くない。
男は俺を見ていた。それからこう言った。うちに来い。
俺は聞き返した。男は繰り返した。うちに来い。主が、そう言っている。お前のような男は使い道がある。俺はこう訊いた。何をする。男はこう答えた。護衛だ。荷を守る。人を守る。魔物を殺す。それだけだ。
俺はこう訊いた。いくらだ。男は金額を言った。俺はその額を頭の中で、村の暮らしに換算した。悪くない。村で狩りをして得ていた分け前より、多い。だいぶ、多い。俺はそう思った。思って、こう言った。それは、いいのか。男は俺を見た。
いい、と男は言った。それからこう続けた。だがお前は、それが、どれくらいの額か、わかっていない。俺はわかる、と言った。村の暮らしなら、十分だ。男は頷いた。そしてこう言った。俺の給金は、その三倍だ。
俺はそこで、黙った。男は続けた。俺は魔法をたいして使えない。火は熾せる。血は止められる。それくらいだ。魔物は、殺せない。近づいたら、死ぬ。男はそう言った。それからこう言った。お前は、俺の三倍、強い。いや、十倍かもしれん。だが給金は、俺の三分の一だ。なぜだと思う。
俺は答えられなかった。男は答えを待たなかった。こう言った。俺は読み書きができる。勘定ができる。都の作法を知っている。どの家がどの家と繋がっているかを知っている。主が誰と話すべきかを知っている。それを十年かけて、覚えた。男はそこで、少し、笑った。お前は、魔物を殺せる。だが都には、魔物はいない。
俺はその言葉を聞いていた。聞いて、こう思った。この男は俺より、弱い。圧倒的に、弱い。俺はこの男を一息で殺せる。この男も、たぶんそれを知っている。知っていて、俺の前に立って、俺に値段をつけている。なぜ、そんなことができる。この男の後ろに、主がいるからだ。主の後ろに、家がある。家の後ろに、都がある。都の後ろに、三百年がある。俺はそれを殺せない。
サキが言っていた。都では、殺せない相手が、いる。俺はそのとき、その意味を初めて理解した。
男はこう続けた。悪い話ではない。うちに来れば、飯が食える。屋根がある。冬に凍えない。それに、こういう男はたまに上に行く。強すぎる男を家は手元に置きたがる。置いておけば、いつか、役に立つ。だから待遇は、上がる。男はそう言った。十年やれば、俺と同じくらいにはなる。俺はこう訊いた。十年か。十年だ、と男は言った。
俺は断った。なぜ断ったのかは、そのとき、自分でもわからなかった。悪い話ではない。男の言う通りだ。飯が食える。屋根がある。村にいたときと、たいして変わらない。いや、村より、いい。だが俺は断った。
男は驚かなかった。こう言った。そうか。それからこう続けた。お前、何をしに、都に行く。俺は答えられなかった。学問所には、入れない。仕事は、断った。なら、何をしに行くのか。俺は少し考えて、こう言った。知りたいことがある。
男は俺を見た。しばらく見ていた。それからこう言った。何を。俺はこう答えた。魔法が、なぜ効くのか。
男は笑わなかった。笑うかと思ったが、笑わなかった。代わりに、こう言った。それを知っている者は、都にもいない。俺は聞き返した。いない、と。いない、と男は言った。誰も知らない。知らないまま、使っている。男はそう言った。それからこう続けた。お前は、それをおかしいと思うのか。
俺は思う、と答えた。男は頷いた。そしてこう言った。都に行っても、お前は、そう思い続けるだろう。そして誰も、お前に答えない。答えられないからだ。男はそこで、少し、間を置いた。それから最後に、こう言った。気をつけろ。そういう男は都では疎まれる。
男はそれだけ言って、戻っていった。隊列は、もう、見えなくなっていた。男はそれを走って追いかけた。俺は道に、一人で立っていた。石畳の上に。誰かが敷いた石の上に。俺はそこで、しばらく動かなかった。
その夜、俺は道端で火を熾した。熾して、飯を食った。食いながら、考えた。俺は村でいちばん強かった。村ではそれに値がついた。狩りの分け前という形で。都では、値がつかない。都には、魔物がいない。俺は都に行って、何になるのか。答えは、出なかった。だが俺は都に行く。なぜなら、知りたいことがあるからだ。その知りたいことに、都には、答えがない。男はそう言った。それでも、俺は行く。……なぜだ。
俺はそこで、初めて、こう思った。答えがないなら、俺が、見つければいい。
その考えは、俺の中で、それまで、一度も出たことがなかった。俺はいつも、答えを外に探していた。外にないなら、諦めていた。諦めるのは、簡単だ。どうもしない、と言えばいい。俺は三十六年、そうしてきた。だがその夜、俺はそう思わなかった。俺が、見つければいい。そう思った。思って、少し、驚いた。驚いて、火を見た。火は、燃えていた。俺が熾した火だ。なぜ燃えるのかを俺は知らない。誰も、知らない。俺はそれをしばらく見ていた。空は、見なかった。