月のない空   作:朝凪小夜

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第十四話 第二部 血の都

 

都での五年は書くことがない。いや、書くことはある。毎日、何かをしていた。だが書く価値のあることが、ない。俺は五年、同じことを繰り返した。繰り返して、少しずつ、うまくなった。それだけだ。

 

金が尽きるまでに、ひと月半かかった。その間に、俺はいくつかのことを試した。役所にもう一度行った。同じことを言われた。学問所に行ってみた。門で止められた。止めた男は丁寧だった。どちらの家の方ですか、と訊かれた。どこの家でもない、と答えた。男は頷いた。申し訳ありませんが、と言った。それだけだった。俺はそこで、暴れることも、できた。門番は俺より弱い。中にいる者も、たぶん弱い。殺せば、入れる。俺はそう思った。思って、やらなかった。やっても、意味がないからだ。入って、どうする。誰も、俺に教えない。教えない者を殺しても、何も出てこない。

 

俺は都の外に出た。都は、山に囲まれている。山には、魔物がいる。都の近くだからたいしたものはいない。村なら、子供が狩る程度のものだ。俺はそれを狩った。狩って、都に持ち込んだ。買い取る場所がある。値は、安かった。だが飯は食えた。俺はふた月、それをやった。

 

三月目に、工房の男に声をかけられた。買い取り場で、俺の獲物を見ていた男だ。この骨は、どこのと訊かれた。北の尾根だ、と俺は答えた。男は頷いた。それからこう言った。うちに、持ってこい。俺はいくらだ、と訊いた。男はここの倍出す、と言った。俺は行った。

 

工房は都の東の外れにあった。窯の町で見たものと、同じだ。だが規模が違う。窯が、十以上ある。人が、五十人はいた。そして扱っているものが、違った。窯の町では、土から取れる石を焼いていた。ここでは、それをさらに、何かにしていた。石と、骨と、血と、臓を混ぜていた。魔物のものだ。

 

俺はそこで、初めて知った。いい錬金の品には、魔物が要る。土から取れる石だけでは、粗いものしかできない。魔物の体から出るもの——骨や、臓の中の石や、血——を混ぜると、効きが上がる。なぜ上がるのかは、誰も知らない。混ぜると、上がる。それだけだ。

 

魔物は、高い。なぜなら狩るのが危険だからだ。都の近くのものは、弱い。だから素材としても、弱い。いいものは遠くの強い個体から取れる。遠くに行って、強い個体を狩れる者は少ない。だから高い。工房はそれを買う。買うのに、金がかかる。だからいい品は、高い。

 

俺はそれを自分で狩ってきた。

 

最初は都の近くのものだった。次に、少し遠くに行った。そのうち、三日かけて、北の山まで行くようになった。北の山にはいいのがいる。村で狩っていたものと、同じくらいのものだ。俺には、雑作もない。俺はそれを狩って、担いで、都まで運んだ。三日かけて。工房は、驚いた。

 

工房が驚いたのは、獲物の質ではない。それも驚いていたが、それだけではない。工房は、こう考えた。この男は素材の仕入れが要らない。この男は自分で獲ってきて、自分で持ち込む。仕入れの金が、まるごと、浮く。浮いた分は工房の儲けになる。だから工房は、俺を使った。

 

俺はそのうち、工房の中にも入るようになった。最初は運び込むだけだった。運び込んで、金をもらって、帰る。だが俺は帰らなかった。工房の中に、居座った。何をしているのかを見ていた。工房の連中は、最初、嫌がった。当然だ。外の人間が、作業場に居座る。嫌がるに決まっている。だが俺は居座った。そして手伝った。手伝って、覚えた。

 

覚えるのは、速かった。俺は原理に近い。なぜそうすると効くのかを俺は少しは考えられる。工房の連中は、考えない。教わった通りに、やる。それだけだ。だから俺はそのうち、彼らより、うまくなった。一年で、うまくなった。

 

工房の連中はそれを面白く思わなかった。当然だ。俺は外から来た田舎者だ。その男が、一年で、十年やっている者よりうまくなる。面白いはずがない。だが彼らは、俺に文句を言わなかった。俺が素材を運んでくるからだ。俺がいなくなれば、工房は儲からない。だから彼らは、黙っていた。黙って、俺を嫌っていた。

 

俺はそれを知っていた。知っていて、何もしなかった。村と、同じだ。俺は必要とされ、同時に、疎まれる。いつものことだ。俺は慣れている。

 

三年目に、俺は一つのことを思いついた。魔物の骨をそのまま使わずに、先に、焼いてみた。なぜそう思ったのかは、覚えていない。やってみたら、効きが上がった。工房の親方に見せた。親方はそれを見て、しばらく黙っていた。それからこう訊いた。誰に習った。俺は誰にも習っていない、と答えた。親方はそうか、と言った。それだけだった。その方法は、その日から、工房で使われるようになった。誰も、俺の名前を出さなかった。俺も、出せとは言わなかった。どうでもよかったからだ。

 

四年目に、もう一つ、思いついた。五年目に、また、思いついた。工房の産出は、上がった。目に見えて、上がった。俺が来る前と比べて倍近くになった。金が、動いた。人が、増えた。窯が、二つ増えた。そして帳面が、上に、届いた。

 

工房は俺のものではない。工房は家のものだ。どの家か。俺は知らなかった。知る必要も、感じなかった。俺は獲物を運び、加工し、金をもらう。それだけだ。誰の工房であろうと、俺の一日は、変わらない。俺はそう思っていた。

 

五年、そうやって過ごした。俺は二十になった。

 

二十になって、こう気づいた。俺は前の生で、二十一で死んだ。あと、一年だ。あと一年で、俺は前の生の自分の年に、追いつく。それを考えたとき、俺は少し、妙な気持ちになった。その気持ちに、名前は、つけられなかった。俺はそれをその日の夜、寝床で考えた。考えて、何も出なかった。俺は何も変わっていない。二十一で死んだ男は何も望まず、何も選ばず、何も成さなかった。二十になった俺はどうだ。工房で働いている。魔物を狩っている。金がある。飯が食える。屋根がある。村にいた頃より、いい。だが俺は何も望んでいない。何も選んでいない。……。いや。俺は一つ、選んだ。俺はあの使用人の誘いを断った。断って、都に来た。知りたいことがあると、言った。

 

俺は五年で、何を知ったか。骨を焼くと、効きが上がる。血は、新しいほどいい。臓の石は、大きさより密度だ。土の石と、魔物のものを七対三で混ぜると、いちばん安定する。……。全部、やり方だ。俺はやり方を覚えた。なぜそうなるのかは、一つもわからない。五年かけて、俺は都の連中と、同じところに立った。やり方を知っていて、理由を知らない。あの使用人が言っていた通りだ。それを知っている者は、都にも、いない。

 

俺はその夜、腹が立った。久しぶりに腹が立った。サキに腹を立てて以来だ。あのときは、自分に腹が立っていた。今度も、自分にだ。俺は五年、何をしていた。俺はうまくなった。それだけだ。うまくなることと、わかることは、違う。俺はそれを知っていたはずだ。サキを見て、知ったはずだ。知っていて、俺は五年かけて、サキと同じところに立った。いや。サキの方が、まだ、上だ。サキはわからないことをわからないと知っていた。俺はわかったつもりで、五年、過ごした。

 

俺はその夜、眠れなかった。外に出た。工房の裏に、石が積んである。俺はその上に座った。都の空は、明るい。だがその夜は、灯りが少なかった。だから見えた。環が、頭の上にあった。真上に、近い。村では、山に沈んでいたものが、ここでは、真上にある。俺はそれを見上げた。五年ぶりだ。

 

俺はその環をしばらく見ていた。見ていて、こう思った。あれは、何だ。……。俺はその問いを立てた。立てて、そのまま、座っていた。答えは、出なかった。当然だ。だが俺はその夜、初めて、その問いを立てた。三度、手前まで来て、引き返した問いだ。四度目に、俺は立てた。立てただけだ。まだ、何も、繋いでいない。

 

その五日後だった。工房に、人が来た。

 

朝だ。俺は二日前に狩った獲物を割っていた。血が、腕まで来ていた。臓を出して、石を探していた。工房の中が、急に、静かになった。俺は顔を上げなかった。手を止めなかった。誰かが来たのだろう、と思った。俺には、関係がない。俺は石を探していた。

 

足音が、近づいてきた。俺の前で、止まった。俺は顔を上げた。

 

女が、立っていた。俺より、少し上に見えた。二十四か、五か。だがはっきりしない。布が、厚い。染めてある。汚れていない。あの使用人の布より、いい。だいぶ、いい。女は俺を見ていた。俺の顔ではない。俺の手を見ていた。血まみれの手を。それから俺が割っている獲物を見た。最後に、俺の目を見た。その順番が、あの使用人と、同じだった。

 

女はこう言った。あなたが、帳面をおかしくしている人ですか。

 

 

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