リツは八日後に来た。もう一度来る、と言った通りだった。俺はその日、獲物を持って帰ってきたばかりだった。北の山に四日行っていた。いいのが二頭獲れた。工房の前に、それを下ろしたところで、リツが立っていた。今度は、俺を待っていた。
リツは俺の獲物を見た。それからこう言った。着替えなさい。俺はなぜ、と訊いた。リツはこう答えた。連れて行くところがあります。そこに、その格好では入れません。
俺は着替えた。工房の親方が、自分の服を出した。俺の服より、いくらかましだった。親方の手は、まだ、少し震えていた。俺はそれを見て、こう言った。あんたは、来ないのか。親方は俺を見た。行けるものか、と言った。俺はその意味が、わからなかった。
リツは輿を持っていた。人が担ぐやつだ。俺はそれを初めて見た。リツはそれに乗った。俺はその横を歩いた。乗れとは、言われなかった。俺も乗りたいとは思わなかった。歩く方が速い。
都の北の方に行った。道が広くなった。家が大きくなった。人が、減った。俺はその辺りに来たことがなかった。用がなかったからだ。工房は東の外れで、山は北の外だ。この辺りは、通らない。リツは輿の中から、こう言った。この辺りを知っていますか。知らない、と俺は答えた。そうでしょうね、とリツは言った。
塀があった。長い塀だ。歩いても、歩いても、終わらない。その塀の内側が、全部、一つの家だ。俺はそれを理解するのに、少し、時間がかかった。村が、丸ごと入る。いや、入らない。村より広い。門があった。輿が、通った。俺も、通った。門番は、俺を止めなかった。リツが、いたからだ。
中は静かだった。人はいた。だが静かだった。誰も、大きな声を出さない。誰も、走らない。誰かが歩いていて、誰かとすれ違うと、片方が、必ず、止まる。止まって、頭を下げる。もう片方は、下げない。通り過ぎる。俺はそれを見ていた。見ていて、こう思った。この家の中では、誰が誰より上かが、全部、決まっている。決まっていて、体が、それを覚えている。考えていない。体が、勝手に、止まる。
リツが、輿を降りた。俺はその後ろについた。部屋に入った。広い部屋だ。何もない。床と、壁と、天井があるだけだ。リツはそこに座った。俺も、座った。リツは俺の座り方を少し、見た。何も言わなかった。
リツはこう言った。あなたを使います。
俺は頷いた。リツは少し、待った。俺はそれ以上、何も言わなかった。リツはこう続けた。……何か、訊かないのですか。俺はこう答えた。訊いても、変わらないだろう。
リツは俺を見ていた。しばらく見ていた。その目が、少し、変わったように思った。だが気のせいかもしれない。リツはこう言った。変わります。あなたが訊けば、私は答えます。答えれば、あなたは知ります。知れば、あなたは、選べます。選べば、変わります。リツはそう言った。
俺はその言葉を聞いた。聞いて、少し黙った。俺は五年、この都で誰にもそんなことを言われなかった。いや、三十六年、誰にも言われなかった。訊けば、答える。知れば、選べる。……。俺はこう訊いた。なぜ、俺を使う。
リツはこう答えた。三つ、理由があります。一つ。あなたは、工房の産出を五年で倍にしました。それは金です。金は、家の力です。二つ。あなたは素材を自分で獲ってきます。他の家は、それを買わなければなりません。うちだけが買わずに済みます。これも、金です。リツはそこで、指を二本立てていた。三本目を立てなかった。
三つ目は、と俺は訊いた。リツは少し、間を置いた。それからこう言った。いずれ、話します。俺はいま話せ、と言った。リツは俺を見た。そしてこう言った。いま話しても、あなたにはわかりません。俺は腹が立った。だが言い返せなかった。このリツはたぶん正しい。
リツは続けた。私の家は、イスカといいます。都に、大きな家は七つあります。うちは、その中で、五番目です。いえ、四番目かもしれません。順は、動きます。リツはそう言った。その言い方は、乾いていた。
俺はこう訊いた。順は、何で決まる。リツはこう答えた。金です。それから少し考えて、こう続けた。金と、あとは、持っているものです。持っているものと俺は訊いた。リツはこう言った。他の家が、持っていないもの。
俺はそれを聞いた。そしてこう思った。この家は、何かを持っている。持っているから、七つのうちに、入っている。だが五番目だ。上に、四つある。……。俺はこう訊いた。順が、下がると、どうなる。
リツはこう答えた。家が、なくなります。
俺はその言い方に、少し、驚いた。リツはそれを当たり前のことのように、言った。リツは続けた。七つある、と言いました。三百年前には、二十以上、ありました。いまは、七つです。残りは、なくなりました。どうやってなくなったのか、記録は、残っていません。残っていないというのは、残さなかった、ということです。リツはそう言った。
俺はこう思った。このリツは家が消える話を天気の話のようにする。このリツにとって、それは、日常だ。生まれてから、ずっと、その中にいる。俺は村で、魔物に殺される話を日常として聞いていた。このリツは家が潰される話を日常として聞いて育った。どちらが、ましか。……わからない。たぶんどちらも、同じだ。
リツはこう言った。私はあなたを使わなければなりません。俺はその、なければならない、という言い方に、引っかかった。こう訊いた。使いたい、ではないのか。リツは少し、黙った。それからこう言った。同じことです。
俺は同じではない、と言った。リツは俺を見た。俺はこう続けた。使いたい、なら、やめられる。使わなければならない、なら、やめられない。同じではない。
リツはしばらく俺を見ていた。それからこう言った。……そうですね。そのそうですね、には、間があった。俺はその間を覚えている。父のいや、と同じ種類の間だった。
リツはこう言った。私はこの家の当主ではありません。当主は、父です。父の下に、兄が二人います。私は三番目です。しかも、リツです。私が、この家で、口を出せる範囲は、決まっています。工房と、あと、いくつかです。リツはそう言った。その工房の産出が、この五年で、倍になりました。それは私の手柄です。いえ、私の手柄ということに、なっています。リツはそこで、少し、笑った。笑ったのを俺は初めて見た。だから私はあなたを使い続けなければなりません。使わなくなれば、私の手柄が、止まります。止まれば、私は口を出せる範囲を失います。
俺はこう言った。俺がいなくなれば、あんたは困るのか。リツはこう答えた。困ります。俺はそうか、と言った。リツは俺を見ていた。俺はそれ以上、何も言わなかった。
リツはこう言った。……怒らないのですか。俺はなぜ、と訊いた。リツはこう言った。私はいま、あなたに、こう言いました。私はあなたを自分のために使う。あなたの意思は、関係がない。私が困るから、あなたを使い続ける。……それは、あなたを道具として扱うということです。リツはそう言った。それからこう続けた。普通の人間は、そう言われたら、怒ります。
俺は少し、考えた。そしてこう答えた。俺は村で、道具だった。村は俺を使った。使って、恐れて、追い出した。工房も、俺を使っている。使って、嫌っている。あんたが、俺を使うと言うのは、それと同じことだ。違うのは、あんたが、それを口に出したことだ。俺はそこで、少し、間を置いた。それからこう言った。口に出した奴は、あんたが、初めてだ。
リツは俺を見ていた。その目が、少し、動いた。何かを探していた。俺の顔の中に、何かを探していた。見つからなかったのだと思う。リツは目を伏せた。そしてこう言った。……あなたは、それでいいのですか。
俺はこう答えた。いい。リツは顔を上げた。俺は続けた。俺には、望みがない。望みがない人間は、使われても、失うものがない。だからいい。それより、俺には、訊きたいことがある。
リツはこう言った。何を。俺はこう言った。魔法はなぜ効く。その答えを俺は五年、探した。誰も、知らなかった。あんたも、知らないと言った。なら、探させろ。俺を使うなら、そのために使え。
リツは長く、黙っていた。部屋は静かだった。外の音もしなかった。この家は、静かだ。俺はそう思った。リツはこう言った。……あなたは、いま、取引をしました。俺はそうか、と言った。リツはこう続けた。あなたは、自分が使われることを認めました。その代わりに、探すことを要求しました。それは、取引です。俺はそうか、と言った。リツは少し、笑った。二度目だ。そしてこう言った。悪くない、取引です。
リツは立ち上がった。それからこう言った。見せたいものがあります。俺は頷いた。リツは部屋を出た。俺はその後ろについた。廊下を歩いた。長い廊下だ。どこまでも、続いていた。その突き当たりに、扉があった。扉の前に、人が二人、立っていた。リツが近づくと、二人は頭を下げた。そして、扉を開けた。
中から音がした。俺はその音を聞いた。規則正しい音だ。何かが動いている音だ。俺はそれを聞いたことがなかった。いや。聞いたことが、あった。前の生で聞いた。俺はそこで、足が、止まった。