村の子供は九つになると集められる。朝、村の中央にある広場に出て、火を熾す。それだけのことだ。だがそれができない者は山に入れない。魔法というのは、火を熾したり、血を止めたり、風を起こしたりする。魔物を殺すのはその応用でしかない。基礎ができない者に応用はできない。だから九つの春に、全員が広場に並ぶ。並び順は、家の並び順だ。俺の隣は、ミナだった。
ミナは火を熾せなかった。三日経っても、十日経っても、ひと月経っても、熾せなかった。他の子供は遅くともひと月で熾す。早い者は初日に熾す。俺は初日に熾した。というより、熾そうと思った時点で熾えていた。ミナだけが、熾せない。教える大人は根気強く言った。もっと集中しろ。もっと強く念じろ。手のひらの先を見ろ。ミナはその通りにした。毎日、朝から昼まで、手のひらを前に出して、火の熾らない空気を睨んでいた。熾らない。三月が過ぎた頃、大人が、諦めたような顔をした。ミナはそれに気づいていた。
俺はそのとき、何も思わなかった。可哀想だとも、手伝ってやろうとも思わなかった。俺は隣で自分の分の火を熾して、それで終わりだった。終わったら座って、時間が過ぎるのを待った。待つのは得意だ。前の生で、二十一年、待っていたようなものだから。だから俺が声をかけたのは、善意ではない。単に、暇だったのだと思う。あるいは、隣で毎日同じことが起きていて、それが目に入るのを避けられなかったのだと思う。ある日、俺は言った。それ、たぶんやり方が違う。
ミナは俺を見た。何も言わなかった。九つの女が、三月かけて何もできず、大人に諦められた顔をされたあとで、隣の男にやり方が違うと言われた。怒ってもいい場面だ。だがミナは怒らなかった。どう違うのと訊いた。それだけだった。俺はそのとき初めて、ミナの顔をまともに見たと思う。
大人の教え方はこうだ。念じろ。手のひらの先に、火を思い浮かべろ。強く思え。これは、間違っていない。できる者にとっては、間違っていない。だがこれは説明ではない。できる者が、自分ができる理由を知らないまま、できないことを教えようとしている。それだけだ。俺はなぜ火が熾るのかを考えたことがあった。考えるほかにやることがなかったからだ。火が熾るということは、そこに熱があるということだ。熱があるということは、何かが動いているということだ。念じると、何かが動く。では、何が動いている。わからない。だが動いているものがある、というところまでは、わかる。だから俺はこう言った。火を思い浮かべるな。動かせ。
ミナはしばらく黙っていた。それから何をと訊いた。わからない、と俺は答えた。名前はわからない。だがそこにある。手のひらの先に、何かがある。それを押す。押すって、と言いかけて、ミナは口を閉じた。そして手のひらを前に出した。目を閉じなかった。念じなかった。ただ、そこにある何かを押そうとした。空気が、ほんの少し、揺れた。火は、熾らなかった。だが揺れた。
ミナは目を見開いていた。俺も、少し驚いた。いま、動いた、とミナが言った。動いた、と俺は言った。二人とも、それ以上、何も言わなかった。その日、火は熾らなかった。次の日も、熾らなかった。だが十日後に、熾いた。
ミナが火を熾したとき、広場にいた大人が、ゆっくりと振り返った。三月と半分かかっていた。村の記録ではいちばん遅い。大人は、よくやった、と言った。ミナははい、と答えた。そしてこちらを見た。俺は何も言わなかった。言うことがなかったからだ。ミナも、それ以上何も言わなかった。だが次の日から、ミナは俺の隣に座るようになった。並び順は変わっていない。もともと隣だった。だからこれは、何も変わっていないということだ。変わっていない、はずだった。
村の子供は十二で山に入る。正確には、山の入口に入る。大人の後ろについて、獲物の運搬をする。狩りはしない。だが魔物のいる場所に立つ。そのためには、三つのことができなければならない。火を熾すこと。血を止めること。身を守ること。ミナは火は熾せるようになった。血は止められなかった。身も守れなかった。九つで火を熾すのに三月半かかった者が、十二までに残り二つを身につけるのは、難しい。村の大人はそう判断した。判断は、正しい。村は無理をさせない。無理をさせて死なれると村が損をする。だから弱い者は山に入れない。山に入らない者は、村の中で働く。糸を紡ぎ、皮をなめし、飯を炊く。それも仕事だ。誰もそれを馬鹿にしない。ただ、村の人間として、一人前とは呼ばれない。
一人前になりたい、とミナは言った。冬の入口で、糸を紡ぎながら、そう言った。俺はその隣に座って、何をするでもなく座っていた。なぜ、と俺は訊いた。我ながら、ひどい質問だと思う。だが俺には、本当にわからなかった。一人前になれば、山に入る。山に入れば、魔物に殺される可能性がある。ならば、村の中にいる方が、生き延びる。なぜ、危険な方を選ぶ。ミナは手を止めた。そしてこう言った。みんなが行くところに、行けないのは、嫌だ、と。
俺はその言葉を理解できなかった。いまでも、正しく理解できているとは思わない。だがあのとき、ひとつだけはっきりしたことがある。この女は何かを望んでいる。俺は望んでいない。それだけの違いが、俺とこの女のあいだにある。そして望んでいる方が、望んでいない方に、教えてくれと言っている。俺はいいよ、と言った。理由は、やはり、なかった。
血を止める、というのは、火を熾すより難しい。火は、何かを動かせば熾る。血は、止めなければならない。動かすのと、止めるのは、別のことだ。村の大人は、こう教える。傷口を思え。閉じろと念じろ。これも、間違ってはいない。だが説明ではない。俺はこう考えた。血が流れるのは、何かが流れているからだ。流れているものを止めるには、堰を作ればいい。だが堰は、どこに作る。傷口ではない。傷口は、結果だ。流れている場所に、作る。俺はそれをミナに言った。傷を見るな。流れを見ろ。
ミナはそれを半年かけて身につけた。半年だ。村の子供はひと月で覚える。ミナは六倍かかった。だが覚えた。覚えたあとのミナは他の子供より、正確だった。なぜか。他の子供は傷口を見ている。だから傷口の形が変わると対応できない。ミナは流れを見ている。だから傷口がどんな形でも、止められる。これはたぶん、俺の教え方のせいだ。俺はそのことに当時は気づかなかった。
最後が、身を守ることだった。これは、いちばん難しい。なぜなら、これは遅れると死ぬからだ。火は、遅れても熾る。血は、遅れても止まる。守りは、遅れたら、そこで終わりだ。村の大人は、こう教える。速く動け。考えるな。これは正しい。完全に、正しい。俺はそこで、初めて詰まった。
俺は考えている。常に考えている。だから俺の魔法は速い。考えることと動かすことのあいだに、何もないからだ。だがそれは、俺が考えるのが速いからではない。俺は考えることを動かすことと同じものだと思っている。その二つのあいだに、境目がない。村の大人は、その境目を跨げと教える。考えるな、動け、と。跨げない者は、跨げない。ミナは跨げなかった。
俺は三月ほど、何も思いつかなかった。自分ができることをできない理由がわからない。これは初めての経験だった。冬が来て、雪が積もり、狩りが厳しくなり、村の食い物が減った。俺はその冬、大人四人分の獲物を仕留めた。村は飢えなかった。村長が、俺の顔を見た。俺はそれに気づいて、気づかないふりをした。そして夜、ミナのところへ行って、こう言った。守るな。動け、と。
守ろうとするから、遅れる。守るというのは、来るものに対して、後から出す動作だ。後から出す以上、必ず遅れる。だから守るな。最初から、そこに置いておけ。置いておいて、それを動かし続けろ。来ようが来まいが、動かし続けろ。そうすれば、来たときに、既にそこにある。ミナは、それは疲れるのではないか、と言った。疲れる、と俺は答えた。ずっとやっていたら、疲れる。だから山にいるあいだだけ、やればいい。山にいるあいだ、ずっと。ミナはしばらく黙って、そして、わかった、と言った。
ミナが山に入ったのは、十四のときだ。村では二年、遅い。だが入った。大人の後ろについて、獲物を運び、血を止め、火を熾し、そして身を守った。最初の日、ミナは一度も転ばなかった。二年遅れて山に入った女が、初日に一度も転ばなかったというのは、村では珍しい。俺はそのとき、山の反対側にいた。だから見ていない。あとで、兄から聞いた。兄は笑いながら言った。あいつ、うまくやったぞ、と。そうか、と俺は言った。そしてそれだけだった。
そのあと、誰かが訊いた。誰だったかは覚えていない。村の大人の一人だ。その日、狩りから戻って、広場で獲物を分けているときだった。ミナの話になった。二年遅れで入って、初日にあれだけできるのはたいしたものだ、と。誰かが言った。誰に教わった、と。
場が静かになった。それは、静かになるような話ではない。村の子供は、村の大人に教わる。それしかない。だからその問いには、答えがある。だが答えられる者が、いなかった。ミナを教えていた大人は、三年前に諦めていた。それをその場の全員が知っていた。俺は獲物の皮を剥いでいた。手を止めなかった。だから俺はそのとき誰がどんな顔をしていたのかを知らない。ただ、静かだった。そしてその静かさが、少し、長かった。
村長が、口を開いた。よくやった、とだけ言った。誰に、とは言わなかった。その日は、それで終わった。
俺はその夜、家に戻って、飯を食って、寝た。何も考えなかった。考えることがなかったからだ。俺は隣に座っていた女にやり方を教えた。その女がうまくやった。それだけのことだ。それ以上の意味は、ない。俺はそう思った。いま思えば、あの夜が最後だった。村が、まだ、俺を置いておける最後の夜だった。だがそのとき俺はそれを知らなかった。俺はその夜も、空を見なかった。