リツは人をつける、と言った。俺は要らない、と答えた。リツはこう言った。持ち帰ったものは、この家のものです。あなた一人では、運べません。俺はこう言った。運べるだけ、運ぶ。
リツはしばらく俺を見ていた。それから。……そうですね。人をつければ、その者が死にます。あなたは、死なないかもしれない。ですが他の者は、死にます。リツはそう言った。それからこう続けた。人は、金がかかります。死なせれば、家に、払わなければなりません。運べるものより払う金の方が多い。だから一人で行きなさい。
俺はその理屈を聞いた。聞いて、こう思った。このリツは俺を惜しんでいない。人を惜しんでいるのでもない。金を数えている。……。それでいい、と俺は思った。俺はその方が、やりやすい。
支度は五日でできた。食い物。水。縄。灯り。灯りは、錬金の品にした。火を熾すより、長くもつ。石の灯りだ。三つ、持った。リツはそれを家から出した。高いものだ。俺の一年分の稼ぎより、高い。リツはこう言った。貸します。俺はこう言った。壊したら。リツはこう答えた。あなたが死んだら、それも一緒に失われます。どちらでも、同じです。
俺は出発した。夏の終わりだ。都を出て、東に向かった。道は、途中まで、ある。人も、途中まで、いる。
三日で、大きな湖の脇を通った。その先に山がある。山を越えると、平らな土地が、広がっている。俺はそこを東に進んだ。人はまだいた。村がある。畑がある。俺はそこで、飯を買った。村の者に、東のことを訊いた。
東に何がある、と訊いた。村の者は、こう言った。何もない。俺はこう訊いた。人はいないのか。村の者は、こう言った。いる。もう少しは、いる。だがその先は、いない。俺はこう訊いた。なぜ。村の者は、こう答えた。土が、悪い。
俺はその言葉を聞いた。土が悪い。俺はこう訊いた。どう、悪い。村の者は、こう言った。作物が、育たん。育っても、食えん。食うと、腹を壊す。俺は頷いた。そしてこう訊いた。石は、取れるのか。村の者は、俺を見た。それからこう言った。取れる。だが掘る者は、いない。
なぜ、と俺は訊いた。村の者は、こう言った。掘ると、出る。何が、と訊いた。村の者は、答えなかった。しばらくして、こう言った。……行くのか。行く、と俺は言った。村の者は、それ以上、何も言わなかった。背を向けて、行った。
俺はそこから、十日、東に歩いた。人は減った。村は小さくなった。最後の村は家が七つしかなかった。俺はそこで水を汲んだ。誰も俺を止めなかった。誰も、俺に、話しかけなかった。俺はその村を出てさらに東に進んだ。その先に村はなかった。
道はあった。石畳だ。都のものと同じだ。いや、違う。都の石畳は、人が敷いたものだ。これは、違う。これは、割れている。割れて、その下から、別のものが出ていた。黒い。平らだ。石ではない。俺はそれをしゃがんで、触った。
俺はそれを知っていた。前の生で、毎日、その上を歩いていた。これは、道だ。三百年前の道だ。俺はそこに、しゃがんだまま、動かなかった。
道は、東に、まっすぐ続いていた。俺はその上を歩いた。黒い道は、土に埋もれ、草に覆われ、木が生えていた。だがまっすぐだった。まっすぐな道は、地形を無視する。小さな丘があれば、削ってある。窪みがあれば、埋めてある。三百年経っても、それは、残っていた。俺はその上を歩き続けた。
六日、歩いた。誰にも、会わなかった。魔物は、出た。だがたいしたものではなかった。この辺りの魔物は大きくない。代わり、数が多い。俺はそれを殺しながら進んだ。殺すのは、簡単だ。簡単すぎて、少し、妙だった。
なぜ、こんなに弱いのか。俺はそう考えた。考えて、こう思った。ここは餌がない。人がいない。獣も少ない。餌がなければ大きくならない。……当たり前の話だ。だがその当たり前が俺には不気味だった。ここには、三百年、何もいない。何もいない土地を俺は六日、歩いている。
七日目に、地面が、変わった。
最初は気づかなかった。足元が、少し、柔らかい。雨の後のようだ。だが雨は、降っていない。俺は足を止めた。しゃがんで、地面を押した。沈んだ。深くは、沈まない。だが沈んだ。その下に、何もない、という沈み方だった。
俺はそこで迂回した。左に、大きく、回った。半日、回った。回って、また、東に向かった。少し進んで、また、柔らかくなった。俺はまた、迂回した。三度、迂回した。四度目に、こう気づいた。……迂回する場所が、なくなっている。
俺はその日、高いところに登った。小さな丘だ。登って、東を見た。
平らだった。どこまでも、平らだった。草が生えている。木も、少し生えている。だが平らだ。山がない。丘がない。そしてその平らな土地のところどころが、へこんでいた。円い、へこみだ。大きい。村が、丸ごと入る大きさのものもある。いくつもある。俺はそれを見た。見て、こう思った。……落ちたのだ。
俺はその丘の上に座った。そしてこう考えた。あそこには、街があった。三百年前、あそこに、街があった。東京だ。街は崩れた。崩れて、土に埋まった。埋まった上に草が生えた。三百年で平らに見えるようになった。だが下は、空だ。崩れた建物の隙間が残っている。土がその上に被っているだけだ。だから乗ると、抜ける。
どうやって進む。
上は、歩けない。迂回できる場所は、もうない。引き返すことは、できる。引き返して、都に戻る。リツに、こう言う。行けなかった。……。リツはそれを責めないだろう。行けなかったものは、行けない。それも受け入れるだろう。俺はそう思った。思って、丘を降りた。東に、向かって。
俺は慎重に進んだ。一歩ずつ、地面を確かめた。棒を持って突きながら進んだ。半日で三百歩進んだ。次の日は、二百歩だった。その次の日、俺は落ちた。
前触れは、なかった。棒で突いた。硬かった。足を乗せた。抜けた。
落ちた。落ちる時間が、長かった。思っていたより、ずっと、長かった。俺はその間に、いくつかのことを考えた。考えられるくらい、長かった。一つ。深い。二つ。下に、水があれば、助かる。三つ。なければ、死ぬ。四つ。……死ぬのは、二度目だ。
水は、あった。背中から、落ちた。息が、止まった。冷たかった。沈んで、それから浮いた。俺は浮いた。顔を出した。息を吸った。生きていた。
暗かった。真っ暗ではない。上を見ると、穴が、あった。俺が、開けた穴だ。そこから、光が、入っていた。細い、光だ。俺はその光を見上げた。高い。十五、六の高さがある。登れない。壁は、垂直だ。手がかりがない。
戻れない。
俺はその穴を見上げていた。光が、細かった。その光の中に、埃が、落ちていた。俺が落ちたときに、崩れた土だ。それが、まだ、落ちてきていた。俺はそれを見ていた。見ていて、こう思った。あの穴は、そのうち、塞がる。土が崩れて、埋まる。誰も、俺が、ここに落ちたことを知らない。
俺はそのとき、兄のことを思い出した。
なぜ思い出したのかは、わからない。水の中で、光を見上げていて、突然、思い出した。村を出るとき、兄は道の分かれ目まで、来た。そしてこう言った。戻ってこいよ。俺は頷いた。頷いただけで、返事をしなかった。
俺はあのとき、返事をしなかった。しなくて、よかった。……。いや。よくない。返事をしていれば、俺は約束を破ることになった。返事をしなかったから、破ってもいない。破ってもいないが、俺は戻らない。戻らないことに変わりはない。俺はただ、約束をしなかっただけだ。
……。
それは、ずるい。
俺は水の中で、そう思った。俺は兄に、何も、返していない。兄は俺のために怒った。村の全員の前で、怒った。そして俺が、わかった、と言って、それを終わらせた。兄はそれ以上、何も言えなかった。俺が、言えなくした。そして俺は頷いただけで、村を出た。六年前だ。
俺は水から上がった。岸のようなものがあった。平らな、石の縁だ。俺はそこに上がった。荷は、無事だった。石の灯りも、無事だった。三つとも、生きていた。俺は一つを点けた。
光が、広がった。
俺はその光の中を見た。そして動きが、止まった。
俺はそこが、何であるかを知っていた。壁がある。天井がある。床がある。その床の真ん中が、低くなっている。低くなったところに、水が、溜まっている。俺はいま、その水から、上がった。そしてその低いところに、二本、平行に、何かが、走っていた。金属だ。錆びている。だがまっすぐだ。二本、平行に、どこまでも、続いている。
線路だ。
俺はその光の中に、立っていた。水が、体から、落ちていた。その音だけが、していた。他に、音は、なかった。
……。
ここは、地下鉄だ。