月のない空   作:朝凪小夜

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第二十八話 登る

 

 五十人だった。俺を入れて五十人だ。残りの四十九人は荷を持っていた。食い物。水。縄。布。器。そして大きな箱を四つ。箱は二人で担ぐ。中は空だ。心臓を入れるためのものだ。

 

俺はその箱を見た。見て、こう思った。この五十人は心臓を運ぶために集められた。龍を殺すために集められたのではない。殺すのは俺だ。俺一人だ。……。俺はそれを当たり前だと思った。村でもそうだった。都でもそうだった。俺はいつも一人で殺す。殺したものを他の者が運ぶ。

 

いつも通りだ。

 

隊の頭は四十くらいの男だった。名は書かない。俺はこの男の名を覚えている。だが書かない。この男は何も悪くない。

 

この男は初日に俺にこう言った。あんたがソウか。俺はそうだと答えた。男はこう言った。俺はあんたを信じていない。俺は頷いた。男は続けた。だがリツ様がそう決めた。だから俺は従う。あんたが龍を止める。俺たちは運ぶ。あんたが失敗したら俺たちは逃げる。……それでいいな。俺はいいと言った。

 

男は少し意外そうな顔をした。それからこう言った。あんた腹が立たないのか。俺はこう答えた。立たない。男はこう訊いた。なぜ。俺は答えた。俺が失敗したらあんたらは死ぬ。死ぬくらいなら逃げた方がいい。当たり前だ。

 

男はしばらく俺を見ていた。それからこう言った。

 

……あんた、変わってるな。

俺はそうかもしれないと言った。

 

 

三十日歩いた。

都を出て東に向かった。平らな土地を抜けた。丘を越えた。川を渡った。そして山が見えてきた。

 

山は遠くから見えた。最初は雲かと思った。白い。空に白いものが浮かんでいる。俺はそれをしばらく見ていた。そしてそれが山だとわかった。雪だ。頂に雪が被っている。春なのに雪がある。

 

俺は隊の頭にこう訊いた。

 

あれか。

男は頷いた。

 

そしてこう言った。

 

ミルの山だ。

 

 

俺はその山を見ていた。

 

高い。村の山よりはるかに高い。村の山は冬に雪が積もり春に解ける。この山は春でも解けない。いや頂だけだ。下の方は緑がある。だが上は白い。

 

俺はこう思った。あの上に龍がいる。

 

……なぜあんなところに。

 

俺は隊の頭にそう訊いた。男はこう答えた。知らん。昔からそこにいる。俺はこう訊いた。

 

なぜ下りてこない。

男はこう答えた。

……知らん。だが下りてきたら俺たちはとっくに死んでる。

 

俺はその言葉を聞いた。

龍は下りてこない。三百年下りてこない。下りてくれば人間に勝てる。勝てるのに下りてこない。……。なぜだ。

 

俺はその問いを立てた。立てて答えが出なかった。答えが出ないまま俺は歩き続けた。

 

二十五日目に山の麓に着いた。

 

そこに村があった。小さい。家が十ほどだ。村の者は俺たちを見て逃げなかった。だが近づかなかった。隊の頭が話をつけた。金を払って水と食い物を買った。

 

俺はその村の年寄りに話しかけた。なぜかはわからない。訊きたいことがあったからだ。

 

俺はこう訊いた。ミルを見たことがあるか。年寄りは俺を見た。それからこう言った。ある。どんなものだ。年寄りはこう言った。大きい。俺は待った。年寄りはしばらく黙っていた。それからこう言った。

 

……そして、動かない。

 

動かない。年寄りは頷いた。そしてこう言った。わしは若い頃に上まで登った。馬鹿だったからだ。登って見た。ミルはそこにいた。

 

……こっちを見た。

 

俺はこう訊いた。

 

それで。

 

年寄りはこう言った。

 

それだけだ。

 

 

俺はその言葉を聞いた。

年寄りは続けた。わしは逃げた。全力で逃げた。転げ落ちるように逃げた。……追ってこなかった。俺はこう訊いた。追ってこなかったのか。年寄りはこう言った。追ってこなかった。ずっと見ていた。わしが山を下りるまで見ていた。振り返るたびに見ていた。

 

俺はこう訊いた。なぜ殺さなかった。年寄りはこう答えた。……知らん。それからこう言った。だがわしはあれ以来そう呼んでいる。ミルと。

 

俺はそこで動きが止まった。

 

……あんたが名づけたのか。

年寄りはこう言った。

いや。昔からそう呼ぶ。

わしが生まれる前からそう呼ぶ。

……だがわしはなぜそう呼ぶのかを知らなかった。登ってわかった。

 

俺はこう訊いた。なぜだ。年寄りはこう答えた。

 

「あれは見ているからだ」

 

 

俺はその村を出た。

登り始めた。最後の五日だ。道はなかった。岩を登った。四十九人の荷が重かった。俺は荷を持っていない。俺は身一つだ。殺すためだけにいる。

 

三日目に木がなくなった。岩と雪だけになった。寒かった。村の冬より寒い。息が白い。風が強い。四十九人のうち二人が動けなくなった。置いていった。置いていくと隊の頭が決めた。二人はそこに残された。迎えは帰りに来る。

 

……来るかどうかはわからない。

 

俺はそれを見ていた。何も言わなかった。言っても変わらないからだ。……。いや。俺は言えた。俺は二人を担げた。俺なら担いで登れた。だが言わなかった。

 

なぜか。

 

俺はそのときこう考えていた。俺は龍を殺しに来た。殺すには力が要る。人を担げば力が減る。力が減れば殺せないかもしれない。殺せなければ心臓が手に入らない。心臓が手に入らなければ算えられない。……。だから担がない。

 

俺はそう考えた。考えてそのまま登った。二人を置いて。

 

いまこれを書いていて俺は思う。あのとき俺はこう考えた。

 

「算えるために人を捨てる」

 

……。

俺はそれを正しいと思った。思って、実行した。迷わなかった。

……。迷わなかったのだ。

 

俺はそのことにそのときは気づいていなかった。気づいたのは龍と話してからだ。

 

五日目に頂に着いた。

 

雲の上だった。

 

俺はそこに立った。下を見ると雲があった。白い。平らだ。海のようだ。その雲の下に世界がある。村がある。都がある。人がいる。だが見えない。雲が隠している。

 

俺は上を見た。

 

空があった。

 

俺はそのとき息を呑んだ。

 

 

空が近かった。

 

 

いや、そんなはずはない。空は遠い。この山を登っても空は遠い。わかっている。わかっているのに近く見えた。青が濃い。俺が知っている空より濃い。濃くて深い。そしてその青の中にうっすらと星が見えた。

 

星だ。

 

昼なのに、星が見えた。

 

俺はそれを見上げていた。しばらく動けなかった。隊の者が俺の横を通り過ぎた。誰も上を見ていなかった。全員下を見て足元を確かめて進んでいた。当たり前だ。滑れば落ちる。

 

……。俺だけが上を見ていた。

 

俺はそのときこう思った。

 

ここは空にいちばん近い。

 

俺はそこでこう考えた。

 

……だからあれはここにいるのか。

 

俺はその考えを頭の中に置いた。置いてそれ以上進めなかった。わからなかったからだ。俺はそのときまだわかっていなかった。

 

隊の頭がこう言った。

 

「いる」

 

俺は前を見た。

 

 

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