「全部だ」
龍はそう言った。
俺はこう訊いた。
「全部とは」
龍はこう答えた。
「人間が崩れるのを見た。街が燃えるのを見た。人が人を殺すのを見た。殺した者がまた殺されるのを見た。それが百年続いた。……そのあと都ができた。都に家ができた。家が増えて減った。いまは七つだ。……全部見た」
俺はその言葉を聞いた。
「ここから見えるのか」
「見えない」
「ならなぜ知っている」
「下りた」
俺はそこで動きが止まった。
龍は続けた。
「夜に下りた。人のいない場所に下りた。遠くから見た。見てまた上がった。……何度もそうした」
俺はこう訊いた。
「なぜ人前に出なかった」龍はこう答えた。
「出れば、逃げる。逃げれば見えない。……見たかった」
俺はその答えを聞いた。聞いてしばらく何も言えなかった。
そして、こう訊いた。
「……都まで三十日だ」
龍は、答えなかった。
俺は続けた。
「歩けば往復で六十日だ。最後の五日は登りだ。……何度もそうしたのか」
龍はしばらく黙っていた。
それからこう言った。
「……その話はあとだ」
俺はその答えに引っかかった。引っかかったが、それ以上訊かなかった。訊く必要があった。あったのに訊かなかった。
……俺はまだそういう男だった。
この龍は三百年人間を見ていた。見るために隠れていた。姿を見せれば人間は逃げる。逃げれば人間がどう暮らしているのかが見えない。……だから隠れた。三百年隠れて見ていた。
俺はこう訊いた。
「なぜ見たかった」
龍はしばらく黙っていた。それからこう言った。
「わからない」
「わからないのに三百年見ていたのか」
「そうだ」
俺はそこに立っていた。
風が吹いていた。日が傾き始めていた。俺はそれに気づいていなかった。どれくらい話していたのかわからない。……。俺は後ろを見た。四十八人が遠くにいた。岩の陰に集まっていた。こちらを見ていた。誰も動かなかった。俺が龍と話しているのを見ていた。……何が起きているのかわかっていないのだろう。俺にもわかっていない。
俺はまた前を見た。
俺はこう訊いた。
「人間はお前を殺しに来た」
龍はこう答えた。
「来た」
「何度」
「数えていない。多い。……いや、多くはない。百年に二度か三度だ。だが、来た」
「どうした」
「殺した」
俺はその言葉を聞いた。
龍は続けた。
「向かってくれば殺す。向かってこなければ殺さない。……いつも向かってきた」
「なぜ向かってくると殺す」
「殺さなければ私が死ぬ」
俺は頷いた。
当たり前だ。
俺もそうしてきた。
俺はこう訊いた。
「他の龍は」
龍はしばらく黙っていた。それからこう言った。
「いた」
俺は待った。
龍は続けた。
「私と同じものが他にもいた。月が開いたときに変わったものが。……いまは少ない。人間が殺した」
「なぜ、殺された」
「下りたからだ」
龍は、続けた。
「あれらは下りた。人の前に出た。人を殺した。……人は集まって殺し返した。何百人も来た。半分が死んだ。だが殺した。……そういうことが何度もあった」
俺はこう訊いた。
「お前は下りなかった」
「下りた。だが出なかった。見ていた」
「なぜお前だけ出なかった」
龍は、長く、黙っていた。
風の音がしていた。俺は待った。龍は動かなかった。目だけが俺を見ていた。
やがて、龍はこう言った。
「……わからない」
俺はその答えを聞いた。
訊いた。
「お前はわからないとよく言うな」
龍はこう答えた。
「わからないものが多い」
俺はこう言った。
「三百年生きていてか」
龍はこう答えた。
「三百年生きた。だから、わからないものが多い。……短く生きればわからないものは少ない」
俺はそこで少し笑った。
笑ってから俺は自分に驚いた。俺はこいつを殺しに来た。殺しに来た相手の言葉に笑っている。……。俺はそこでこう思った。俺はいま何をしている。
俺はその問いを立てた。立てて答えを探した。探して答えが出なかった。
俺は黙った。
俺が黙ると風の音だけになった。龍も黙っていた。俺はそこに立っていた。考えていた。何を考えていたのかは覚えていない。たぶん、何も考えていなかった。ただ黙っていた。
どれくらい黙っていたのかわからない。長くはない。十を数えるほどだ。あるいは二十か。
そして龍がこう言った。
「……もう一つ訊け」
俺は顔を上げた。
俺はその言葉を聞いた。
「もう一つ、訊け」
俺は龍を見た。
龍は動いていなかった。目だけが俺を見ていた。その目が変わったようには見えなかった。何も変わっていなかった。だがこいつはいまそう言った。
俺はこう訊いた。
「なぜだ」
龍は答えなかった。
俺はこう訊いた。
「なぜ訊けと言う」
龍は長く黙っていた。
そして、こう言った。
「……わからない」
俺はその答えを聞いた。
俺はそこに立っていた。構えはとうに解いていた。両手が下がっていた。武器は腰にある。抜いていない。……。俺はそのとき初めてそれに気づいた。
俺はこいつを殺しに来た。
俺はそれを忘れていた。
どれくらい忘れていたのか。
……。
「珍しい」
こいつがそう言った。そこからだ。そこから俺はこいつを殺すことを考えていない。一度も考えていない。……。俺はそのあいだ何を考えていた。月のことを。揺れのことを。決まりのことを。……こいつが何を見てきたかを。
俺はそこでこう思った。
……俺はいつからこいつを殺すつもりでいなかった。
俺はその問いを立てた。立てて答えが出た。すぐに出た。
最初からだ。
俺はこいつが殺してこなかったことを知っていた。五日見られていて殺されなかった。殺せるのに殺さなかった。……だから俺は訊いた。「なぜ殺さない」と。……。あれは戦いのための問いだった。俺はそう思っていた。相手の狙いを知るための問いだと。……。違う。
俺はそのときこう思ったのだ。
……こいつは殺してこない。
殺してこない相手を俺はどうすればいいのかわからなかった。俺は向かってくるものしか殺したことがない。向かってこないものを殺したことがない。……だから訊いた。訊く以外にやることがなかった。
俺はそこに立っていた。日が傾いていた。風が冷たくなっていた。俺はこう思った。
……俺はこいつを殺せるのか。
俺はその問いを立てた。立てて答えを探した。
殺せる。たぶん殺せる。こいつは動かない。動かないものを殺すのは簡単だ。俺は地下で目のない魔物をそうやって殺した。……。殺せる。
俺はそう答えた。
そして次にこう思った。
……なぜ殺す。
俺はそこで動けなくなった。