綾小路清隆の独白。
放課後。
生徒たちが帰路につき、人のまばらになった中庭。
冬の寒気に当てられ、冷たい金属製のベンチに項垂れている男が居た。
静まり返った屋外の空気の中、そいつの背中はどこか小さく見えた。
クラスの精神的支柱として動いていた彼からしたら先程の光景は、苦しかったのだろう。
オレは並んでベンチに腰を下ろすと、前を向いたまま声をかけた。
「──いつまでそうやって一人で背負い込むつもりだ、平田」
その声に、隣に居る男。平田洋介の肩が小さく跳ねる。
「綾小路くん…、どうしたんだい?僕は元気だよ」
「そんな建前は要らない。お前がクラスの為に動いていたのはオレも良く知っている。ならあの光景はお前にとっていい景色とは言えない筈だ」
「……そうだね。色んな試験を乗り越えてようやくクラスが纏まってきた。そう思っていたんだけど」
「別のやり方があれば、そう思っているのか?」
「うん、そうだね。もし、その曖昧な未来を僕は考えてしまうんだ。もっとうまくやれていたら…なんて」
掠れた声。何かに縋っているような声色。
相変らず、歪んだ価値観だった。この結果を自分の過ちだと思っている辺りが救えない。
誰もが平田を責められるわけがない。結局あの試験は学力が全てだ。確かに元Cクラスの問題は成績中間層を狙い撃ちにしている物だったが、それ程難しかったわけでは無い。
「そうか。だが、オレは違うと思うぞ」
「え、何を言って…?」
「しょうがなかった、とも言えるんじゃないか?」
その言葉に平田は何も言わなかった。きっと意味を理解しようとしているのだろう。
「勘違いするな。お前が悪いわけじゃない。……いや、そもそもお前が誰かを救えるなどという傲慢をいつまで続ける気だ」
「っ……!」
顔を上げた平田の瞳には絶望と、オレの言葉に対する拒絶の色が浮かんでいた。だが、そんな感情を向けられようと躊躇うつもりは微塵もない。
「退学していった人間を恨む気もないが、同情する気も無い。あいつらが退学になったのはお前の責任でも、クラスのせいでもない。単純にあの場を生き残るだけの『実力が無かった』。それだけの話だ」
責任は退学する当人にある、それ以外の理由はない。
結局二人しか退学しなかったのは、元Cクラスの問題作成の甘さからだろう。
竜崎が相手ならばもう少し酷い結果となっていたのは明白だった。
「──酷いよ、綾小路くん。そんなの……あんまりじゃないか。彼らも僕たちの大切な仲間なのに……!」
絞り出すような平田の抗議に、オレは一切の揺らぎを見せずに言葉を重ねた。
「仲間、か。お前はいつだって全員を救おうとする。だがこの学校のシステムの本質は、他者を蹴落とし続けることだ。その甘えは、結局のところ共倒れになる未来しかない」
その言葉に平田は息を呑み、力なく視線を自分の手元へと落とした。
こいつの頭の中で、これまで信じてきた正義とオレが突きつけた現実が衝突し、崩れていったのだろう。
「お前がどれほど苦悩しようと退学した人間が戻ってくるわけではない。お前が背負う物など最初から無いんだ」
そう、もう手遅れだ。何を悔いようと意味がない。彼らは既にこの学校から去る手続きを行っている。
「──それをいつまでも『自分のせい』と思い込んでるとお前はいずれまた、同じ絶望を繰り返すことになるぞ」
それ以上かけるべき言葉はなかった。 オレはベンチから立ち上がる。
あいつがこの絶望から何を学び、どう立ち上がるのか、あるいはそのまま潰れるのか。
──それはすべて、あいつ自身の問題だ。
だが、オレが立ち去ろうと背を向けたその時、平田の絞り出すような声が背中を叩いた。
「……君には分からないよ。僕がどうしてこうまでして『全員』にこだわるのかなんて」
足を止める、だが振り返ることはしない。
その様子を気にしていないのか、平田はぽつりぽつりと話し始めた。
中学時代。自分が救う側になるしかなかった、あの出来事。
自分の幼馴染がいじめの標的になり、壊れてしまったあの日々について。
「……僕は見殺しにしたんだ。自分だけが安全な場所で見ていただけだった。だから、今度こそ誰も見捨てる気はない」
平田の告白はまるで呪いのように重かった。
だが結局は過去のトラウマを今のクラスに投影しているだけ。オレは小さく息を吐き、静かに振り返った。
「成程。つまりお前は過去の幻影を救うために、今を犠牲にしているというわけか」
「……え?」
「いいか、平田。お前は幼馴染を救えなかった自分を許せないだけだ。クラスを救いたいんじゃない。ただ、お前自身の罪悪感を消し去りたいだけだろう」
平田が顔を上げる。その表情には、核心を突かれた動揺が浮かんでいた。
「中学時代のその幼馴染はお前に救いを求めていたのか? それともお前に『平穏な日常』を演じさせるための重荷でしかなかったのか?」
オレは平田の隣に再び座り、問いを重ねる。
これまでひた隠しにしてきた幼馴染の末路の裏側。本当に大切だったのか。それとも、平田自身が優越感に浸るための道具だったのではないか。
頑なに目を逸らしてきた残酷な真相を、容赦なく暴くために。
「お前は自分を保つために被害者を利用している。今のクラスも同じだ。誰かを守るという名目で自分の心を満たしているに過ぎない」
平田の顔から血の気が引いていくのが分かる。これは平田の成長性の選択だ。
綺麗事をいう聖人のままなのか、若しくはクラスの秩序を乱す異分子を消す処刑人になるのか。
どちらを選んでも平田という個人の有用さは消えない。
だからこそ楽しみだった。平田がどう成長するのかが。
「……違う。そんなことないよッ!!!」
「なら、なんだ?」
「僕は皆が平和で過ごせれば、それだけで良かったんだ…」
平田は呼吸を乱し、膝の上で握りしめた拳を震わせた。
肩が激しく上下している。オレが突きつけたのは、コイツが何よりも隠し通したかった、自身の心の奥底にある傲慢さと偽善だ。
「……君は、どうしてそこまで言うんだ。僕の何をそんなに見透かしているんだ」
平田は潤んだ瞳でオレを睨みつけた。以前の、誰にでも平等に微笑む仮面はもう剥がれ落ちている。
今のこいつは、何色にも染まっていない生まれたままの赤ん坊と同じだ。
──これからどんな色にでも塗り替えられる存在になっていた。
怯えと混乱に満ちた平田の問いに、オレは偽りの心を告げた。
「オレは、お前が潰れるのを見たくないからだ。……それに友人を救えなかったのはお前の責任じゃない」
不意を突かれたような顔をした平田が、わずかに戸惑いの声を漏らす。
「でも、さっきは僕が悪いって…」
「そうは言ってない。それにやられた側にも問題はあるなんて話をする気も無い」
「……じゃあ」
「言いたいのはその幼馴染をお前が恨んでいるのかという話だ」
一瞬、平田の呼吸がピタリと止まる。オレは構わず言葉を続けた。
「仮にソイツが飛び降りなければ、お前はこうなっていなかったかもしれない」
「でも僕は自分の保身で彼を…」
苦悶に満ちた表情で頭を抱える平田に対し、オレは静かに息を吐いた。
「そうか。だがオレもお前と同じだ。今までずっと自分の保身を優先していた」
「でも綾小路君はクラスを勝たせようと色々と動いてくれたじゃないか…?」
「だが、表立って行動する事はしなかった。事なかれ主義だからな」
自嘲気味に語るオレの横顔を、平田は信じられないものを見るような目で見つめている。
「…オレはお前の過ちを否定しない。そして同情するお前の過去に」
出された結論の重さに気圧されている平田の眼前へ、オレはゆっくりと右手を突き出した。
「だから平田、オレと協力しよう。オレはお前が必要だ」
「……協力、だって?」
思いがけない言葉に、平田は呆然と瞬きを繰り返す。
「あぁ、オレとお前は似ている。だから手を取り合おう」
差し出されたその手を前にして、平田は動揺の色を隠せないまま硬直した。
恐怖とどこか期待に似た感情が、その瞳の中で激しく渦巻いているのが見て取れる。
これ以上、言葉を重ねる必要はない。心理的な追い込みもすでに終わった。
それに現状を踏まえれば、今の平田に選べる道など存在しない。
あいつはこの手を取るしかなかった。
「分かった…、綾小路君に協力するよ」
絞り出すような小さな声と共に平田はゆっくりと顔を上げ、震える手を伸ばしてオレの手をしっかりと掴んだ。
その手はまだ少し震えていたが、先ほどまでの迷いは消えつつあった。
「分かった。それとこれを機にオレの事は名前で呼んでくれ」
突然の提案にきょとんとした顔で瞬きをした。
「え、なんでいきなりそんな事を?」
「仲間だからな」
短く、しかし決定的なその一言に、平田はハッとしたように息を呑み、やがて柔らかく、どこか憑き物が落ちたような安堵の笑みを浮かべた。
「うん、分かったよ。清隆くん」
冷たい風の中、ベンチの上の静寂が破られた。平田は憑き物が晴れたような笑顔を見せた。
これにより平田は、ようやくオレの思う様に動かせるようになった。
何故こんな事をしているのか、理由がある。
現状のこのクラスには、内部から崩壊を狙う「裏切り者」が潜んでいる。
櫛田桔梗――彼女がその一端であることはもはや疑いようのない事実だ。体育祭での参加表は本物だったが、それだけでは信用できるとは言えない。
オレは裏切り者がもう1人居ると思っている。
あれほど分かりやすい人間が本命だとは到底思えない。用心深い竜崎のことだ。彼女の裏に、あるいは別の場所に『保険』としての裏切り者がもう一人存在しているはずだ。
(…お前を上回る。その為にオレは手段を選ぶつもりは無い)
Cクラスに上がったところで、この状態のままではすぐに足元を掬われて転落する。
他クラスとの総合的な実力差は歴然だ。
…であれば、その劣勢を嘆くのではなくむしろ逆に利用する手はないか。
それに、あの竜崎正の性格を考えれば、きっと「無傷で全員卒業」などという目標をゲームを楽しむかのように掲げているに違いない。
なら、その考えを利用する。
そんな考えが思い浮かぶと、オレは何故か口が吊り上がる感覚を覚えた。
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平田と協力関係を結んだ数日後。
ケヤキモール、休日のその場所は平日よりも多くの人の姿が見えた。
吹き抜けに響く雑然とした人の声と、微かに香る香ばしい食べ物の匂いが入り乱れる空間。
そんな中。どう見ても異質な組み合わせの四人連れがいた。
先頭を行くのは白い長袖シャツとジーンズを着て、猫背気味に歩く竜崎正。
その後ろを、不機嫌そうな顔で数歩分の距離を置きながら歩く伊吹澪。
さらにその後ろには、新しく買ったばかりの小説が入った紙袋を大事そうに抱える椎名ひより、そしてオレだ。
(……すごい状況だな)
そう他人事のように考えてしまうぐらいには、場は混沌としていた。
このメンバーで出かける事になった発端は、数日前に来た一通のメールだった。
竜崎から紹介された椎名ひより。読書という共通の趣味があるのは勿論のこと、どこか穏やかな彼女と仲良くなるのは、そう難しい話ではなかった。
これまでも何回か遊ぶ機会があり、その日も当たり前の一環だった。
『今度の休日に本屋に行きませんか?』
そのいつもの誘い文句にオレは特に気にすることなく了承を告げた。
そこに、偶然にも伊吹から「遊ぼう」と連絡が入り見事に予定がブッキングしてしまったらしい。
それを知らされた伊吹は申し訳なさそうに「別日にしよう」と話したらしいが…
そこでただでは折れないのが椎名だった。
彼女は持ち前のマイペースを押し出し、三人で遊ぼうと提案。
珍しく押しが強い椎名のペースにタジタジとなった伊吹が、最終的には押し切られる形で折れたらしい。
だから、最初は『この三人』で遊ぶはずだった。
…だが、そこにどこから聞きつけたのか竜崎が「こんな面白い状況に混ぜてくれないなんて、綾小路くんも酷いですね」と無理やり合流した。
その結果、この歪な四人パーティーが結成されたというわけだ。
「竜崎、一つ良いか?」
そんな回想を挟みつつ、オレは竜崎に声をかけた。
「先ほどからすれ違う人を観察しているが…、いったい何をしているんだ?」
竜崎は足を止めず、こちらに目だけを向けてオレの質問に答えた。
「あぁ、これですか?ただの癖です」
「…気持ち悪っ」
竜崎の数歩後ろを歩いていた伊吹が、身体を少し引いてそう吐き捨てる。
彼女はいつもより鋭い殺気を竜崎に向けていた。
「アンタさ、朝からずっとそんな調子だけど、それの何が楽しいわけ?」
「そうですね、多少は面白いですよ」
「それって頭いいアピール?陰気臭いし、見てるこっちの胃が痛くなってくるんだけど」
伊吹のトゲのある言葉に竜崎は何かを吟味するように足を止め、振り返った。
「伊吹さん。貴女はすぐ感情的に捲し立てますが、それはなぜですか?」
「はぁ? 何言っての、こいつ」
「いえ。ただ、私の行動や思考を制限する権利は、貴女にはないという話です」
竜崎が相変わらずの無表情で拒絶を示したのが、気に食わなかったのか伊吹は距離をぐっと詰めた。
「…生意気。その余裕そうなツラが特にムカつく」
一触即発の空気に流石に仲裁をすべきだと判断したのか、オレの隣に居た椎名が間に割って入った。
「伊吹さん、こんな場所で暴力は良くないですよ? やるならもう少し人の目のない、証拠が残りにくい場所でお願いします」
「なに、椎名はやっても良いわけ?」
「えぇ。だって竜崎くんは伊吹さんに襲われても、なんだかんだ大丈夫そうですから」
「は?椎名は私がこの男に負けるって思ってるの!?」
椎名がそうクスクスと楽しそうに笑いながら伊吹を宥める。和やかなのか殺伐としているのか分からないそのやり取りを、オレはまるで他人事のように眺めていた。
「竜崎くんもおいたはダメですよ。せっかく久しぶりに遊んでいるんですから、もう少し平和で楽しい話をしましょう?」
「あぁすいません。伊吹さんの反応が面白くてつい」
「……っ、綾小路!! いつまでそこで高みの見物してるのよ! アンタからもなんか言ってやり合ったらどうなの!?」
伊吹の怒りの矛先が、急にこちらへと向かってきた。 確かに、椎名が中立の立場を貫くなら、同じ傍観者であるオレに協力を要請するのも自然な流れではある。だが──
「いや、オレは特に助ける気はないぞ。頑張ってくれ、伊吹」
「…使えないヤツ」
「竜崎に口論で勝てる気がしないだけだ」
事実として、竜崎にまともに反論しようとも、いつの間にかペースを握られて軽くあしらわれるのがオチだろう。オレは別に、あんなねちっこい話術を持ち合わせていない。
「雑談もこれくらいにして、そろそろ少し休憩にしませんか?」
そう言って、竜崎は目の前にあった小綺麗なお店を指差した。
「…マイペースすぎる。やっぱりアイツ頭のネジが数本ないんじゃない?」
「そうかもな。何せあだ名が変人だ、当然とも言えるな」
呆れたように大きなため息を吐きながらも、伊吹はフンと鼻を鳴らし入店する竜崎の背中を追った。
「ふふっ、相変わらず2人は仲良しですね?」
「そうか?」
「はい。喧嘩するほど仲が良い、ってまさにこういうことじゃないでしょうか?」
椎名は楽しそうにステップを踏みながら、オレから離れて二人の後を追った。
少し前までは静かな休日を過ごしていた筈だった。
…それが今ではすっかり騒がしい日常の渦中にいる。
『友人』という概念の定義は、相変わらずオレにはよく分からない。
けれどこんな日があっても良い、そう思える気がした。
そしてオレは、不意に脳裏をよぎった思考に、ほんの少しだけ足を止めて考えてしまった。
Aクラスにいけば竜崎や一之瀬が居る。
あの二人が仕切るクラスは、オレにとって余計な波風が立たず、むしろ今よりもずっと気楽な環境だろう。なにより誕生日を祝ってくれた神崎や姫野も居る。
Dクラスだって椎名や伊吹、それに龍園が居る。
退屈とは無縁の、日々の生活の楽しさだけは間違いなく保証されている空間だ。
その問いを発した瞬間、不思議と頭に浮かぶのは…
退学者が出た時に子供染みた癇癪を起すクラスメイトたちの姿だった。
それらが本当に守るべき信念かと問われると、即座に答えは返せない。
いや、そもそも答えを出そうとすること自体がオレにとっては不要なのかもしれない。
「(今は、まだ答えが出せないな)」
オレは考える事を辞め、三人へ追いつけるよう歩き出した。
混合合宿のルール少し弄ろうと思ってるんで少し時間かかってます。
竜崎が新しいルールも追加するのでお楽しみに。