林間学校の到着後、男女に分かれて移動した生徒たち。
喧騒に包まれた広い体育館の中には、ざわめく女子たちの足音と、どこか探り合うような重たい空気が充満していた。男子と同様に各学年、各グラスが自然と固まり、これから始まる小グループ作りのための話し合いが始まろうとしている。
「皆、少し良いかな?」
体育館の喧騒を和ませるように、明るくも芯のある声が響いた。
その声の主は、敵対関係である他クラスの生徒たちにも警戒心を抱かせない、穏やかな笑顔を向けていた。
「私はAクラスの一之瀬帆波だよ。早速グループを決めようと思うんだけど、他のクラスから何か提案とかあるかな?」
その発言のあと、一之瀬はゆっくりと周囲の生徒たちを見回した。
「では、私から提案してもよろしいでしょうか?」
その静寂を破るように手を挙げたのは、一之瀬が率いるAクラスとはまた同じクラスの集団の先頭に立っていた坂柳有栖だった。
「お、何かな坂柳さん」
「私たちは他クラスの生徒を極力入れないBクラス11人、そして他クラスからを1人を加える12人グループで行きたいと思っています」
その言葉に一之瀬は小首を傾げ、疑問を浮べた。
「おー、ってあれ?坂柳さんはそれでいいの?」
「……どういうことでしょうか?」
「うーん、事前にほかの人から聞いていた噂だと、もっとこう攻撃的な人って聞いてたんだけどなぁ…」
一之瀬のあまりにも率直で悪気のない言葉に、周囲で聞き耳を立てていた他クラスの女子たちからも「確かに、すごく守りの姿勢だね」「意外と手堅いんだね」と、ひそひそと話し合う声が漏れていた。
そしてその言葉は坂柳にとって神経を逆なでされるものだった。
「噂って当てにならないんだねー!」
「……貴女も相当変わりましたね。誰かから悪い影響を受けてしまったのではありませんか?」
「え、そうかな? 私は特に変わったつもりはないんだけど」
「そういう白々しいところなんて、特に似てますよ」
それを言われても理解していないのか、一之瀬はきょとんとした顔のままだ。それが芝居ではなく本当に無意識の天然によるものなのだから余計に質が悪い。
だからこそ、坂柳はこれ以上追及しても無意味だと悟り、小さく息を吐いて留飲を下げるほかなかった。
限られた時間の中で、無駄な口論に付き合っている暇はないのだから。
「んー。さっき言ってた坂柳さんの提案なんだけど、私的には呑めないかなぁ」
「へぇ、では貴女にも考えがあると?」
「うん。私はAクラスを3つのグループに分けたいんだ」
その一之瀬の提案は坂柳にとっても少しばかり意外なものだったのだろう。彼女は細めた涼やかな目を一之瀬に向け、探るような疑問を投げかけた。
「それは、いったいどういう意図があってのことでしょうか?」
「私は絶対に退学者を出したくないからね。正直に言うんだったら、今回の試験の勝ち負けなんてどうでもいい。クラスの皆が誰も脱落せず、全員揃って生き残れるならそれで十分すぎるくらいだよ」
「なるほど。つまり自クラスが最大になるように調整し、万が一のリスクを無くしたいと」
「うん。それに坂柳さんの案は、私のクラスの1人を生贄に捧げるみたいにしか思えないよ」
確かに退学者を出したくない一之瀬からすれば、坂柳の案は頷けるものでは無かった。
それを理解したのか、坂柳は意地悪な質問をした。
「それは私たちのクラスから責任者を出すと言っても変わりませんか?」
「うん。余計なリスクを負いたくない、それは間違いかな?」
「いいえ。それはとても用心深、そして──なんとも面白みのない作戦ですね」
坂柳が冷ややかに、どこか見下すような微笑みを浮かべたその時だった。
ピリついた緊張感が支配する体育館の空気を割るように、一之瀬の背後からおずおずとか細い声が上がった。
「わ、私からも……意見を言ってもいいかな?」
「千尋ちゃん、どうしたの?」
声を震わせて手を挙げたのは、白波千尋だった。彼女は周囲の視線に気後れしながらも、決意を込めた目で一之瀬を見つめている。
「私は、その…個人的に、他クラスの人と組んでみたいんだ。ダメかな?」
「え、どうして急にそんなこと言うの?」
白波は一之瀬のその問いに、少し思い悩んだように顔を俯かせ──
やがて、決意したのか勢いよく顔を上げた。
「…私もクラスに少しでも貢献したいんだ。帆波ちゃんばっかり頑張ってくれてるし…、私ばかり守られてちゃ申し訳ないよ」
一之瀬は少しだけ目を見張り、驚きの色を浮かべたが、すぐにいつも通りの笑みを浮かべた。
「そっか!千尋ちゃんも色々考えてたんだね。分かったよっ、でも入るグループは私と相談して決めようね?」
「うん、分かった」
一途な友情と信頼に満ちたそのやり取りを、少し離れた場所から冷ややかな視線で見つめる少女がいた──堀北鈴音だ。彼女は腕を組み、不機嫌そうに眉をひそめている。
「…なんだか、自分たちだけで話が纏まった風にしているけれど、私たちは認めるなんて一言も言っていないわよ」
堀北は鋭い刃物のような眼光を一之瀬に向け、周囲に響くようにハッキリと声を張り上げた。
「貴女には以前の一件で借りがある。けれど貴女たちは独走状態のAクラスなの。だからこそ、そんな貴女達の勝ち逃げを素直に許すと思うのかしら?」
ピリついた反発の色が広がる中、別のクラスの女子生徒が苦笑いを浮かべながらひょいと割って入った。
「まぁまぁ。そう熱くならずに落ち着いて、堀北さん。私たち側からすれば、一之瀬さんのその作戦はむしろありがたい話だしさ」
「そうそう! だって、Aクラスが安全策を取るってことは、今回の試験の一位か二位を狙いやすくなるってことじゃん? なら、私たち他のクラスにも十分に上位を狙うチャンスがあるわけだしさ」
「だけど、それは…」
「ねぇ、堀北さん。この試験ではグループを決めないことが一番ダメなんだよ?ここで変に迷って足並みが揃わず、退学なんて話になったらそれこそ笑い話にもならないからね」
一之瀬の諭すような、真剣な言葉に、堀北は悔しげにぐっと唇を噛み締める事しか出来なかった。客観的に見て、一之瀬の案を否定できる反論が思いつかないからだ。
その様子を見届けた一之瀬は、視線を横にスライドさせ、ここまで沈黙を貫いていた人物へ声を掛けた。
「それでDクラスはどうなのかな?さっきから様子見してるけど、このままじゃ私たちの中の案で決まっちゃうよ」
「……そうですね。私としてはどちらでも構わないのですが、少し計りかねています」
「え、何をかな?」
「竜崎くんの動きと、その考え方です。彼なら、この状況で何をしてもおかしくない」
椎名のその言葉に、一之瀬はふふっと小さく笑って首を振った。
「そうかな? 竜崎くんも男女が分かれる今回の試験ではやれることが少ない、それだけの話かもよ?」
「一之瀬さんは、随分と彼を信頼しているんですね。同じクラスの仲間だからでしょうか?」
「んー、それもあるけどAクラスの皆を信頼しているってのもあるかな。それにね」
一之瀬は少しだけ表情を柔らかくし、遠くを見るような目をして言葉を続けた。
「竜崎くんの作戦は、良くも悪くも彼自身が矢面に立つのが多いんだよね。だから、今回は女子側で大きな動きが起きるとは考えにくい。
それに千尋ちゃんが焦ってたのも可笑しくないんだよ?彼がこれまでに作った流れがあるからこそ、私たちは今ここに居るわけだし」
事実として、Aクラスには竜崎以外に、他クラスを故意に貶めるような行為を嫌う人間が多い。彼が直接この場に介入してアクションを起こせない以上、女子の空間で竜崎が脅威になることはないと誰もが踏んでいた。
その話を聞き、椎名はそれにゆっくりと頷いた。ある程度自らの考えが整理できたらしい。
「……成程。では私からはもう異論はありません。一之瀬さんの案にDクラスは賛同します」
椎名の言葉を皮切りに賛成の色が増えていく。感情的になっていた堀北も、少し落ち着いたのか軽く溜息をした後、言葉を吐き出した。
「私たちCクラスも一之瀬さんの案に賛成よ。坂柳さんの提案は私たちからしてもあんまり美味しくないもの」
周囲の空気が一気に一之瀬の方へと傾く。坂柳もこの状況を覆すのは難しいと判断したのか、思いのほか素直に引き下がった。
「なら、それで構いませんよ。私は元々、この作戦に乗り気ではありませんでしたから」
こうして、水面下で様々な思惑が交錯しながらも、次々と暫定的なグループが形作られていった。
暫定5つのグループが決まった。
Aクラス5人、Bクラス3人、Cクラス3人、Dクラス2人の計13人グループ。
Aクラス6人、Bクラス2人、Cクラス4人、Dクラス2人の計14人グループ。
Aクラス6人、Bクラス5人、Dクラス3人の計14人グループ。
Bクラス5人、Cクラス2人、Dクラス7人の計14人グループ。
Bクラス3人、Cクラス6人Dクラス4人の計13人グループ。
そして、残された生徒たちによる「最後の1グループ」も、何事も無く平和に決まる――はずだった。
「私は絶対に嫌だからね、こんな人と同じグループになるなんて冗談じゃない!!」
しかし、一筋縄では終わらないのが現実だ。刺のある声が体育館に響き渡った。
騒ぎの中心には2人の女子生徒の姿、軽井沢恵と真鍋志保があった。
船上試験からの根深い因縁を抱える2人は、お互いに顔を合わせるなり露骨に嫌悪感を露わにし、同じグループになることなど絶対に拒絶する構えを見せていた。
「うーん、困ったなぁ……。なかなか話が纏まらないや」
頭を悩ませる一之瀬の横で、ふわりと軽やかな足取りで前に出た少女がいた。
「あ、それなら……困ってるみたいだし、
「桔梗ちゃん、本当にいいの?」
「うんっ、全然いいよ! だって、その方がお互いに余計な角が立たなくて良いでしょ?」
太陽のような笑顔でそう申し出る櫛田桔梗の姿に、不安を感じていた周囲の女子たちは胸を撫で下ろし、安堵の息を漏らした。
「ありがとうねー桔梗ちゃん! よし、これでようやく全部決まったかな?」
その後細かな調整を重ね、全てのグループが決定した。
最後に組まれたグループは、Aクラス3人、Bクラス2人、Cクラス5人、Dクラス2人による、計4クラスが入り混じった12人グループ。
その小グループのメンバーの中には、不安げな表情を浮かべる白波千尋と、どこか冷めた空気感を纏う姫野ユキ。
──そして、周囲に完璧な優等生の仮面を貼り付けながら、底知れぬ闇をその内側に隠し持つ
それぞれの思惑や策略が交錯する体育館には、まるで嵐の前の静けさのような不穏な空気が漂っていた。
──────────────────────────────────────
その少し後、男子の方では…。
「いやぁ、実によく晴れた日だねぇ。こんな素晴らしい日に、頭を悩ませて足の引っ張り合いをするなど、我が美しきライフスタイルに反するというものさ」
高円寺は、周囲のピリついた空気などどこ吹く風とばかりに優雅に言い放つと、そのまま部屋の奥へと悠然と進んでいった。そして、一番奥に据えられた二段ベッドの上へと軽やかに飛び乗り、大の字になって寝転がる。
「で、君は今回の試験をどう乗り切るつもりですか?」
竜崎が視線を向けながら問うと、高円寺はベッドの上から顔だけを覗かせ、フッと自信満々な笑みを浮かべて自慢の髪をかき上げた。
「決まっているだろう、堂々とサボるのさ」
他のグループメンバーが居る中で、あまりにも堂々とした「サボり」の宣言。
…だが、奇妙なことに部屋の空気が荒れることはなかった。
高円寺が真面目に動くなど最初から誰も期待しておらず、むしろ予測されていた事態だからだ。
それにこの男は竜崎に付く可能性がゼロに等しい。だからこそ、彼はこのグループに選ばれている。
「そうですか。キミらしいですね」
竜崎は呆れるというよりも、相手の図太さに対する一種の感心を含んだような笑みを浮かべた。
「ふっ。あんな面倒なダウトゲームだの、平均点の計算だの、凡人たちが勝手に怯えて自滅していく様を高みから観賞する。これ以上のエンターテインメントがどこにあるというのかね?」
竜崎は、高円寺のあまりの清々しい身勝手な発言を聞いても特に表情を変えることなく言葉を続けた。
「……面白い。ですが高円寺くん、何もしなければグループの平均点がボーダーを割って、いくら貴方といえど退学の危機に直結しますが?」
「ハハハ! 私が退学? ナンセンスだね!」
高円寺は豪快に笑い飛ばし、天井を仰ぎ見た。
「私が本気を出さないだけで、平均点を割るなんて凡人すぎるってことさ」
竜崎はしばらく高円寺の顔をじっと見つめていたが、やがてフッと裏に何かを隠したような悪辣な笑みを漏らした。
「なるほど。理屈にはなっていないが、実に貴方らしい面白い考えですね」
「ほう?」
「ええ。確かに、この試験で平均点をそう簡単に割るのは
独り言のようにそう呟くと、竜崎は視線を部屋の別の場所へと向け、そこに腕を組んで立っていた男に声を掛けた。
「龍園くんはどう思いますか?」
「クク。あの金髪のマイペースっぷりは相変わらずだが……、それにしても今回の作戦は随分と消極的だな、竜崎?」
「そうでしょうか?私としては頑張っているつもりなんですが」
龍園は面白そうに口角を釣り上げ、周囲を見回す。
そう、今彼らがいるこの『小グループ』の顔ぶれは、異常だった。
『小グループ』
Aクラス:竜崎正
Bクラス:葛城康平、鬼頭隼、橋本正義、
Cクラス:高円寺六助、綾小路清隆、幸村輝彦
Dクラス:龍園翔、金田悟、石崎大地
「それよりもこの凄まじい包囲網を見ろよ」とばかりに、龍園は鼻で笑った。
「このメンバーは、私一人に対して過剰ではないでしょうか」
このグループが竜崎を封殺するために組まれた布陣である事は明白だった。各クラスで頭が回る人間、あるいは厄介な実力者たちが集められたかのようなメンバー。
それが、竜崎の属する小グループの構成だ。
「それはないな。勘違いするなよ、竜崎。お前はやり過ぎなんだよ、これくらいで丁度いい」
「だから出来る事の多い責任者も私から取り上げたんですか?」
「そうに決まってるだろ?お前に、こんな役職なんてやらせねえよ」
龍園の言葉に、石崎大地が力強く胸を張って割って入った。
「龍園さんの言う通りだ! 責任者は俺がやる、安心してろ!」
「成程。石崎君でしたっけ?お互い名前に『崎』の字を持つ者同士、仲良くしましょう」
竜崎は突然入ってきた乱入者に驚対して、驚いた素振りすら見せることなく、すっと滑らかに右手を差し出して握手を求めた。
「お、おう! なんか思ってたより気さくな奴だな。龍園さん、この人、案外良い人っぽいっすよ!!」
「……おい、石崎。お前は本当に、余計なところで純粋すぎるバカだな」
龍園が呆れたように頭を押さえる横で、竜崎は相変わらずの無機質な笑みを崩さない。
「龍園君は羨ましいですね。貴方はいつも友人に囲われています。私は友人と言える人が少ないですから」
「…それは本気か?それとも嫌味か?」
「本気ですよ。何故疑うんですか?」
竜崎が首を僅かに傾げながら放ったその言葉は、龍園にとって真意を図りかねる不気味なものだった。彼は苛立ちを隠さず舌打ちをして、眉間に皺を寄せた。
「……チッ。竜崎の発言は、素直に笑えば良いのか、それとも哀れんで同情すべきなのか、分かんねぇな」
「そうなんですね。あぁ、ついでと言ってはなんですが、私から一つだけ、皆さんに良いでしょうか?」
唐突な話題の転換に、石崎たちは思わずきょとんとした顔で瞬きをする。
しかし、竜崎はそんな周囲の戸惑いを無視し、まるで天気の話でもするかのような自然な流れで爆弾のような言葉を落とした。
「私、基本的な炊事の仕方を一切知らないのです。このグループの中に、私の代わりに毎日の食事を用意してくれる心優しい方はいませんか?」
「え。…は?」
「皆さん、驚かれるかもしれませんが、私は靴下の左右を満足に揃えることすらままならない人間です。人間としての生活スキルは、客観的に見ても小学生未満とも言えますね」
その言葉はこの混合合宿において、戦力にならないという事と同義だった。
確かに竜崎がまともに日常生活を送っている姿は想像できないと、龍園は頬に嫌な汗が伝い落ちるのを感じた。
「……おい、それは本気で言っているのか?」
「はい。私は冗談を言いませんよ」
龍園が眉間を抑えて天を仰ぐ。この期に及んで自分の生活力のなさをここまで淡々と告白する竜崎の真意が全く読めず、周囲の生徒たちもわずかに気圧されていた。
「……少し、他のメンバーと話をしてくる。これ以上この変人の相手をしてたら、こっちまで頭がおかしくなりそうだ」
龍園は吐き捨てるようにそう言い放つと、仲間たちが集まる方へと乱暴に背を向けて歩き去っていった。
「どうぞ、ご自由に」
見送ったあと、竜崎はふと視線を横に流した。
そこに静かに立っていたのは、ここまでのやり取りの間ずっと一切の沈黙を保ち続けていた綾小路清隆だった。
「……因みに、綾小路君。貴方は家事の類、一通りはできるのですか?」
竜崎の問いかけに、綾小路は微動だにせず、ただ真っすぐと答えた。
「料理や掃除なら、一通りできるぞ」
「へぇ、私と違って貴方は何でもこなせるんですね。羨ましい限りです」
「そうか? オレから見れば竜崎はできないのではなく、してないだけに感じるが」
「この国には『天才は家事が出来ない』という、実に都合の良い言い訳が存在しますよ。私のような人間には、これ以上なくぴったりの言葉だと思いませんか?」
「そうなのか?オレは良く分からないが…」
無表情同士が首を傾げる異質な空間が構成される。
お互いにただじーっと相手の目を見つめる中、先に折れたのは竜崎だった。
「まぁ話もこれで終わりにして、貴方もあちらに向かったらどうですか?こちらに視線が集まってきています」
竜崎が顎で指し示した先では、他のメンバーたちが遠巻きにこちらを窺っていた。
「……そうだな」
綾小路は最後に、竜崎の底の知れない黒い瞳を真っ直ぐに覗き込むようにじっと見つめると、円を描いて集まり始めているグループの輪の方へと静かに歩き出した。
その遠ざかる背中を見送りながら、竜崎は一人、誰に聞かせるでもなく呟くように言葉を零した。
「…どう対処すればいいのか、分からなくなりましたね」
ポツリと呟いたその言葉の真意はなんなのか。
竜崎の呟きが聞こえた綾小路は、その言葉に一抹の無視できない嫌な引っ掛かりを感じていた。
───────────────────────────────────────
初日の食事。
つまり今日久しぶりに女子たちと接触できる時間が来た。
広い食堂は相当な人数を収容できるらしく、吹き抜けのある大空間だった。
かなり多くの生徒で溢れており、この空間で特定の人物を見つけるのは至難の業と言えた。
「(…数人から目を向けられている。半分は警戒、もう半分は──私の出方を窺う好奇心か)」
初めての食事の時間という事もあり、様々な生徒からの接触が予測される今日。
当然のように、多くの生徒たちの動向が──、そして何より竜崎の動向が周囲の者たちに観察されている。
とりわけ、南雲雅を中心とする上級生の網がどこまで張られているか。同学年を完全に支配下に置く彼の権力の下では、下級生の動向を監視することなど容易だろう。
だからこそ、この一時間の行動には細心の注意を払わなければならない。
疑惑を持たれるような動きは避け、『当たり前の行動』をし続ける事を徹底する。
思考をそう巡らせながら歩みを進めている時、不意に竜崎の近くの席から聞き覚えのある声が飛んできた。
「あれ?竜崎くーん」
竜崎が声の方向に目を向けると、一之瀬が空いた席に座りながら手を振っている姿があった。その隣には神崎隆二と姫野ユキの姿もある。少し離れた別のテーブルには男女問わず多くのAクラスの生徒たちが集まっていた。
「どうも、一之瀬さん。神崎くんと姫野さんも居るんですね」
竜崎は周囲からの視線を背中に感じながらも、ごく自然な笑みを貼り付けて彼女たちの近くにより、あらかじめ空けられていた席に腰を下ろした。
「あぁ、先程報告会をしていた」
「そ。こっちはまぁ一之瀬さんのお陰であんまり時間はかからなかったよ」
「姫野ちゃん、そんなこと無いよ~?だって皆あんまり反対しなかったから」
小グループは男女ともにすんなりとはいかないものの、苦戦はしなかったようだ。
「それで、女子の方はどんなグループ分けになったんですか」
竜崎が問いかけると、一之瀬は要点をまとめてグループの全貌を語り出した。その内容を頭の中で正確にシミュレーションしながら、竜崎はわずかに息を吐き出す。
「……予定通りといった感じですかね。これなら、よほど致命的なズレや裏切りが起きない限り、退学者が出る最悪の事態は避けられそうです」
「油断はしちゃダメだけど、クラスで固まれてるからお互いを助け合うことは出来るね」
「そうだな。自らが出来る事をやり切れば、道連れ出来る条件を満たす事は少なくなるだろう」
「…でも、もし道連れが出来たらどうするわけ?」
ふと、冷めた声で疑問を呈したのは姫野だった。竜崎は笑みを崩さずに答える。
「もし。そんな不確定の未来を想像しても意味はありませんよ」
「グループ分けが決まった以上、もう真面目に取り組む事しか出来ないのですから」
そう。この試験の結果はグループで決まったと言っても良い。
裏切るにしろ、真剣に上位を狙うにしろメンバー次第だからだ。
「…そうだな、姫野。俺たちは頑張るしかない」
「はぁ、ほぼ根性論じゃんそれ。めんどくさいよ」
「にゃはは、まぁそれ以外ないよねぇ…」
ぺたっと机に突っ伏しながら、一之瀬はどこか気だげたるそうに肩を落とした。
「一つ疑問があります」
「え、何かな?」
「
白波千尋。突然竜崎の口から出た珍しい単語に僅かに面を食らったものの、一之瀬は頭を切り替え言葉を出した。
「千尋ちゃんのところ?なら姫野さんの方が詳しいよね、同じだし」
姫野ユキは白波千尋と同じグループになったようだ。彼女は顎に手を当てつつも当時の様子を思いだそうとした。
「まぁ、ほどほどって感じ?」
「ほどほど?」
「うん。Cクラスから櫛田さんが入って来てくれたからあんまりギスギスはしてない。でもDクラスは真鍋って人が居るからあんまり良い空気じゃない」
『白波所属のグループ』
Aクラス3人、姫野ユキ、白波千尋、山形ひな
Bクラス2人、西川涼子、森下藍。
Cクラス5人、櫛田桔梗、松下千秋、篠原さつき、佐藤麻耶、王美雨
Dクラス2人、真鍋志保、藪菜々美。
というメンバーで構成されている。責任者は真鍋志保、彼女が嫌われているからこそ責任者にならなければグループは結成できなかった。
このメンバーだからこそ、櫛田桔梗の存在は潤滑油になりえるのだろう。
「あぁ彼女は気が強い方でしたね、私たちのクラスにも色々とちょっかいを掛けてきたと認識してます」
「そうだな。あの時は今のDクラスから、嫌がらせが多く仕掛けられていた。」
後をつけられる、難癖を言われる。現Cクラスよりはマシとはやられた事への恨みが出るのは自然だった。
一之瀬帆波もそれの対策について色々と動いていた為、彼女を慕う生徒たちからはより強い嫌悪感が向けられているだろう。
「揉めるのも当然ってわけ。ホント櫛田さんが居てくれて良かったよ」
自分が知りたかった情報を得れた竜崎はスプーンを動かし、中断していた食事を再開させる。
「あ、そろそろ時間になるから他の人たちとも話をしてくるね」
「私も少し考え事したいから、ここで解散にしよ」
一之瀬と姫野が席を立ち、他のグループの生徒たちへと声を掛けに離れていく。
その背中に向かって竜崎は会釈を返したあと、ゆっくりと口にカップを近づけた。
「そうですか。では、また明日お会いしましょう……」
竜崎はスープのカップを静かに置き、目の前に残る人物に言葉を投げかける。
「──それで神崎くん。貴方は私に個人的な話があるんじゃないんですか?」
その問いかけに、テーブルの空気がわずかにピリと引き締まる。
「……」
神崎隆二はいつもの冷静な面持ちの奥に、どこか深い影を宿したような複雑な表情を浮かべていた。そんな彼は返答の代わりに、無言でゆっくりと頷いたのだった。