坂柳有栖の独白。
人は生まれた瞬間、ポテンシャルが決まっている。
刻まれたDNA以上の事を、その人は出来ない。
天才を生み出したいのなら、DNAの段階で処置するしかない。
どれだけ環境に恵まれようとも、その人に才が無ければ天才には届かない。
それが私の見解で、人生を賭けて証明する命題でした。
だからこそ、山奥にある真っ白な空間での光景を私が忘れる事はありません。
ガラス越しに見た『人工的に天才は生み出す実験』。
どんな人間でもこの施設のカリキュラムを受ける事で、例外なく優秀に育つように教育される。
視界に映る子供たちは全員同年代よりレベルが高かった。そしてそんな中で異彩を放つ存在。綾小路清隆くん。
両親からの愛情を与えられず孤独と共に育った彼を私は憐れみました。
なんて孤独で、寂しい人生でしょうか。
才能を抜きにして、人肌に触れる事で得られるものも、沢山あるというのに。
だからこそ私は決意したんです。
もし、ここで育った人たちが誰よりも優秀になってしまったら、この施設は当たり前になる。
なら、この実験と共に育った彼らに私は負けることはあってはならない。
優れたDNAを受け継ぐ私が阻止しなければならないのです。
天才とは教育で決まるものでは無く、生まれ持った瞬間に決まっているもの。
この考えは今も変わりません。
この学校へはお父様が理事長である縁から入学を決めました。期待はしていませんでした、私以上の天才は居ないと高を括っていました。
…そしてそれを否定する彼を見た時、心が躍りました。
竜崎正くん。彼は本物の天才でした。
圧倒的な学力、そして体育祭で見せた身体能力。それに加え、卓越した思考力や機転、考えの柔軟性もある。
私の思い描く理想を体現した存在でした。だからこそ、初めて見た時、恥ずかしながらも浮かれていたんです。
この人に勝てたなら、どれほどの達成感があるのだろう、と。
しかし、それは踏みにじられました。
彼は特別試験の際、私と戦う約束をしました。
そして、その日を私は楽しみに待って──
『そうですか、なら乗りますよ』
……待っていたんです。
ですが、彼が行ったのは知性の勝負では無く、ルールやクラスの構造を突く。ただの処理作業だったのです。
盤面なんて用意すらしておらず、彼は私が罠だらけの場所に入る事を待っていたのかもしれません。
既に準備は終わっているにも拘らず、決着はついていたのにも拘らず。
彼が私を対等な対戦相手ではなく、単なるBクラスに勝利するための駒と見ている事に気が付きました。
それは私の誇りに深い傷を残しました。
──勝負を望んでいたのは、私だけだったんです。
だからこそ、私は彼に勝利しなければならない。
私を凡人と同列に並べているあの男を見返さなければならない。
だって、私は神様から選ばれているのだから。
…そう以前の私ならそう考えていたでしょう。ですが、これは訂正します。
神の言葉だろうと今の私は一考し、それが正しいかを自分で決めます。
なぜなら、私が挑む相手は神の祝福を最も受けた存在なのだから。
──
ついに試験当日、土曜の朝がやって来た。ほぼ全クラスの状況は固まった事でしょう。
試験開始は9時から。今の時刻は8時を少し回った頃。
投票先を決めるために、私たちはいつもより早く教室に集まっていました。
しかし、誰一人焦りや不安を感じている人は居ませんでした。
何故なら1人の生徒を退学すると、既に宣言されていたからです。
「では、戸塚くん。予定通りに貴方を退学にします」
戸塚弥彦。彼は本当に都合がいい存在でした。
このクラスで葛城君の派閥が私よりも力が無いのは彼のお陰です。
彼は葛城くんの後ろ盾を利用して威張り散らしている小者でしかない。だからこそ、このクラスでの反感や恨みを買い続けていました。
「皆さん、では投票は──」
「…もう良いだろう坂柳、それ以上は戸塚が可愛そうだ」
そんな私の言葉を、葛城くんは遮った。何のことを言っている?そう訝しむ目線が私たちを行き来した。
しかし、これは予定通りのものでした。
「…そうですね。そろそろ本当の話をします」
龍園くんは私の本当の目的に薄々勘づいていたようですが、このクラスの方々はそうでは無いみたいですね。やはり、才能の壁は大きい。そう確信したところで、私は話を続けた。
「この試験で戸塚くんを退学にすると言ったのは冗談です」
その言葉で、クラス中の視線がこちらに向けられた。
真澄さんがいつもの遊びが始まったと、深いため息をついているのが眼に入る。
「少し前に葛城くんに相談しました。貴方が色々と爪が甘すぎる部分があると。だからこそ、それを見直す機会をあげるのはどうですか、そう話したんです」
これは決して善意からの提案では無いです。
ただの打算的なものだった。ですが、それを理解した上で葛城くんは許容した。
「葛城くんも分かっていたんですよ。戸塚くんがこのクラスで腫れ物になっているのを、ね?」
「…そうだな」
「なので私と葛城くんで内々にこの作戦を決行したんです。クラスの皆さんを振り回した事へは謝罪しますが、これも仕方が無い事なんです」
クラスメイトが投票日まで疑心暗鬼にならないようにはこうするしかなかったんです。心配から突発的な行動を起こされては、面倒ですから。
そんな意味で、彼はスケープゴートとして最適でした。
「クラスの皆さんが混乱しないように、不安にならないようにするにはこれしかなかったんです」
追加試験『クラス内投票』
この試験のルールには嘘がある。それを紐解く事こそ、退学者を出さない抜け道へ繋がるんでしょう。クラスの誰も捨てれない一之瀬さんや、平田くん。そして変な部分で甘い龍園くんは嘘について必死に頭を回している事でしょう。
嘘がなんだろうと、私の目的は変わりません。
「本当に退学させたいのは、このクラスの裏切り者です。ですよね、葛城くん?」
「あぁ。坂柳との話し合いで、このクラスの情報を他クラスに流している者がいる説が立った。そして俺はそれを否定できない。何せ竜崎という男ならやりかねないからだ」
この試験の説明を受けた時、私は──竜崎正の手先を潰す。
これしか考えていませんでした。
彼は一度、私に勝ちました。
えぇ、認めましょう。確かに私はペーパーシャッフルにおいて敗北してしまいました。
しかし、それは前準備があった上での話です。
彼の手先が居る状態で負けた、これがマグレじゃないと誰が言えますか?
「竜崎くんに良いようにされていてはこのクラスはいつまで経ってもAクラスになれませんから」
だからこそイーブンな状態に戻す事が最善です。
私に泥をつけたんです。その覚悟は当然持っていますよね?
「…でも裏切り者が居ない可能性もあるんじゃないの?」
真澄さんが首を少し傾げながらそう呟きました。その言葉が聞こえた何人かがうんうんと何度か頷きます。当然です、クラスに裏切り者が居るなんて考えたくはないんですから。
「いえ、居ますよ。確実に」
ですが私はそう断言しました。
その言葉は確信を持っているほどに自信に満ちていたからか、生徒たちの間にざわめきが広がりました。
それは活気ある朝の雑談ではなく、そこにあるのは、互いの顔を信じられないように見つつ、探り合うような猜疑心のざわめきでした。
クラスメイトたちが次々と席を立ち、周囲の仲間からじりじりと距離を取り始めました。
昨日までの信頼で結ばれていると信じ込んでいた絆は、たった一つの疑念によって、脆く崩れ去っていきました。
隣の席の人間が、突然見知らぬ他人に見える。友人のふりをした裏切り者が、この教室のどこかに潜んでいる。
──その恐怖が、全員の思考を染め上げていきます。
「もう、辞めませんか。裏切り者を探すのは」
だからこそ、その一声は大きく響いた。
森下藍、彼女は何を考えているのか分からない無表情ながらも話し始めました。
「私たちは海に居る魚群の様に固い絆があるじゃないですか?そんな仲間の中に裏切り者が居るなんてあり得ないですよ」
「どの口が言ってるんだか…」
真澄さんが小さくそう呟いた。確かに普段の森下さんはこんな歯に付くような台詞を言う人間ではないです。だからこそ、そう思うのは自然でした。
「このクラスで争いごとを起こす事を私は望みません。それに坂柳有栖、怖いですよ。根拠も無くそんなクラスの輪を乱すような真似、貴女らしくないです」
「…では、森下さんは居ないと思っているんですか?」
「少なくとも私は、このクラスに裏切り者が居るのは期待薄だと思います」
森下さんはやれやれと肩を竦めながら、そう答えた。
しかし私はその言葉を聞いた時、獲物が釣れた感覚を覚えたんです。
「──それは違います」
森下さんの目を真っすぐと見つめて私は口を開いた。
「何故なら裏切り者に繋がる手掛かりなら残っているんですから」
「へぇ、それは面白い事を言いますね。どこに、なにが残っているんですか?」
その時の森下さんは、
「フフ、随分と白々しいですね。私は貴女が裏切り者だと思っているんです」
私が辿り着いた答えは──
「──ねぇ、森下さん?」
森下藍、彼女こそ竜崎正の手先なのでは無いかと考えているんです。
そんな彼女は二度、三度瞬きをした。突然言われた事を理解していないのか、演技なのか驚いたような表情をしました。
「なるほど、なら試しに証拠を言ってみてください。その文字数が少なければ少ないほど花丸ポイントを上げましょう」
いつものように冗談を交える余裕があるらしい。その化けの皮をどう剥がすか、私は考えつつ自らの考察を話し始めた。
「…怪しい点は今までに多くありました」
先ず、私がこの疑惑を確信に変えたのは──。
「混合合宿の時、貴女はいつもならしない行動をしましたよね?
Aクラスの白波さんの弁護です。森下さんはそれまで目立つような行為をしてこなかった。何故あんな事をしたんですか?」
森下さんはその時点までは、表に進んで出ててくるような性格では無かった。
しかし、あの時は明確に彼女の意志で竜崎くんに立ち向かった。目的は分かりませんが、疑う要因としては十分でした。
「なにより、竜崎くんが貴女に負ける訳が無い。彼を知っている私だからこそ、彼が貴女に負ける事が在り得ないと断言できます」
竜崎くんがこの程度の人間に負けるわけがない。私が最も神に祝福されていると評価する人間がこんなところで負けて良い筈がないです。
「そして貴女にはチャンスがありました。彼と接触する都合のいい機会が」
「なんでしょうか」
「貴女は四月ごろからふらふらと何処かに度々向かっているところを目撃されていました。あれはどこに行ってたんですか?」
入学当初、私たちのクラスでも交流会が成されました。
変人の片鱗を見せていた彼女はそんな交流を断り、どこかへ出かけていく姿が散見された。
1人の時間を望むのは個人の勝手ですが、それが回りまわって還ってきましたね。
「冒険です。未知を探求する冒険家である私は、波乱万丈なアマゾンの奥に行きたかったんです」
「…ふざけているんですか?」
「冗談です。私は混合合宿が竜崎正とのファーストコンタクトですよ」
何を言っているのかはよくは分からないが、彼女は自分の無実を主張しているらしい。
次にどの話をするか悩んでいると援護射撃が来ました。
「いやぁ、それは違うと思うなぁ…?」
「西川さん、なにか心当たりが?」
西川亮子。森下さんとは、度々話しているところを見かける所謂ちょっと仲が良いクラスメイトの関係。だから、彼女からの発言は意外だった。
「藍ちゃんが竜崎くんと話しているところを一度見かけた事があるんだよねー」
「…それは何時ですか?」
「えーっと、確か夏休みぐらいかなぁ?」
西川さんが何故、森下さんを追い詰めるような発言をしたのか分からないが好機だった。
ニヤニヤと森下さんの様子を窺っていることから彼女がどう切り抜けるのか、実力を測るためなのかもしれないですね。
「俺からも一つ良いか?」
「おや、葛城くん。なんでしょうか?」
「…体育祭の参加表を俺に渡したのは森下だ」
「あ、思いだしたっ!?ペーパーシャッフルでAクラスにしようって話を始めたのも森下だよ!!」
次々と出てくる怪しい証拠。私が狙っても居ないのにどんどんとこちら側に傾いてくる場に、少しだけ違和感を覚えつつも、私は森下さんを今一度見つめた。
「森下さん、どうなんですか?」
「…こんな風に可愛い乙女を大勢で糾弾するような真似、昔話の鬼でもしないですよ」
森下さんはふざけ調子だった声のトーンを少しだけ落とし、そう言った。
顔が俯くことで前髪がはらりと落ち、表情が分からなくなる。
「森下、反論があるなら言ってくれ。正直に言うなら俺もお前が裏切っているなど信じたくない」
弱い者虐めのようで、クラスが少しだけ勢いを削がれたからか少しだけ優しい声色で葛城くんが話を催促した。
「…森下さん。このままでは貴女は退学になってしまいますよ」
私のその一言で、教室を沈黙が満たした。
今の時刻は8時半を少し過ぎた頃。もう、投票まで30分も無かった。このままでは森下さんが退学となってしまう、だからこそ彼女の反論を待ち続け───。
「ふふふ、やはり私は信用されていないようです」
そんな笑い声と共に、パチパチパチと乾いた音が教室に響いた。
森下さんは、私たちを何も感じさせない無表情でゆっくりと眺めていった。
「そうです。私が裏切り者です」
「も、森下…?認めるのか」
「…ですが、こんなところで思考を止める訳は無いでしょう。私は坂柳有栖と葛城康平を買っているんです」
森下さんは葛城君からの質問に答えず、人差し指を上に掲げた。
「私は裏切り者で合って、裏切り者では無いです。何故なら、私がこれまでこのクラスが不利益になる事はしていません。つまり潔白です」
その言葉は理解出来なかった。裏切り者で、そうでは無い。その矛盾した言葉もそうだが、なによりクラスに不利益な事はしていないと言ったからだ。
「確かに竜崎正にスパイにならないかと持ち掛けられました。しかし私は、それを保留にしています」
森下さんはゆっくりと歩き出し、私の方へ近づいてくる。
「竜崎正。あの男は危険です、信用に値しません。彼は裏切りが成功した場合、ポイントを報酬として与えると言っていました」
「…ポイントですか?」
「はい。成功すればクラス移動分である2000万ポイントを譲渡すると。ですが困りました。これではAクラスでの卒業を目指す人間全てが竜崎正の手先になり得ます」
船上試験で似たような事を話していたと葛城くんから話されたことを思い出した。
彼は、あの試験の後クラスで裏切りそうな人へ片っ端から声を掛けていた。そう言いたげな森下さんの話に私は思わず息を飲んだ。何せそれは裏切り者を作ると宣言しているとしか思えない愚策だからだ。
「そしてなにより、私は竜崎正の手伝いをしていたのではなく、邪魔をしていたんですから」
(邪魔?邪魔とは一体どういう…)
そんな私の思考を遮るように森下さんは話を続けた。
「そんな正義の味方である私には一つ考えがあります」
「な、なんだ?」
「このクラスにいる本当の裏切り者を見つけませんか?異論があればこの場で唱えてください」
自分以外に竜崎とコンタクトを取った人間が居るという事らしい。
森下さんのその言い分には苦しさがあった。追い詰められたから出た嘘にしか聞こえないからだ。
「それはお前なんじゃないのか…?それにお前が違うのなら居ないと思うが…」
「残念ながら事実ですよ。現にその人物はこのクラスへ不利益を生じさせています」
「成程。ではその人物への証拠はあるんですか?」
森下さんは私からの質問に深く頷いた。
「今までの話し合いでは、何一つその人物に繋がる手掛かりが出てこなかったです。なので、私が閉店間際のセールぐらい簡単に教えてあげます」
それが嘘では無く、心からの言葉のように聞こえた私は。念のため彼女の話を聞くことにした。
「…では、誰が?」
その言葉を受けて森下さんは───。
「橋本正義、彼ですよ」
「森下。人を疑うのは良いが、お前も裏切り者なのだろう?認めていたのはなんだったんだ?」
「はい。竜崎正、あの男を裏切ってましたよ」
なぞかけのようなその言い分に葛城くんは、頭を掻いた。
彼女に良いようにされているのもそうですが、個性的な彼女と話すのは精神を摩耗します。
だから、もうこれ以上の追及をするのを諦めたのでしょう。普段彼とは、話が合いませんがそこだけは同情しました。
「私は確かに竜崎正のスパイです。何故なら、彼から協力しようと言われたんですから」
森下さんは私をちらりと見た後、1人の人物へ目線を向けた。
「ですが、体育祭の参加表を私に渡せと指示してきたのは橋本正義ですよ。
彼はあの時『坂柳派の俺は葛城に近づくと姫さんにどやされちまう。だからお前が渡してくれ』と私にお願いしてきました」
その視線に釣られるようにクラスメイトの視線が続々と移っていく。
「なら、葛城康平。ペーパーシャッフルにおいてAクラスの問題と解答を渡してきた人物は誰ですか?それは、橋本正義だったんじゃないですか?」
そしてその言葉がトドメだったのか。戸惑いの色を浮かべるクラスメイトたち全員の視線が、一斉に教室の端へと集まった。
そこに立っていたのは、いつもの軽い笑みを浮かべた橋本くんだった。
「おいおい、随分と派手に俺の名前を出してくれたもんだね、森下ちゃん。いくら何でも、自分一人の罪をなすりつけるためにそこまで嘘をつくのは感心しないなぁ」
橋本くんは両手を軽く上げ、あきれたような、しかしどこか冷ややかな笑みを崩さない。
「貴方はもう坂柳有栖を見限りかけている。だから葛城康平という次の寄生先、そして竜崎正という限りなくゴールに近い存在。その両者に良い顔をしたいんじゃないですか?」
「でも、それも森下ちゃんの憶測。全部嘘なんじゃないのか?」
「嘘ではありませんよ。橋本正義、貴方が裏で何をしていたのか、私が教えてあげましょう」
彼女は静かに、しかし有無を言わせぬ圧力を伴って橋本くんを見据えた。
「混合合宿において竜崎正の指示に従い、小グループの点数を操作しましたね?
あの時、葛城康平は違和感を覚えませんでしたか」
「違和感…だと?」
「はい。あの時の結果です。あれは全ての小グループに最低1人は捏造者が居ないと実現できないものでした。なら、貴方が居た小グループにも操作した人間がいる」
「でも、それはさ竜崎なんじゃないのか。アイツがやった可能性は捨て切れないだろ?」
「…いや、それだけはない。俺と龍園がほぼ全ての時間アイツの動向を監視していた」
「それは起きている時間だろ?寝ている時はどうするんだ」
「いや、その疑惑はあの時の森下の推理で説明が出来る。教師もいつまでも起きている訳がない」
「まぁ、でもこれは証拠がない。何より俺以外の奴に捏造者が居る可能性は捨て切れない。それに体育祭の参加表は森下ちゃんが渡したんじゃないのか?」
「そうですね。ですが、私は伝手がありませんよ。私は良くも悪くも孤高の狼さんです。他クラスに仲が良い人も居ません、えっへん」
「それだって竜崎が直接渡したら意味ないんじゃねーか?」
「それは私から否定します。竜崎くんはそんな尻尾を出すような愚かな人ではないです。渡すなら間に誰かを挟む。その人物にも自身の作戦を伝えずに」
竜崎くんはリスクを抑える人です。
仮にその仲介人が作戦を漏らすような愚かな人である可能性を考慮し、何も知らない人にやらせるはず。
その人物は、何かしらの目的を持ってAクラスを裏切り、橋本くんに情報を渡している。
これの方が真相に近い気がします。
「でもな、これは森下の発言のみでの考察だろ?結局裏切りを認めてる奴の言葉に信用はないぜ」
「…そうですね。森下さんの話全てを信用する事は難しいでしょう。ですが、橋本くんが見限っている事実は消えません」
「橋本くん。貴方は私の手足となり、このクラスを支えてくれているとばかり思っていました。ですが、それは間違っていた。貴方は長い物に巻かれるだけで、自分が勝つためには裏切りも厭わない性格なのは理解しました」
「ちょっと待ってくれよ姫さん。森下の言うことを本気にするのか? あいつは自分で『裏切り者だ』って認めたんだぜ? その言葉の裏付けなんて、俺を嵌めるためのハッタリに決まってるだろ?」
橋本くんは余裕の笑みを保とうとしているが、その額にはわずかに冷や汗が滲んでいる。彼の周囲にいた生徒たちも、自然と距離を取り始めていた。
「…ハッタリかどうかは、これからの話でハッキリする」
「おー、ハッタリとハッキリ。ダジャレですか、葛城康平?なら私は公平にジャッジする事を望みます」
森下さんの言葉を無視し、葛城くんが足音を響かせながら、橋本くんへと一歩近づく。その巨体が発する圧力は、日頃からクラスの規律を重んじてきた彼ならではの重みがありました。
「ペーパーシャッフルの際、お前が俺に問題と解答を持ってきた。あの時、お前は『独自の人脈で手に入れた』と言っていたな。だが、それが竜崎を介したルートだったとしたら……全てが繋がる」
「でもそれは違うって、話してたじゃねえか?」
「俺は先ほどまでの考察に納得がいっていない。だが、今考えて思ったんだ。竜崎が裏切り者の存在を見過ごすのか、と」
「なら、竜崎がそのルートに介在している線を追うべきじゃねーのか?」
「そうだな、お前の話を聞いてからだ」
「葛城まで……。マジかよ、俺をそんなに信用してなかったわけ?」
「信用と事実の区別くらいつく。森下の証言、そしてお前のこれまでの不可解な動き……すべてを吐き出してもらうぞ」
橋本くんは観念したように肩をすくめ、小さく息を吐いた。そして、先ほどまでの軽薄な笑みを消し去り、冷ややかな瞳で私を見た。
「……さすがだね、姫さん。まさかここまで見抜かれるとは思っていなかった。でも、俺は裏切ってないぜ」
「……そうですか」
私は静かに目を伏せ、わずかに唇を歪めた。
目の前で、よくもそんな開き直れるものです。橋本くん、貴方のその選択が、どれほど重い代償を伴うか。今からたっぷりと教えてあげます。
「──橋本くん」
私にとって、忠臣として可愛がっていた信頼を裏切られたことに対する感情は何も無かった。
ただ粛々と、自分の計画を濁す塵を排除するための作業にすぎないのです。
「貴方がこれまで重ねてきた軽率な行動の数々……。まずはその経緯をすべて洗いざらい吐いてもらいましょうか。逃げ場などどこにもありませんよ」
「いいや、違うな。姫さん、まずは森下を消すべきだ。なんたってコイツは裏切り者と認めてんだ。俺は違う、認めないぜ。俺は裏切ってないからな」
「それは言い訳にはなりません。私は森下さんより貴方の方を消すべきだと、考え始めています」
「な、なんでだ?認めてる森下より俺を選ぶって言うのかよ?」
「はい。貴方の方が不要に思えますよ」
森下さんの行動の真意は分からない。どちらが真相を言っているのか、どちらが嘘つきなのか分からない。なら、より能力の無い人間を残すべきでしょう。
この頭の回転を持つ人間をここで失うのは勿体ない。不要な人間を処理するのにうってつけの試験でより不要な方を消すのは当然でした。
何より裏切れば忠臣に近い人物でも容赦なく懲罰する。そんな見せしめ的な意味でも橋本くんを選ぶメリットはありました。
そして、その言葉がトドメとなったのか橋本くんの余裕そうな表情は消えました。
「ちょ、ちょっと待ってくれッ!!」
橋本くんは情けない声を張り上げた。机に両手をつき、引きつった笑みは恐怖に歪み、脂汗まじりの涙がその目元に浮かんでいる。
「ふざけんなよ! なんで俺なんだよっ! 全部、全部こいつのせいだろっ!!」
橋本くんは震える指で、悠然と佇む森下さんを指さした。
「こいつだよ! 森下が最初に『竜崎って男が面白いことを企んでる』って俺に持ち込んできたんだ! 俺はただ、面白半分で話を聞いただけだったのに……! こいつが! こいつが俺をそそのかしたから、俺は……!」
「そんな事した覚えはないですし、橋本正義の煩さは動物園のようです」
森下さんは、まるで道端のゴミを見るような冷ややかな目で橋本くんを一瞥した。
「そんなにみっともなく泣きわめいて、私の責任にしたいんですか? 橋本正義。あなたが自分で竜崎正に連絡を取り、情報を流した。その事実が消えるとでも思ったんですか?」
「うそだ! 嘘だ嘘だ!!わ…罠だ。これは森下が俺を陥れるために仕組んだ罠なんだ!『スパイを保留にしてる』とか言って、全部自分の保身のために俺を差し出したんだろ!? お前だって同じ穴のムジナじゃねぇか! なんで俺だけがこんな目に遭わなきゃならねぇんだよ……っ!!」
橋本くんは醜悪に顔を歪め、森下さんに近づいていく。
一触即発、そんな状況は葛城くんによって阻まれた。暴力を行いそうな橋本くんから森下さんを守るのは紳士的な葛城くんらしい行動でした。
「……見苦しいですね」
自分でも驚くほどに冷たい声だった。
今日までクラスメイト達は、飄々としていて、冷静に物事を見れる橋本くんに一眼置いていた。
しかし、この無様な取り乱しように、そんな幻想は打ち砕かれた。
現に誰一人として、彼に手を差し伸べる者などいなかった。
私はそんな橋本くんに歩み寄り、見下ろすように彼の顔を眺めた。
今、私の心には怒りすらない。ただ底知れぬ侮蔑の色だけが残されていた。
「私の前で、これ以上見苦しい醜態を晒さないでください。貴方がどのような言い訳を並べようとも、裏切った事実は変わりません。そして、他人に責任を擦り付けようとするその卑しさは、見るに堪えないですよ」
「ひっ……! 姫さん、待ってくれ、俺は……俺はち、違──!」
「黙りなさい」
カン、乾いた音が教室に響く。
黙らせるように私が杖を地面に打ちつけたからだ。
私の見放すような言葉。自分の結末を察したのか橋本くんは全身の血の気を引いたように青白い顔をしていた。
「確かに森下さんも裏切り者なんでしょう。ですが、忘れないでください。この試験は要らないものを排除するための試験。冷静に話せる森下さんと無様に泣き喚く貴方。どちらが不要かの説明はもう要らないですよね?」
「──ッ!!?」
私の言葉に力なく、手を彷徨わせるだけで彼は何も言葉を発しなかった。
「鬼頭くん、この見苦しい人を連れて行ってください。もう、指名票を入れる先は決まりましたから」
「……あぁ」
「おー、ドナドナですね。初めて見ました」
鬼頭くんは忌々しげに顔を歪めると、泣き叫び、森下さんへの呪詛を吐き散らしながら引きずられていく橋本の腕を荒々しく掴み上げた。
逃げ場など、最初からどこにもなかった。
「でも良かったですね橋本正義。こんな美少女の私がトドメを刺したんです。池でエサをねだる鯉みたいに跳ねるべきですよ」
連れて行かれる橋本くんに手を振っていた森下さんに私は近づいていく。その足音に気が付いたのか、どこを見ているか分からない瞳が私を捉えた。
「では、森下さん。貴女にはこれまでの話、全て洗いざらい吐いてもらいますよ」
「私、もしかしてピンチですか?そんなバーゲンセールに集まる主婦みたいな眼で見られても困ります」
いつも通りにふざけている彼女は、何処か嬉しげだった。
作者はこんな話を書いてますが橋本くん好きですよ。