2月某日。
クラス内投票が始まる少し前のこと。
この時期、進級、退学、そして卒業に向けた準備。
付け加えて全学年が行う最後の特別試験もある。その為、どの教師も余裕が無く仕事に追われる日々。しかし、今年の1年を受け持つ教師たちの胸中は穏やかでは無かった。
彼らは必死になって状況を変えようと動いている。
そんな中で、1人の生徒と1人の大人が対面していた。
竜崎正、そして月城理事長代行。一介の生徒とこの学校で最も権力を持った人間。彼らの組み合わせは異色だった。
「──以上が、1年生最後の特別試験です」
月城理事長代行は、竜崎正と個人的な話をしたいとこの時間を作った。
表上は、この学校で飛びぬけた実力を持つ生徒との面談だったが実情は違った。
クラス内投票。
貢献値によって退学のリスクが変わる理不尽な試験。その詳細を竜崎に語っていた。
それを聞いたうえで竜崎は首を傾げた。何故、こんな話をするかを測れなかったからだ。
「では、私を退学させたいと?」
「そうです。竜崎くんはこの学校に相応しくない」
月城理事長代理という男は、既にこの学校のシステムが崩壊していることに気が付いている。目の前に居る1人の生徒がこのままでは、実力関係なくクラス全員をAクラスで卒業させてしまうからだ。
「貴方は特別試験のルールを好きに弄り過ぎです。南雲雅くんは協力的だったのでしょうが、私としては許容出来ないものです」
「つまり、取り上げると?」
「はい、端的に言えばそうなりますね。キミ自身もそれは理解してるんでしょう?」
竜崎はその質問に何も返さなかった。確かに彼は敵である他クラスを侮ってはいないがこのままでは危なげも無く勝利を達成してしまうと理解していた。
その様子に月城はどこか嬉しそうに白い歯を見せる。
「…そうですか。で、本音はなんです?」
「何のことでしょうか?私は本心から話しているんですよ」
竜崎はその言葉を踏まえ、いつもの癖がある座り方をしつつ親指の爪を噛んだ。
それは生徒の態度としては不適切で、姿勢を改めるよう怒るべきなのだろうが月城は特に指摘しなかった。
むしろ自分を目の前にして態度を変えないその図太さに、目の色を値踏みするようなものに変えた。
「…竜崎くんはこの学校をどう思いますか?」
彼ほどの才が何故こんな学校に来たのか、それを聞きたいと月城は話を振った。
「変わってる、そう思いますよ」
「この学校は政府からの期待を多く受け、実験的な試みが行われている新設校。まだまだ歴史が浅い為、恥ずかしながら色々と試行錯誤をしている部分はあります」
高度育成高等学校は、世界的に見ても稀な事案だった。
赤点を一度取るだけで退学、普通の高校ではまずありえない厳しい制度があった。
「その上で、実験としてイレギュラーは排除しなければならない。社会の仕組みとしても同様です。飛びぬけた才能は時に邪魔になる。それは分かりますか?」
「はい、そうですね。サンプルとしていくらか知っています」
「なので申し訳ないのですが、イレギュラーである竜崎くんが槍玉に上がったわけです」
理屈としてはある程度納得は出来るが、疑問は多い。
まずAクラスで卒業し、就職したところで雇用側の求める基準を満たさなければ冷遇は避けられない。進学の場合でも、身の丈に余る大学なら同じ末路を迎えるだろう。
ようするにある程度の素養が無いとAクラス卒業の恩恵は無価値となりかねない。
なら、この学校は何を目指しているのか。
この学校は、鬼島という人間が推進して設立された教育政策の一環。
目指している未来は、優秀なものが好待遇を受ける実力至上主義の社会だ
そしてそれと反する事を月城は言っている。
学校の理念と完全に矛盾している。竜崎はそれに気づきつつも、白々しく道化を演じた。
「へー、じゃあ私に何故その話をしたんですか?わざわざ呼び出して、反応でも見たかったんです?」
しかし、竜崎の演技を月城は見抜いた。いや、竜崎は手を抜いていたのだろう。いつもなら浮べないニヤケ顔をしていた。
だからだろう、月城はこれまで竜崎をただの子供と断じていたが判断を改める事とした。
「…やはりキミには隠し事は難しそうですね」
拍手をしながら素直に褒め称えた。それは竜崎という人間への値踏みが完了した合図であり、事態が動く汽笛であった。
「──竜崎くん、私と手を組みませんか?」
月城はニコニコと穏やかな笑みを浮かべた。それは今日唯一の本心のように竜崎は思えた。
「貴方の才能はこんなところで埋まらせておくには惜しい。そして仮に協力してくれるのなら、キミが欲しいものを上げましょう。ポイントでも地位でも出来る限りのものは用意しますよ」
「なら、さっきまでの発言は嘘って事です?」
「はい、試すような真似をして申し訳ない事をしました。ですが、これも致し方がない事なんです」
ゆっくりと首を横に振るい、月城は否定した。
そして、熱意ある力拳を作り演説のような語り出しをした。
「私はこの学校を変えたいんです」
「…具体的に教えてください」
「この学校には実力を隠す事に注力している生徒が多く居ます。それはこの学校としては見過ごせません。この学校の試験は、本当の実力を出す事を前提として作られているんですから」
建前としてある程度の納得は出来るが、綻びは多い。
まるで、その裏にある真意を見抜けるかと問うているような言葉に竜崎は少し笑みを深めた。
「確かに、それは面白くないですね」
「分かってくれますか。私はこの国をより良く変えたいんです」
月城は感嘆を隠しきれないように深い吐息を漏らした。
「ですが、竜崎くんには質問があります。仮に退学の危機に陥る生徒が友人だった場合、キミは止めを刺す事を躊躇いませんか?」
「はい、それは在り得ないです。それで消える生徒は、どちらにしろ退学する運命だったのだから。どうですか?納得しましたか」
「成程、竜崎くんは随分と冷たい性格をしているようです」
「冷たい?それは月城さん貴方も同じでしょう?」
その発言に少し硬直した月城の様子が視界に入っていないのか、竜崎は耳の裏を搔きながら、そう呟いた。
「まぁ良いですよ。手、組みましょう」
「おや、ありがとうございます。ですが良いんですか?そんな簡単に決めて」
「はい。ただ、協力に際して結ぶ契約。それに少し条件を付けて良いですか?」
「条件、ですか」
「はい。貴方ほどの立場があればこなせるはずです」
竜崎は月城を眺めつつ、冷ややかに頭を回した。
この試験で、保険を掛けておくべきだと直感が教えているからだ。
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竜崎正の独白。
クラス内投票の試験結果が張り出された、一階にある掲示板の前に私は居た。
退学者
Aクラス なし
Bクラス 橋本正義
Cクラス 山内春樹
Dクラス なし
以上2名。
この試験の結果により、退学者の出たBクラスには250cp、Cクラスには100cp加算される。
「…なるほど、こうなったのか」
賞賛票は、Aクラスは一之瀬帆波、Bクラスは葛城康平、Cクラスは櫛田桔梗、Dクラスは椎名ひよりだった。
順当にクラスの中で優秀な生徒が選ばれている。
その2つの結果を見て、少し思考に耽っているとある生徒が姿を見せた。
「おいおい、久しぶりだな?竜崎」
「龍園くんですか、お久しぶりですね」
龍園翔、彼はこの試験の攻略法に気がつき見事退学者を出さない事に成功したようだ。
彼は私の事を面白そうに見つつも、退学していない事実を喜んでいるようだった。
「んで、どんな手品を使ったんだ?お前は絶体絶命だったじゃねーか」
「そうですね、ただ私は2000万ppを持っていただけですよ」
月城理事長代理と協力する際に契約を結んだ。
その条件として私はまずクラス内投票において退学しないようにルールを追加するように頼んだ。
ただ、それだけだった。
「それにしてもよくこの試験の突破方法に気が付きましたね。いや、それとも椎名さんの功績ですか?」
「クク、どうだろうな?」
どうやら椎名ひよりが答えを導いたらしい。
なら坂柳有栖も、私のスパイであった橋本正義を退学させたという事か。
そしてCクラスは…
そう思っていたところで、携帯が震えた。私に連絡をする人間は多くは無い。一つは同じクラスの人間、しかし彼らは今教室で固まっている事だろう。
つまり、もう一つの可能性。昨夜、話し合いする事を約束した人物からの呼び出しだ。
「…急用が出たので、お先に失礼しますね」
「待て、話はまだ終わってない」
「いいえ、貴方との話より優先しなければならない事が出来たんです」
龍園翔が私の歩みを阻もうとしたが、それを押しのけ私はとある場所へと向かう。
その目的地は、理事長室。普通の生徒ならまず用は無いところだった。
着いて早々、私はノックをせず無遠慮にその扉を開けた。
「おや、竜崎くんではないですか?ノックをしないとは感心しませんよ」
「貴方が呼び出したので来ました、早く用を済ましてください。」
私は 部屋の正面に陣取る月城に目もくれず、置かれた黒いソファに座った。
そしてその上に足を乗せ、膝を抱えた。そんな様子を見ても月城は指の上に顎を乗せ、不敵な笑みを浮かべているだけだった。
「久しぶりですね、竜崎くん」
「そうですか?たかが2週間会わなかっただけですよ」
私は机の上に置かれていたクッキーを一つ手に取り、口に含んだ。
「成程。では単刀直入に用件を済ましましょう。竜崎くん、キミは契約違反をしてますよ」
「契約違反?それはおかしい」
私は身に覚えが無かったので、顎に手を当て、首を傾げた。
「キミは他クラスの生徒にプライベートポイントを送金しようとしましたね?」
月城と結んだ契約の1項目、それは【今回の試験で他クラスに利する行為を禁止する】というものだった。
しかし、抽象的に契約書に明記していたのは愚かだった。
「私はその生徒を騙そうとしたんですよ。彼は私に2000万を譲渡してくれるよう頼みました。そして今回の試験で譲渡は出来ない。つまり彼が退学した際に自分を救済する事は出来ないんです」
今回の試験で譲渡が出来ないように進言したのは私だ。
だからこそ、月城も私が綾小路清隆を本気で退学させると考えてしまったのだろう。
「では、何故2000万に変更する事を知っていたのですか?」
「それは良く分かりません。彼にはエスパー能力がある、そう考えるのも一つですよ」
「なるほど。キミが2000万に変更することを提案したのも偶然と言いたいわけですか?」
「はい、偶々手持ちが2000万しかなかったのでそうしました」
『私が退学をする』、こう発言した事には理由がある。
まず私は今回の試験で救済に必要なポイントを2000万にしたかった。
これは単に手持ちがそれしかなかったというのもある。混合合宿において勝利した場合、他学年のクラス毎に300万ppを貰える約束をしていなかったらこの場には存在しなかっただろう。
南雲雅と堀北学のクラスを除けば6クラス。合計1800万ppとこれまでに溜めていた300万pp。それが私の手持ちだった。
そしてその無理を通す代わりに交換条件が提示された。
月城と結んだ契約の2項目、それは【今回の試験において手出しする事を禁止する】
その為、この試験の間私は録音機を身に着ける事となった。
だから私は試験に関して何もしゃべることが出来なかった。
「そうですか、よく口が回りますね」
「そもそも、今回の試験で嘘というルールを追加したのは理不尽性を無くすためです。月城さんのおっしゃる通り、この学校の理念を尊重したんですよ」
「理念…ですか」
「はい、実力を尊重する学校。それには理不尽さは要らないでしょう?」
私は疑っている。
目の前に居る月城理事長代理という人物が、何らかの目的を持ってこの学校に来たのだと。
そしてそれが綾小路清隆の過去に関係しているのではないかと。
この試験で、『退学した時に生徒によって報酬をつける制度』を提言したのは私だ。
月城と初めて会った時、この学校を変えたいと話していた。
私はこれを嘘と断定し、本当の真意を測る為にこの制度を導入した。
仮に話していたことが本当ならば、推測される能力値によって額が決められるはずだ。
しかし、これは違った。
彼はこの試験で、『綾小路清隆』の報酬を不釣り合いなほどに高く設定した。
理由を聞けば、体育祭や混合合宿での活躍、秘めた能力があるという期待からと言っていた。
なら高円寺六助や、他にも居る実力を隠す生徒も同じ条件にすべきだ。
「…月城さん、いい加減本当の事を喋ったらどうですか?」
「さて、何のことでしょうか。竜崎くん、私はいつも本心で話していますよ。
…それともキミには私が裏のある人間に見えるんですか?」
「思います見えます」
疑惑として、この月城という人間は明確に綾小路清隆を退学させようとしている可能性が90%
その理由は予測の段階に過ぎないが、彼の育ちが関係していると当たりはつけている。
「では、契約通り今後の試験に口を出せる立場をください」
「……分かりました。来年には用意しますよ」
協力に際して結ぶ契約、それに付けた条件は【今後の特別試験に介入できる立場】だ。
私がこの立場を手に入れたのには理由がある。
綾小路清隆を見極める為だ。
刺客というべき存在が送られるほど闇が深そうな施設出身の彼は、どこまで信用できるのだろうか。
私は彼が閉鎖的空間で育ったことを理解している。だからこそ、常識にズレが生じているのだろう。通常であればそれは保護対象になる。
「では、今後ともお願いしますね」
「はい、こちらこそ」
私は理事長室の扉を開け、廊下に出た。
生徒達の姿は見えない、どうやら相当な時間が経ってしまったらしい。
もう誰も残っていない学校を歩きながら今後の方針について考える。
私が綾小路清隆を信じるには、そのバックボーンを知るしかない。
なんとかして、ワタリと連絡を取らなければ動きようもなかった。しかし、この学校は外部との連絡が禁止されている。
だからこそ、やりようがある立場を確保する事に意味があったのだが。
ただ、仮にこの事件が国の存亡を掛けた戦いなのだとしたら、世界を巻き込む大惨劇となる可能性があるのなら──。
…ここまで大きな勝負は初めてだった。
異国の地で、ここまでの事件に巻き込まれるとは考えもしなかった。
しかし、乗り掛かった舟だ。
折角の機会だ、この国で試してみよう。
正義は必ず勝つという事を。
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時刻で言えば、夕方頃。
理事長室を出て、校舎から外に向かえば空はあいにくの曇天だった。
少しじめついた空気が漂い、独特な匂いが鼻を抜けた。
雨が降る予兆、ペトリコールだった。
だからこそ、私は雨が降り出さないうちに、寮へ急ぐべきだと歩き出そうとする。
足早に校舎の軒先を離れようと靴底を鳴らした、その時だった。
「ま、待って…!!」
誰かに声を掛けられた。
背後から投げかけられたその声は、どこか震えていて、引き止められるように私の足がピタリと止まる。後ろを向けば、一之瀬帆波が立っていた。
彼女は、私の方を揺れる瞳で見つめていた。
「どうしたんですか、一之瀬さん。黙ったままでは何も伝わりませんよ?」
「……」
一之瀬帆波は私の問いかけに、すぐには答えなかった。
ただ、唇をわずかに震わせ、何か言葉を探すように俯いている。
吐き出す息すらが白く染まる中、私たちの間には沈黙が落ちた。
返答の代わりにか、鉛色の空がその境界を崩した。 遠くで鳴るくぐもった音と共に降り注ぐ雨粒がタイルを叩き、瞬く間にアスファルトを濡らしていく。
「──間に合いませんでしたね」
私が呟いた言葉は、容赦なく降り注ぐ雨にかき消されそうになる。
傘も差さず、只立ち尽くす一之瀬帆波の全身は、既にびしょ濡れになっていた。
額に張り付いた前髪から滴る水滴が彼女の濡れた頬を伝い、その表情に深い影を落としていた。
「ねぇ、竜崎くん……嘘だよね?」
掠れた声が、雨音にかき消されそうになりながらも響いた。
彼女の瞳には、信じたくないという濁った恐怖と、それでも縋りたいという脆い光が混ざり合っている。 行き場を失った感情が、その小さな胸の内で渦巻いているのがありありと分かった。
彼女が抱えているもの。
それは私への疑惑であり、信じ続けてきたクラスの生徒たちに対する不信感だ。
「何の話ですか?」
私はそれをあえて冷淡に聞き返す。彼女の本心を見たかったからだ。
「惚けないで!!竜崎くんはこの試験でどうやったら退学者が出ないのか気づいてたんでしょ、キミが気づかない筈ないよッ!!!」
彼女が毛嫌いする龍園翔は、私が用意した正攻法でクラスを導いた。
それに対して私は、クラスをボロボロにして運良く生き残った生徒に見える。
違和感を覚えるのは無論だが、全員が自分に入れるだけの簡単な解決方法があったのなら、それに私が気づかないはずは無いと考えるのは自然なことだった。
「いいえ、私は気づきませんでしたよ。何もしなかったのはこの試験に嫌気が差していただけです」
だが、真実を彼女に言う気が無かった。
私は一之瀬帆波の善性を気に入ってはいるが、彼女の能力に期待しているわけでは無い。
今まで助言をしたのも、それは在り方が好みなだけでしかない。
それよりも優先すべきことが出来たのなら、感情は後回しにもなるだろう。
「クラスから退学者は出なかった。なら別に怒る必要はないじゃないですか」
水滴が頬を伝い落ちるが、拭おうともせずに彼女を真っ直ぐ見据えた。
「でも、でも…皆んなはどうなっちゃうの?これじゃあクラスは終わっちゃうよ」
「終わる?どうしてですか、私たちのクラスは未だクラス間闘争ではトップです」
「……竜崎くんはクラスの事を考えてくれてるって、そう思ってた」
成程、一之瀬帆波は勘違いをしているようだ。
彼女は私に期待していたらしい、もしかしたら人の心を理解し、そして尊重してくれるのでは無いかと。
自分と似た部分があるから、表ではそう言っていても心のどこかで感情を持っているのだと。
…なら彼女とは一度、お互いの立ち位置を示しておくべきだと考えた。
「一之瀬さん、勘違いしないでください。私たちは最初から利用し合う関係ですよ」
「え……?」
一之瀬帆波がハッと息を呑み、潤んだ瞳を大きく見開く。
雨に濡れた長い睫毛がわずかに震え、彼女の内部で何かが音を立てて崩れていくのが分かった。
「あの船上試験で貴女がそう言ったんです。これはクラスの全員を生き残らせる利害関係でしか無いのだと。だから私は利用しました」
「でも、クラスの皆の、あれは…」
言葉を詰まらせ、縋るような視線を向けてくる彼女を、私は冷たく突き放す。
「気持ちは分かりますが、どうしようもないです。皆自分の命が一番なんです、彼らの選択は正しい」
人は誰しもが自分本位だ。それこそ他者の為に命を使う者だって自分の意思が介在している。
人間という生物に思考がある限りそれは変わらない。
「貴女は何故、そこまで怒っているんですか?まるで、世界が善意に満ち溢れているような言い草ですが」
「あ、あぁそっか…私は間違ってたのかな」
その声は、激しさを増す雨音にすっぽりとかき消された。
私は一之瀬帆波の心を理解せず、ただ事実を述べた。今の彼女には余計な建前など無意味だからだ。
彼女は俯きながら、私にポツリと声を掛けた。
表情は窺えなかったが、顔を覆う前髪の隙間から、雨水なのか涙なのか分からない水滴がポタポタと地面のタイルへ落ちていくのは見えた。
「……ねぇ、竜崎くん。キミはいつから人を信用しなくなったの?」
「物心ついた時から、ですよ」
私が自嘲気味に言った言葉に、一之瀬帆波は少し驚いたように体を震わせた。
私は親というものを知らない。物心ついた頃から周囲には利害と打算しかなく、温もりなど知る由もなかった。
だからこそ、その時点で人間を信用する事を辞めたのだから。
「なら貴女はいつから、人を信用していましたか?」
私の問いかけに、彼女は息を詰まらせる。
「…多分、ずっと昔からかな」
彼女の生い立ちから考えるに期待も大いに入っていそうだ。彼女は裏切られる事を恐怖している。
だが、怖がりながらも信用はしてしまう。きっと無意識に矛盾を避けているのだろう。
人を助ける自分と、人を信用しない自分。それが両立しないと、彼女は思い込んでいる。
内に秘めたその矛盾が、今の彼女をここまでボロボロにしている原因なのだ。
…だから、これからする話はただの気まぐれだ。
「一つ、話をしましょうか。私はオバケが怖いんです」
突然の話にも一之瀬帆波は、驚かなかった。彼女はただ、生気の薄い目をわずかに見開き、少しだけ熱のこもった目線を向けて、私の言葉に耳を傾ける。
「ただオバケと言っても色々なものがこの世にはいます。
その中でも、嘘吐きオバケは厄介です。彼は他のオバケよりずっと手強い。人の気持ちを一つも分からないくせにのうのうと人間のふりをしている。そんなオバケが現れたら私はとって喰われてしまうかもしれません」
社会の平均から外れるという事は常識や感覚から外れる事。それは世間からは変人として扱われてしまう。
「だって、そのオバケは私なのだから」
結局、私は自分すら信じ切れていない。
他人の気持ちは分からないけれど「社会ではこうする物だ」という理由で他人を模倣していた。
そしていつかそれが私に牙を向くだろう。自分を殺すのは、いつだって自分なのだから。
「──あぁ、なんだ。そうだったんだね。キミはずっと変わらなかった、私とおんなじなんだね…」
しかし、それは一之瀬帆波の感情の堰を切ったようだ。彼女の瞳の奥で、張りつめていた糸がプツリと切れたような気がした。
「………ねぇ、竜崎くん。キミは私が善人だって言ってたよね?」
「あぁ、言った覚えはありますよ」
「それを聞いたうえで私は否定するね。
──私はやっぱり善人じゃない」
彼女の言葉には、迷いが感じられなかった。今までと違うその言葉は私の興味を誘った。
「今、私は人を信じるのが怖い。ずっと昔から気づいてたんだ、皆自分が一番大事だって。だからこの結果は当たり前で、私はいつの間にか甘えてたみたいなんだ」
「…」
それは正論で、当たり前だった。人を救う彼女は救う対象の醜さに蓋をしていた。
善人ほどその落差に絶望し、理想とのギャップで苦しめられる。
「だからそんな自分を変えたい」
「どう、変わる気ですか」
私の問いに、彼女はしっかりと顔を上げた。そこには先程までの様子はなく、燃え盛るような、強い意志の光が宿っていた。
「私は人を信じない。でも、これまで通り助けるよ。
キミは言ったよね、過程なんて気にする必要はないって。だから私は人を助けるという結果だけを追い求める。これって間違ってるかな?」
「いいえ、それは人間らしい矛盾です。そして貴女らしい回答でした」
私は彼女の答えに納得した。悩んで、人の醜さを知ってなお生き方を変えない。
世の中には『自分の為に人を助ける』偽善者や、『正義感によって人を助ける』身勝手な善人が溢れている。しかし、彼女の救済は、そのどちらでも無かった。
『信じているから助ける』のは簡単だ。だが『裏切られた、傷つけられた相手』にも手を差し伸べるのは、もはや感情を超えた性質でしかない。彼女から善を取れば何も残らないほどに『善そのもの』だった。
彼女は私を見て何か思うところがあったのか一歩、私に近づいた。
水たまりを踏む音が、少し収まった雨空に響く。
「あはは、でもね私はキミも同じだと思ってるよ」
一之瀬帆波は濡れた前髪を手でかき上げながら、私の目をじっと見つめた。
いま彼女は、あの時の私が彼女の心を暴いたように、私の心を暴こうとしている。
その眼光は、私の胸の奥底にある『何か』を見透かしているようだった。
「竜崎くんは自分が手段を選ばない悪人だと思っているのかもしれないけど、キミは結局クラスの皆を助けようとする。それはなんでかな?」
「それは私の目標だからですよ。この学校で自分に課した」
「でもさ、それは私と同じじゃない?結果だけ見たらおんなじ。
キミは確かにどんな手段でも取るけど、クラスの皆を見捨てない。それって良い事じゃないのかな?」
「いいえ、私のこれは善意ではありません。勝手な我儘ですよ」
「あはは。相変らず頑固だね、竜崎くんは」
彼女はどこか吹っ切れたように、力強く微笑んでみせた。その笑顔のせいか、曇っていた空から光が落ちてきた。
「一つ訊きたい事があります」
「…?なにかな」
「一之瀬さんは、もし再びクラスメイトに裏切られたら、どうする気ですか」
彼女は私のその言葉にクスリと笑った。
「裏切られても、傷つけられても。私は変わらず助けると思う。
それがどんなにバカなのかは分かってる。でもね、私は皆を見捨てられない。竜崎くんは、こんな結論を出した私を笑うのかな?」
「いいえ。それがどんなに茨の道かを理解した上で、なお進むというのなら。それは面白い選択です」
力が抜けたように、雨で濡れた顔には違うものが混じっている気がした。
彼女の笑顔は今までと違うように見えた。
打算でも偽善でもなく、全てを飲み込んだ上での覚悟の笑顔。だから、私は今の彼女になら任せて良いと思った。
「もう、私が預かっている必要はないのでお返しします。貴女が今日からこのクラスのリーダーです。元々私は集団を指揮するのに向いていないんです」
「え、それって…」
一之瀬帆波の瞳が驚愕に大きく見開かれ、言葉を失ったように微かに唇が震える。
「一之瀬さん、今お互いの立場はイーブンになりました。ですから私は初めて貴女にお願いします。リーダーを務めてください。そして私は初めて貴女を頼ります」
私はあの日、彼女の過去を暴いた時、この人間の選択に期待していた。
そして彼女は期待を上回った。一度では無く二度だ。きっとそれは人間の面白さで、この学校で始めて彼女に会った時から直感が教えてくれた未来だった。
「だから、頑張ってください。新リーダー」
「うん、望むところだよ!」
彼女の返答には、迷いのない力強さが宿っていた。
私はそれ以上言葉を交わすことなく、一之瀬帆波の横をすり抜けた。
冷たい雨が肩を叩くが、私の足取りは一切迷わない。
背後で小さく息を整えながら前を向こうとする気配を感じながら、もう彼女の心配はする必要が無いと理解した。きっと彼女は、自身の足で歩き始めているのだから。
一之瀬帆波はきっと心からの善人で、それが歪まない限り人を助け続けるんだというiF
あと竜崎くんが政界に入るために下準備を始めたって話
これでこのチャプターは終わりです。
よければ評価して下さるとモチベが上がりますのでお願いします。