噴火まで十七年、ポンペイの水道技師に転生しました ~街は救えないので、逃げ道と習慣を作ります~   作:ramunade

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14. 子供綱

 六八年の泉の祭は、三百人を超えた。

 

 五年前、四十人で始めた行列である。今やサルノ門の内には組ごとの塊が辻ふたつ分も並び、敷石の道には道の市が軒を連ね、四里塚の中日の泉まで、人と屋台の帯が途切れない。青銅盤が三度鳴り、角笛が三度応え、行列は今年もつつがなく歩き、中日の泉で水を汲んで、帰路につく。

 

 ――事は、その帰り道に起きた。

 

 夕暮れの門前は、戻る行列と市帰りの客とで、芋を洗うような混みようである。その雑踏の真ん中で、左官の女房がふいに立ち止まり、周りを見回した。手を繋いでいたはずの五つの娘が、いない。

 

「うちの子!? ……うちの子を、知らないかい?!」

 

 母親の声が、一段ずつ高くなっていく。近くの者が足を止め、人垣ができ、名を呼ぶ声が方々へ飛び交い始めた。俺は組頭たちをかき集め、手分けを差配する。門の内、門の外、市の裏、街道の側溝。――そして俺自身が真っ先に走ったのは、一里塚の水甕だった。水は、子供を呼ぶ。四十年、水の事故のたびに現場へ出た男の、嫌な癖である。覗き込んだ水面には、夕日が静かに揺れているだけだった。誰も、浮いていない。膝から力が抜けるほど、安堵する。

 

 娘が見つかったのは、半刻ののちである。

 

 道の市の飴屋の、屋台の裏。空の飴壺を抱えて、眠りこけていた。人いきれに酔って、涼しい日陰へ潜り込んだまま寝てしまったらしい。駆けつけた母親は娘を抱きすくめ、それから初めて、堰を切ったように泣いた。周りは、笑いと安堵でどっと沸く。よかったよかった、祭りの日のいい笑い話だ、と。

 

 俺だけが、笑えずにいた。

 

 半刻。晴れた祭りの日で、半刻だ。もしこれが、あの日だったら。灰が降り、地面が突き上げ、二万が門へ押し寄せる日だったら――半刻、列を止めて、一人を探せるか。探せまい。探せなければ、母親は列を離れて、街の方へ戻るだろう。それを、誰が止められる。俺には、止められない。子供がはぐれるということは、あの日、大人の脚が一組、丸ごと列から欠けるということなのだ。

 

 翌日から、俺は工房に籠って、荷紐と格闘した。

 

 できあがったのは、なんの変哲もない長い麻縄である。ひと組の子供の数だけ、握りの輪が結んである。先頭と後尾を大人が持ち、子供はめいめい、自分の輪を握って歩く。手を繋ぐのと違って片手が空くから、疲れない。輪から手が離れれば、縄の張りの変わりで、持ち手の大人がすぐ気づく。それだけの道具だ。俺はこれに、子供綱と名を付けた。

 

 配る前に、工房の前の路地で、近所の子らを借りて、試し歩きをやってみる。六人が輪を握り、俺が先頭を持つ。歩き出してすぐ、いちばん小さいのが、わざと輪から手を離した。縄が、掌の中で、ふ、と軽くなる。振り向くと、当の本人が得意げに手を挙げている。

 

「おっちゃん、いま、わかった?」

 

「わかった。おまえが離すと、縄が教えてくれる。……いい縄だ」

 

 子供らは面白がって、代わる代わる手を離しては、俺が振り向くたびに歓声を上げる。しまいには、なんの遊びだねと近所の女房まで出てきて、路地はちょっとした祭りになった。……遊びで、いい。遊びで覚えた手は、忘れないのだ。

 

 出来上がった綱は、組の数だけ編んで、配った。

 

 もう一つ、点呼である。発列の前に、組頭が組の頭数をあらため、木札に刻む。里程標ごとにまたあらため、札と引き合わせる。合わなければ、列を進めない。大層な儀式ではない。組頭が、自分の組の顔を、指の先でひとつずつ確かめて回る。ただ、それだけのことである。

 

 ――ただそれだけのことを、毎年、欠かさずやる。それがどれほどの底力になるかは、今のところ、俺だけが知っていればいい。

 

 祭りから幾日か経って、世話役の組が生まれた。

 

 言い出したのは、俺ではない。祭りのたびに、水だ、飯だ、休み場だと自然に手を貸してきた者たち――水汲みの女房たち、粉屋の男たち、湯屋の連中が、いっそ組にしてしまおうと言い出したのだ。水汲み組、粉組、湯屋組。頭数を書き出し、受け持ちを割り、来年の段取りを勝手に相談している。俺は口を挟まず、頼まれた分だけ、綱と札をこしらえた。

 

 その年、市場には、遠い都の騒がしい噂も届いている。夏、皇帝が死んだ。自分の喉を、自分で突いたのだという。次の皇帝が立ったの、いやもう危ういのと、訳知り顔の商人が声をひそめる。だが、年の暮れの井戸端をほんとうに沸かせていたのは、玉座の行方ではなく、来年の子供綱の色だった。水汲み組は青がいい、いや粉組こそ白だ、うちの組は揃いの赤紐にする、と、これがなかなか白熱している。

 

 遠い玉座より、手元の綱の色。この街のそういうところが、俺は、嫌いではない。

 

 年の瀬の夕暮れ、工房でケレルと二人、綱の結び目を検めていた。十四になった弟子見習いは、水の綴りはおろか、水帳の写しをそっくり任せられるほどの字を書くようになっている。手は動かしたまま、ふいに、ケレルが言った。

 

「親方は、なんで祭りを、こんなに真面目にやるんです? 水道の仕事でもないのに。綱だの札だの、点呼だの……まるで」

 

 そこで少年は、言葉を探すように口ごもる。まるで、の先を、自分でもうまく言い当てられないらしい。

 

 俺は、答えなかった。答える代わりに、手の中の結び目をひとつ、固く結び直す。麻の縄目が、掌にきりりと食い込んだ。

 

 ――まるで、の先は、言い当てられなくていい。

 

 おまえがその先を口にする日は、まだずっと先でいい。今はただ、結び目を固くしておこう。いつか小さな手が、力いっぱい、これを握る日のために。

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