噴火まで十七年、ポンペイの水道技師に転生しました ~街は救えないので、逃げ道と習慣を作ります~   作:ramunade

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23. 水は嘘をつかない

 空振りの後始末は、勘定から始めた。

 

 道駅の蔵の品を、ケレルと二人で棚卸しする。水袋よし。松明よし。油は年を越せる。履物と革紐は、祭りの市に出せば銭に戻る。買い込んだ品の大半は、つまり、無駄にならない。無駄になったのは、パン代と――俺の、確信のほうである。

 

 湯屋へ行けば、常連どもが待ち構えていた。

 

「おう、水道屋。祭りの粉を、二月も早く頼んじまったんだって?」

 

「今年の祭りは八月かと思ったってか。気の早え男だ」

 

「ええ。……早とちりで、高いパンを食いました」

 

 言い訳は、しないと決めてある。おかげで話は、水道屋の早とちりという笑い話に落ち着き、湯気と一緒に広がって、消えていく。名の知れた男のしくじりは、街のいい酒の肴だ。肴にされるうちが、華でもある。常連の一人が、湯の中でしみじみ言った。あんたでも、しくじるんだなあ、と。妙に嬉しそうなのが、少しばかり業腹である。俺は答えず、湯に沈んで、鼻から泡をひとつ出す。

 

 市場の隅には、いつの間にか、神託売りが座を張っている。大地母の怒りは去った、壺の御札が効いたのだ、と売り声を上げ、揺れ続きに疲れた女房たちが、小さな護符を買っていく。俺は、足を止めない。あちらは安心を売る商売、こちらは水を配る仕事だ。……ただ、去った、という言葉にだけ、足の裏がざらりとした。俺の帳面の数字は、ひとつも去っていない。

 

       ◇

 

 九月の半ば、ケレルが畑から駆け下りてきた。

 

 顔を見れば、分かる。あの泉だ。

 

 登ってみると、桝は乾いていた。岩の割れ目の湧き口に手首まで差し入れても、指先が湿るだけである。三年前、初めて浸けた日、人肌にわずかに足りないぬるさで俺を驚かせた水だ。山の手首、と俺が呼んできた細い流れが、脈ごと消えている。目盛りを刻んだ桝の内側で、水苔が白く乾き始めていた。

 

「山の泉の目、幅の外。……旗、五本目です」

 

 ケレルの声が、硬い。書く手も、硬い。今度は、俺のほうが静かだった。

 

「五本。決め事は?」

 

「道駅の総点検。それから……注文の、支度」

 

「そのとおりだ。明日から掛かろう」

 

 八月、俺は日付で動いて、決め事を追い越した。九月、決め事のほうが俺に追いつき、同じ仕事を、今度は正しい順で命じてくる。総点検は先月済ませたばかりだ。それでも、やり直す。点検というのは、やり直して悪いことがひとつもない、数少ない仕事である。

 

       ◇

 

 夜、乾いた桝の縁に腰を下ろして、俺は長いこと、山の影と街の灯を眺めて過ごす。

 

 ……日付は、外れた。

 

 外れて、分かったことがある。俺はあの日付を、答えだと思って生きてきた。だが、あれは俺の答えではない。前の世の、他人の調べの受け売りだ。他人の答えを丸写しして、丸写しの日付が当たるのをただ待つ――前の世の俺が、いちばん軽蔑していた類いの仕事ぶりである。

 

 俺が測ったものが、ひとつだけある。

 

 水帳だ。十七年、雨の日も祭りの日も、この手で測って、この手で書いた。井戸の癖も、平年の幅も、旗の一本一本も、全部、俺と弟子と、娘の鼻が立てたものだ。

 

 ――前の世の記憶は、他人の答えだ。水帳は、俺が測った。

 

 六本立つまで、動かない。六本立ったら、必ず動く。

 

 日付は、もう見ない。俺の物差しで、俺は動く。そう決めてしまうと、ひと月ぶりに、飯がうまかった。

 

       ◇

 

 十月十三日、十七度目の泉の祭が来る。

 

 全行程を歩く者、千百人。短い道のりの者は、例年どおり数千。敷石の道が、朝から人で埋まる。今年の寄り合いで、ひとつだけ、去年までと違うことがあった。子供綱の綱持ちの名簿に、手が挙がったのである。

 

「綱持ち、あたしがやります」

 

 ユスタだ。十五になる娘は、寄り合いの視線を集めて、けろりとしている。綱持ちは、子供十人の命綱を握る役である。世話役組の中でも、年季の入った者しか受け持たない。組頭たちは顔を見合わせ、それから、列の捌きはあの母親仕込みだ、鼻は父親より利く、と笑いが起きて――決まってしまった。

 

 俺は最後まで、口を挟まない。挟まずにいるため、膝の上で拳をひとつ、握り潰しての沈黙である。

 

 祭りの日、娘は列の中ほどで、十人の子供の綱を握って歩いた。飴で釣り、歌であやし、木札の点呼を回す手際は、なるほど、母親仕込みである。一里塚の水甕では、柄杓の水を子供らへ順に飲ませてやっている。陽に透けた飛沫が散るのを、俺は列の後ろから、ただ見ていた。

 

 道は、体が覚えている。俺の娘の体も、もう覚えている。

 

 ヌケリアの広場では、今年も粉組合の竈が湯気を上げ、ムナティウスが仏頂面で椀を配っていた。八度目の炊き出しである。帰りぎわ、仏頂面がぼそりと言った。……今年は、注文はねえのか、と。冗談を言う目では、なかった。

 

       ◇

 

 祭りから八日、十月二十一日の夜である。

 

 寝間の闇で、目が覚めた。梁が、鳴いている。びし、と一度きりではない。細かく、細かく、鳴り続けている。床下の土のずっと底から、太い牛の唸りに似た音が、絶え間なく湧き続けている。

 

 地鳴りが――止まらなくなった。

 

 隣で、サルウィアの目の開く気配がする。

 

「……あんた」

 

「ああ。……起きてる」

 

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