噴火まで十七年、ポンペイの水道技師に転生しました ~街は救えないので、逃げ道と習慣を作ります~ 作:ramunade
十月の半ば、街に、泉の祭がめぐってくる。
古い習わしで、この日は、市中の井戸と泉に、花冠を捧げる。水の恵みに、礼を言う祭りだ。俺は、この昔ながらの祭りに、ひとつ、新しい趣向を接ぐことにした。
――サルノ門を出て、街道の一里塚の泉まで歩き、水を汲んで、戻る。
名目は、震災の厄落としと、井戸替えの安全祈願。銭は、見栄っ張りの浴場主ホルコニウスが、気前よく寄進した。参事会も、「祭りが賑わえば、市が潤う」という理屈で、あっさりと許しを出す。誰ひとり、その行列の、本当の使い道を知らない。
当日。俺は、分配槽の
ごお~ん、ごお~ん、ごお~ん――低く、長く、三度。続いて、組頭たちの角笛が、同じ調子で三度、街の空に響きわたる。この音を合図に、行列が動き出す。「三度、長く鳴ったら、歩き出す」。ただ、それだけの、単純な約束だ。今日のところは、ただの、祭りの合図にすぎない。だが、十六年ののちには――この同じ音が、二万の人間を、門の外へ送り出すことになる。
角笛が鳴りやむと、行列が、ぞろぞろと門を抜けていった。第一回の歩き手は、四十人。その半分は、面白がってついてきた、子供たちだ。二万には、まだ、はるかに遠い。だが、去年は、ゼロだった。何もなかった道に、今日、四十の足跡がつく。それで、じゅうぶんだ。
サルウィアは、身重の体で、列のいちばん後ろを、飴を配りながら、ゆっくりと歩いている。
「祭りの行列に、飴はつきものだろ?」
「よく回りますね、頭が」俺は、感心して言った。
「あたりまえさ。飴をもらった子は、来年も来る。来年も来た子は、そのまた次の年、弟や妹を連れてくる。……あんたの祭りは、あたしの飴で、大きくなるんだよ」
――恐ろしい女だ、と俺は思う。頼もしい、とも。この女は、俺が十六年かけてやろうとしていることの、半分くらいは、勘で見抜いている。それでいて、何も、問い詰めてはこない。
「おっちゃん、水、こぼれるー!」
前を行く洟垂れの子が、汲んだばかりの水を、桶から半分こぼしながら、けらけらと笑う。俺は、しゃがんで、その桶の持ち方を直してやる。ほら、こうやって、胸の前で、両手で持つんだ、と。……この手つきを、この子は、頭ではなく、体で覚える。十六年も経てば、今日のことなど、きれいに忘れているだろう。だが、体は、忘れない。それで、いい。
秋の街道は、歩くのに、ちょうどいい。刈り入れの済んだ畑の匂い、色づきはじめた葡萄の葉、乾いた土を踏む、大勢の足音。道の脇には、目ざとい行商人が、焼き栗や干し無花果の露店を広げ、子供らが銅貨を握りしめて駆け寄る。年寄りは、里程標の木陰で、のんびりと足を休める。誰の顔にも、避難、などという暗い言葉の影は、ない。ただの、のどかな秋の遠足だ。楽しくなければ、人は、二度と歩いてはくれない。だから、これでいい。
半日ほど歩いて、一里塚の泉に着いた。石組みの泉に、みなが順に花冠を投げ入れ、この一年の水の恵みに、口々に礼を言う。ある婆さんは、亡くした亭主の名を呼びながら、皺くちゃの手で、そっと水面を撫でた。俺も、隣で手を合わせる。神への祈りは、しない。ただ、この泉が、十六年後の秋にも、こうして水を湛えていてくれますように、と、それだけを念じた。
汲んだ水を桶に満たし、めいめいが、また来た道を戻る。サルウィアが、俺の隣に並んで、ゆっくりと歩いた。
「あんた、さっき、泉に何を願ったんだい?」
「……この泉が、長く涸れませんように、と」
「色気のない願いだねえ」彼女は、腹をさすって笑った。「でも、まあ、あんたらしいよ」
街へ戻り、汲んできた水を、辻の噴水に注ぎ入れて、祭りは締めくくられた。外から、街へ、水が還る。いつか、その逆が起きる日のことを、今日この場で思う者は、俺のほかに、ひとりもいない。
――ただ、一つ、しくじりがあった。
行列に出たある家が、竈の火を落とし忘れて出かけ、留守のあいだに、小さなボヤを出したのだ。幸い、隣家がすぐ消し止めて、大事には至らない。だが俺は、その晩、心に決めた。来年からは、歩き出す前に、必ず、竈の火を落とす。それを、祭りの作法に加える。しくじりが、作法を生む。今年の、この小さなボヤが、十六年後の、火の回らない街を、作る。
帰り道、サルウィアが、そっと自分の腹に手を当てて、言った。
「来年の祭りには、この子も、歩くのかね?」
俺は、彼女の丸い腹を見て、それから、遠く、山の稜線を見やる。
「……ああ。歩かせる。何度でも、飽きるほど」