君を守る、その理由   作:かなっち館長

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第二十五話 死ねない理由

 暗闇の中で、奏斗と遥斗は向かい合っていた。

 

 そこは現実ではない。

 

 DA本部の訓練ホールでもない。

 

 白い床も、銃声も、千束の声も、遠くへ沈んでいる。

 

 意識の奥。

 

 奏斗の中にある、深い場所。

 

 そこには何もなかった。

 

 ただ暗闇だけが広がり、その中心に二人が立っている。

 

 一人は押村奏斗。

 

 もう一人は押村遥斗。

 

 同じ顔ではない。

 

 けれど、どこか似ていた。

 

 兄弟だからではない。

 

 同じ体の中で、同じ痛みを抱えてきたからだ。

 

 遥斗は笑っていた。

 

 挑発するように。

 

 見下すように。

 

 昔からそうだったのだろう、と奏斗は思った。

 

 強い者が上。

 

 恐れさせる者が支配する。

 

 従わせることが生きること。

 

 遥斗はずっと、そうやって自分を守ってきた。

 

「来いよ、兄貴」

 

 遥斗が言った。

 

「俺を止めるんだろ?」

 

「止めます」

 

「殺せるのか?」

 

「……」

 

「俺を止めるってことは、そういうことだ」

 

 遥斗の足元から、黒い霧のようなものが広がった。

 

 それは恐怖だった。

 

 形のないもの。

 

 目に見えないはずの感情。

 

 けれど、この場所ではそれが黒い波のように見えた。

 

 奏斗の足元へ忍び寄り、まとわりつく。

 

 冷たい。

 

 重い。

 

 息が詰まる。

 

 自分が殺したわけではないはずのDA幹部の血。

 

 奏斗の体で行われた殺人。

 

 千束を傷つけたフードの刃。

 

 千束の腕から流れた血。

 

 蒼士の負傷。

 

 リコリス同士の銃撃。

 

 全部が奏斗の胸へ押し寄せる。

 

「見ろよ」

 

 遥斗が笑う。

 

「お前が迷った結果だ」

 

 暗闇の中に光景が浮かぶ。

 

 フードの四人が片膝をつき、遥斗に従う姿。

 

 DA幹部が倒れる姿。

 

 反乱リコリスが銃を撃つ姿。

 

 千束が左腕を押さえて膝をつく姿。

 

「俺がいなければ、お前は死んでいた」

 

「……はい」

 

「俺がいなければ、千束も守れなかった」

 

「違います」

 

「違わない」

 

 遥斗が踏み込んだ。

 

 速い。

 

 現実の肉体ではなく、意識の中の戦い。

 

 それでも、遥斗の動きは鋭かった。

 

 拳が奏斗の腹へ入る。

 

「ぐっ……!」

 

 痛みは現実ではない。

 

 だが、痛い。

 

 体ではなく、心に響く痛み。

 

「お前はいつも遅い」

 

 遥斗がさらに蹴る。

 

 奏斗は腕で受けるが、吹き飛ばされる。

 

「迷う。考える。傷つけたくない。殺したくない。嫌われたくない。失いたくない」

 

 遥斗は倒れた奏斗へ歩み寄る。

 

「だから何も守れない」

 

 奏斗は立ち上がろうとする。

 

 膝が震える。

 

 黒い霧が体へ絡む。

 

 恐怖。

 

 死への恐怖。

 

 罪への恐怖。

 

 千束に拒絶される恐怖。

 

 戻っても居場所がないかもしれない恐怖。

 

 すべてが重い。

 

「俺なら殺せる」

 

 遥斗は言った。

 

「俺ならDAを壊せる。俺ならリコリスもリリベルも解放できる。兄貴、お前にできないことを俺はできる」

 

「それは」

 

 奏斗は息を整える。

 

「あなたが、もう失うものがないと思っているからです」

 

 遥斗の目が細くなる。

 

「何?」

 

「あなたは死んだと思っている。だから、自分を燃やし尽くすことを恐れない」

 

「事実だろ。俺は死んだ」

 

「違う」

 

 奏斗は立ち上がった。

 

「あなたは、私の中で生きていました」

 

「だから計画を続ける」

 

「いいえ」

 

 奏斗は一歩前へ出る。

 

「あなたは、止まれなかっただけです」

 

 遥斗の表情が変わった。

 

「黙れ」

 

「DAに裏切られたと思った。計画に賛同した仲間を失った。自分も死んだ。けれど、私の中で目覚めた」

 

「黙れ」

 

「だから意味を探した。自分が生き残った意味を。DAを潰すことが、その意味だと思った」

 

「黙れ!」

 

 遥斗の拳が飛ぶ。

 

 奏斗は避けなかった。

 

 頬へ衝撃。

 

 視界が揺れる。

 

 だが、倒れなかった。

 

「でも、それは違います」

 

「何が違う!」

 

「あなたが生き残った意味は、誰かを殺すことではない」

 

「綺麗事を言うな!」

 

 遥斗の周囲の黒い霧が膨れ上がる。

 

「お前に何が分かる! 恐れられて、利用されて、処分されて! 俺を見ていたのは兄貴だけだった!」

 

「分かっています」

 

「分かってない!」

 

「分かっています!」

 

 奏斗の声が、初めて強く響いた。

 

 暗闇が震える。

 

 遥斗が一瞬止まる。

 

「私は、あなたが嫌いでした」

 

 奏斗は言った。

 

「横暴で、乱暴で、人を従わせようとして、私にもひどいことをした」

 

「……」

 

「怖かった。腹も立った。恨んだこともあります」

 

「なら殺せよ」

 

「でも」

 

 奏斗は目を逸らさなかった。

 

「あなたは、私の弟でした」

 

 遥斗の瞳が揺れた。

 

 わずかに。

 

 本当に小さく。

 

「あなたは私を助けた。訓練で私が危険になれば、必ず来た。弱いと罵りながら、見捨てなかった」

 

「それは」

 

「私の命を救った」

 

 奏斗は胸へ手を当てる。

 

「あなたの臓器がなければ、私は死んでいました」

 

「だから何だ」

 

「あなたがいたから、私は生き残った」

 

 奏斗の脳裏に千束の顔が浮かぶ。

 

 初めてリコリコへ行った日の笑顔。

 

 甘いものを出してきた時の明るい声。

 

 変態とからかう顔。

 

 手をつないだ時の照れた横顔。

 

 戻ってこいと叫んだ声。

 

 好きだと言ってくれた声。

 

 帰ってきて、と送られたメッセージ。

 

「あなたがいなければ、私は千束に出会えませんでした」

 

 遥斗の表情が凍った。

 

「何を……」

 

「あなたが私を生かしたから、私はリコリコへ行った。千束に出会った。好きになった。生きたいと思えた」

 

 奏斗は黒い霧の中を歩く。

 

 一歩。

 

 また一歩。

 

 恐怖は消えない。

 

 でも、止まらない。

 

「私は死ねません」

 

 奏斗は言った。

 

「千束に、帰ってきてと言われました」

 

「兄貴……」

 

「まだ謝っていません。まだ話していません。まだ一緒にいたい。まだ、あの人の隣にいたい」

 

 黒い霧が薄れていく。

 

 遥斗が後ずさる。

 

「そんな理由で」

 

「私には十分です」

 

「女一人のために?」

 

「はい」

 

 奏斗は迷わず頷いた。

 

「私は、千束のために死ねない」

 

 その瞬間、暗闇の奥から光が差した。

 

 白い光ではない。

 

 柔らかい、リコリコの店内のような光。

 

 コーヒーの香り。

 

 千束の笑い声。

 

 ミズキのからかう声。

 

 ミカの静かな声。

 

 常連客の笑い声。

 

 奏斗が、ようやく得た場所。

 

 生きたいと思えた場所。

 

 遥斗はその光を見て、顔を歪めた。

 

「俺には、そんなものなかった」

 

「はい」

 

「俺には、兄貴しかいなかった」

 

「はい」

 

「その兄貴が、俺を殺すのか」

 

 遥斗は笑った。

 

 ひどく疲れた笑みだった。

 

 挑発でも、嘲笑でもない。

 

 どこか、子どものような笑み。

 

「なら、殺せ」

 

 遥斗は両手を下ろした。

 

「俺を殺さなきゃ、お前は戻れない」

 

「遥斗」

 

「迷うなよ。迷ったら、また俺が出る」

 

「……」

 

「兄貴は死ねないんだろ?」

 

 遥斗は胸を指した。

 

「なら殺せ。俺を踏み越えろ」

 

 奏斗は動けなかった。

 

 殺す。

 

 自分の中にいる弟を。

 

 命を救ってくれた弟を。

 

 何度も憎んだ。

 

 何度も怖れた。

 

 けれど、確かに弟だった存在を。

 

 奏斗の手が震える。

 

 遥斗は苦笑した。

 

「本当に最後まで甘いな」

 

「私は」

 

「それでいい」

 

 遥斗は静かに言った。

 

「兄貴は、そういう奴だった」

 

 奏斗の胸が詰まる。

 

「遥斗」

 

「早くしろ。千束が待ってる」

 

 その名前が出た瞬間、奏斗の震えが止まった。

 

 千束が待っている。

 

 帰ってきて、と言った。

 

 なら、帰らなければならない。

 

 奏斗は遥斗へ近づいた。

 

 遥斗は逃げなかった。

 

 黒い霧は、もうほとんど消えていた。

 

「遥斗」

 

「何だよ」

 

「ありがとう」

 

 遥斗の目がわずかに開く。

 

「あなたがいなければ、私は千束に出会えなかった」

 

「……馬鹿兄貴」

 

 遥斗は小さく笑った。

 

「礼なんか言うなよ」

 

「それでも、言います」

 

 奏斗は手を伸ばした。

 

 遥斗の胸へ。

 

 そこに刃があったわけではない。

 

 銃があったわけでもない。

 

 ただ、奏斗の意志があった。

 

 自分の中にいる遥斗を終わらせるという意志。

 

「さようなら、遥斗」

 

「ああ」

 

 遥斗は目を閉じた。

 

「千束を泣かせるなよ」

 

「はい」

 

「あと、蒼士に謝っとけ。あいつ、しぶといけど痛がりだからな」

 

「分かっています」

 

「……兄貴」

 

「はい」

 

「生きろよ」

 

 奏斗は頷いた。

 

 次の瞬間、遥斗の体が光の粒になって崩れた。

 

 暗闇が裂ける。

 

 黒い霧が消える。

 

 遠くから声が聞こえた。

 

 千束の声。

 

 戻ってきて。

 

 奏斗は、その声の方へ手を伸ばした。

 

     ◇

 

 現実に戻った瞬間、奏斗は息を吸った。

 

 喉が焼けるように痛い。

 

 体中が重い。

 

 床に膝をついている。

 

 千束の手が、奏斗の服を掴んでいた。

 

「奏斗!」

 

 その声が耳に飛び込む。

 

 奏斗はゆっくり顔を上げた。

 

 千束が目の前にいる。

 

 左腕に包帯。

 

 血が滲んでいる。

 

 顔には不安と怒りと、泣きそうな色が混ざっていた。

 

「……千束」

 

「奏斗?」

 

「はい」

 

 千束の目が大きく揺れる。

 

「本当に?」

 

「戻りました」

 

「遥斗は?」

 

 奏斗はすぐには答えられなかった。

 

 胸の奥へ意識を向ける。

 

 いつもあった気配。

 

 焦りや恐怖の奥から、こちらを覗くような存在。

 

 それが、ない。

 

 静かだった。

 

 あまりにも静かだった。

 

「遥斗は」

 

 奏斗は言った。

 

「もう、いません」

 

 千束の表情が止まる。

 

「いない……?」

 

「はい」

 

「それって」

 

「私が、終わらせました」

 

 奏斗の声はかすれていた。

 

 でも、はっきりと言った。

 

「殺しました」

 

 千束は息を呑んだ。

 

 何か言おうとして、言葉が出ない。

 

 奏斗はその顔を見るのが少し怖かった。

 

 だが、逃げなかった。

 

「すみません」

 

「何で謝るの」

 

「遥斗を止めるために、それしかありませんでした」

 

「……奏斗」

 

「ありがとうと言いました」

 

 奏斗は目を伏せる。

 

「あなたに出会えたのは、遥斗が私を生かしたからです。だから、最後に礼を言いました」

 

 千束の目に涙が浮かぶ。

 

「奏斗、戻ってきたんだよね」

 

「はい」

 

「もう、いなくならない?」

 

「努力します」

 

「そこは、いなくならないって言ってよ」

 

「……いなくなりません」

 

「約束」

 

「約束します」

 

 千束は奏斗へ手を伸ばそうとした。

 

 だが、その前に銃声が響いた。

 

 現実は、まだ終わっていなかった。

 

     ◇

 

 DA本部の訓練ホール周辺では、反乱の鎮圧が進んでいた。

 

 フードの四人は、遥斗の消失と同時に統制を失った。

 

 それでも彼らは戦った。

 

 遥斗様、と叫ぶ者。

 

 計画を続けろ、と叫ぶ者。

 

 DAを壊せ、と叫ぶ者。

 

 しかし、リリベルとリコリスの混成部隊が本部へ突入していた。

 

 蒼士を含むリリベル部隊。

 

 楠木の指揮で動くリコリスたち。

 

 反乱に加わらなかった本部所属リコリス。

 

 それぞれが、混乱の中で銃を構えた。

 

 あるフードは撃たれ、倒れた。

 

 あるフードは拘束された。

 

 反乱リコリスたちも同じだった。

 

 殺される者。

 

 武器を落として取り押さえられる者。

 

 最後まで抵抗し、非致死弾で倒される者。

 

 DA本部の廊下には、血と硝煙の匂いが残った。

 

 千束はその光景を見て、唇を噛んだ。

 

 誰も死なせたくなかった。

 

 全部救いたかった。

 

 けれど、現実はそうならなかった。

 

 それでも、奏斗は戻った。

 

 遥斗は消えた。

 

 なら、今度は奏斗を守らなければならない。

 

 そう思った瞬間。

 

 複数の銃口が奏斗へ向いた。

 

「押村奏斗。武器を捨て、両手を上げろ」

 

 DA職員の声。

 

 リリベル隊員も銃を構えている。

 

 奏斗はまだ武器を持っていなかった。

 

 しかし、彼らにとってそれは関係ない。

 

 奏斗の体でDA幹部が殺された。

 

 奏斗の体でDA本部へ侵入した。

 

 奏斗の体で反乱勢力を率いた。

 

 中身が遥斗だったとしても、外から見れば押村奏斗だ。

 

「待って!」

 

 千束が前に出ようとする。

 

 奏斗がそれを止めた。

 

「千束」

 

「でも!」

 

「大丈夫です」

 

「大丈夫じゃない!」

 

 奏斗は苦しそうに笑った。

 

「今回は、抵抗できません」

 

「奏斗は戻った!」

 

「はい」

 

「遥斗はもういない!」

 

「はい」

 

「だったら!」

 

「それを証明する必要があります」

 

 奏斗の声は静かだった。

 

「そして、私の体で行われたことの責任も、調べられる必要があります」

 

「奏斗がやったんじゃない」

 

「それでも、逃げれば千束まで疑われます」

 

 千束は言葉に詰まった。

 

 奏斗はゆっくり立ち上がり、両手を上げた。

 

「押村奏斗、投降します」

 

 その声に、隊員たちが動く。

 

 蒼士が痛みに顔をしかめながら近づいてきた。

 

「奏斗……」

 

「蒼士」

 

「お前、戻ったんだな」

 

「はい」

 

「遥斗は?」

 

「もういません」

 

「そうか」

 

 蒼士は一瞬だけ目を伏せた。

 

「……そうか」

 

 その声には、複雑な感情が混じっていた。

 

 安堵。

 

 寂しさ。

 

 怒り。

 

 そして、昔を知る者だけが持つ痛み。

 

「すみません。怪我をさせました」

 

「ほんとだよ」

 

 蒼士は苦笑した。

 

「あとで高いパフェ奢れ」

 

「分かりました」

 

「約束な」

 

「はい」

 

 そのやり取りの直後、DAの拘束具が奏斗の手首へかけられた。

 

 金属音が鳴る。

 

 千束の胸が締めつけられる。

 

「やめて」

 

 小さく漏れた声。

 

 でも、誰も止まらない。

 

 その時、楠木が姿を現した。

 

 周囲の職員が道を開ける。

 

 楠木は千束と奏斗を順に見た。

 

「押村奏斗は一時拘束する」

 

「楠木司令!」

 

 千束が食ってかかる。

 

「奏斗は戻った!」

 

「見れば分かる」

 

「じゃあ何で!」

 

「DA幹部が殺された。反乱が起きた。本部が襲撃された。その中心にいたのは、押村奏斗の体だ」

 

「奏斗じゃない!」

 

「お前がそう叫んでも、事実確認は必要だ」

 

 楠木の声は冷静だった。

 

 冷たいとも言える。

 

 だが、完全に敵意だけではなかった。

 

「ここで逃がせば、奏斗は本当に敵として扱われる」

 

「……」

 

「拘束は、処刑ではない。調査のためだ」

 

「信用できると思ってるの?」

 

「思わないなら、お前が見張れ」

 

 千束が目を見開く。

 

 楠木は続ける。

 

「錦木千束。お前は奏斗を敵にしたくないのだろう」

 

「当たり前でしょ」

 

「ならば、今ここで暴れるな」

 

 楠木の声が少し強くなる。

 

「お前が暴れれば、押村奏斗を庇うためにDAへ反抗したと記録される。そうなれば、お前も奏斗も守れない」

 

 千束は拳を握った。

 

 悔しい。

 

 叫びたい。

 

 奏斗を連れて逃げたい。

 

 でも、楠木の言っていることは分かった。

 

 ここで千束が銃を向ければ、奏斗は完全に敵になる。

 

 自分も同じだ。

 

 そうなれば、助ける道が狭くなる。

 

「……奏斗」

 

 千束は震える声で呼んだ。

 

 奏斗は拘束されたまま、千束を見た。

 

「千束」

 

「行かないで」

 

 本音が漏れた。

 

 奏斗の表情が少しだけ揺れる。

 

「すみません」

 

「謝らないで」

 

「また会えます」

 

「本当?」

 

「はい」

 

「約束?」

 

「約束です」

 

 千束は涙をこらえた。

 

「既読、つけなかったの怒ってるから」

 

「はい」

 

「勝手にいなくなったのも怒ってる」

 

「はい」

 

「帰ってきたのに、また連れていかれるのも怒ってる」

 

「……はい」

 

「だから、ちゃんと戻ってきて」

 

 奏斗は小さく頷いた。

 

「必ず」

 

「絶対」

 

「絶対に」

 

 隊員が奏斗を連れて歩き出す。

 

 千束は追いかけそうになった。

 

 でも、ミカの言葉を思い出す。

 

 戻った奏斗を受け止めてやれ。

 

 そのためには、今ここで壊してはいけない。

 

 千束は足を止めた。

 

 奏斗が一度だけ振り返る。

 

 目が合う。

 

 いつもの奏斗だった。

 

 少し疲れていて、痛みを隠していて、それでも千束へ心配をかけまいとする顔。

 

「千束」

 

「何?」

 

「待っていてください」

 

 千束は強く頷いた。

 

「待ってる」

 

 奏斗は連行されていった。

 

 廊下の奥へ。

 

 DAの隊員たちに囲まれて。

 

 手首を拘束されたまま。

 

 千束はその背中が見えなくなるまで、ずっと見ていた。

 

 奏斗は戻ってきた。

 

 遥斗はいなくなった。

 

 けれど、物語は終わらない。

 

 DAの闇も。

 

 反乱の傷も。

 

 奏斗の罪として扱われるものも。

 

 まだ、何も片づいていない。

 

 それでも千束は、ゆっくり息を吸った。

 

「待ってるから」

 

 誰に向けたのか分からないほど小さな声で、そう呟いた。

 

 そして、もう一度強く思った。

 

 奏斗は敵じゃない。

 

 絶対に。

 

 何があっても。

 

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