戦えない荷揚げ屋の俺、全滅寸前の探索隊へ「あと一箱」を届け続けたら、最深層の生命線と呼ばれていました ~攻撃スキルはありませんが、地上まで必ず連れて帰ります~ 作:ramunade
泣き声は、道の先の岩壁から漏れていた。
声はすれども、姿が見えない。闇の中の泣き声は反響で方角を騙すから、俺は二度立ち止まり、二度耳だけで測り直して、道をそちらへ曲げて敷く。
岩壁に耳を当てると、泣き声は骨伝いに近くなった。俺は発光筒を一本焚いて、壁の根元を照らす。
裂け目だ。人ひとりがやっと入れる幅の、岩の割れ目。その奥に六人目は、体半分を突っ込んだ格好で嵌まっていた。灯りが消えた闇で息が浅くなり、狭い所へ潜り込んで、抜けなくなったらしい。十八だという。指先は冷え切り、頬に擦り傷、泣き声はもう
俺は裂け目の口まで道を敷き、白い縁ぎりぎりに膝をつく。膝をつける時間は、二百きりだ。だから、ここからの支度はぜんぶ数えの中で回す。話しては立ち、白い帯を歩いて持ち高を戻し、また膝をつく。裂け目の中から見れば、出たり入ったりの落ち着かない男に見えるだろう。落ち着くための出入りである。
俺の道は、俺が歩いた所にしか敷けない。人ひとりぶんの裂け目の中までは、歩けない。だからここから先は、スキルの仕事ではない。声と、紐と、段取りの仕事だ。
「湯だ。まず一口。……飲めたな。上出来だ」
裂け目の奥の目が、発光筒の赤でかすかに光る。
「名前は?」
「……み、
「いい名字だ、翠川。緑は、地上の色だ。……返事は、できるな」
か細い、はい。それで充分だ。名前と返事があるうちは、人はまだ、闇に呑まれていない。
「聞け。息を吐くと、体は細くなる。吸うと太くなる。だから吐いた時にだけ、引く。……いまから段取りをする。あんたはそこで、息だけ整えて待て」
数えは、俺の計器だ。だが、貸すこともできる。時間の見積もりを、声にして分けるだけのことだ。それで恐怖が消えるわけではない。ただ、終わりの見える時間は、恐怖ではなくなって、ただの時間になる。
先に、支度を全部済ませる。腰と肩に紐を回す。荷揚げ屋の結びは、引くほど締まり、引くのをやめれば緩む。体を傷めない結びだ。五人と先輩を白い帯の上に並べ、綱を持たせた。ここまでの出入りで、俺の持ち高は残り少ない。
だから最後に、白い帯を二百歩、行って戻る。数えを満タンに。引き始めたら、途中で歩きに立つわけにはいかないからだ。ここからの二百は、全部あいつのものになる。
戻って、膝をつく。
「これから二百数える。二百のうちに、あんたは出る。数えは俺の仕事だ。あんたは、息と綱のことだけ考えろ」
「で、出られな……」
「出られる、かどうかは聞いてない。出る。届け先の決まってる荷を、俺は置いて帰ったことがない」
「引くのは数えで。五つで引いて、五つで休む。……ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ――引け」
最初の五つで、裂け目の奥の体が拳ひとつぶん動く。岩が肌を噛んで、泣き声が悲鳴に変わり、悲鳴が息に変わる。吐け、と先輩が叫ぶ。数えは崩さない。数えが揺れれば、綱の力が揺れる。
五つ、引く。五つ、休む。綱が軋み、六本の腕が同じ拍で沈む。掛け声は要らない。数えがあれば、腕は揃う。五十を過ぎたあたりで、五人の呼吸まで揃い始めたのがわかった。先輩の声はもう半分嗄れて、それでも名前を呼ぶのをやめない。
百二十で肩が抜け、百五十で腰が抜けた。百七十三――六人目は、仲間の腕の中へ転がり出る。
六つ目の「はい」は、返事というより嗚咽だったが、点呼は点呼だ。
残りの数えは二十七。毛布と晒しは先輩たちに任せて、俺は白い帯を歩いて持ち高を戻しながら、声だけで指示を出す。六人目は毛布の中から、すみません、すみません、と繰り返した。
「謝る先が違います。謝るなら、灯りの卸にどうぞ。あれは同じ月の石を積むから、切れるときは六つ揃って切れる。……次からは、二つの店で三つずつ買ってください」
濡れた笑い声が、六つ重なった。笑えるなら、歩ける。
帰り道、白い帯の上を八人で歩いた。俺の肩には湯の残りと回収した発光筒と毛布の予備で、十三キロ。十キロの線は割っていない。誰かが誰かの肩を支え、捻挫の四人目は交替で背負われていく。基地で湯と手当てを借り、俺はそのまま全員を夜明けの便に乗せた。三十二階は浅い。浅い案件の届け先は、基地の毛布じゃない。家の朝飯だ。
昇降機の中で、六人は誰も喋らなかった。鉄の箱が上がっていく低い唸りだけが響いて、一人がこくりと舟を漕ぎ、隣が慌てて支える。眠れるなら、もう大丈夫だ。
十階ヤードの昇降機が開く。
地上の光が流れ込んで、六人が顔を上げた。朝の音がする。鳥と、市場へ向かう車と、どこかのシャッターの巻き上がる音。夜明けの空は、灰色から薄い水色に変わりかけている。あの色を、俺はずっと、きれいでからっぽの色だと覚えてきた。六人ぶんの泣き声の真ん中で見上げると、同じ色が、少し違うものに見える。
先輩だけが泣くのを我慢して、俺に頭を下げた。
「俺が……俺が、連れて入ったんです」
「六人連れて出たのも、あんたです。名前を呼ぶ声は、灯りになる。……今夜、俺はそれを見ました」
数日後、二十五階基地の掲示板に、拙い字の礼状が貼り出された。連名が六つ。宛て名の欄には、俺の屋号ではなく、こうあった。
『白い道の人へ』。
貼り紙の前で足を止めていたら、通りすがりの古株の探索者に、あんたか、と笑われた。違います、と言いかけて、やめる。屋号より先に、道の名前が独り歩きを始めている。面映ゆいというのは、ああいう心持ちを言うのだろう。
通称というのは、たぶんああいう紙切れから広まるものだ。
その掲示板の前で、診療所の使いが俺を捕まえた。医長の印の押された依頼状。品名の欄に、短く一言。
血液。