「おはよう。」
「おはよう、乾君!」
朝の教室は特に変りもなく、隣の沢木さんが必死に課題に取り組んでいた。
「それって...たしか今日の数学の課題だね。間に合うの?」
「うーん...俺、数学苦手だからさぁ...あ!乾君は分かる?」
「課題は終わらせてるからそれなりに...って本当にやってないんだね。」
沢木君の取り組むプリントはほぼ真っ白だった。
「ここの方程式がさぁ...一回左辺を計算し直すのがホントに手間で...」
あぁ、授業をあまり聞かない沢木君だったらやり方を知らないのかな?
「沢木君、括弧の二乗と普通の括弧の中が同じなのに気づかない?」
「あ、ホントだ...」
「ちょっとペン借りるね。」
彼の持っていたシャーペンを借り、2つの括弧の中を丸で囲う。
「この丸で囲った部分をxで置いてもう一度方程式を書いてみて?」
頷いた彼にペンを返す。
「これで...お、普通の2次方程式になったじゃん!」
「このxの式を解いた後に囲った部分を代入して解けば答えは出るよ。」
「これでできそうだよ乾君!」
沢木君は言われた手順で解いていく。
「随分と教えるのが上手なんですね、乾さん。」
「あ、おはよう氷川君。」
荷物を自分の席に降ろして僕たちのもとにやってくる氷川君。
...そういえば、昨日僕の後をつけていたけど...どうして僕を探るんだろうか?
「おはようございます...それより昨日の...」
「昨日?」
言葉に詰まる氷川君。
おそらく彼は見失ったことからどこへ行ったのかを聞きたいのだろう。
だけど、それだと僕を尾行していたことを肯定することになるんだけどなぁ。
「...料理研究会で作った和食、おいしかったですよね。」
「そうでしょう!」
「さ、沢木さん!?」
課題に取り組むべき沢木君が話に入ってくる。
「実はあの大根はうちでとれた野菜なんですよ!」
「そうだったんですか...それ」
「農薬を使わず、俺が工夫して面倒を見た甲斐があったなぁ~」
おそらく僕に話しかけようとしているのだろうが、沢木さんのペースを崩すなど彼にはできなかった。
「ねぇ、知ってる?」
「また、不可能犯罪だって...」
教室内で聞こえてくる事件の話題。
「...相変わらず絶えないねぇ。」
「仕方ないでしょう、今年に入っての大きな事件ですから...」
うん、それはそう...でも、昨夜の事件の一つは僕だけど...
「ですが、今回の二つのうちの一つの事件はホテルのスタッフ...世間一般としては普通
の社会人です。」
「あれ?不可能犯罪は悪人しか殺さないっていう話はどうしたの?」
「それは所詮、たまたま以前の被害者の共通点がそうだっただけですが...たしか、もう一つの方はある人材派遣会社の社長だったような気がします。」
...それが僕が依頼を受けて裏どりをとった標的。
「そこの会社は結構失業者が多く、良くないうわさはされていましたが...いづれにしても不可能犯罪を起こしている以上、同じ類の人達でしょう...乾さんはどう思いますか?」
「...え?」
氷川君はこちらの方を向いて真っ直ぐ視線を向ける。
「犯人についてですよ。」
犯人...おそらく、従業員の殺害の件も僕の起こした事件と同様に考えているのかもしれない。
「うーん...特に分からないかな?」
「そうですか...」
その後、ホームルームが始まりそうになるので解散する。
...不可能犯罪、と言われているのならおそらく何か特殊な力で人を殺めている。
「インクルシオ」で透明化してカメラの網をすり抜ける。
「ガイアファンデーション」で他人に化ける。
「エクスタス」で人体を瞬時に真っ二つにする。
僕の使う帝具のコピーには特殊な力が...
「帝具」
この世界にそれはあるのだろうか...もしくは流れてきた可能性。
現に僕はこの世界に移ってきた。
僕以外による月の破壊が起こっている以上、この世界に帝具や帝具使いが渡っていてもお
かしくない。
...どちらにしても僕の暗殺に乗じて無関係な人間が殺されるのはごめんだ。
次に事件が起こる前に僕が止めなければ。
「ねぇ、不可能犯罪は悪人だけじゃないの?」
「資産家や社長に犯罪者の後にホテルの従業員よ。前者三つはともかく従業員で殺したく
なる人がいると思うの?」
すれ違う人々が口にする内容はどれも不可能犯罪...それを耳にする男はどこか愉快そうに街を歩く。
「思ったよりも反応が良い...」
(不可能犯罪で騒がせている奴はおそらく...無差別な殺しは嫌うだろう...なら、ここにいる奴らを殺していけば騒ぎを聞いた奴は今すぐこちらに来る。)
背に背負ったギターケースを一瞥しながら辺りを見回す。
「俺のいた国とは違って随分平和ボケしたものだな。」
友人と楽しく話しながらショッピングに向かう女子高生。
日本を楽しみに観光する外国の家族。
取引先に向かう間、スマホで予定を確認するサラリーマン。
社会人にとっては当たり前でスルーものの、この男はそれらを面白そうに観察する。
(楽しそうなガキや何も考えていない馬鹿にいきなり恐怖を叩きつけるのも一興...メインディッシュが来る前の前菜とするか。)
訴えてくる空腹を満たすため、男はファミリーレストランの方へ歩む。
「いらっしゃいま...へ、ヘロォ...ディスウェイプリー」
「日本語で構わない...」
「...は、はい!ご案内しますね。」
男は店員の後に続き、席に着く。
「ご注文が決まりましたら、こちらのベルを流してください。」
店員が去っていくのを横目にメニューを開く。
(ほう...千円未満で食えるものもある...ヨーロッパだとこの三倍といったところか。)
「すいません遅くなりました、こちらお冷になります。」
メニュー表をパラパラと捲る中、店員がグラスを配膳する。
「この中でおすすめは?」
「おすすめ...えーっと...」
店員は困惑を示す。
「...うちはチェーン店ですので...おすすめといったものは特に...」
「困ったな...腹を満たせればなんでもいいのだが。」
店員と男は互いに無言となる。
その時間に耐えられない店員は口を開いた。
「えーっと...でしたらこちらのチーズINハンバーグが比較的推されていますが...」
「でしたら、それを。」
「かしこまりました。」
離れていった店員には目もくれず、昼時の店内を眺める。
「俺の一振りでどれほどのものになるか...」
ギターケースのジッパーをいじくりながら、注文した料理を待つ男であった。
「じゃあまた明日!」
「沢木君また明日。」
下校時間、相も変わらず学生たちにとってはいつものことでしかない。
(「今日騒がせている殺人事件...まぁ、お前たちの言うところの不可能犯罪で本日から一
週間後までお前たちには家に真っ直ぐ帰ってもらうことになる。」)
(「「「えぇ~!?」」」)
そう、おそらくはホテルマンの殺害事件がきっかけだろう...学校側は安全を考慮して早期下校を決めたのだ。
「なぁ、せっかく学校が早く終わったから遊ばね?」
「ばぁか!あたりをよく見ろよ!」
僕と同じように下校をする学生。
彼の向ける目線の延長線上にはパトロール中の警官たちだった。
「俺たち子供は保護者同伴じゃない限り補導されるんだよ。」
「えぇ!?まじかよ...俺たちの青春を奪いやがって...不可能犯罪。」
それもそうだ...本来であればこの時間は学生たちが学校で過ごす時間帯。
今回のホテルの殺人は僕の騒ぎに便乗した誰かによるもの...だけど、僕は暗殺稼業をこの国で生業として多くの人の命を奪ってきた。
その結果として多くの人を不安にして、日常を奪っている。
...恨まれても仕方がない。
不満そうに帰る学生たちの中に紛れ、下校する。
「きゃー!!」
「はぁ、はぁ、はぁ...」
「な、なんだなんだ!?」
遠くから多く人々が駅の方へ逃げるように走る。
彼らの多くが何かに怯えたような表情で息を切らしている。
「なにがあったんですか?」
「斧を持った男が!」
斧....帝具だとしたら一つ心当たりがある。
「俺に話しかけるな!逃げたいんだよ!!」
「あっ!」
僕は突き飛ばされて、これ以上は聞けなかった。
....仕方がない。
今すぐ逃げたいのに引き留められるのはたまったものじゃないだろう。
「!?」
「キャァアア!!」
突如、地面が震えて悲鳴が響き渡る。
「止めなきゃ...」
僕は逃げていく民衆に逆らいながら走り出した。
「ふぅ~...そろそろだな。」
男は注文して届いた食事を完食し、口を拭う。
背負ったギターケースのジッパーを開きながら、伝票片手にレジに向かう。
「お会計ですね。合計913円になります...お支払方法はどうされますか?」
「そうだね...払えるものがないから、君の首をもらおうか。」
「え?」
一瞬、男はギターケースから斧を取り出して振りかざす。
「では、ごちそうさま。」
「お、お客様!?」
踵を返し店を出ていく男を制止しようとする店員だが...
「ッ!?」
ドサッと崩れる音に皆は振り返る。
「ギャァァアア!?」
「うっ!?」
店員の首が男の足元まで転がり込み、胴体はレジの前に横たわる。
日常ではありえない光景に悲鳴を上げるものや嘔吐を催すものが出てくる。
「おいおい...食事する場で吐くんじゃねぇよ!!」
持っていた斧を二挺に分離させ、投じた斧によって店内を破壊しながら複数人の首が飛んでいく。
「あ...あぁ...」
「吐いてないやつまでやっちまったなぁ...まぁいい。」
戻ってきた斧を掴んで笑みを浮かべる男。
出入口を塞がれたことによって逃げることもできず、普段見ることのない流血に震えた
り、ショックで倒れる人々。
「た、助けてくれ!!」
「私はあなたに何をすればいいの!?」
この危機を脱出したい一部が斧を持っているにも関わらず男に縋りつく。
「そうだなぁ...今からこの場の全員が店を出て十秒ほど待ってやる。その後に俺から逃
げるなり警察を呼ぶなりして騒ぎを広げろ。」
男がそう発して、出入口から退いて空席に横たわった瞬間に我先と人々は他者を押し退い
て店を出ていこうとする。
「こ、子供のいる私を!」
「早くしろ!」
「知るか!」
店内にいた数十人が一斉に出ていこうとする関係上、込み合う。
「...はっ、滑稽なこった。」
(ちっ...もう少し数を減らせば良かったか。)
やがてすべての人達が店から出ていき、店内は静寂に包まれる。
(10...9...8...7...)
貧乏ゆすりをしながら斧に顎を乗せる。
(6...5...もういいか。)
「フン!!」
出入口を再び分離させた斧で破壊して店を後にする。
「なんだ!?」
「え?何々?」
外へ出るとスマホを向けて店の周囲に群がる人々と遠くの方に走って逃げていく人々。
(相変わらず危機感がなくて助かるなぁ...この群れから数人やればまた広がるか。)
「ねぇ、あの人斧持ってない?」
「コスプレか何かの撮影?」
呑気に話す彼らは店内での惨状を知らず、ただ傍観する。
そんな彼らに対して、男は再び斧を投じた。
「え...」
「ッ!?」
飛んできた斧によって切り落とされた人たちを見て、群がって傍観していた彼らはフリーズする。
「い、イヤァァアア!!」
「アァァ!?」
目の前の出来事が現実であると理解した彼らは逃げ出す。
「逃げろ逃げろ!そしてもっと騒げ!」
再び投じられた斧は人々をあざ笑うかのようにスレスレで逃げる大衆を通る。
「お...前菜の後のスープといったところか。」
サイレンが遠くから聞こえ、群衆を押しのけるように車が数台こちらに向かう。
また、多くの群衆の逃げていく方向とは別に同じく数台の車両がサイレンを響かせてやってくる。
「日本のポリはどれほどなものか...」
警察車両で男の周囲を囲い、車を盾にして警察官は拳銃を構える。
「止まれ!」
「おいおい...早く来てくれるのはいいが、そんなちゃっちい銃では面白くねぇぞ。」
警告する警官の方へゆっくりと歩き出す。
「止まらんと撃つぞ!」
「止まれ!」
男が斧を振り上げると同時に警官たちは上に向けて威嚇射撃を行う。
「え...」
「高野!?」
突然、一人の警官の胴体に切れ目が生じ、倒れる。
「早く撃ってりゃあいいのに...」
「くっ!撃て!!」
発砲音が響き渡る...こともなく、戻ってきた斧を掴む男。
囲んでいたすべての警官は引き裂かれたことにより、バタバタと転倒する。
「あぁ~.つまんねぇな...早く来いよ不可能犯罪!!」
警察車両の前に来た男は斧を一つに繋げて振り上げ、ボンネットに叩きつける。
中のエンジンルームはバッテリーの液とエンジンの潤滑油が漏れる。
「...まだ、死人が足りないということか?はっ...ならもっと誘ってやるか。」
男の視線は遠くで見ていた群衆に向けられる。
「おい...あんなの警察の手に負えないだろ...」
「ふざけてる...」
市民を守る警官があっという間に殺害される様子は彼らにとってはもはや空想としか思え
ないだろう。
「...おい、こっちに向かってないか?」
「つ、次は私たちなの!?」
自分たちが次の標的だと悟った野次馬は恐怖に染まる。
「フン!!」
再び男は分離させて斧を群衆に向かって投げる。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」
「早くどいて!」
「死にたくない!!」
思わぬ距離から飛んでくる斧は再び誰かの血を求めるように逃げる人々を追いかける。
「きゃっ!?」
「咲!!」
大人たちの逃げる勢いでこけた少女は逃げ遅れてしまう。
母親らしき女性は少女を連れて逃げようとするも、飛んでくる斧の方が明らかに早く着い
てしまう。
「ママァ!」
すぐ目の前の斧に諦めを悟った二人は目を瞑るしかない。
震える体は早く終わらせてくれと訴えるが、瞼を閉じたままの真っ暗な視界のままだっ
た。
「大丈夫か。」
「...だ、れ?」
二人が目を開くと白い甲冑の戦士が少女の目の前に立っていた。