三千万人の夜を背負った少女   作:日向夏 

22 / 23
隊長が数えた子ども

 白丘療養院は、病人を坂道の上へ集めている。

 

 名前どおり白い丘。その頂上に石造りの病棟が七つ。薬草畑、検査塔、記録庫、食堂。どこへ行くにも階段だ。

 

 治す前に足腰を鍛える方針なのかもしれない。

 

「馬車を上まで入れます」

 

 ティアさんが言った。

 私の冗談は板の中に置いたままにした。

 

 硝子港から三日。声は少し戻ったが、一日に十語まで。治療契約へ追加された。十語を値段にすると、一語を無駄遣いできない。

 

「おかえり、ティア」

 

 正門の薬師が手を上げる。

 

「患者六人、うち要精密検査一人。修繕隊の記録閲覧申請があります」

 

 ティアさんは挨拶より先に用件を返した。

 

「ほかの五人は患者じゃないでしょう」

「睡眠不足二、右手捻挫一、慢性腰痛一、耳の補助具調整一」

 

 ロウさん、ノル、レオン、セラさん、たぶん本人も含む。全員患者にされた。

 

「変わらないねえ」

 

 門の薬師は笑い、六枚の受付札を出した。

 ティアさんは療養院育ちだ。帰る場所と働く場所が同じ。そう地図へ書いた。

 

 けれど彼女は建物を懐かしそうに見たりしない。薬品庫の位置、検査塔までの近道、車輪の通れる廊下を順に確認する。

 

 帰る人も、帰る顔をするとは限らないらしい。

 

 受付のあと、ティアさんだけ別室へ呼ばれた。

 

 白髪の主任薬師が、彼女の提出した診療録を机へ並べる。私は廊下の長椅子から見えた。

 

「患者七人の一括声滓。あなたが止められなかった?」

 

「止める指示は出しました。物理的制止はレオン、装置停止はノルとロウ隊長。私は患者一名の分離中でした」

 

「責任を分けているの?」

「行動を分けています。責任は後で検討します」

 

 主任薬師は一度だけ頷いた。

 

「帰ってきた顔じゃないね。まだ現場の顔だ」

 

「患者がいます」

 

 ティアさんは私を見る。

 

「そういうところは、変わらない」

 

 門の薬師と同じ言葉を、今度は笑わずに言われた。

 

 ティアさんは返事をしない。代わりに私の服薬時刻を伝え、検査塔の予約票を受け取った。

 帰る場所でも、仕事が先へ来る人はいる。

 私だけのやり方ではない。

 少し安心したところで、主任薬師がこちらへ来た。

 

「ティアの契約書を読みました」

『守っています』

「守る目的は?」

『治療を受け、任務へ参加するため』

「前半だけでも成立します」

 

 白丘の薬師は、皆同じところを直したがる。

 

『結果として同じです』

「結果が同じなら、任務へ戻れないときも治療を続けられますか」

 

 続ける理由はある。味が戻ればパン屋で働ける。声が戻れば交渉できる。

 戻らなかった場合。

 質問がそこまで含んでいると分かり、板が止まった。

 

「今日は答えなくていい」

 

 主任薬師は逃げ道を残した。

 ティアさんなら、必要な事実として答えを求める。育った場所と本人は、似ているけれど同じではない。

 

 検査塔へ向かう途中、食堂を通った。昼の皿が六つ用意されている。受付時点で人数へ入っていた。

 

 私の皿だけ柔らかいパン、喉を傷めない粥、味覚がなくても腐敗を避けられる個包装。

 

 療養院は患者が役に立つかを確認する前に、食事を数える。

 

 ありがたい、より先に費用が気になった。隊の医療経費だと自分へ説明し、全部食べた。

 私の検査は半日かかった。

 

 味覚は五味すべて反応なし。嗅覚八割。声帯夜晶は右に五粒、左に二粒。黒線は右肩から先へ進んでいない。平常体温三十五度一分。影の遅れ、平均〇・六秒。

 

「影に平均があるんですね」

 

 一語目から七語使った。

 

「今ので七語です」

 

 ティアさんが数える。

 残り三語。

 

『返事は板にします』

「最初からそうしてください」

 

 検査塔の技師は、影の周りへ青い目盛りを置いた。私が手を上げる。影は〇・四秒後。歩く。〇・七秒。急に振り返ると一・二秒。

 

「夜晶が身体の情報を遅らせています」

 

 技師が結果を読む。

 

「通常、影は身体の一部です。遅延が二秒を超えると分離の危険。戻らなければ、本人の記憶と体温を持っていきます」

 

『予防は?』

「夜滓を増やさない。影へ名前を呼びかける。自分の予定を毎日一つ、影と共有する」

 

 最後だけ治療に聞こえない。

 

「予定は身体と影を同じ明日へ結びます」

 

 技師は本気だった。

 濃紺の予定帳が鞄にある。

 まだ一頁も書いていない。

 

『薬では?』

「予定が一番副作用が少ない」

 

 薬のほうが簡単なのに。

 

 ティアさんが検査結果へ署名し、予定療法を治療契約へ追加した。一日一つ、本人の予定を書く。隊の任務では不可。

 

 逃げ道を検査技師と二人で塞がれた。

 

 午後は記録庫へ行く。

 

 白丘療養院には、長夜直後からの患者記録が残っている。白麦院の候補者は、ここを中継して王都の施設へ移されたらしい。

 

 記録庫は丘の中に埋まっていた。温度と湿度が一定で、夜滓を避ける青い石が壁へ入っている。

 

 入口の管理官へ、ロウさんが閲覧申請を出した。

 

「白麦院、影請け候補者移送、十四年前。技術班記録」

 

 管理官は申請書の署名を見る。

 

「あなたの名が、旧記録にもあります」

「分かっている」

「当事者による閲覧は、改変防止の立会いが必要です」

 

「セラ・ユイン記録官、ティア・ベルク薬師。患者本人もいる」

 

 管理官の目が私へ来る。

 

「候補番号は」

 

 板へ『名前はミナ・アルノ』と書く。

 

「旧記録との照合に番号が要ります」

『十九』

 

 書き足す。

 管理官は私の顔を見た。驚きは声に出さず、申請書を持つ指が止まった。

 

「十九番は、記録上――」

「原本を先に」

 

 セラさんが遮る。

 管理官は口を閉じ、青い手袋を六組出した。

 十四年前の箱は、地下三段目にあった。

 箱の表には『白麦院・候補者二十名・第二次移送』。

 二十。

 私は十九だから、後ろに一人いる。

 白い廊下で、番号順に並んだ。前の子の背中。後ろの子の咳。名前は思い出せない。

 

「開けるぞ」

 

 ロウさんが言う。

 頷く。

 封印をセラさんが記録し、管理官が切る。

 中には移送表、健康票、食札、設備図、技術班報告。

 

 健康票は番号順に束ねられていた。

 

 一番、十歳。影請け反応は弱い。洗濯点三十二。

 

 二番、七歳。夜間発熱。掃除点四十一。

 

 三番、十二歳。右脚に古傷。厨房点五十六。

 病状より、働いた点数が大きく書かれている。

 

「この点は?」

 

 ノルが聞く。

 

「白麦院の配給評価です」

 

 管理官が答える。

 

「一日十点で食札一枚。規定は後の箱に」

 

「子どもの病院でしょう」

「登録上は孤児養護施設です」

「治療施設ではないの?」

 

 ノルの問いへ、誰もすぐ答えない。

 

 四番、九歳。歌唱点六十。

 白い廊下の夕方、誰かがよく歌っていた。分灯式の短い歌。声は思い出せるのに顔がない。

 

 五番、六歳。裁縫点十四。泣くと作業停止、減点五。

 

 六番、十三歳。年少者介助点七十八。

 

 七番、八歳。食札譲渡二回、減点二十。

 

「食べ物を人へあげると、減点?」

 

 レオンが紙を見る。

 

「本人の健康管理を乱す行為として」

 

 管理官は規則を読む。

 正しい面もある。子どもが食事を譲れば、止めなくてはいけない。

 ただ、食べ物を取り上げる減点で止めるのは、方法が少し悪い。

 

「少し?」

 

 声が出ていたら言ったかもしれない。板へは書かなかった。

 

 八番、十一歳。移送中死亡。

 

 健康票の最後に、『架台固定中、呼吸停止』。

 ロウさんの作った架台だ。

 彼の手が紙へ伸び、触れる前で止まった。青い手袋の指を握り直す。

 

「原因欄は」

 

 ティアさんが読む。

 

「鎮静薬過量の疑い。投薬者署名なし」

 

 設備だけが原因ではない。

 でもロウさんの顔は戻らない。

 

 九番から十三番。年齢は六歳から十二歳。厨房、掃除、子守、夜警補助。

 

 十四番、白丘返送。

 

「到着していません」

 

 ティアさんが自分の療養院記録と照合する。

 

「返送票の受領印は偽造です。白丘の印は外周に薬草葉が五枚。これは四枚」

 

 育った場所の印を、一目で見分けた。

 

 十五番、八歳。影請け適性、高。

 

 十六番、九歳。高。

 

 十七番、七歳。中。

 

 十八番、十二歳。高。

 

 十九番、八歳。最高。

 厨房点、百四十二。年少者介助、九十。採血協力、四十。夜滓受容、一回につき二十。

 ほかの子より点が多い。

 

「よく働いてますね」

 

 残り三語のうち使った。

レオンの視線が私へ移る。

 

「褒めてない」

「数字の話」

 

 残り一語。

 十四年前の私は、食札を多くもらえたはずだ。自分で全部食べた記憶はない。でも仕事としては上手だった。

 

「夜滓受容が評価項目に入っています」

 

 ティアさんの声が硬い。

 

「医療行為を労働点へ変え、本人の同意を報酬で誘導した」

 

 難しい言い方だ。

 よく我慢したら食べられる。役に立ったら食卓へ呼ばれる。子どもへ分かりやすくしたのだと思う。

 

 ノルが十九番の健康票を裏返した。

 

「二十番がない」

 

 束の最後は十九。移送表には二十人。

 

「健康票ごと消えています」

 

 セラさんが箱の綴じ紐を調べる。

 

「一枚抜かれた跡。紙粉が新しい。十四年前ではなく、最近です」

 

 誰かが私たちより先に、二十番の記録だけ持ち出した。

 

「二十番の子、覚えているか」

 

 レオンが聞く。

 番号列の最後。咳。小さな手が、私の服の裾を持っていたような気がする。

 確かめられる記憶ではない。

 

『後ろに誰かいた。名前は不明』

 

 セラさんは本人記憶として灰色の帳面へ書く。

 名前のない二十人が、少しずつ作業と年齢を持った。

 それでも、生きているかを照合できる名前はない。

 ロウさんは設備図を取った。

 右下に署名がある。

 ロウ・ガルド。

 第八話で見た古い設計図と同じ字だった。

 

「影熱患者移送用安定架」

 

 ノルが表題を読む。

 

「患者を寝かせ、影を下の箱へ固定。移動中の夜滓拡散を防ぐ」

 

 図だけなら、治療道具だ。

 台は二十台。子どもの身長に合わせ、ベルトが五本。手首、足首、胸。影を固定する誘導札には番号。

 

「これを作った」

 

 ロウさんが言った。

 

「十四年前、鐘守庁の技術班で。白麦院から白丘へ、影熱の子どもを移すためだと説明された」

 

 声がいつもより遅い。

 

「実際は?」

 

 今日は残り三語。全部使った。

 

「白丘へ来た記録はない」

 

 ティアさんが移送表を開く。

 

「中継検査の欄が空白です。王都へ直送された」

 

 ロウさんの指が設備図の署名へ乗る。

 

「俺は最初の移送に立ち会った」

 

 レオンが顔を上げる。

 

「白麦院へ行ったのか」

「外庭まで。子ども二十人を数え、架台二十、誘導札二十を確認した」

 

「中は見なかった?」

「権限がないと言われた。見ようとしなかった」

 

 ロウさんは言い訳をしない。第十七話の広場と同じだ。

 

「子どもは歩いていた。病人には見えなかった。一人が、架台へ乗る前にパンを落とした」

 

 視線が私へ来る。

 

「拾おうとして、職員に止められた。十九番だった」

 

 覚えていない。

 

「それが私?」

 

 声を使い切ったので、板へ書く。

 

「欠けた札を握っていた。今のお前と同じ髪だった」

 

 髪は証拠として弱い。でも名札は合う。

 

『拾わなくて正解。床のパンは汚い』

 

 書くと、ロウさんの眉間が深くなった。

 

「お前は、後ろの子へ渡すと言った」

 

 落としたパンを、自分で食べるつもりではなかったらしい。

 

「俺は予備食を出すよう職員へ言った。職員は、移送先で与えると答えた」

 

『与えた記録は?』

「ない」

『なら今後の証言に使えます』

 

 役に立つ部分を拾う。

 ロウさんは私の板を読んでも、設備図から手を離さない。

 

「お前たちを数えた。二十人いると確認した。それで俺の仕事は終わりだと思った」

 

『架台は故障した?』

「していない」

『設計上の問題は?』

「影を固定する時間が長すぎる。今なら作らない。だが移送だけなら機能した」

 

『では子どもの行き先が問題』

「そうだ」

『そちらを調べましょう』

 

 話が進む。

 

「ミナ」

 

 ロウさんが板を押さえた。

 

「俺が謝る話を避けるな」

『謝罪で記録は増えません』

「増やすためじゃない」

『今、必要なのは移送先』

「俺には必要だ」

 

 隊長が自分の必要を言うのは珍しい。

 

 でも私が受け取って、何をすればよいのだろう。許せば設備図が消えるわけではない。怒れば子どもが戻るわけでもない。

 

『何を返せばいいですか』

「返さなくていい」

 

 また値段のないものだ。

 

『では後で』

「後で、いつだ」

 

 レオンと同じ質問をする。

 

『調査後』

「仕事が終わったら聞くのか」

『必要なら』

「お前に必要かを聞いてる」

 

 自分が十四年前に数えられたことを知り、設計者から謝罪を受ける。必要かどうかの分類がない。

 

 役に立つ告白。今は役に立たない告白。

 前者だけ聞けば、作業は進む。

 

『今は移送表』

 

 板へ書く。

 ロウさんは手を離した。

 怒った顔ではない。命令が通じなかったときより、静かだった。

 

 セラさんが灰色の帳面へ、ロウさんの証言と私の回答を両方記録する。

 

 移送表は二十行。

 

 一番、王都第一研究棟。

 

 二番、同。

 

 三番から七番、王都第二研究棟。

 

 八番、移送中死亡。

 

 九番から十三番、第一研究棟。

 

 十四番、白丘返送。けれど白丘側に到着記録なし。

 

 十五番から十八番、朝の器試験棟。

 

 十九番。

 欄の前で、ティアさんの指が止まった。

 二十番は空白。

 

「生存照合をします」

 

 セラさんが別の名簿を出す。

 王都研究棟の閉鎖記録、死亡票、白丘の患者名簿、各町の保護登録。

 

 一番、死亡。

 

 二番、記録断絶。

 

 三番、死亡。

 一人ずつ、青い印を置く。

 記録断絶は生存ではない。死亡確認もない。どこかで名前を変えた可能性はある。

 

 ただ、生きていると現在確認できる印は一つしかつかなかった。

 

 十九番。

 ミナ・アルノ。

 

「二十人のうち、生存確認一名」

 

 セラさんが事実を読む。

 ノルが移送表の名前欄を見る。

 

「番号しかない」

「白麦院の本名簿が必要です」

 

 セラさんが言う。

 

「二十人を番号のまま終わらせません」

 

 レオンは十九の行から目を上げない。

 ティアさんは私の脈を取った。何も言わず、指を置く。

 

『正常?』

「八十四。普段より速いです」

『胸二』

「記録します」

 

 契約どおり報告した。

 

 移送表の十九番へ戻る。

 行き先欄は、王都第一研究棟。

 その横に、赤い印があった。

 

『処理完了』

 

 下へ小さく、二文字。

 

『廃棄』

「間違いですね」

 

 声は使えないので、板へ書いた。

 

『私はここにいます』

 

 誰も返事をしなかった。

 紙の上では、十四年前に捨てられたことになっている。

 なら、今の私は帳簿にない余りだ。

 余りなら、どこへ帰すか決まらないのも当然だった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。