三千万人の夜を背負った少女   作:日向夏 

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一番簡単な子

 映像は、昔を正確に映す。

 少なくとも、記憶よりは正確だ。

 夜晶板を映写器へ入れると、白い壁に八歳の私が現れた。

 

 髪は今より短い。白い作業服。首から十九の札。両手を膝へ置き、椅子へ座っている。

 

『第一回、影熱受容試験』

 

 記録官の声が入る。

 

『対象十九。受容元、対象二』

 

 二番の子が隣の寝台にいた。七歳。熱で頬が赤く、腕へ黒い線。

 映像の私は、その子を見た。

 

「代わります」

 

 はっきり言う。

 

『職員の指示を待ちなさい』

「私のほうが簡単です」

 

 何が簡単なのか、当時の私は説明しなかった。

 

 二番の子は泣いている。職員は薬と拘束具を用意している。私が引き受ければ、道具が少なく済む。

 今なら分かる。

 

「止めろ」

 

 レオンが映写器へ手を伸ばした。

 

『資料です』

 

 板を見せる。

 

「お前が見る必要はない」

『本人確認が必要』

「俺たちが見る」

『私の記憶と照合する』

「思い出さなくていい」

 

 決めるのは私だ、と書こうとした。

 セラさんが先に映写器を止めた。

 

「閲覧を続ける目的を確認します」

『二十人の処置、職員、能力条件。現在の治療と分灯式へ使う』

 

「感情的負担を理解していますか」

『胸三。幻視なし。これは映像』

「数値ではなく、途中で止める権利があると理解していますか」

 

 止めれば資料が欠ける。でも戻って再開もできる。

 

『理解。私が合図したら停止』

 

 セラさんはレオンを見る。

 

「本人が決めます」

 

 レオンの手が映写器から離れた。

 再生する。

 八歳の私は二番の手を取った。

 黒い線が移る。

 小さな腕が震えた。歯を食いしばり、声は出さない。

 職員が言う。

 

「十九番はよい子ですね」

 

 映像の私は笑った。

 

「食札、二枚ですか」

「成功すれば三枚」

 

 笑みが大きくなる。

 賢い。

 三枚あれば二番と六番へ分けても、自分の分が残る。

 

『合理的です』

 

 板へ書く。

 

「八歳の子に言う言葉ではありません」

 

 ティアさんが返す。

 映像の私は影熱を全部受け取った。椅子から落ちる。職員は二番を先に運び、十九番は床へ残った。

 十五秒後、別の職員が来る。

 

「成功です。十九番を隔離室へ」

 

 抱き上げず、毛布へ載せて引く。

 映像が切れた。

 第二回。三番の悪夢。

 第三回。六番の低体温。

 

 第四回。職員の指示前に十九番が手を出す。

 

 第五回から、職員は止めなくなった。

 第十二回、二人分。

 第二十一回、夜喰いの欠片。

 回数が増えるほど、映像の私は説明が上手くなる。

 

「二人まとめたほうが早いです」

「私なら明日も作業できます」

「泣いてないから平気です」

 

 今の私と語彙が似ている。

 教えられた口癖ではない。成功した言い方だけが残った。

 

 第四十二回では、十二番が受容台へ上がろうとした。

 

「十九ばかりはずるい」

 

 食札を多くもらえるからだ。

 

 職員は十二番を下ろし、適性が足りないと説明した。十二番は泣いた。夜滓が怖いのではなく、役に立つ仕事を断られた顔だった。

 

 映像の私は、自分の食札を一枚渡す。

 

「これで同じ」

 

 職員は食札譲渡として二人を減点した。

 

『制度設計が悪い』

 

 板へ書く。

 

「そこは分かるのか」

 

 レオンが聞く。

 

『競争させると、適性のない子まで危険を選ぶ』

 

「適性があれば選ばせていい?」

『安全基準が必要』

「子どもだ」

 

 話が合わない。

 

 第四十九回。六番が十九の袖を縫っている。夜滓で裂けた場所。赤い糸。

 

「次はやめて」

 

 六番が言う。

 

「食札がいるでしょう」

「粥を半分にする」

「お腹が空くよ」

 

 映像の私は笑い、縫い終えた袖で六番の頭を撫でた。

 

「私のほうが簡単だから」

 

 エルネストの言葉を、もう自分で使っている。

 六番は納得しない。でも実験の日、毎回袖を直した。

 今の赤い配達鞄へ入れた糸は、その余りだった。

 

 第五十三回。二番が食札を床へ投げた。

 

「これがあるからミナが行く」

 

 職員は反抗として西端へ連れていく。

 映像の私は受容台から降りようとした。拘束帯をつけられていて動けない。

 

「二番は悪くないです」

「試験へ集中しなさい」

「私がやるって言いました」

「だから二番には関係ありません」

 

 職員の説明は、私の今の理屈に似ていた。

 私が選んだ。ほかの人は無事。なら問題ない。

 でも二番は泣き、六番は袖を縫い、十二番は役に立てないと傷ついた。

 選んだ人だけの損失ではなかった。

 

『現在の周囲反応と同型』

 

 セラさんが青い帳面へ書く。

 

『それは解釈では?』

「観察です。二番の食札投棄、六番の制止、十二番の競争。現在はレオンさんの制止、ノルさんの贈与拒否、ティアさんの契約」

 

 並べられる。

 

『私は八歳ではない』

「年齢は違います」

『判断材料も増えた』

「同じ言葉を使っています」

 

 紙に残ると、十四年の差が縮む。

 第三十八回で、映像の端に若い男が入った。

 金髪。鐘守庁の白衣。胸へ技術監督章。

 

「一人へ集めれば、管理できる」

 

 男が言う。

 

「十九番は自発的です」

 

 院長が答える。

 

「自発性を失わせるな。褒め、選ばせ、成功をほかの子へ見せる」

 

 声に聞き覚えがあった。

 候補者移送命令。黒い封筒。まだ会ったことはない。

 ロウさんの顔が変わる。

 

「エルネスト・ヴァン」

 

 現鐘守庁長官。

 映像の彼は二十代後半。八歳の私の前へしゃがむ。

 

「君は皆を助けたいですか」

「はい」

「痛くても?」

「我慢できます」

「皆に必要とされたい?」

 

 映像の私が一瞬止まった。

 

「はい」

 

 今より正直だった。

 

「なら、君は一番簡単な子です」

 

 褒められたと思い、笑う。

 壁の前にいる誰も動かなかった。

 

『意味は?』

 

 板へ書く。

 

「説得が簡単という意味だ」

 

 ロウさんが答える。

 

「拘束も脅迫も要らない。ほかの子を助けられると言えば、自分から受ける」

 

『道具が少なくて済む』

「人を道具の数で評価するな」

 

 隊長の声が強い。

 

『当時の運用意図を確認しただけ』

 

 板へ書く手が震えた。

 胸四。

 

『胸四。続行希望』

 

 ティアさんが脈を取る。九十二。

 

「十分休憩。その後、再判断」

 

 映像が止まる。

 壁の八歳も止まった。

 笑顔のまま。

 

 休憩のため、全員が記録室を出た。

 私は温石を替え、水を飲む。味はない。喉の夜晶が一度鳴り、影の中で知らない歌が重なった。

 

『歌七。胸四。影遅延一秒』

 

 報告する。

 

「二秒が中止基準です。今は休憩延長を勧めます」

 

 ティアさんは命令ではなく勧める。

 

『十五分』

「三十分」

『二十』

「二十五」

 

 間を取る。

 

 レオンは壁際へ立ち、私の板を見ていない。映像を止めようとして、セラさんに本人が決めると言われた。腕力で止めない代わりに、話さなくなった。

 

『怒ってる?』

 

 板を向ける。

 

「怒ってる」

『映像の職員へ?』

「お前にも」

『八歳の私へ?』

「今のお前だ」

 

 理由を待つ。

 

「泣いていたのを、画質のせいにした」

『縦傷はあります』

「泣いても成功したから関係ないと思っただろ」

 

 顔で読まれた。

 

『結果の検証です』

「痛みも結果だ」

 

 ティアさんと同じことを言う。

 

『数値がない』

「映ってる」

 

 壁の白い筋。頬の水。震える肩。

 

「八歳のお前が、今のお前より正直に泣いてる」

 

 言葉が胸へ当たる。

 

『今は泣くほどではない』

「比べるな」

 

 レオンはそれだけ言い、廊下の反対側へ行った。

 ノルが隣へ座る。

 

「六番の赤い糸、僕の工具箱と同じですか」

 

 頷く。

 

「返します」

『貸してる』

「六番からもらったものを、僕へくれたんでしょう」

 

『余り。道具の目印にちょうどいい』

「余りじゃない」

 

 ノルは工具箱から糸を解かなかった。

 

「今は借ります。でも一年後、返す予定は書いてください」

 

 予定帳を指す。

 味方が増えている。

 

『検知灯完成後に返却』

「僕の仕事の予定じゃなくて、一年後」

『同じ頃』

「じゃあ、一年後に返す」

 

 ノルが私の帳面へは書かず、自分の工具箱の蓋へ刻んだ。

 

『一年後、ミナへ赤い糸を返す』

 

 本人の予定だから、私が消せない。

 セラさんは休憩中、映像の閲覧条件を紙へまとめた。

 一、ミナ本人の停止合図を優先。

 二、胸痛五、影遅延二秒、幻視二回で医療中止。

 三、映像原本を一人で閲覧しない。

 四、解釈と観察を分ける。

 五、映像の子どもを番号だけで記録しない。分かる呼び名を併記。

 

『同意』

 

 署名する。

 ルールがあれば見られる。

 職員が決めた規則ではなく、自分も条件を加えられる。白麦院とはそこが違う。

 

 二十五分後、記録室へ戻った。

 レオンが映写器と私の間へ立つ。

 

「見なくていい」

 

 今日は二度目だ。

 

『見れば、今の長官が何を知っているか分かる』

 

「俺が見る」

『私への質問の意味は私が分かる』

「分からなくていい」

『私の記録です』

「だからだ」

 

 レオンの手は私へ触れない。映写器の前からも動かない。

 

『止める権利が私にあるなら、見る権利もある』

 

 セラさんが頷いた。

 

「あります。ただし一人で見ない条件を提案します」

 

『全員います』

「今だけでなく、後日も」

『同意』

 

 レオンはすぐには退かなかった。

 

「一人で見直すな」

『約束します』

 

 契約へ足す。

 十分後、再生を続けた。

 

 第六十回。十九番は泣いていた。

 映像が乱れ、顔に白い筋が入っている。

 

『画質不良』

 

 板へ書く。

 

「涙です」

 

 ティアさん。

 

『映像の縦傷もある』

「瞬きのたび、頬が濡れています」

『声は出してない』

「泣いています」

 

 認めると何が変わるのだろう。

 実験は成功した。六番の影熱は下がった。私も三日後には起きた。

 泣いたかどうかは結果へ関係ない。

 

『続けて』

 

 第六十一回。第七十回。第九十回。

 十九番は泣かなくなった。

 上手になったのだと思う。

 

 第百回のあと、隔離室の記録へ切り替わる。

 寝台に八歳の私。

 

 一日目、訪問者なし。

 

 二日目、職員が水と薬を入口へ置く。意識確認なし。

 

 三日目、子どもが扉の外へ集まる。

 職員ではない。

 二番、六番、十二番。ほかの子もいる。

 手形の呼び名と照合する。

 二番はトト。六番はリィ。十二番は、うた。

 歌い始めたのは、うただった。

 

 職員の分灯式資料から覚えたのではない。第四回の映像で、夜滓を取られたあと十九番が口ずさんでいる。私がどこかで聞き、子どもへ渡したらしい。

 

 百の明日を百に返せ。

 子どもは二十人しかいない。それでも、ひとりへ盛るなという部分を歌った。

 

 八歳の私だけが共同式を知らなかったわけではない。知っていても、大人が使わせなかった。

 

『分灯式は子ども間で伝承。エルネストは単独受容を優先』

 

 セラさんが記録する。

 

『理由は成功率』

 

 私が補う。

 

「それだけではありません」

 

 ロウさんが映像の実験表を示す。

 

「分灯式は百人の同意が要る。単独受容は、十九番一人へ『皆を助けたいか』と聞けば済む」

 

 一番簡単な子。

 能力ではなく、同意を取る人数の話でもあった。

 

『今は百人で成功した』

「だから長官は停止命令を出した」

 

 ロウさんの指が若いエルネストの顔を指す。

 

「安全性だけでなく、管理方法を崩すからだ」

 

 雨樋町の百人は、自分で危険を聞き、赤札で辞退し、予定を一つずつ出した。

 私一人へ聞くより、時間も手間もかかった。

 でも誰も三日間、隔離室へ置かれなかった。

 

『誰も来なかったわけではない』

 

 板へ書く。

 レオンが読む。

 

「職員は来なかった」

『子どもが来た』

「お前は覚えてたか」

 

 覚えていない。

 

『今、知った』

 

 それで十分だ。

 

 第百四十七回。

 

 最後の映像。

 エルネストが院長へ移送命令を渡す。

 

「十九番を第一研究棟へ。朝の器、主候補」

 

「本人には?」

「皆を助ける仕事だと説明しなさい」

 

 映像の私が扉の外にいる。

 聞いている。

 逃げたのは、その夜だった。

 よい子だった私が、初めて仕事を断った。

 映像はそこで終わる。

 

箱の底に、三日前の追跡票。

 

紙は新しい。王都の鐘守庁で使う青い透かし。欄は、所在、身体変化、対人関係、代替儀式、移送可能性。

 

身体変化には、味覚消失、両声帯夜晶、黒線右肩、影遅延〇・六秒。

白丘で半日前に測った数字まである。

 

『誰が送った?』

 

板へ書く。

 

「検査塔の結果は、中央医療台帳へ自動転記されます」

 

ティアさんが用紙番号を照合する。

 

「候補者指定が残っていれば、長官権限で閲覧可能です」

 

『では内通者なし。仕組みの問題』

「安心するところではない」

 

レオンが追跡票を私から離した。

 

『人を疑うより修正しやすい』

「お前の症状が、本人より先に長官へ届いてる」

 

『今、知った』

「そういう問題だ」

 

また話が合わない。

 

対人関係欄には、もっと細かい。

 

『護衛レオン――制止強化。薬師ティア――治療契約。記録官セラ――本人説明を分離。見習いノル――技術代替。隊長ロウ――過去関与により命令権不安定』

 

私だけでなく、皆が観察されている。

 

『マルタ・アルノ――家族化による候補離脱要因』

 

親方まで。

 

「人の関係を、装置の部品みたいに書いてる」

 

ノルが言った。

 

『修繕には状態把握が必要』

「人は修繕機じゃないです」

 

十二歳に止められた。

 

代替儀式欄。

 

『雨樋町分灯式、成功。候補十九は単独受容を提案するも周囲が拒否。本人の自己犠牲傾向は維持され、再利用可能』

 

維持。

今の私は、八歳から変わっていないと評価されている。

 

『実際、提案しました』

「だから正しい記録だと思うのか」

 

ロウさんが聞く。

 

『事実は合ってる』

「最後の評価は、長官に都合のいい解釈だ」

 

『再利用できるかは未確認』

「確認させるな」

 

レオンの声が強い。

 

『王都で会えば、目的を聞けます』

「お前を使う目的だ」

『分灯式を止める理由も聞く』

「仕事の質問へ変えるな」

 

変えていない。王都面談は最初から旅程にある。

 

ただ、長官が私を一番簡単な子だと思っているなら、話はしやすい。相手が予測している答えが分かる。

 皆を助けたいか。

 必要とされたいか。

 答えは、はい。

 その先で何を選ばせるつもりか、先に確認すればよい。

 

『王都へ行きます』

 

 板へ書いた。

 ロウさんはすぐ頷かなかった。

 

「行くかどうかを、隊で決める」

『本人の選択は?』

「材料を全部そろえてから聞く」

 

 私を置いて決めるとは言わなかった。白麦院とは違う。

 でも材料をそろえている間にも、大夜蝕は近づく。

 

『候補十九、麦環市で再確認。自己犠牲傾向、維持。分灯式による代替案へ接触。王都移送を急ぐ』

 

 署名、エルネスト・ヴァン。

 私が一番簡単な子かどうか、今も確認されている。

 

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