夜滓の中で子どもを数える。
番号ではなく、名前で。
一番、トーマ・ベク。
二番、トーマス・ルウ。呼び名はトト。
三番、エナ・ポル。ちび。
四番、サリ・オルド。うたの姉。
五番、ネネ・ハス。ナナ。
六番、リリア・エム。リィ。
七番、ハルク・ジン。ハル。
八番、アト・クレイ。あにき。
トーマ・ベクは、呼び名がない。
白麦院で一番とだけ呼ばれ、子ども同士でも名前を知る前に移送された。
『呼ばれたい名前は』
左手で板へ書く。
『トーマ』
声が答える。
『では、トーマ』
名をもう一度書く。波形の輪郭が、番号札ではなく丸い頬を持つ。
トトは、自分の本名をトーマと勘違いしていた。二人の音が似ている。
『トーマス・ルウ』
『長い』
『トトも併記』
『それならいい』
本人の希望を記録する。
三番のエナは「ちび」を嫌がらない。誰より小さかったが、狭い床下へ入って食札を拾う係だった。
『今は名前で』
『ちびも残す』
失礼な呼び名でも、子ども同士でもらった物なら本人が選ぶ。
四番のサリは、うたの姉。十二番サーニャと血縁ではない。夜に歌を教えたから姉。
『姉だけ先に呼ばないで。うたも』
『十二番の順番まで待つ?』
『一緒』
二つの波形を並べる。番号順の工程から外れるが、本人たちの関係を優先。
五番ネネは、自分をナナと呼ぶ。幼い舌で言えなかった音が、そのまま残った。
六番リリアは、赤い糸を私へ渡した子。私の袖を縫い、食札を半分にした。
『赤い糸は、ノルが持っています』
『だれ』
『工具を直す子。十二歳』
『使った?』
『扉を外しました』
リリアの影が笑ったように波打つ。赤い糸が形見でなく、十二年後の扉を開けた。
七番ハルクは、三日で戻ると言われ、末梢壊死になった子。指先の影が欠けている。
『痛い?』
『もう分からない』
私の右手と同じ。
『記録へ残します』
『記録で指、戻る?』
戻らない。
『戻りません。処置をした人の責任を確認できます』
『じゃあ、残す』
安心語を使わず、役に立つ範囲だけを伝える。
八番アトは、移送中死亡と書かれた「あにき」。年下の子を床の固定環からかばった。
『移送中、何が』
『息、なかった。ロウって人、怒ってた』
ロウさんは現地試験で初めて子どもを見た。増床を求めた夜、アトはすでに苦しかったのかもしれない。
『あとで本人へ伝えます』
『怒ってる?』
『右手を焼いて、追ってきています』
『変な大人』
その評価も記録する。
子どもの声は、被害だけではない。呼ばれ方、嫌いな物、ほかの子との関係、変な大人への感想。
集合夜滓では不要とされた情報が、名前をつけると戻る。
夜滓の声が一つずつ、黒い槽の中で位置を持つ。
名前を呼ぶと、輪郭が子どもの形へ戻る。職員の命令、処置の痛み、食札の点数が声から薄くなる。
私は左手で名簿を作る。
九番、ミオ・ファル。
十番、カル・デナ。
十一番、レミ・トゥス。
十二番、サーニャ・ベル。うた。
十三番、イヴォ・ネス。
十四番、ララ・コーン。
十五番、ゲン・ロア。
十六番、メリ・フェン。
十七番、キト・アシャ。
十八番、ニア・ルウ。
九番から十八番の声は、最初は小さい。
白麦院の記録でも欠損が多い。家族欄に村名だけ、正式名に綴り違い、死亡欄に日付なし。
『名簿と違うところを教えて』
十人へ一度に板を向ける。
カル・デナは、自分の姓がディナだと言う。役所の綴りが違う。
レミ・トゥスは、ねぼすけではなく、夜滓処置のあと起きられなかっただけ。呼び名を残さない選択。
イヴォ・ネスの家族欄は「北村」ではなく「北森村」。一文字で捜索先が変わる。
ララ・コーンは、姉が面会へ三回来たと言う。面会記録庫の拒否票と照合できる。
ゲン・ロアは、移送時にアトの隣。死亡時刻を覚えている。
メリ・フェンは正式名より「めり」を残す。
キト・アシャは、きいと呼ばれた理由を知らないが、嫌ではない。
ニア・ルウは呼び名なし。トーマと同じで、名前を呼ばれたかった。
ミオ・ファルは何も訂正しない。
『合っている?』
『分からない。字を教わってない』
本人でも、公文書の誤りを確認できない場合がある。
『では、今は両方残す。家族記録と照合後に本人が選ぶ』
セラさんがいればそうする。
集合量として処理すれば、綴りも呼び名も不要だった。個人へ戻すと、不明のまま残す欄が必要になる。
分からないことを、分かった形にしない。
私自身の恐怖にも使える方法かもしれない。
白麦院の本名簿はセラさんが持っている。私は第27話で読んだ。一度しか見ていない名前も、声が名乗ると文字へつながった。
十九番は最後にする。
二十番、ユリオ・セル。
二十歳の影は、候補児の輪から少し離れている。右手に保守鍵。第一鐘補助工の上着。胸へ古い傷。
『本物?』
板へ書く。
『影だけ』
ユリオの声が答える。
『身体は?』
『分からない。七年前、ここから逃げた。影は残った』
第一鐘から身体だけ逃げ、影経路を切れなかった。私と逆だ。私は身体がここにあり、影が固定された。
『どこへ』
『南へ。母さんを探した』
『見つけた?』
ユリオの影が黙る。
答えを持たないのか、言いたくないのか。私は問いを重ねず、確認行動へ進む。
『最後の住所は王都南区。死亡届なし。あとで一緒に調べる』
あとで。
自分を含む予定を書いた。
契約印が少し熱くなる。拒否はしない。帰還ではなく、調査だからかもしれない。
『おねえちゃん、足、まだ泣いてる』
ユリオが言う。
『今は心臓です』
訂正する。
『同じ』
三歳のころから、弟は身体の言葉を私より正確に読む。
受容槽の外では、技師が夜滓を集合量で報告する。
「流入一万二千。影安定率七十一。適合者心拍補助六十」
一万二千の中に、二十人の声。夜滓一単位あたり何人の記憶があるかは分からない。全国分が開けば、もっと増える。
エルネスト長官が槽の縁へ来る。
「幻聴が増えましたか」
『候補児二十人。ユリオは七年前の情報を保持』
「夜滓による記憶再生です」
『私の知らない姿と刻字』
「追跡票を無意識に見た可能性」
『検証します』
幻聴と決めれば、二十人を処理対象へ戻せる。実在と決めれば、救出方法が必要。今は両方として記録する。
セラさんの二冊を真似る。
『本人説明:候補児の声。観察事実:夜滓内に個別反応二十、呼名で波形分離』
技師が測定器を見る。
「本当だ。集合波形が二十一へ分かれています」
二十一。
子ども二十と、私の影。
「個別に切り離せる可能性」
『実施』
「全路開放前に試験します」
長官は反対しなかった。計画の成功率が上がるなら、個人化も採用する。
技師が第一の波形へ名前札をつける。トーマ・ベク。夜滓量が三百から二十へ下がる。名前のない記憶が集合量へ膨らんでいた。
二番、トーマス・ルウ。
三番、エナ・ポル。
一人ずつ名札をつけるほど、受容槽の圧力が下がる。
名を取り戻す作業が、安全対策になる。
遠くで衝撃音。
中枢東側の保守扉。五人が着いたのか。
通信器へ受信。
『外周封鎖を突破。中枢経路不明。セラより質問。ミナが危険時に選ぶ道は』
ロウさんの通信札。
中枢へ来る道を、彼らは知らない。第一鐘の図面は鐘守庁機密。封鎖路が十二、偽扉が六。
セラさんは二冊の帳簿から、私の行動を逆算しているらしい。
『最短、安全設備がある、ほかの人を避ける』
返信する。
すぐ受信。
『本人説明どおりなら西医療路。観察事実では?』
私が実際に選ぶ道。
声が一番速い。影だけなら禁止線の外。患者十二と自分一。逆螺子。候補者本人を王都へ運ぶ方向。
『人が少なく、失敗時に一人で処理できる道』
『東廃棄路』
セラさんの答え。
正しい。中枢の東には、器損壊時に適合者ごと封印する退避路がある。私が選ぶなら、医療者を巻き込まない東。
帳簿の嘘が、道案内になった。
長官が通信を切ろうとする。
「五名は仮契約の保護対象です。中枢へ入れられません」
『本人たちは保護を拒否』
「契約条件は本人の拒否で失効しない」
『私が追加条件を改変』
「正式発効前なら三者同意。現在は予備接続中。改変は全路停止を伴う」
また出口が輪になる。
『中枢外窓まで。接続作業へ参加させない』
「面会なら契約外」
言葉を変えると通った。
東廃棄路の外窓を開く許可が出る。防夜硝子で隔てられ、物理接触はできない。姿と筆談は見える。
到着予測七分。
私は候補児の名札作業へ戻る。
九番。ミオ・ファル。呼び名は、こま。
十番。カル・デナ。せんせい。
十一番。レミ・トゥス。ねぼすけ。
十三番。イヴォ・ネス。いし。
十四番。ララ・コーン。おさげ。
十五番。ゲン・ロア。はやし。
十六番。メリ・フェン。めり。
十七番。キト・アシャ。きい。
十八番。ニア・ルウ。なし。
正式名が空欄だった子にも、呼び名がある。家族欄へ村名だけの子も、声の癖がある。
数えるほど、心拍が落ち着く。
一、二、休み、だった鐘周期が、一、二、三へ近づく。夜滓の集合圧も下がる。
最後、十九番。
名札が二枚ある。
ミナ・セル。
ミナ・アルノ。
どちらも同じ大きさ。レオンが直した札の写し。
自分の影へつければ、二十一の波形が全部個別になる。
手が止まる。
先にユリオ。候補児。最後に私。順番としては正しい。
十九番を最後へ送る癖は、食事の人数だけではなかった。
『二十番を先に』
技師へ渡す。
ユリオ・セルの名札が波形へつく。
影が子どもと大人の二重から、二十歳の一人へ戻る。
『身体の位置を追跡できますか』
「影経路から逆算。生体反応があれば」
測定器が南を指す。
「微弱。王都南区地下。距離三・二キロ」
生きている。
断定はできない。生体反応は別人かもしれない。けれど確認行動へ進める。
『救助班を』
長官が命じる。
「南区地下旧保守房。候補名ユリオ・セル。拘束せず、本人同意で搬送」
私の追加条件まで守る。
あとで一緒に調べる予定が、先に動き始めた。
十九番の名札はまだ手元。
外窓に人影。
最初にノル。工具で窓枠の外板を外し、覗き込む。次にロウさん、右手包帯。ティアさんは薬箱、セラさんは灰色の帳面、レオンは最後。
五人。
私は数える。
ロウ、ティア、セラ、ノル、レオン。
五人で合っている。
ロウさんが硝子へ左手をつく。右手の包帯は、解除試験のあとより厚い。
『封印鍵』
板へ書く。
彼は左手を出す。返せ、の形。
赤い鞄から鍵を取り、書類投入口へ入れる。契約印が反応し、途中で止まった。金属は通さない設計。
『王都到着後に返却、と書きました』
ロウさんは口だけで答える。硝子越しで音は届かない。セラさんが読唇して板へ写す。
『到着ではなく、合流後だ』
条件が違ったらしい。
ノルが投入口の金属枠を外し、鍵が通る幅へ広げる。返却。ロウさんは受け取った鍵を腰へ戻さず、床へ置いた。
『また必要なら、本人が取れる位置』
セラさんの訳。
盗まれる前提の管理はよくない。でも出口を完全に塞がない選択らしい。
ティアさんは薬瓶を硝子へ並べた。溶解薬、心拍調整、鎮痛、導入路抑制。私が持ってきた残二回より多い。
『投入口から入れます』
技師へ頼む。
「医療物品は滅菌筒から。本人への投与は中枢医療班が判断」
長官が答える。
ティアさんは同意書を求める札を出した。
『本人が選んだ中鎮痛。心拍補助値。夜晶進行。全部見せて』
医療班が記録を窓へ表示する。
ティアさんは一項ずつ読み、二箇所へ赤い印。心拍補助が高すぎて肺負担、溶解薬が少ない。
『患者へ説明』
彼女の札。
医療班が私へ選択肢を示す。心拍を下げて肺を守るか、現在値で意識を優先するか。
『肺を守る。意識低下時は筆談不能』
選ぶ。
ティアさんは硝子の外で頷かない。正解を褒めず、次の薬量を見る。治療を選べたこと自体を記録する。
ノルは赤い糸の工具を掲げる。
『返す』
窓へ大書き。
『今は分灯器修理に必要』
『返して、また借りる』
往復させると決めたらしい。
『窓を壊す用途にも使いました』
『壊してない。枠を外した』
細かい違いを訂正する。機械屋だ。
レオンは何も持っていない。予定帳は白丘の枕下なので、手元にはない。代わりに自分の帰還図を窓へ貼る。
白丘から王都、王都から麦環市。六本の線。
私の線だけ、第一鐘中枢で止まっている。その先を彼は空白にした。
前なら勝手に麦環市へ伸ばしたかもしれない。今は本人が選ぶ欄として残している。
『帰りたい、と通信しました』
私は板へ書く。
『知ってる』
彼は短く返す。
『実行可能性は未定』
『別でいい』
同じやり取り。
ロウさんが、東廃棄路の開閉盤を調べている。命令で開けず、出口がいつ使えるか技師へ質問。ティアさんは治療記録。ノルは投入口。セラさんは板。レオンは帰還図。
五人が、それぞれの方法で出口を増やしている。
私は受容槽の中で、名前を増やす。
作業は違っても、方向は同じなのかもしれない。
セラさんが筆談板を上げる。
『音声記録から時刻特定。発声時の血液反応が第一鐘へ移動。席取りの冗談から影が先行すると判断。帰還名簿の空欄から、本人が東廃棄路を選ぶと推定』
嘘と冗談が全部、追跡情報へ変わった。
私は板を返す。
『面会のみ許可。中枢作業への参加は禁止』
ノルが『やだ』と大きく書く。
ロウさんは命令書を出さない。ティアさんは薬量を見せる。レオンは硝子の出口側を調べる。
セラさんだけが、別の板を取り出した。
私の筆談板と同じ大きさ。第26話で、声を失っても真似ればよいと軽く言った道具。
彼女は外窓の投入口を開ける。書類一枚だけ通す小さな筒。
板は通らない。
ノルが外枠を外す。セラさんが板を横にし、投入口へ押し込む。角が削れ、補助銀具が一つ外れる。
記録道具を壊してでも、こちらへ送る。
板が中枢床へ落ちた。
表に、一行。
『六人目を忘れている』