三千万人の夜を背負った少女   作:日向夏 

45 / 50
信じた人の傷

『六人目を忘れている』

 

 セラさんの板を拾う。

 補助銀具が外れ、角が削れている。文字は読める。

 ロウ、ティア、セラ、ノル、レオン。

 五人。

 六人目は私。

 数としては分かる。中枢の内側と外側に分かれているので、作業班として数えなかっただけだ。

 

『別班です』

 

 板へ返す。

 セラさんは新しい紙を外窓へ貼った。

 

『そうやって、自分だけ別の単位にする』

 

 ノルが窓枠の最後の金具を外す。防夜硝子は残したまま、東廃棄路の操作線へ手を入れられる隙間ができる。

 

「何をしている」

 

 エルネスト長官が止める。

 

「面会許可の範囲です」

 

 ノルは答えた。声は硝子越しに通信器が拾う。

 

「窓を分解することは含まれません」

「壊してない。戻せます」

 

 前にも聞いた。

 ロウさんは封印鍵を操作盤へ入れる。

 

「東出口を開く」

「仮契約条件に反する」

「本人の退路を増やす。接続作業へ参加しない」

 

「退出すれば受容が中断します」

「だから本人へ選ばせる」

 

 長官の眉が初めて動く。

 

「ミナさんは、すでに選んだ」

「条項を隠される前にな」

「隠した責任は認めた。選択自体は彼女も自分のものだと明言した」

 

 正しい。

 

『私の選択です』

 

 書く。

 レオンが外窓へ近づく。

 

「俺たちへ、嘘をついた選択も?」

『止められると予測しました』

「選択肢を一つ消した」

『予備計画を残しました』

「お前を残す計画は消した」

 

 話が戻る。

 ティアさんが治療記録を窓へ映す。

 

「署名時、発熱、鎮痛薬、出血、影分離。即時開始条項は非表示。医療上、有効な同意とは認めない」

 

「契約院は判断能力を認定した」

 

 長官。

 

「他人の条件を正確に書けることと、自分の損失を評価できることは別」

 

「本人の自己評価を、病理として無効にするのですか」

 

「無効にしない。選び直す材料を全部見せる」

 

 ティアさんは薬の選択肢を三つ、退出後の予測を二つ、残留時の損失を四つ並べる。

 

「出るなら、影切断を三段階。声は戻らない可能性七割、右手五割、心肺損傷三割。残るなら、全路開放後の生存予測不能」

 

 数字がある。

 

「どちらを選んでも治療する。言うことを聞いたら、ではない」

 

 契約を守る報酬としての治療ではない。

 セラさんは灰色の帳面を出す。二冊ではなく、ばらした頁を一枚ずつ。

 

「本人説明を信じた結果」

 

 第3話。三日寝れば。レオンと市警が店への報告を遅らせた。

 第15話。手順通り。ロウさんが結果を認め、次の任務参加を許した。

 第19話。一回だけ。ティアさんと声滓患者が止め切れなかった。

 第31話。命令受領。任務外の形で吸収した。

 

「信じた側の選択も記録する」

 

 セラさんは頁の横へ、五人それぞれの署名を置く。

 

「あなたの嘘だけを罪証にしない。私たちは、都合のよい言葉を採用した」

 

『では責任は分担済みです』

「責任を分けても、傷は消えない」

 

 記録で処理できない物がある。

 ノルは赤い糸の工具を窓へ置く。

 

「返す」

『分灯器修理に使って』

「返して、また借りる」

『手間が増えます』

「増やす」

 

 わざと。

 

「僕が返すたび、ミナが受け取る。借りるたび、ミナが渡す。何回でも」

 

 物を往復させるため、二人とも必要になる。

 

「形見にしない方法、それ」

 

 工具を受け取るには、防夜硝子を開ける必要がある。

 ロウさんは、焼けた右手の包帯を外した。

 黒い傷が手の甲から指へ走る。解除試験で結界を受けた痕。まだ握れない。

 

「お前が第三鐘で二千単位を吸ったとき、俺は命令違反だと怒った」

 

『事実です』

「解除試験では、お前が危険だと止めた。俺は二千を吸った奴が言うなと退けた」

 

 覚えている。

 

「結果、この手だ」

『治療で回復見込み』

「それを聞いて、軽いと思うか」

『結界杖を右手で持てません』

「仕事の損失だけじゃない。痛い」

 

 ロウさんは自分の傷へ、痛い、と言った。

 

「お前の忠告を信じなかった傷だ。だが、信じて解除をやめていれば、契約の仕掛けを知らなかった。どちらを選んでも傷は残る」

 

『最善判断は情報時点で』

「正解へ閉じるな。俺が今も痛いことを、結果で消すな」

 

 言葉の届き方が少し分かる。

 私が「問題ない」と言うたび、周囲は傷を評価する権利を失う。本人が軽いと言えば、止める側は大げさになる。

 ティアさんは自分の治療契約を破った。

 紙を二つに裂くのではなく、署名欄の上へ赤い線を引く。

 

「症状報告、能力禁止、単独行動禁止。必要な条項だった。でも、これを守れば使う、破れば使わないという関係になった」

 

『治療安全の条件です』

「治療する条件にはしない」

 

 新しい紙を窓へ貼る。

 

『情報提供は義務。治療を受けるかは本人。違反時も治療継続。任務可否は別判断』

 

「あなたがまた隠しても、私は治療する。怒っても、薬を置く」

 

『契約の強制力が下がります』

「下げる。あなたが罰を避けるため報告するのと、自分の損失を知るため報告するのは違う」

 

 使わない、と言われた第20話。私は役割停止だと受け取った。ティアさんは、患者を使わないという境界を作った。

 

「言葉を選び損ねた。だから今度は、選択肢を紙に全部出す」

 

 薬を三種並べた行動が、その訂正。

 セラさんは二冊の帳面から、同じ日付の頁を外す。

 本人説明と観察事実。二つを一枚の左右へ貼った。

 

「分けたことで見えた。分けたことで、あなたの言葉を低い棚へ置いた」

 

『事実と説明は別です』

「別だけど、上下ではない」

 

 本人説明を左、観察事実を右。中央へ第三欄。

 

『本人が後から選んだ意味』

「今、追加する。編集権は本人」

『私が死んだ場合』

「その質問には答えない」

 

 セラさんは筆を止めた。

 

「声を保存する仕事だと思ってた。でも、保存を理由に死後を先に作っていた。今は書かない」

 

 記録しない傷を、自分で持つ。

 ノルは工具箱の蓋を開く。

 

「ミナが教えた順番、全部できる」

『確認済みです』

「だから一人で行った?」

『分灯式修理を任せられます』

「教わらなければ、置いてかなかった?」

 

 そうではない。教えなくても、別の技師を探した。

 

『ノルの能力は理由の一つ』

「僕が上手くなるほど、ミナがいなくていい理由になるの嫌だ」

 

『長所は悪くありません』

「知ってる。だから、ミナが残る理由にも使う」

 

 ノルは古式工具を投入口へ通す。私の前へ落ちる。

 

「受け取って」

 

 左手で拾う。

 

「今、僕へ貸して」

 

 すぐ返す。

 

「受け取った。次、ミナへ返す」

 

 投入口から戻す。

 往復一回。何の修理にも使っていない。二人がいることだけを確認する作業。

 

「手間、増えた」

『増えました』

 

 初めて、増えたことを否定しない。

 レオンは最後まで物を出さない。

 右上腕の古い痣も、監視記録も、予定帳も。代わりに東出口の手動輪を示す。

 

「第15話、力ずくで止めた。お前の腕をつかみ、俺の腕にも痣ができた」

 

『潜水を止めるためです』

「止め切れなかった。次から道を塞ぎ、見張った。見ていれば守れると思った」

 

『実際、症状発見が早まりました』

「お前は見えない場所で上手くやるようになった」

 

 影だけの吸収、限定回答、秘密札、床下。

 

「俺のやり方が、お前を一人にした」

『私が選びました』

「両方だ」

 

 どちらか一つにしない。

 

「だから、今は引っ張らない。出口を開ける。お前が出るまで待つ」

 

『時間がありません』

「時間を作る」

『方法は』

「五人で探す。六人ならもっと探せる」

 

 六人目を、戦力として数えているのか、帰る人として数えているのか。

 今は両方でよいのかもしれない。

 レオンは抱きしめようとしない。

 硝子の外から手を伸ばさず、東出口の手動輪へ立つ。

 

「開ける」

 

 私を力ずくで引き出さない。出口だけを作る。

 

「出るかはお前が決めろ」

 

 長官が警告する。

 

「出口開放で影固定率が下がる。現在取り込み済み夜滓一万二千。逆流の危険」

 

「段階切断を準備する」

 

 ティアさんが測定器を掲げる。

 

「セラ、個別波形。ノル、分配弁。ロウ、外側結界」

 

 役割が決まる。

 私が出る選択肢を、五人が作る。

 レオンが手動輪を回す。

 東出口の封印が一段外れる。

 

 受容槽の夜滓が揺れた。

 候補児二十人の波形が悲鳴を上げる。名札が外れかけ、集合量へ戻る。

 

『待って』

 

 私は板を上げる。

 レオンは止める。

 

「出ないのか」

『切断手順を確認』

 

 ティアさんの予測を見る。三段階。第一、影固定を五十パーセントへ。第二、個別波形を第一鐘へ移す。第三、本人退避。

 第二段階に必要な分灯器が、まだ第三鐘規格。第一鐘へ接続していない。

 

『個別波形の受け皿がありません』

「一時封印槽」

 

 長官が提案。

 

「容量八千。一万二千は入らない」

 

 ティアさんの計算は即答だった。

 

『超過四千』

「私たち五人で分ける」

 

 ロウさん。

 

『仮契約条件』

「保護を拒否する」

『契約上は拒否不能』

「なら条件を改変しろ」

 

 全路停止が必要。大夜蝕抑制が揺らぐ。

 選択肢は増えた。でも、すぐ使えるわけではない。

 レオンは出口を一段開けたままにする。

 

「閉めない」

 

 長官が言う。

 

「固定率が落ちる」

「出られるようになるまで、このままにする」

 

 東から細い風が入る。

 出口の向こうは、五人がいる。手を伸ばせば届かない距離。でも道はある。

 怒りも、拒絶も、沈黙も、作業を邪魔するためではなかった。

 

 私がいなくなると、五人の中に処理できない物が残る。それを避けるため、仕事を止め、道具を返し、記録を壊し、命令を依頼へ変えた。

 少しだけ、理解する。

 

『私を失う反応ですか』

 

 板へ書く。

 五人が同時にこちらを見る。

 

「今さら?」

 

 ノル。

 

「そう」

 

 ティアさんは一語で認める。

 

「記録します」

 

 セラさん。

 

「理解したなら出ろ」

 

 ロウさん。

 レオンは何も言わず、出口の手動輪を持つ。

 長官だけが私の板を読む。

 

「理解しても、選択は変わらないことがあります」

 

 その通り。

 私は出たい。

 帰りたい。親方の六個目のパン。予定帳。母とユリオの調査。工具の往復。

 左足を東出口へ向ける。

 拘束帯を一つ外す。

 医療班長が止めようとし、ティアさんが窓の外から首を振る。

 

「本人が試す。心拍を見て」

 

 胸の帯。足首。額。順番に緩める。身体は椅子から自由になる。影だけは槽の底。

 一歩目。

 鐘力補助が三パーセント下がる。心拍は百三十、二拍抜ける。

 東から入る風が青い襟巻きを動かした。麦環市の外気ではない。地下の冷たい風。それでも出口から来る。

 

 外窓の五人が近くなる。

 レオンは手を出さない。ノルは工具を握り、ティアさんは測定値、ロウさんは結界、セラさんは私の板を待つ。

 

『帰りたい』

 

 窓へ見せる。

 レオンの口が、知ってる、と動く。

 二歩目。

 影固定一パーセント低下。

 候補児の声が変わる。

 

『また番号になる』

 

 リリア。

 

『おねえちゃん、待って』

 

 ユリオ。

 測定器へ警告。

 

『遠隔生体反応低下』

 

 南区の救助班から通信が入る。

 

『対象発見。男性二十歳前後、意識不明。影経路切断時、心停止の恐れ』

 

 ユリオの身体が見つかった。

 出口と弟が、同じ計測器の両側にある。

 ティアさんが叫ぶ。

 

「止まって。戻れ、じゃない。そこで待って。別の受け皿を作る」

 

 戻れと言えば、私が全量を引き受ける。出ろと言えば、七十四人と弟が死ぬ。彼女は第三の位置を指定した。

 私は二歩目で止まる。

 東出口は開いたまま。

 出たい気持ちも、つながった人も、どちらも消さない場所。

 ロウさんが長官へ向く。

 

「分灯式を今すぐ第一鐘へ」

「成功率七割。全路を開けば三割が適合者へ残る」

 

「残る三割を一時封印」

「容量不足」

「市民の予定を増やす」

「一時間では集まらない」

「集める」

 

 五人の後ろに、王都駅で待っていた人々がいる。ジュノ、オレンさん、患者たち。さらに通りの公示を見た市民。

 選択肢を隠さなければ、選ぶ人がいるかもしれない。

 影固定が一パーセント下がった。

 

 受容槽の候補児が崩れる。

 トーマの名札が消え、番号一へ戻る。リリアの赤い糸が黒くなる。ユリオの大人の姿が二十番の小さな影へ縮む。

 技師が叫ぶ。

 

「個別波形、生命反応と連動! 適合者が離れれば、取り込み済みの生体経路が切断されます」

 

『結果』

「候補児の残留影は消失。ユリオ・セルの遠隔生体反応も停止」

 

 消失。

 記憶だけなら消えても身体は死なない。けれどユリオには生体反応がある。

 

『現在接続した一般影は』

「影熱患者三百二十一名。切断時、夜滓が本人へ逆流。推定死亡七十四」

 

 すでに、人がつながっている。

 レオンは出口の輪を閉めない。

 

「戻れとは言わない」

 

 硝子越しの通信。

 

「お前が戻れば安全だ。でも、戻ったら一人へ載せる。だからそこで待て」

 

 ティアさんと同じ第三の答え。

 ノルは第一鐘の分配図を床へ広げる。

 

「七十四人とユリオさんを先に別の鐘へ移す。十二鐘へ割れば、一基六人くらい」

 

『夜滓量は人数と一致しません』

「分かってる。だから測る」

 

 セラさんが個別波形二十一と一般患者三百二十一の一覧を作る。ロウさんは十二鐘の責任者へ接続許可を求める。ティアさんは切断順を症状の軽い人からではなく、受け皿の近い経路から組む。

 

 五人は、私へ戻れとも、今すぐ出ろとも言わない。

 出られる条件を作る。

 エルネスト長官はその作業を見ている。

 

「成功率は低い」

「一人を使う計画より?」

 

 ロウさん。

 

「国民全体の生存率は下がる可能性がある」

 

「ミナを国民へ数えていない」

「数えています。一名の損失として」

「一名の中身を、本人が小さく見積もってる。その数字を使うな」

 

 私の計算を、長官が国家の計算へ使った。

 患者十二と私一。五百四十万人と適合者一。単位をそろえれば、一は小さい。

 でも一の中に、声、味、手、親方、予定帳、弟、五人が入っている。

 

『私の損失見積もりは不正確ですか』

 

 長官へ板を見せる。

 

「医学的には」

『計画上は』

 

 長官はすぐ答えなかった。

 

「あなたが自分の将来を対価へ入れなかった。その値をゼロとして採用した」

 

 認めた。

 

「計画者として、都合がよかった」

 

 エルネストの声は変わらない。数字だけがなくなった。

 

『訂正してください』

「何を」

『適合者一名の損失、算出不能』

 

 私自身の値段を高く書けない。だから、分からない欄へ戻す。

 長官は公示計画書を修正した。

 

『適合者損失:算出不能。本人の自己評価を根拠としない』

 

 数字から外れることが、初めて小さく扱われない方法になった。

 出口は開いた。

 私が一歩出れば、ユリオと七十四人が死ぬ。

 選択肢はある。

 使えるものが、まだない。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。