三千万人の夜を背負った少女   作:日向夏 

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一つの朝を百の手で

 王都三百二十万人へ、明日の予定を一つずつ聞く。

 受付机が何台あっても足りない。

 

 そこで、第一鐘そのものを受付にする。

 

 セラさんが分灯式の童謡を、工程へ分けた。

 

『ひとりの影に朝を盛るな』

 第一工程。朝の器への全路集中を止め、十二鐘へ並列準備。

 

『百の明日を百に返せ』

 第二工程。市民が自分の予定を一つ、本人の言葉で宣言。

 

『器を作れば、朝は器とともに欠ける』

 第三工程。予定を他人へ譲渡せず、辞退者にも鐘光を分ける。

 

 子どもの歌が、国家計画より安全な手順書だった。

 

 エルネスト長官は王都全域の公示板を開く。

 

「朝の器計画は、適合者の損失を算出不能のまま一名として扱いました。計画者の誤りです」

 

 本人が公表する。

 

「代替の分灯式は成功率七割。参加には、明日を失う恐怖、夜滓逆流の危険、予定が他人へ知られる負担があります。参加しない選択も保護します」

 

 確実な英雄物語ではない。

 不確実で、手間が多く、断る人がいる計画。

 

 王都の公示板へ、最初の返事。

 

『嫌だ。明日の予定を鐘守庁へ渡したくない』

 

 長官は削除しない。

 

『辞退として登録。光の配分対象は維持』

 

 次。

 

『予定がない』

 

『今日で店を閉める』

 

『明日が来ると思えない』

 

 第三鐘の帽子の男性と同じ言葉。

 

 私は中枢から公示板へ筆談を送る。

 

『明日まで乾かなかった帽子を、裏返してもう一日干す。それも予定になりました』

 

 固有の人を勝手に例へ使わないよう、本人の公開同意を確認。硝子港から『使ってよい』が届く。

 

『店を閉めたあと、鍵をどこへ置きますか』

 

 質問を返す。

 

『隣のパン屋へ』

 

『では「隣へ鍵を渡す」』

 

 大きな未来でなくてよい。

 

 王都駅で会った人々が、予定聞き取り係になる。

 ジュノは結論から聞く。オレンさんは手話と休符。フランさんは治療予定。ミラさんは契約を渡さず、自分の言葉で書く。

 

 レオン、ロウさん、ティアさん、セラさん、ノルは東外窓の外。中枢へ入れば仮契約の保護条件へ触れるため、窓越しに作業する。

 

 私は出口二歩手前で、候補児と一般患者の波形を保持する。

 

 帰りたい方向へ身体を向けたまま、残る。

 

 予定は一万、十万へ増える。

 

『明日、子を迎えに行く』

『借りた鍋を返す』

『仕事を休む』

『謝る』

『謝らないで距離を置く』

『眠る』

 

 書けない人は打音、聞こえない人は手話、声のない人は指一本。翻訳は併記して、本人が選んだ形を消さない。空白札も『何も決めない』という選択なら光った。

 

 空白札を出したのは、夫の葬儀を終えたばかりの女性だった。

 

『明日が来ても、決めることがありません』

 

 帽子を干す話を使えば、何か一つくらい見つけられる。けれど、予定を作らせることが目的ではない。作れない人へ仕事を増やせば、朝の器と同じだ。

 

『空白のまま参加できます。明日、何も決めないことを自分で選んだ札として』

 

『そんなものでも、明日になる?』

 

『鐘が決めるのではなく、あなたが決めたので』

 

 空欄の中心だけが薄く光る。書かれていないのに、誰の札とも混ざらなかった。

 

 北区の食堂主は反対に、仕入れから掃除まで三十項目を書いた。札から字がはみ出している。

 

『全部、明日やらないと店が開かない』

 

『では、一人ではできない項目を代表にしましょう』

 

 長い沈黙のあと、『隣へ玉葱を頼む』だけが残った。人に頼む予定は、自分で三十個片づける予定より小さく見える。でも、明日へ一人で行かない形になっている。

 

 鐘守庁の職員からも拒否が出た。

 

『未承認の民間術式です。職務規程に反します』

 

「辞退を登録。職務上の不利益なし」

 

 長官が即答する。

 

『長官命令なら参加します』

 

「命じません。あなたの明日は、私の権限外です」

 

 同じ人が、朝の器計画では私へ命じた。自分が管理してきた人数を、自分の命令から外す。その手間も明日の予定に入れておけばいい。長官の仕事は、かなり増えそうだ。

 

 白麦院では、候補者日誌へ同じ命令を書かせた。

 明日は検査。明日は処置。明日は役に立つ。

 

 今は、同じ人がいない。

 

 だから集計は遅い。

 遅いほうが、正しい場合もある。

 

 親方の予定が届く。

 

『朝飯を六人で食べる』

 

 人数だけなら六。中身は、レオン、ティア、ロウ、セラ、ノル、私。

 

 親方は自分を入れない。店主は立って食べる。それを私の癖と同じにしてはいけない。親方は食べないのではなく、窯の前で自分の分を食べる。六人の席とは別単位。

 

『親方の朝食は』

 

 返信する。

 

『七個目。窯の前』

 

 すぐ返った。

 

 全員、数えられている。

 

 麦環市の子どもたち。

 

『学校へ行く』

『行きたくないけど門まで』

『熱が下がったら宿題。下がらなければ寝る』

 

 条件付きでも、二つの選択が見えるなら使える。

 

 雨樋町のジュノ。

 

『母と弟の朝食を作る。大人へ一件、配達を頼む』

 

 全部自分で養う予定から、一件だけ頼む予定へ変わった。

 

 硝子港のオレンさん。

 

『七人と休符を練習。ミナの席を一つ空ける』

 

 空席を、死後ではなく参加枠にする。

 

 予定を読むほど、私の呼吸が少し整う。

 自分の予定は提出していない。けれど他人の明日を具体化する仕事は、やはり好きだ。

 

 同じ予定でも、理由が違う。集合量へまとめると消える部分が、分灯式では力になる。

 

 ただし、怖くて書けない人も多い。

 

『予定を書いたら、夜滓に取られる?』

 

 王都南区の子どもから。

 

『取りません。予定は本人の側へ残り、鐘は向きを借ります』

 

『失敗したら?』

 

 安心語を使わない。

 

『夜滓が一部逆流する可能性。医療班を配置。辞退できます』

 

『じゃあ、やらない』

 

『了解。光は同じように届きます』

 

 断った子の影にも、参加者の光を分ける。誰かの明日を、働いた人だけの食札にしない。

 

 別の子。

 

『パンを焼く』

 

『どんなパン?』

 

『分からない』

 

 私は親方の窯を思い出す。

 粉へ水を入れたときの湿った匂い。酵母瓶の甘酸っぱさ。焼き始めはまだ生地で、途中から皮の香りになる。焦げる一歩前、窯の奥から胡桃みたいな油の匂い。

 

 今の私には分からない。

 記憶の中にはある。

 

『朝、窯を開けたとき、粉の匂いが焼けた皮へ変わるパン』

 

 書く。

 

『それにする』

 

 子どもの予定が光る。

 

 味覚と嗅覚を失っても、誰かの予定へ香りを渡せる。代用品ではない。前に知っていた物を、今の方法で説明しただけ。

 

 親方から公示板へ返事。

 

『焼けた皮へ変わる、で合ってる。焦がすな』

 

 監修が入った。

 

 予定札を運ぶ人も足りなくなった。役所の伝令だけでは、病棟の階段と市場の裏道で詰まる。

 

 そこで、朝の予定を書き終えた人が、隣の一枚を鐘箱まで運ぶ。歩けない人の札を子どもが持ち、文字の読めない人の打音を楽師が刻み、参加を断った職員が受付机だけは増やした。

 

『辞退したのに働いてよいのか』

 

 職員から問い合わせ。

 

『式への参加と、机を運ぶ仕事は別です。どちらも断れます』

 

『では机は運ぶ。影は貸さない』

 

『受領』

 

 一人が全部を差し出す形ではない。影を出す人、声だけ出す人、紙を運ぶ人、危険率を読んで帰る人。百の手と呼んでも、同じ動きをする手は一つもなかった。

 

 私は波形を束ねながら、受付の混雑順を公示板へ返す。東区は紙不足、西区は代筆者不足、南区は医療確認待ち。役に立つ仕事はいくらでもある。だからつい、私の手元へ全部集めたくなる。

 

 集めれば速い。でも、私が倒れた瞬間に止まる。

 

 東区の整理をジュノへ、西区をオレンさんへ、南区の判断をティアさんへ渡す。指を離すたび、胸が落ち着かない。空いた手が、役目を失ったみたいに冷える。

 

 その手で、次の一枚だけ受け取った。

 

 全部でなくても、仕事は残る。

 

 分灯式成功率、七十二。七十四。七十六。

 

 候補児の波形にも予定を聞く。

 死者の残留影を式参加者として扱えるか、技師は判断できない。

 

『本人の意思があるなら、集計だけ試す。負担は流さない』

 

 長官が許可する。

 

 トーマは名前を呼んでもらう。トトは長い名前を覚える。エナは狭い所へ入らない。サリとサーニャは一緒に歌う。リリアは赤い糸を使った子に会う。ハルクは指がなくてもできる遊びを考える。

 

 アトは『ロウって人に、変な大人と言う』。セラさんが伝えると、ロウさんは包帯の手を上げた。

 

 ユリオの影。

 

『身体へ戻る』

 

 南区地下の身体は治療中。影経路を十二鐘へ分け、夜滓を抜けば戻せる可能性がある。

 

『戻ったあと』

 

 聞く。

 

『母さんを探す。おねえちゃんと』

 

 二人の予定。

 

 契約印が強く熱くなる。帰還意思に近いと判断したのかもしれない。

 

『分灯式成功後の調査です』

 

 条件を追記すると、熱が下がる。

 

 また条件へ逃げた。でも、予定自体は消さなかった。

 

 成功率七十八。

 

 技師が候補児の予定を集計から外しても、波形の安定率だけが上がった。死者を燃料にしない。本人の輪郭を戻すだけで、現存する夜滓が減る。

 

 ティアさんは参加者の医療上限を、平均ではなく個人別に設定する。

 

「脈百三十で止める人、百五十まで平常の人。薬を飲んでいる人。妊娠中。子どもは参加不可だが、予定の記録はできる」

 

 長官の管理表は、最初すべて同じ上限だった。

 

「個体差を入れると計算が遅い」

 

「遅くして」

 

「全路開放まで三十九分」

 

「一人を壊す計算より優先」

 

 長官は表を個人別へ切り替える。処理速度が落ち、成功率表示が一度七十五へ戻る。

 

 見かけの数字が下がった。

 危険な参加者を外したため、実際の式は安全になった。

 

 数字が上がることだけを成功としない。

 

 ティアさんが外窓へ新しい紙を貼る。

 

『ミナ、脈』

 

 私は計測板を見せる。百二十八。不整脈が二回。隠す余地のない数字は便利だ。

 

『胸痛』

 

 なし、と書きかけ、呼吸のたびに左胸が引っかかるのを数える。これは痛みではなく作業上の抵抗――分類を変えても身体は変わらない。

 

『軽度。吸気時』

 

 書き直すと、ティアさんはうなずき、退出限界を三分早めた。叱られない。代わりに、私の申告が工程を変えた。

 

 北辺鐘が逆流負担を拒み、残る十一基へ増分を問い合わせる。麦環市は市民投票を条件に二パーセントを受けた。

 

『候補者一人を助けるため町を危険にするのは違う』

『娘なら助けたい』

『娘なら町全体を危険にしてよいのか』

 

 反対も消さず、軽症三百、重症十二という予測を公開する。私は頼まない。町は賛成七十一で、分灯式を一人へ載せない制度として選んだ。

 

 投票が終わるまで、私は外窓の五人を見ない。見れば、お願いしたくなるかもしれない。いや、私がお願いを材料にして票を動かすのが嫌なだけだ。助けてほしくないわけでは――そこまで書きかけて、板の端を袖で消す。

 

 助けてほしいかどうかは、式の危険率と別の欄へ置くべきだ。

 

 賛成が確定すると、麦環市暁鐘の線が太くなる。私の影から夜滓が二パーセント抜け、胸の奥を掴んでいた力が緩んだ。代わりに町の診療所へ三百人分の冷却布が運ばれる。数字の向こうには洗濯と水汲みがある。共有するというのは、きれいな円陣ではなく、濡れた布を明日の朝まで乾かす仕事らしい。

 

 親方の店なら、窯の余熱で乾く。そう提案しかけてやめた。麦環市の人には、自分たちのやり方を選ぶ権利がある。

 

 成功率八十。

 

 予定の数だけでは上がらない。本人の具体性、辞退権、十二鐘への分散。三つがそろうと波形が安定する。

 

 ノルが第一鐘の分配図を外窓へ貼る。

 

『第三鐘の声滓傷を迂回。第二鐘の水路へ一割。麦環市暁鐘へ二割。残り九鐘へ均等じゃなく、空き容量順』

 

『第一鐘の鐘舌は』

 

『全国送信に使う。まだ動く』

 

 古式分灯式では、鐘舌が予定の向きを十二鐘へ送る。第一鐘が一度鳴れば、全国の鐘が同じ朝を別々に持つ。

 

 ロウさんは命令でなく選択票を送り、北辺には光だけを分け、夜滓を受けさせない条件を十一鐘へ確認する。全基の返事には時間がかかる。

 

 第一鐘の全路開放予定まで四十七分。

 私の心肺補助予測は一時間。間に合う。

 

 計算上は。

 

 受容槽の裏に、手動全量弁がある。

 分灯式が失敗した場合、全夜滓を即時、私の影へ落とす弁。朝の器の本来の操作。

 

 私は位置を確認する。

 東出口から三歩戻り、左。長官の認証と本人影。二つで開く。

 

 五人には見えない角度。

 

 共同式が失敗したら、七十四人どころではない。全国の避難未完了者へ逆流する。予備を残す必要がある。

 

 私は左手の板へ、弁までの歩数を書く。

 あとで消すため、小さく。

 

 セラさんが外窓からこちらを見る。

 

『今、何を書いた?』

 

 見られた。

 

『全量弁の位置』

 

『目的』

 

『失敗時の工程確認』

 

『一人で開く?』

 

 問いの範囲だけなら、長官認証も必要なので一人では開けない。

 

『長官認証が必要』

 

 限定回答。

 

 セラさんは帳面へ書かず、長官を見る。

 

「認証しないで」

 

「分灯式が全崩壊した場合、国家継続のため必要です」

 

「本人が準備してる。認証があると開ける」

 

 長官は全量弁の認証札を自分の首から外す。

 

「ロウ隊長へ預けます」

 

 投入口から渡した。

 

 私一人では開けない。

 

『予備がなくなります』

 

「予備を、あなた一人の手順にしない」

 

 長官が計画を変えた。

 

 成功率八十三。

 

 王都の予定がさらに増える。怖いまま参加する人、辞退する人、あとで決める人。全員の影へ光が薄く戻る。

 

 受容槽の圧力が下がり、私は東出口へ半歩進める。

 

 ユリオの生体反応は維持。一般患者の逆流予測死者、七十四から四十一。まだ出られない。

 

「予定送信試験を行う」

 

 長官の号令。

 

 第一鐘の鐘舌へ光が集まる。

 ノルが分配歯車を回す。ロウさんが十一鐘へ確認。ティアさんが参加者の脈。セラさんが辞退者の光配分。レオンが東出口を保持。

 

 私は二十一の個別波形を持つ。

 

『百の明日を百に返せ』

 

 王都中の掲示板へ手順が出る。

 

 鐘舌が上がる。

 

 一寸。

 

 金属が割れる音。

 

 鐘舌は鳴らず、中央の軸から落ちた。

 

 予定を全国へ送る道が、壊れた。

 

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