「……逃げますよ!」
「うん!」
俺は床へ転がっていた四式を拾い上げ、管理通路へ向かって走り出した。
だが、一歩ごとに膝が軋み、胸の傷が開きそうになる。
「ダリオ、脚見せて!」
並んで飛ぶルーメから、細い光の糸が伸びる。
光は右脚へ巻きつき、熱を持った筋肉と関節を固定していった。
治ったわけではないが、踏み出すたびに走っていた鋭い痛みが僅かに和らいでいく。
時折壁へ片手をつき、身体を支えながら通路を進んだ。
背後では、岩喰い百足が瓦礫を掻き分ける音が響いている。
崩れる石に外殻が壁を擦る音。
怒りに満ちた甲高い鳴き声が響く。
「開けるよ!」
管理通路へ繋がる扉まで辿り着くと、ルーメが俺を追い越した。
装備庫のものよりもさらに分厚い、黒い金属扉。
その横にある制御盤へ、ルーメが両手を向ける。
白金色の光が制御盤へ吸い込まれ、扉の表面へ刻まれた細い線が、下から上へ順番に点灯する。
やがて、空気の抜けるような低い音とともに、分厚い金属板が左右へ開いた。
その瞬間。
背後で、轟音が鳴った。
振り返ると、瓦礫を跳ね飛ばし、岩喰い百足が通路へ這い出していた。
片方の顎は欠けている。
頭部の外殻も大きく割れ、黒い体液に濡れていた。
それでも、二つの赤い目は真っ直ぐにこちらへ向けられている。
魔物と目が合う、という言い方が正しいのかは分からないが、明らかに怒りの意志が爛々と輝いていた。
「また来るよーー!?」
ルーメが扉の向こうへ飛び込みながら叫ぶ。
岩喰い百足が床を蹴ると無数の脚が一斉に石床を叩き、巨体が信じられない速度で加速する。
速い!
扉が閉まるのを待っていては間に合わない。
俺は腰帯へ手を伸ばした。指先へ、硬く滑らかな球体が触れる。
ソレを掴み取ると、勢いよく足元へ叩きつけた。
ぱりん、と軽い音が鳴る。
無数の六角形が瞬時に広がり、管理通路の入口を塞ぐように半透明の壁を作った。
そこへ、岩喰い百足が激突する。
光壁全体が大きく撓む。
心許ないほど薄い壁が、通路を埋める大質量を真正面から受け止めている。
外から見れば、さぞ異様な光景だろう。
だが、今は眺めている暇などない。
「扉を閉めて!」
「りょーかい!」
俺が管理通路の中へ転がり込むと、ルーメが反対側の制御盤へ飛びつき、両手から光を流し込んだ。
だが、扉が閉まるまでの間が嫌と言うほど長く感じる。
岩喰い百足が、瞬壁へ何度も頭部を叩きつける。
一度。
二度。
光壁へ亀裂が広がる。
三度目の衝突が来るより先に、瞬壁が音もなく消えた。
役目を終えた光の六角形が、空気へ溶けるように失われる。
遮るものがなくなった今、岩喰い百足が一度だけ身体を縮める。
突進のための溜め。
扉は、まだ閉まらない。
「ルーメ!」
「やってるよぅ!」
百足が飛び出した。
無数の脚が石床を削り、黒褐色の巨体が扉へ迫る。
どちらが早い。
百足か。
扉か。
開かれた巨大な顎が隙間へ差し込まれる。
そう思った瞬間だった。
分厚い金属板が、鈍い音を立てて完全に閉じた。
直後。
扉の向こうから、途方もない衝撃が叩きつけられた。
どん、と床が跳ねる。
俺はその場でよろめき、四式を杖代わりにしてどうにか身体を支えた。
もう一度。
どん。
天井から細かな埃が落ちる。
施設全体が震えているようだったが、金属扉は何とか耐えているようだった。
扉の向こうで、岩喰い百足が何度も巨体を叩きつける。
どん。
どん。
そのたびに床が揺れたが、衝撃は次第に弱くなっていった。
俺は張り詰めていた息を吐く。
「……なんとか、なりましたねぇ」
全身から力が抜け、壁へ背中を預けたまま、その場にずるずると座り込んだ。
「ダメかと思ったぁー……」
制御盤へ齧りつくようにしていたルーメが、ふらふらとこちらへ飛んできた。
最後には力尽きたように、俺の膝の上へ落ちる。
「もう、だめ。ボク、つかれたぁ」
ぐったりと、四肢を投げているルーメに苦笑が漏れる。
「……ありがとうございます」
小さく。だが、きちんと届くように。
ルーメは一瞬だけ目を丸くし、それから照れたように笑う。
「へへへ。どーいたしまして」
その笑顔につられ、俺の口元も緩んだ。
膝の上のルーメから目を離し、手にした四式へ視線を落とす。
暗銀色の刃は、岩喰い百足の外殻へ食い込み、壁へ叩きつけられたというのに、刃こぼれひとつなかった。
黒い体液が付着しているだけで、刃そのものは鈍い光を失っていない。
俺は、気がつけば震えていた手をもう片方の手で押さえ、柄を強く握り直した。
今になって、恐怖が追いついてきたのだろうか。
岩喰い百足。
今までの俺なら、姿を見た瞬間死を覚悟するような相手。
そんな魔物を相手にした。
倒したわけではない。だが、十分に渡りあったと言えるだろう。
十三年間。
俺には足りない物ばかりだった。
剣の才能がない。
魔法の適性がない。
頼れる仲間がいない。
高価な装備を買う金もない。
同じ時期に冒険者になった者たちが昇級していく中、俺だけが青銅級に留まり続けた。
何をしても半端で。
何を選んでも遅く。
自分には、物語の主人公になるような何かはないのだと思っていた。
だが。
今の俺には、手にした新しい力がある。装備もある。
そして、膝の上には。
「ルーメ」
「なーに?」
仰向けに寝転がったまま、ルーメがこちらを見上げる。
白金色の髪が膝の上へ広がり、細かな光の粒を零していた。
俺は一度、言葉を探す。
こんなことを口にするのは少しばかり照れ臭いが、それでも、伝えておきたかった。
「これからも、よろしくお願いしますね」
ルーメが、きょとんとした。
何を言われたのか分からないように、何度か瞬きをする。
やがて意味を理解したのか、丸い目を細めた。
「うん!」
小さな身体を起こし、満面の笑みを浮かべる。
「こちらこそ、よろしくね! ダリオ!」
俺は四式を床へ突き、支えにしながらゆっくり立ち上がる。
膝の上から飛び立ったルーメが、白金色の光で暗い通路の先を照らした。
「では、行きましょうか」
「うん!」