穿岩蟲が這い出て来た壁穴へ目を向ける。
幾つかの穴が合わさり、それこそ大人一人ならば余裕で入れるくらいの大きさになっていた。
「もしかしたら、岩喰い百足もここから来たのかもしれませんね」
穴の傍にしゃがみ込み、中を覗き込む。
先は深く、そして暗く落ち込んでいた。相当深いことは確かだ。
境界晶を抜かれ、接触した別の地下層。
そこにいた穿岩蟲が歪みに沿って穴を開け、さらに奥から岩喰い百足が侵入した。
推測が正しければ、今後も同じことが起こる可能性は高い。
それに、百足だけとも限らないですしねぇ……
やれやれと頭を振りながら立ち上がり、事切れている三体の穿岩蟲の傍に近く。
四式を使い、硬い額の一部を切り取る。討伐証明部位ではあるが、まあ黒釘の件もある。ギルドへ向かえるかどうかは置いておいても、確保しておいて損はないだろう。
都合三体分の素材を剥ぎ取り、腰帯へと収める。
「さて、先を急ぎましょうか」
「うん。こっちだよ」
観測室の奥には、斜め下へ続く広い階段があった。
中央には水を流すためだろうか、深い溝があり、壁際の配管は下るほど太くなっていく。段を進むにつれて湿気が強まり、地下水の流れる音も大きくなった。
冷たい空気の中に、泥と苔の匂いが混ざり始める。
階段の先で、通路は巨大な空洞へつながっていた。
「これは……」
俺は思わず足を止めた。
巨大な円筒形の縦穴が、かなり深く下方まで伸びている。中央には、青銅と黒い鉄で作られた水車や歯車が何重にも重なり、壁面へ設けられた太い水路と接続されていた。
最下部では黒い水が溜まり、水面にモヤのようなモノが、薄緑色の膜を作りながら壁際で揺蕩っていた。
かつては鉱山全体から集まった地下水を、ここから地上へ排出していたのだろう。
しかし現在は、多くの水門が閉ざされている。
「止まっているんですか?」
「どうだろう。でも、主軸の機構は止まってるみたいだね」
足場の先に、円形の制御台が設置されているのが見えた。
ルーメが近づくと、表面へ白金色の文字が浮かび上がる。
「主排水路は閉鎖。東方排水門は、土と石がいっぱいで動かないけど、その横の補助水路は……使えるって」
「東方ですか」
ラウゼンの東には、ローデ湿原が広がっている。
煤鐘坑道の地下水を湿原側へ流していた旧排水路があるという話は、ギルドの資料でも読んだことがあった。
ただし入口は崩れ、坑道側からも湿原側からも入れないとされている。
だが、この場所からなら、まだつながっている可能性がある。
「補助水路の先は、外へ出られますか?」
「地図だと、地上まで続いてるよ」
「湿原でしょうね」
煤鐘坑道からローデ湿原までは、地上を歩いても半日ほど掛かる。
地下の排水路が直線で延びているなら、距離は多少短いかもしれない。しかし、整備もされていない古い排水路。水没、崩落、魔物、毒性ガスなど、何があるか分からない。
それでも、他の選択肢が今は無いに等しい。目星がついただけでもありがたい。
「補助水路へはどこから?」
地図を確認しているルーメに聞くと、小さい体を揺らしながら、周囲と地図を見比べている。
「えっと、うん。こっちから抜けられるみたい」
そう言ってキラキラと光の粒子を散らしながら飛ぶルーメに付いていくと、眼下には古めかしい大きな水門、壁には苔がびっしりと生え、水路は半分以上濁った水で埋まっている。
足元を見ると、水路脇の足場らしきところに降りる梯子が見えた。
どうやら水門を開けて水を排出しないと足場まで降りれないようだ。
「開けられますか?」
「見てみるね」
言いながらルーメが制御台へ手を触れると、光の文字が何列も流れる。
「うーん、と。緊急駆動用の器具を入れて回してって書いてある。鍵、みたいなものなのかな」
言われて制御台を見ると、側面に何やら細長い差し込み口があった。鍵と言うよりも、何かそれなりの大きさの棒を差し込むような。
緊急用、と言われると……
ふと思い立ち、腰に供えられた四式に目をやる。
幅も厚さも、四式の刃元とほぼ同じだ。
「これ、でしょうか?」
「あ、大きさはちょうどいいね!」
なんでまたこんな面倒な手順を踏むのか。旧王国民の考えは分からないが、まぁ手元に鍵があるのであれば都合は良い。
腰から抜いた四式を差し込むと、鍔が制御台の窪みへぴたりとはまり、刃の峰に刻まれた線へ淡い橙色が灯った。
おお、当たりみたいだ。
「右へ、ゆっくり回して」
「剣を回すんですね」
「うん。気をつけてね」
柄へ両手を添え、体重を利用して押す。
だが、長い年月で内部の歯車が固着しているらしく、ピクリとも動かない。
諦めずに、勢いを付けつつ何度か押したり引いたりを繰り返していると、少しづつではあるが遊びが出てきた。
すると、何度目かの拍子にガコン、と大きく機構が回ると、制御台の内側から噛み合うような小さな金属音がした。
「そのまま、ゆっくり!」
慎重に柄へ体重を掛けながら回すと、制御台の文字が一つずつ光を灯していく。
ちょうど一周を回し切ったところで、制御台の奥から重い音が響いた。ごごごご、と縦穴全体が震える。
止まっていた水車が、錆と泥を落としながら回転を始めた。壁面の歯車が次々に噛み合い、青白い光が太い配管の中を走っていく。
東側の水路を閉ざしていた門が、がりがりと削る音を立てながら持ち上がった。
水位は下がっているようには見えないが、よく見ると水面に流れが生まれている。
「ダリオ、下がって!」
俺はルーメの声に従い、四式を引き抜いて足場の後方へ退いた。
直後、水門が大きく開く。
溜まり続けていた地下水が、一気に補助水路へ流れ込む。
轟音が空洞を満たし、しぶきが上がる。泥水が暗い水路の奥へ吸い込まれ、水位が目に見えて下がっていく。
湿った風が、開いた水路から吹き込んだ。
どこかかび臭い匂いしかしていなかった空間に、泥、腐葉土、水草の匂いが届く。
新鮮、とまでは行かないが地上の匂い。
空気が入れ替わったお陰で、少しほっとした。
意識していなかったが、閉塞空間で気が滅入っていたのかもしれない。
水位が下がるにつれ、水路の壁際から細い管理足場が現れた。
人一人がようやく歩ける程度の幅しかなく、手すりはところどころで折れている。水路はまだそれなりの速度で流れており、奥はルーメの光でも見通せない暗闇が続いていた。
安全な道とは言い難いが、今まで水中に埋まっていたんだ。地上性の魔物が巣を作っている可能性は低いだろう。
一応、水路から水棲の魔物が飛び出てこないかどうかは気を付ける必要はあるだろうが、それでもさっきの水流だ。流されている可能性の方が高い。
足元を確かめながら、水路へ続く梯子を慎重に降りる。
水にぬれて滑りやすく、錆で脆くなってはいたが、何とか無事に足場へとたどり着いた。
「うわぁ、でっかいねぇ」
ルーメが頭上を見上げ、感嘆の声を上げる。
確かに、幅もそうだが天井までも相当に高い。こんな規模の水路は見たことが無いが、流石旧王国時代、と言うところなのだろうか。
王都の学者や遺跡研究者が見れば目の色を変えるに違いないのだろうが、あいにくそれほど興味はない。
「この先が地上かぁ」
ルーメが暗い水路の奥へ視線を向けた。
「どんなところなんだろ」
「見たことがないんですか?」
尋ねてから、意外でもないのかもしれないと思い直す。
ルーメが持っている知識は、この地下施設と旧王国時代のものが中心だ。
外の世界についての知識があったとしても、それは遥か昔の情報だろう。
「うん。どんなところかなぁ、楽しみ!」
地上へ出たあとの危険など、まだ何ひとつ知らない。無邪気な声だった。
人がいれば、善意も悪意もある。
古代遺物のような存在であるルーメを、人目に晒すのはかなり難しい。
捕らえ、売られ、それこそ酷い扱いを受けるかもしれない。
だが、今のルーメは俺の頼れる相棒だ。
「案内しますよ」
俺がそう言うと、ルーメは嬉しそうに笑った。
「ほんと?」
「出来る限り、ですけどね」
「やったぁ!」
地上へ出たあと、すぐにギルドへ戻れるとは限らない。
慎重に、そう、慎重になりすぎるくらいでもちょうどいい。
「では、地上を見に行きましょうか」
「うん!」
四式の柄へ手を添え、細い管理足場へ慎重に足を踏み出す。
すぐ横を、黒い地下水が勢いよく流れていた。
地上へ出る頃までには、ルーメをどう人目から隠すかも考えなければならない。
この明るく、よく喋る妖精をどう守るか。
そんなことを考えながら、俺は白金色の小さな光とともに、古い排水路の奥へ歩き始めた。