非常食を少しずつ口へ運びながら、俺は棚に残されていた残りの金属筒を調べた。
一本目の中には、薄く透き通った膜が数枚、重ねて収められている。一枚を手に取ってみると半円形に湾曲している。折りたたまれていて広げられそうだ。
開いてみると、手から少しはみ出る程度の大きさ。何に使うモノだろうか。
筒の表面を見ると、口元を隠された人が煙の中を進むような絵が刻まれている。
ルーメが近くまで飛び、淡い光を当てながら筒を眺めた。
「うん。顔につけると、外の悪い空気をきれいにしてくれるんだよ」
「毒性のガスにも使えますか?」
「強すぎなければ大丈夫だよ。でも、使ってるとだんだん黒くなって、最後はなくなっちゃうから気を付けてね」
取り出したものを、破れないよう金属筒へ戻してから腰帯へ収める。
地下施設では、腐った魔物の死骸から毒性の空気が発生することがある。ローデ湿原でも、地面の窪みに瘴気やガスが溜まる場所は珍しくない。
これは使えそうだな。
さて、次だ。
二本目の筒には、手ですっぽりと握り込める大きさの白い球体が一つ入っていた。
磨かれた石のように滑らかだが、持ち上げてみると驚くほど軽い。中央には一本の黒い線が走り、その線の上に丸い出っ張りが一つ。
「あ。《光り玉》だ! そこ、押してみて」
ルーメの言葉に従い、黒い線を親指で押し込む。
かちり、と小さな音がすると、手のひらにあった球が淡く輝き、俺の指先からふわりと浮かび上がる。そのまま顔の高さまで昇ると、一度だけ周囲を回り、右肩の少し前で静止した。
「おお」
俺が一歩横へ動くと、光球も一定の距離を保ったまま移動した。
ルーメも光を発してはいるが、その光よりも広い。白く柔らかな光は水面へ反射しながら、細かな石床の凹凸まで安定して照らしていた。
手を前方へ向けると、光球はそちらへ数歩進み、止まる。手招きすれば、再び肩口まで戻ってきた。
「簡単な指示にも反応しますね」
ルーメが光球の表面を軽く叩く。
手が触れたのかは分からなかったが、球体は返事をするように一度だけ明滅した。
「かわいい!」
キャッキャと笑いながら二つの光が戯れている。丸い球体の方がどこか逃げ回っているように見えるから不思議だ。
光に当てられた影がグルグルと水路の壁を動き回る。
球体は、内部の光を使い切ると浮力も失って落ちて朽ちるらしい。
「さ、そろそろ行きますよ」
ルーメに声をかけると、光の軌跡が収まる。どこか安堵したように光の球体が肩の前で落ち着いた。
俺は救難外套を肩へ掛け直す。
光り玉と対を成す様に、ルーメは左側を並ぶ。
二つの光を伴って部屋を出ると、水路の闇は先ほどよりも薄まって見えた。
視界が開け、探索がよりしやすそうだ。
水の流れもかなり緩やかになってきた。
最初に足を踏み入れた辺りでは、排水設備から押し出された濁流が石壁へ激しくぶつかっていたが、今では膝下ほどの水が、緩やかな傾斜に沿って流れている。
壁から伸びる木の根が目立ち始め、古い石材の隙間には、白い茸や苔が生えていた。
光り玉を先へ送る。
白い光は俺たちから十歩ほど前を浮かび、崩れそうな足場や、水面下に沈む岩を照らした。一定以上離れることはなく、俺が止まれば、球体も静かに空中で待っている。
さらに歩き続けると、水路は二つへ分かれていた。
左側は水量が多く、緩やかな流れの先が大きく開けている。ただし奥からは、腐った卵に似た臭いが漂っていた。
右側の水路は狭く、ところどころで足場が崩れかかっているものの、流れてくる空気には湿った土や植物の匂いが混じっている。
「どっちかな?」
ルーメが先を見ながら左右を見比べる。
「左は避けましょう」
「臭いから?」
「腐敗した有機物か、地下に溜まったガスでしょう。仮に間違っていても、まずは安全そうな道からの方が良いでしょうからねぇ」
「じゃあ、右だね」
光り球へ手を向けると、白い球体は右側の水路へ進んだ。
低い天井と曲がりくねった通路の先を照らしながら、こちらが追いつくのを待っている。
右の道を選んでしばらくすると、水路は人一人が歩ける程度まで狭くなった。
天井から垂れる根が肩や外套へ触れ、足元の水は次第に浅くなる。前方からの吹き込む風も強くなり、閉ざされた地下のものではない緩やかな風が頬を撫でた。
「ダリオ」
ルーメが足を止める。
「ええ」
まだ小さいが、光り球でも、ルーメの物でもない光が一つ。視界の先で煌めいていた。
地上の光だ。
進むと、光りが段々と大きくなり、その様子も分かってきた。
水路の終点には、錆びついた金属格子が設けられていた。外側から伸びた木の根と泥が絡みつき、半分以上を塞いでいるものの、その向こうには背の高い葦と、朝靄に覆われた水面が見える。
格子へ四式を差し込む。
腐食した金属は脆く、振動板を使うまでもなかった。支柱を二本切断し、絡みつく根もまとめて断つ。
格子を外側へ押し倒すと、湿った風が地下水路へ流れ込んできた。
泥と水草の青臭い匂いと、夜明け前の冷たい空気。
「開きましたよ」
光り球を先へ外に出す。
白い球体は格子の隙間を抜け、外の空気へ触れると、朝靄の中へ淡い光を広げた。
俺も後に続き、湿った地面へ踏み出す。
靴がぐにゃりと泥へ沈んだ。
石床とは違う柔らかな感触に、身体の力が少し抜ける。
外だ。
やっと、やっと地上まで戻ってきた。
空はまだ暗闇が上の方に残っていたが、地平付近は淡く白み始めていた。朝靄に覆われた湿原では、生い茂った葦が風に合わせて揺れている。
「おー! 広ーい!」
ルーメが飛び出してきながら、体を大きく広げて朝日を浴びる。
白金色の髪が、地下にはなかった風を受けて揺れる。
彼女は周囲を一度回り、それから、どこまでも広がる空を見上げた。
「なんか、空気が美味しいねぇ」
果たして本当に味を感じているかは分からないが、内容については同意だ。
深呼吸を一つ、二つ。新鮮で冷たい空気が肺一杯に満たされる。どこか陰鬱な地下の匂いが押し出されるようだ。
こちらを見て微笑んでいるルーメの横顔へ、地平から伸びた光が当たる。
金色の朝日が湿原を覆い、水面と朝露を一斉に輝かせる。ルーメの身体も地上の光を受け、白金色だった輪郭へ淡い金色が混じった。
俺は出口の石壁へ手をつきながら、湿原の向こうを見渡した。
西の方角には、辛うじて黒い丘陵が見える。煤鐘丘陵だ。
ラウゼンは、あの丘陵から見て南西に位置している。
ここから街へ戻るなら、湿原の西端へ出て、交易路へ合流するのが最も早い。身体は回復しつつあり、時間を掛ければ自分の足で歩けるだろう。
けれど、本当にそのまま戻ってよいのか。
黒釘は、俺が死んだと思っている。
既にギルドへ戻り、都合のよい報告を済ませている可能性が高い。
だが、問題はそこではない。
これまで長く違法採掘を続け、低級冒険者を使い潰しながら、何の疑いも持たれていなかったことだ。
ギルド全体が関わっているとは思いたくないが、組織の中に一人も協力者がいないと断言できるだろうか。
鉄級の中で上位、銀級に手を掛けてはいるとはいえ、全体で見ればまだ下位相当。
そんな連中が、採掘から先、手際よく進められているとも思えない。
何らかの後ろ盾はあるものと見た方が良いだろう。
ギルド以外の線もあるが、賭けに出るには少々不安が大きい。
ノコノコ戻って、生きていることが知られれば……
「どうしたの?」
思案顔の俺を見て、ルーメが首を傾げる。
そう、ルーメのこともある。むやみに連れて町を歩くのは得策ではない。
結晶はあるとはいえ、一度消えた後に再度呼び出した時、同じルーメが現れるとは限らない。
既に、この小さい相棒はかけがえのない存在だ。下手を踏みたくはない。
「いえ、そうですね……この先のことを考えていました」
ギルドを通さず、街へ入る方法はある。
東門は湿原や染料畑から戻る商人と採取人が利用するため、北門ほど冒険者の目は多くない。外套で装備を隠し、ルーメにも姿を見せないよう頼めば、宿までは戻れるかもしれない。
すぐには怪しまれないだろうが、それでも危険は大きい。
「ボク、隠れた方がいい?」
ルーメが自分の身体を見下ろす。
「今のところは、その方が安全かもしれません」
「どうして?」
「珍しい妖精を連れていると知られれば、余計な人間まで寄ってきますからね」
「なるほどー」
ルーメは少し考えた後、俺の襟元へ近づいた。
外套の内側へ隠れようとしたらしいが、光る身体は布越しでも淡く透けてしまう。
「これでは、懐に灯りを入れているように見えますね」
「あれぇ?」
ぴょこん、と顔を襟元から出したルーメが困り顔を見せる。光る髪の毛が顎先に当たってくすぐったい。
もぞもぞと身をよじりながら、外套から出てくる。
さぁて、本当、どうしましょうかねぇ。
まずは一旦、街の近場まで移動するべきか。
それとも別の場所へ流れるか。
判断を決められずにいると、光り球が微かに揺れた。
俺の肩口へ戻っていた白い球体が、湿原の南東へ光を向けている。
「ん? どうしたんでしょう」
朝靄の向こうを目を細めて見る。
最初に見えたのは、葦の上へ突き出した細長い棒だった。
棒の先には、小さな布が風を受けて揺れている。
続いて、荷を積んだ獣に、ソレが引く幌。
湿地へ沈まないよう板を敷いた古い交易路の上を、複数の影がゆっくりと進んでいた。
商隊か?
二台の小さな幌馬車と、数頭の荷獣。それを囲む護衛らしき人影が四、五人。
こちらは順路から外れている。よほど注意深く周囲を観察でもしていない限り、見つかることは無いだろう。
距離もまだあり、その表情までは確認できない。
「ダリオ。あれ、なぁに?」
ルーメが俺の視線を追う。
「隊商、でしょうかね」
おそらく、湿原で採れる薬草や毒草、染料を扱う小規模な隊商だ。
交易路の向きから見て、ラウゼンから来たようだ。
商人ならば、冒険者ギルドとは別の伝手を持っている。荷車があるなら、条件次第では乗せてもらえるかもしれない。
だが、見知らぬ商人を信用してよいとは限らなかった。
ましてこちらは、傷を負い、見慣れないモノを連れている。
身を隠そうか、どうしようか、考えていたその時だった。
隊商の先頭にいた人影が、こちらを見た。
まさか、と思ったが、勘違いではないらしい。
その人物は、片腕を高く上げ隊商を止めると、何かを随行の面々に伝えるような身振りをした後、一人でこちらに近づいてきた。
「ダリオ」
ルーメが俺の肩の後ろへ隠れる。
「こっちに来るよ?」
「……そうみたいですねぇ」
俺は四式の柄へ手を置き、朝靄の中から近づいてくる人影を見つめた。