隊商との距離は、まだそれなりにある。
馬車の脇には、何人かの人影が見えた。頭上に獣耳を持つ者ばかりで、弓や剣へ手を添えながら、こちらの様子を窺っている。
その中から、一人だけが前へ出た。
小柄な栗毛の馬に乗っていた若い女だ。
馬から下りると、手綱を近くの男へ預けこちらへ歩いてくる。
年齢は、見た目だけでは分からない。
獣人族は年齢が見た目通りじゃないですからねぇ。
浅黒い肌に、肩口で切り揃えた黒髪。髪の間からは薄茶色の獣耳がぴんと立ち、腰からは同じ色をした長い尾が揺れていた。
装いは旅商人らしく、厚手の外套に革製の腰帯、足元は使い込まれた長靴。細身の曲刀を提げているが、鞘へ手を掛ける様子はない。
とはいえ、無防備でもなかった。
背後の隊商は油断なくこちらを見ている。何かあればすぐに手を掛けられるように。
「ダリオ」
俺の肩の後ろへ隠れていたルーメが、小さな声を出した。
「誰かな?」
「……誰でしょうねぇ。厄介ごとじゃないと良いんですが」
視線はそのままにルーメに答えながら、右手を四式の柄から離した。
戦う意思はない。
それを見せるためだ。
光り球は右肩の少し前へ浮かび、静かに周囲を照らしている。ルーメは恐る恐るといった様子で俺の頭の後ろから半分ほど顔を出していた。
獣人の女は、十歩ほど手前で立ち止まった。
琥珀色の瞳が、俺の顔から四式へ移り、最後にルーメと光り球を見る。
その瞬間、彼女の獣耳がぴんと立った。
「二つ、まさか婆様の言うことが本当だとは」
驚きとも感心ともとれぬ声色。いや、若干の喜色も含まれているように感じる。
「二つ?」
「そっちの小さな妖精と、光の玉さ」
女は腰の革鞄へ手を入れた。
こちらが身構えないよう、ゆっくりとした動作で、折り畳まれた獣皮を取り出す。
「驚かせるつもりはないよ。まずは、これを見てもらいたい」
彼女は獣皮を開き、こちらへ向けた。
炭と赤い染料で、粗い絵が描かれている。
半ば埋もれた古い門のようなモノ。
その前に立つ、一人の人影。
そして人影の左右には、丸い光が一つずつ浮かんでいた。
あまり上等な絵ではない。
だが、客観的に見れば今の俺たちの状況を差している、と言っても良いくらいには似ていた。
「これは?」
視線を獣皮から女に戻しながら訪ねる。
「うちの長老が描いたものだ。部族のシャーマンでもある」
女は獣皮の絵と俺たちを交互に見た。
「出発前、その長老に占ってもらってね。まあ、うちの慣例みたいなもんさ。普段は、それほど大した結果が出るわけでもない」
だけどね、と区切ってこちらを見る。どこか楽しんでいるような雰囲気。
「朝霧の湿原で、閉ざされた水門から、二つの灯を携えた者が現れる。その者を王都へ導けば、失われた古い道へつながる――そういうお告げだった」
「ずいぶんとまあ、具体的ですね」
「だろう? 私らもこんなお告げは初めてでね。驚いたよ」
何がおかしいのか、くつくつと笑う。それに合わせて尾もユラユラと揺れていた。
女の目が、僅かに細くなる。
商人らしい、油断のない笑みだった。
「この辺りはいつも使う通商路でね。後は帰るだけ、って時に視界の端に光が見えたのさ」
彼女は俺の背後から覗くルーメへ視線を向けた。
「最後の最後に、門から二つの光が出てきたってわけだ」
「……なるほど」
どういう理屈かは分からないが、この女の部族のシャーマンとやらは俺たちのことを予言していたらしい。
だが、一体何のために?
女は俺の腰にある四式を一瞥した。
「その剣。旧王国の物だろう?」
確証があるような言葉。幾ら商人とはいえ、一瞥しただけで分かるものなのだろうか。
「よく、分かりますね」
無意識に手が四式に伸びる。奥に控えていた獣人達の肩が強張ったのをみて、ゆっくりと伸ばしていた手を下ろした。
「これでも古物を扱う商人だ。詳しい年代までは分からないが、鍔の形と金属の色が違う」
言っていることが正しいかは俺には判断がつかない。
だが、敵意は感じない。値踏みされている感覚はあるが。
「おっと、そうだ。まだ名乗ってなかったね」
女は獣皮を畳み、鞄へ戻した。
「あたしはナジャ・サルファ。《赤尾根商隊》の隊商長だ」
「隊商長?」
「若く見えるかい?」
「ああ、いえ、そういうわけでは」
慌てて手を前で振る。気を悪くさせるつもりはない。
「いいさ。今年で二十。若いってのは間違いじゃないしね」
ナジャは苦笑気味に笑いながら、遠くで待つ二台の幌馬車を親指で示した。
「あそこにいるのは、叔父夫婦と弟、いとこたち。全員、サルファ族の身内だよ。王都に小さな店があって、そこを本店にしている」
示された先へ目を向けると、何人かが手を上げこちらへ挨拶を寄越してきた。身内、というだけあり、その全員が獣人だった。
もっとも、獣人そのものは王都や大きな街では、さほど珍しい存在ではない。ラウゼンにも数こそ多くなかったが、商人や職人、あるいは冒険者として暮らす者がいたはずだ。
「そちらも、名を聞かせてもらえるかい?」
「ダリオ・クラインです。ラウゼン冒険者ギルド所属の冒険者です」
答えながら、外套の胸元へ手を入れた。
服の内側へ下げていた階級札を引き出し、ナジャへ見えるよう掲げる。
長年使い込んだ青銅製の札には、俺の名と所属支部、それから識別番号が刻まれている。
「青銅級?」
ナジャは札と四式を見比べた。
その表情は疑問の色が強い。
「ええ、大分年季が入ってしまっていますがね」
長年寄り添ったお陰か、青銅と言うには磨かれて光沢が出てきていた。
傍から見たら、鈍く輝く銀にも見えるかもしれない。だが、間違いなく青銅級の階級札だ。
「ふうん? 青銅級が、妖精を連れて、そんな装備を携えてるかねぇ」
ナジャの視線がさらに細くなる。疑っている、までは行かないが、何か事情があるのかと勘繰っているのだろうか。
こちらにも色々とあるが、恐らく彼女が思っているような事情ではない。
「そっちの妖精は?」
ひとまず思考に区切りをつけたのか、ルーメの方を見て聞いてくる。
「ルーメだよ!」
尋ねられた本人が肩の後ろから飛び出し、白金色の髪を揺らしながら胸を張る。
自身が隠れていたことは忘れていたような飛び出しっぷりに天を仰ぎたくなるが、努めて冷静を保つ。
「喋るのかい!?」
ナジャは驚いたように声を上げ、目を丸くした。
そのまま腰に手を当て、覗き込むようにこちら、正確にはルーメと俺を見比べてくる。
「王都で一度、森人の精霊術師に付いている小さな妖精を見たことがあるけど、人間の言葉なんて話さなかったけどねぇ」
「……こういう妖精もいるんですよ、ええ」
俺自身、妖精という存在自体は知っていたが、見たことは無い。
ルーメが普通に喋っていたので、そういうモノだと思っていたのだが……
「ダリオも喋るよ?」
きょとん。とした表情でルーメが首を傾げている。
ナジャは俺たちのやり取りを眺め、何か納得したように頷いた。
「なるほど。やっぱりあんた達は、他の冒険者とは違うみたいだ」
長老とやらのお告げのことを踏まえ、彼女自身の中ではひとまず収めたらしい。
まあ、当の本人である俺たちが一番置いてけぼりなんですけどねぇ。
「で、そっちの白い玉は?」
うんうん、と頷いていたと思ったナジャが、視線を光り球へと向ける。
こちらについては、変にごまかすよりそのまま伝えた方が良いだろう。
「運よく、遺物を見つけましてね。持ち主に付いて、辺りを照らしてくれるんですよ」
「そいつは、便利だね」
ナジャの目が光る。
無理もない。普段は松明で暗がりを照らしている身からすれば、勝手についてきて両手を空けてくれる灯りなど、喉から手が出るほど欲しい代物だ。
相場までは分からないが、銀貨では到底足りず、金貨を積んでもおかしくない。
「なるほど、それで二つの灯か」
ナジャは顎へ指を当て、改めて獣皮の絵を思い返しているようだった。
「……なあ、無理を承知で聞くんだが。ダリオさんよ、王都へ一緒に来てくれやしないかい?」
口にしたのは伺いを立てるような問いだったが、抑えきれずに滲んだ感情は決して小さくない。
それだけ、そのお告げを重く受け止めているのだろう。獣人族は古くからのしきたりや占いを尊ぶと、どこかで聞いた覚えがあった。
「俺を王都へ連れていきたいと?」
「正確には、長老へ会ってもらいたい。あたしたちは本店へ戻る途中だし、馬車には一人分くらいの余裕がある」
「断ったら?」
「無理には連れていかないよ」
ナジャは肩を竦めた。
「ただ、無理を言ってきてもらうんだ。色々と便宜は図れるはずさ」
そう言って、彼女はこちらの反応を窺うように目を向けてきた。これも商人なりの駆け引きというものなのだろうか。
それにしても、王都か。
ラウゼンへ戻りたい気持ちは、もちろんある。だが、黒釘の連中に襲われたことや、ギルドがどこまで関わっているのか分からない現状を思えば、素直に帰るのは危険だった。
依頼そのものは失敗扱いになるだろうが、黒釘からはすでに俺が死んだと報告されている可能性が高い。生きて戻ったと知られれば、今度こそ確実に口を塞ぎに来るかもしれない。
そう考えると、彼女たちに同行して王都へ向かい、しばらく身を潜めるというのも、悪くない選択に思えた。
「……分かりました。行きましょう」
「お! ほんとかい!」
喜色を浮かべて彼女の尻尾も揺れた。
「ええ、さっそく、少しお願いがあるんですが」
「ああ、構わないさ。とはいえ、先に合流してからにしようか」
そう言うと、ナジャはくるりと背を向け、そのまま隊商のもとへ歩き出した。心なしか、その足取りは軽い。
「よーし! 行こう!」
ルーメが元気よく腕を上げる。
「ええ、そうですね」
外套のずれを直し、先を行くナジャの背中を追う。
光り球は俺の肩口にぴたりと付き従い、その隣ではルーメが楽しげに宙を舞っていた。