赤尾根商隊との旅は、思ったよりも居心地の良いモノだった。
夜明け前に夜番の火を強くし、湯を沸かして固いパンを柔らかくしたものを皆で食べる。馬へ水を飲ませ、車輪や荷紐の具合を確かめてから街道へ出る。昼は短く休み、日が傾く前に宿場か野営地を探す。
俺は幌馬車へ乗り、必要に応じて周囲の警戒を手伝った。
光り球は出したり、出さなかったり。必要な時以外は腰に収めたまま。
ルーメには、休憩の隙に結晶を砕くが、幸い見とがめられたことは無い。
「なぁ、ダリオは王都に行ったコトあるのか?」
御者台の少年が振り返りながら訪ねて来た。ナジャを除けば、話す機会は彼が一番多い。
「残念ながら。ですから、年甲斐もなくワクワクしてますよ」
「お! そうなのか。じゃあ、王都の話してやるよ」
「こら! あんたはまた!」
もう馴染みになってしまったように年長の女から怒鳴られ、少年は慌てて前へ向き直った。
これも、旅が始まってから何度目か分からない。
ルーメは少年が叱られるたびに面白そうにくすくすと笑い、最近では御者台のすぐ後ろを飛ぶことが増えていた。
少年も王都の店や祭りの話をしたがり、そのたびに手綱がおろそかになって怒られている。
隊商の中での俺の扱いも、日を追うごとに少しずつ変わっていた。
当初は、何をするにも探るような視線を向けられていたものだが、今では少なくとも、害をなす人間ではないと判断されているらしい。
もっとも、こちらから必要以上に彼らの懐へ踏み込むつもりもない。互いに深入りしない。今くらいの距離が俺にはちょうどよかった。
街道沿いの景色も変わってきた。雑木林が増え、小さいながら集落のようなモノの傍を通る時もある。
宿場では荷車の輪へ油を差し、野営では獣避け香の煙を焚く。隊商の旅は派手ではないが、堅実ではある。
俺も夜番をすることもあった。まぁ、他の獣人と組んで、だが。
旅の四日目。
街道が林の中へ入った頃、先頭を進んでいたナジャの馬が急に足を止めた。
ピン、と耳が立ち、彼女の視線が右手の藪へ向く。
「止まって」
短い声が飛ぶ。
二台の馬車が速度を落とし、護衛を務める年長の男が弓を手にした。幾人かは馬車から鉈を取り出し、少年へ手綱を離さないよう告げる。
俺には何も分からなかったが、流石は獣人、と言ったところか。
荷台から降り、四式の柄に手を添える。ルーメは俺の後ろに隠れるようにしていた。
「匂うな。三……いや、四頭いる」
年長の男が低く言った直後、藪が大きく揺れた。
飛び出してきたのは、巨大な猪だった。黒褐色の毛は泥で固まり、肩から背中にかけて岩のような甲皮が重なっている。額には横へ湾曲した太い角が二本。
《鎧角猪》。
肉は食用になるが、並の猪より気性が荒く、街道へ出れば荷馬車ごとひっくり返す獰猛な魔獣だ。
一頭目に続き、左右の藪から三頭が姿を現した。
「馬と荷を守れ!」
ナジャの声で皆が動く。
年長の男の矢が先頭の一頭へ飛び、右目の下へ突き刺さった。だが浅い。鎧角猪は頭を振っただけで速度を落とさず、一台目の馬へ突進する。
俺は四式を抜き、馬車の前へ走った。
「正面に立つな!」
「分かっています!」
猪と力比べをするつもりはない。
相手が角を下げた瞬間、横へ踏み込み、四式を振るう。狙ったのは分厚い甲皮ではなく、前脚だった。
刃が腱を断つ。
鎧角猪は体勢を崩し、勢いのまま地面へ肩から突っ込んだ。湿った土と落ち葉が跳ね上がり、巨体が馬車の手前を滑っていく。
倒れただけでは終わらない。
俺はすぐさま背後へ回り、耳の後ろへ四式を突き刺した。深く抉ると、猪の身体が激しく震え、やがて動きを止める。
「後ろ!」
ルーメの声が飛ぶ。
振り向くと、二頭目が横合いから迫っていた。
避けるには近い。
俺はとっさに腰帯から《障壁球》を取り出し、地面へ叩きつけた。
淡い膜が広がり、猪の突進を受け止める。障壁は大きく軋み、一度で砕けたものの、その瞬間にナジャが脇から曲刀を振り下ろした。
刃が前脚の付け根へ入り、猪がよろめく。
「今だよ!」
俺は四式を両手で握り、開いた喉へ突き込んだ。
残り二頭は、年長の男と女が相手をしていた。
男の矢が鼻面と目元へ続けて刺さり、女は鉈で猪の突進を逸らしている。そこへナジャが回り込み、後脚を切った。
一頭が倒れたところへ、もう一頭が向きを変えた隙に年長の男が眼窩へ矢を射った。
最後の一頭は仲間がやられたことに怯んだのか、林へ逃げ込もうとする。
「逃がすな! また街道へ出るぞ!」
ナジャが叫ぶ。
俺は落ちていた石を拾い、猪の進路へ投げた。ほんの一瞬、意識が逸れる。
その間に獣人の男が距離を詰め、短槍を後ろ脚の付け根へ突き立てた。猪が横倒しになり、ナジャの曲刀が首を断つ。
林へ静けさが戻った。
獣人達と俺の荒い息と、怯えた馬の鼻息だけが聞こえる。
俺は四式についた血を振り払い、周囲を確認した。荒れた息を整えるために、大きく深呼吸をする。
続く気配はなさそうだ。
「青銅級にしてはやるじゃないか」
年長の男が、倒れた猪から短槍を抜きながら言った。
褒められることに慣れていないせいか、返せたのは曖昧な笑みだけだったが、まあ、こればかりは仕方がない。
それでも、道具の扱いには少しずつ慣れてきている。中でも四式は手に吸い付くようになじんできた。いい具合だ。
討伐した鎧角猪は、四頭すべてを運べる大きさではなかった。
売ればそれなりの値になるが、解体に時間を掛けすぎれば日が暮れる。ナジャたちは甲皮の状態がよい二頭を荷へ積み、残りは肉と角だけを取ると決めたようだ。
街道から少し外れた水場へ運び、まず喉を切って血を抜く。後脚を木の枝へ吊り、腹を上にして固定すると、腸を傷つけないよう慎重に肛門の周囲へ刃を入れる。
胸骨の下から腹部へ刃が走り、厚い皮の下に白い脂が現れる。腹膜を浅く切ると、まだ熱を持った内臓が重みで下がってきた。
胃や腸を破れば臭いが肉へ移る。
刃先を立てず、手を差し入れて膜を剥がしながら、内臓はまとめて木桶で受けた。肝臓と心臓は傷や変色がないか確かめ、食べられる部分だけを別へ取る。肺には寄生虫の跡があったため、迷わず捨てた。
皮を剥ぐときは、後脚から切れ目を入れ、肉と皮の間へ拳を押し込む。鎧のような背の皮は重く、二人掛かりで引かなければ外れなかった。
少年も手伝おうとしたが、刃物を持たされることはなく、桶の水を替え、切り分けた肉へ塩を擦り込む役を任されていた。
夕方には野営地へ着き、解体したばかりの肉が鍋と鉄串へ。
腿肉の一部は厚めに切り、翌日以降のために塩を多めに擦り込んで布へ包む。残った骨も捨てず、割って髄を煮出すため別の袋へ収められた。
命を奪った以上、使えるところを無駄にしない。それが狩りをする者の最低限の礼儀なのだと、獣人達は言った。
煮込みへ最後に加えられたのは、赤尾根になじみのあるらしい乾燥香草だった。指先で揉むと、柑橘に似た爽やかな香りが立ち、獣肉の濃さを和らげる。
鍋の蓋を開けた瞬間、脂の甘い匂いと香草の清涼感が一緒に広がり、昼から働き通しだった全員の視線が火の上へ集まった。
肩肉は筋が多いため、小さく切って香草と一緒に煮込む。骨の周りについた肉はこそげ取り、刻んだ根菜、豆、干した茸とともに鍋へ入れた。
心臓は薄く切り、塩と潰した香辛料をまぶして串へ刺す。
肋骨の間から取れた柔らかな肉には、粗塩だけを振った。
火種石で熾した炎の上へ鉄板を置くと、脂が落ちて鋭い音を立てる。焼けた肉の表面が縮み、透明な脂が浮かび上がった。
肉の焼ける香ばしい匂いが辺りへ広がると、御者を務めていた少年が待ちきれない様子で鉄板の上を覗き込んだ。
「うわぁ……たまんねぇなぁ」
「近づきすぎると、脂が跳ねますよぅ」
「へへっ、大丈夫だって――あちっ!」
言ったそばから弾けた脂が頬へ飛び、少年は慌てて顔を仰け反らせた。
焼けた肉を裏返す。
表面には濃い焼き色がつき、切れ目から赤みを帯びた肉汁が滲んだ。もう少し火を通し、中心まで熱が入ったところで、木皿へ移す。
最初の一切れを口へ運ぶと、表面は香ばしく、中には弾力のある肉汁が残っていた。
野生の獣らしい濃い風味はあるが、嫌な臭みはない。噛むほど脂の甘さが広がり、粗塩がそれを引き立てる。
心臓はさらに歯応えが強く、香辛料の辛みとよく合った。
煮込みの鍋では、細かく切った肩肉が柔らかくなり、骨から出た脂が豆と根菜へ染み込んでいる。
湯気とともに香草の匂いが立ち、固いパンを浸せば、汁を吸って崩れるほど柔らかくなった。
「どうだ、うまいだろ?」
少年が我がことのように自慢げな顔で聞く。
「ええ。初めて食べましたが、臭みもありませんね」
「俺が水を何回も替えたからな!」
「いやぁ、ありがとうございます」
褒めると、少年の耳が誇らしげに立った。
炎を囲む空気は柔らかい。
同じ獲物と戦い、同じ肉を切り分けて食べた。ナジャの言葉を借りるわけではないが、家族、とやらに近づいたのかもしれない。
そして出発から七日目。
昼前の高い日差しの中、長い坂を上り切ったところで、前を進んでいたナジャが馬を止めた。
「見えたよ」
街道の先。
広大な平野を横切るように、白灰色の城壁が伸びていた。
壁の上には塔が幾つも並び、その向こうには、数え切れないほどの尖塔と屋根が重なっている。街道はそこへ吸い込まれるように続き、人と馬車の列が、遠目にも分かるほど長く門の前へ連なっていた。
「ダリオ!」
ルーメが荷台から飛び出し、空中で目を見開く。
「あれが王都?」
「ええ」
十三年間、ラウゼンを出る機会などほとんどなかった。
俺にとっても、これほど大きな街を見るのは初めてだ。
王都ラグナード。
白く光る巨大な城壁の向こう側が、俺を待ち構えていた。