「ピナさん」
「ああ?」
木箱を抱えたピナが振り返る。
銅色の巻き毛を布で押さえた、丘小人族の女だ。確か、年のころは三十を少し過ぎたとどこかで聞いたが、小柄な体格のせいで、俺の目にはもっと若く見える。
もっとも、値段交渉をする時の目つきだけは、三十どころか百年商売をしている古狸のようだった。
「まだ、買えますかね?」
「物によるね。毒薬と棺桶なら明日にしておくれ」
「どちらも買いませんよぅ」
「じゃあ入りな。閉めるところだったんだ」
ピナが顎で店内を示す。
俺は一度、腰の財布を押さえ、それから店へ入った。
《ボルツ商店》の店内は、外観から想像するよりもずっと狭く感じる。
壁際の棚には、松明、火口箱、油壺、包帯、保存食、針金、革袋、鉄釘、粉末石灰などが隙間なく並べられており、天井からは縄や水袋が吊るされ、奥の棚には簡単な罠や怪物避けの香が置かれていた。
乾燥させた薬草と油、それに革の臭いが混ざっている。
物がギチギチに積み上がっていて、まるで何処かの詰め込み過ぎた納屋みたいだった。
「何がいるんだい」
「ええと……」
俺は棚を眺めた。
どうせ試すなら、中途半端な金額では意味がない。
明日の飯が無くなるかもしれないが、その時はその時だ。
「松明を六本。油壺を二つ。保存食を六食分ください」
品物を取ろうとしたピナの手が止まる。
「珍しいね」
「そうですか?」
「あんた、いつもなら松明は三本。保存食は四食分だろ。油壺なんて、滅多なことじゃ買い足しゃしない」
「よく覚えてますねぇ」
「客が前に何を買ったか覚えてない商人は、早めに店を畳んだ方がいいさ」
ピナは俺を睨んだまま、それでも品を台へと置いた。
「ほかは?」
「包帯を二巻と、縄を一抱え。火口箱。粉末石灰を一袋。それと鉄釘も一袋」
「遠出かい?」
聞きながらも、その手は淀みなく商品を棚から取り出す。
「いえ、まあ……その予定はまだないですかね」
「ふうん?」
「いや、まぁ、そのぅ」
「ふん、客の詮索をするなんて耄碌したかね。詳しくは聞かないよ」
ピナの視線が逸れたことで、少しばかりホッとする。
そのまま視線をずらし、店の奥にある鍵付きの棚を見た。
透明な液体の入った小瓶が数本並んでいる。
「あ、あと、安い回復薬を一本。それから、解毒薬も一本ください」
ピナは先ほど言ったことを忘れ、完全に手を止めた。
「あんた、何をする気だい」
「何もする気はないですよ」
「お前さんが、そこまでつぎ込んで道具を買い込んだりするタマかい」
うぐ、そう言われると、まあ確かに。
回復薬が大銅貨四枚。解毒薬が大銅貨三枚。残りの品を合わせれば、ちょうど銀貨一枚、大銅貨六枚、銅貨八枚になる。
俺の、全財産。
「どうせ死ぬなら豪勢に、という顔には見えないけどね」
「死ぬ気はありませんって」
ピナが、ひどく長いため息をついた。
「念のため聞くよ。借金取りに追われてるんじゃないだろうね」
借金取りに追われ、買えるだけの物を買って街を出る。良くある話ではある。
「借りられる信用がありませんよぅ」
「胸を張るところじゃないね」
「ごもっとも」
ピナはしばらく俺の顔を観察していたが、やがて諦めたらしく、鍵を開けて薬瓶を二本取り出した。
全商品が台の上へ並べられる。
松明六本。
油壺二つ。
硬焼きパンと干し肉、乾燥豆をまとめた保存食六食分。
包帯二巻。
縄一本。
火口箱。
粉末石灰。
鉄釘。
回復薬。
解毒薬。
十三年間、何度も買ってきた品々だった。
どれも、冒険者にとって珍しい物ではない。
ただし、こんな量を一度に買ったのは初めてだ。どこかワクワクしている自分がいる。
なんというか、コレが大人買い、と言う奴なのだろうか。
「銀貨一枚、大銅貨六枚、銅貨八枚」
「分かりました」
俺は財布を開いた。
中身をすべて、台の上へ出す。
まず銀貨を一枚。
次に大銅貨を六枚。
最後に銅貨を八枚。
ピナは俺が出した硬貨を一枚ずつ指で弾き、音と重さを確かめた。偽造貨幣でないことを確認すると、革袋へ入れる。
「確かに、ちょうどだよ」
「……ですよね」
「なんだい、その顔は」
「いえ」
俺は空になった財布を手に取った。
袋の口を下へ向け、二度振る。
何も落ちない。
内側へ指を入れても、当然ながら硬貨は残っていなかった。
俺の全財産は、間違いなくピナの革袋の中へ移った。
「ピナさん」
「なんだい」
「今の金、受け取りましたよね?」
「いよいよ頭がおかしくなったのかい?」
「そうですよね。すみません」
俺は買った品々を背負い袋へ詰めた。
全財産を失った重みが、肩へずしりとのしかかる。
これで、朝飯を買う金もない。
宿代は今月分まで払っているが、次の依頼を早急に見つけなければ、その先はない。
冷静に考えれば、ひどく馬鹿なことをした。酔いのせいか、いや、何かを変えたかったのか。
説明のできない違和感を確かめるために、持っている金をすべて使ったのだ。
「やっぱり、一つくらい返品を――」
「駄目だよ」
「まだ言い終わってませんよぅ」
「薬を出した時点で返品はなしだ。食料も一度客の袋に入れた物は戻せない」
「そうですよねぇ」
「明日の朝になって後悔しても遅いからね」
「もう後悔してます」
「早いね」
ピナに見送られ、店を出た。
外の空気は先ほどよりも冷たくなっていた。懐の方はもっとだ。
背負い袋の中で、油壺と薬瓶が触れ合い、小さく鳴る。
俺は店から数歩離れ、自分の財布の中を覗き込んだ。
空だ。
さっき、確かに空であることを確認した。
「……まあ、そうですよね」
馬鹿な期待をした自分が恥ずかしくなり、財布を腰へ戻そうとした。
その瞬間だった。
革袋の中で、何かが触れ合う音がした。
しゃり、と。
小さな、けれど聞き間違えようのない金属音。
手が止まった。
どきりどきりと、今まで感じたことのないくらい鼓動が速くなる。
ごくり、と唾を飲み込み、ゆっくりと財布の口を開く。
手が震えているのが分かる。
財布の中に、何かが見えた。
街灯の光を受け、中にある硬貨が鈍く輝いた。
「…………」
銀貨が一枚。
大銅貨が六枚。
銅貨が八枚。
俺は口を開いたまま、しばらく動けなかった。
数える。
もう一度数える。
銀貨一枚、大銅貨六枚、銅貨八枚。
一枚も欠けていない。
「いやいや……」
店の扉を振り返った。
窓越しに、ピナが先ほど受け取った硬貨を整理しているのが見える。銀貨を持ち上げ、ランプの光へ透かし、それから金庫へ入れた。
俺が渡した金は、確かにあちらにある。
だが、俺の財布の中にも、同じだけある。
「待ってくださいよ……」
声が掠れた。
「なんですか、これ」
誰も答えない。答えられない。
ただ、一人の冒険者の呟きだけが風に乗って消えていった。