王都南東支部の冒険者ギルドは、赤尾根商会から歩いてそう遠くない場所にあった。
中央通りから二本ほど外れた広場に面した、三階建ての石造り。入口の上には剣と羽根を組み合わせた冒険者ギルドの紋章が掲げられているが、ラウゼン支部より大きいわりに、中へ入ると妙に雑然としていた。
冒険者だけでなく、荷運び人や職人、近隣住民らしい者まで出入りしているからだ。
壁一面の依頼板には魔物討伐や護衛だけでなく、倉庫の荷下ろし、屋根裏に入り込んだ害獣の駆除、下水路の点検、古い井戸や建物の安全確認まで様々な依頼書が掲げられている。
どうやらこの辺りの冒険者は、町の困り事を請け負う何でも屋、と言った方が近いらしい。
「人がいっぱいだねぇ」
外套の中から、ルーメが小声で言った。
「ええ、静かにしてくださいね」
「分かってるよぉ」
声を潜めて言葉を交わすものの、周囲では冒険者や職員が忙しなく行き来しており、こちらへ注意を向ける者はいないようだった。
そのまま人の流れを縫うように進み、ちょうど空いていた受付へ向かう。そこで青銅の階級札を取り出し、受付台の上へ差し出した。
「ラウゼン支部所属ですね。王都での依頼受注をご希望ですか?」
「ええ。しばらく滞在する予定でして」
栗色の髪を後ろでまとめた受付嬢は、受け取った階級札へ目を落とし、何やら照合している。
その途中、ほんの一瞬だけ指先が止まったが、もっとも、それだけだった。
おそらく目に留まったのは、登録された年月と、そこに刻まれた青銅級の階級だろう。
冒険者になってからそれなりの年月が経っているにもかかわらず、未だ青銅級。珍しい部類ではあると、自分でも分かっている。
とはいえ、別に規則へ反しているわけでもない。そこで顔に出したり、余計なことを口にしたりしない辺りは、さすが王都の受付といったところだろうか。
「ありがとうございます。確認できました」
受付嬢は何事もなかったように階級札を差し戻してきた。
「どうも」
礼を告げて受け取ると、そのまま依頼板の前へ移動する。
ラウゼンに比べても、街中で出来る依頼が多い。鉄級ともなれば、外でそれなりの討伐依頼なんかも多くなるが、青銅ではまだまだ。
この辺りの土地勘もない。まずは手近なものを受けておきたいところだが――。
依頼書を一枚ずつ眺めていると、不意に風の流れを感じた。
入口は閉まっているし、近くに窓もない。なんだ?
振り向いたところで、淡い緑色の光が視界を横切った。
「……?」
小さな人影だった。
俺の手のひらほどの何かが、宙へ浮いている。
淡い緑の髪は風もないのに揺れ、背後には薄く透けた羽が二枚羽ばたいていた。
妖精。
ルーメ以外の妖精を見るのは初めてだ。
その妖精はこちらを――正確には、俺の外套の内側をじっと見ていた。
「ミリィ?」
少し離れたところから女の声がした。
長く尖った耳。
淡い金髪を肩口で束ね、深緑の外套の下には軽い革鎧を着込んでいる。背には細身の弓。腰には二本の短剣。
森人の女だった。
妖精は彼女の肩へ戻ると、耳元へ顔を寄せた。
口が動いているように見えるが、俺には何も聞こえない。
森人の女の表情が変わった。
真っ直ぐこちらへ歩いてくる。
「あなた」
「はい?」
「その外套の中、何を隠してるの?」
声が大きい。
近くにいた冒険者が二人ほど振り返った。
「……少し、こちらへ」
「は?」
「ここでは困りますので」
「ちょっと、何を――」
こちらの言葉に耳を貸す様子もないので、少々強引ではあるが、その手を取って引っ張った。
最初こそ女も強く抵抗したものの、周囲から集まる視線に気づいたのだろう。やがて大人しくなり、俺は背中にいくつもの好奇の目を感じながら、そのままギルドを後にした。
さすがに広場の真ん中で話すわけにもいかない。
建物の脇へ回り込み、荷車一台がどうにか通れるほどの細い路地へ入る。さらに木箱が積まれた陰まで進んだところで、ようやく掴んでいた手を離した。
「……っ」
森人の女は、解放された右手をさっと胸元へ引き寄せる。
見ると、長い耳の先がほんのりと赤く染まっていた。
……どうやら、ずいぶん怒らせてしまったらしい。
「いきなり触らないで!」
「すみません。ただ、中で話をされますと、その……」
「だからって手を引っ張る必要はないでしょう!」
耳の赤みが少し増した。
かなり腹を立てているようだ。
肩にいる緑の妖精が、そんな彼女を見ながら楽しそうに身体を揺らしている。声は聞こえないが、笑っているのだろうか。
「ミリィ。何がおかしいの」
森人の女が睨む。
妖精は知らないというように顔を逸らした。
「それで、俺の外套が何か?」
「惚けないで。ミリィが妖精の気配を感じたって言ってる」
ふむ? 俺には緑の妖精の声は何も聞こえないが、彼女には聞こえているということだろうか。
「妖精を隠してるでしょう」
「いや、これには事情がありまして……」
「捕まえた妖精を隠してる事情?」
「捕まえていませんよぅ」
「だったら出しなさい」
森人の女の声から、先ほどまでとは違う険が滲んだ。
「人間が妖精を捕らえて売るのを、私は知ってる。魔法具の材料にしたり、金持ちの見世物にしたり。だから――」
「ダリオ」
外套の内側から、ルーメが声を出した。
「出ていい?」
森人の女が目を見開く。
……しかたない、ですかねぇ。ここまで聞かれた以上、隠しておく方が面倒になりそうだ。
「仕方ありませんねぇ」
そう言って、外套の前を少し開く。
白金色の光が漏れ、ルーメがひょいと顔を出した。
「こんにちは!」
ルーメが外へ飛び出し、いつものように俺の肩へ座る。
緑の妖精――ミリィも飛び上がった。
空中で向かい合った二人は、しばらく互いを眺める。
「ボク、ルーメ。きみは?」
ミリィが何かを答えたらしい。
だがルーメは首を傾げた。
「聞こえないよ?」
「ミリィの声は、契約している私にしか届かないわ」
森人の女が言う。
「そうなの?」
きょとん、とした顔でルーメがこちらを見る。
こちらに振られても……。
「あなたは……誰にでも声が聞こえるの?」
「うん。そうだよー!」
「属性は?」
「ぞくせい?」
「……いえ。それは後でいいわ」
何か気になるらしいが、今は俺への疑いを晴らす方が先らしい。
「その人に捕まってるわけじゃないの?」
「ダリオに?」
「そう」
「違うよ。ボクが一緒にいるの」
「逃げようと思えば逃げられる?」
「なんで逃げるの?」
「……いや、だから」
話が噛み合っていない。
ルーメは困ったように俺を見た。
「ダリオって怖い人?」
「どうでしょうねぇ」
「よく怒られるよ」
「ほら」
「危ないところに近づいた時とか」
「…………」
「知らない物を触ろうとした時も」
「……それは止められるわね」
「でしょ?」
なぜかルーメが得意げになった。
ミリィはまた笑っているようで、小さな風が二人の周囲をくるくる回っている。
「納得していただけましたか?」
「……少なくとも、妖精を捕まえて連れ回しているわけではなさそうね」
「ご理解いただけたようで何よりです」
「別に、あなたを信用したわけじゃないけど」
釘を刺すように言われたものの、ひとまず誤解そのものは解けたらしい。
改めて名乗り合ったところ、森人の女はリュネ・ファルナ。肩に乗っている妖精は、ミリィという名だった。
聞けばリュネは鉄級の冒険者で、この南東支部を拠点に活動しているらしい。地下道や森林での仕事、それに植物系の魔獣が絡む依頼を得意としているという。
そんな話をひとしきり交わしたところで、ミリィが何やらリュネに話しかけると、ソレを受けて何やら思案気な顔をした後、頷きをひとつ。
「……そうだ。ちょっと来て」
それだけ告げると、俺たちの返事も待たずに踵を返し、さっさとギルドへ戻っていってしまう。
その肩口から、ミリィだけがこちらを振り返り、小さな手でしきりに手招きしていた。
「……行きますか」
「うん!」
ルーメと顔を見合わせ、とりあえず後を追うことにする。
再びギルドへ入ると、リュネは依頼板の反対側にある受付の前に立っていた。手には一枚の依頼書を持ち、先ほどの受付嬢と何やら話し込んでいる。
「単独でなければいいんでしょう?」
「……ですが、その場合でも、こちらとしては鉄級二名程度が妥当だと判断しています」
どうやら、受付で揉めているらしい。
リュネの肩にいるミリィは、そんなやり取りなど気にも留めず、こちらへ向かって相変わらず手招きを続けている。
何事かと近づいていくと、こちらに気づいたリュネがぱっと振り返った。
「あなた、これから仕事を探すつもりなんでしょう?」
「そのつもりですが」
「地下を調べるような依頼は経験ある?」
「内容にもよりますが、それなりには」
そう答えると、リュネは手にしていた依頼書を俺の前へ差し出した。
「南東区にある古い共同住宅よ。床の一部が沈んで、地下室の壁にも亀裂ができてる。しかも夜になると、その壁の向こうから何か音がするらしいわ」
「ふむ……」
受け取って、依頼の内容へ目を通す。
共同住宅の内部と地下室の安全確認。基本報酬は銀貨三枚。地下に空洞、あるいは魔獣などが確認された場合は、危険度に応じて追加報酬あり。
そして受注条件には、確かに『二名以上』と記されている。
「こちら、階級についての指定はないようですが」
受付嬢へそう尋ねると、ただでさえ困っていた顔が、さらに困ったように曇った。
……いや、なんだかすみませんねぇ。
「ほら! 規約上は問題ないんでしょう? だったらいいじゃない」
勢いを得たリュネが畳みかける。
だが、そこで今度はこちらが口を挟んだ。
「あのぅ。話を進めているところ申し訳ないんですが……どうして俺なんです? それに、まだ受けるとも言ってませんよ」
「ミリィが、あなたがいいって言うから」
「ミリィが?」
「まあ、正確には――」
リュネはにやりと口元を吊り上げた。
「“ルーメを連れたあなた”がいい、みたいだけどね」
「面白そう!」
外套の中から、ルーメが小声ながらも嬉しそうな声を上げる。
こちらとしても、鉄級の冒険者と組めるのはありがたい。しかも妖精まで連れている相手となれば、条件だけを見れば悪くない話ではある。
「いいじゃない。どうせ依頼を探してたんでしょう?」
「まあ、そうなんですけどねぇ……」
肩越しに、外套の中からルーメがひょこりと顔を出す。
それを見つけたミリィが嬉しそうに手を振ると、ルーメもすぐさま小さな手を振り返した。
どうやら俺たちの都合など関係なく、この二人はすでに随分と打ち解け始めているらしい。
「それで?」
リュネが改めて、依頼書をこちらへ突き出してくる。
「受けるの? 受けないの?」
さて。
俺をハメようとしている可能性まで考えれば、警戒するに越したことはない。
だが、先ほど妖精を捕まえていると勘違いして真正面から噛みついてきた様子を見る限り、少なくとも腹の内で妙なことを企むような性格には見えなかった。
それに、この依頼そのものも悪くない。
「……ええ。受けますよ」
「決まりね」
リュネが満足そうに笑う。
こうして俺の王都での最初の仕事は、なんとも妙な成り行きで決まることになった。