依頼の受注手続きを終えると、リュネは受付台から少し離れたところで足を止め、こちらへ向き直った。
「じゃあ、早速行きましょうか。……その前に、お互いの持ち物だけ確認しておきましょう」
依頼板から少し離れた一角には、簡素な卓がいくつか並べられている。依頼を受けた冒険者たちが、内容を確認したり、その場で簡単な打ち合わせをしたりするための場所らしい。
空いている卓へ移り、互いに持っているものを簡単に広げていく。
俺の手持ちは、《四式》のほかに麻縄、水筒、小刀、簡単な補修具、それから埃や煙を防ぐための布。
もちろん、水路で手に入れた《光り球》なんかは出さない。
冒険者なら、いざというときのために人へ見せない手札の一つや二つは持っているものだ。こちらからわざわざ全部を明かす必要もないだろう。
一方のリュネは、弓と短剣に加え、木炭の筆、木製の楔、小型の槌、細縄に水袋、それに簡単な傷薬を持っていた。調査の依頼に慣れているという話どおり、戦うためというより、調べるための道具が目立つ。
「そういえば、あなた水は?」
「ああ、それならこいつがあります」
尋ねて来たリュネに、左手を持ち上げ《湧水の指輪》を見せる。
「あら、魔道具ね」
リュネは指輪に嵌め込まれた青い硝子玉を覗き込み、軽く頷いた。
「……うん。残りも十分そうね。それなら問題なし」
「灯りの方は、どうします?」
卓に広げられた荷を見回しても、お互いそれらしいものは見当たらない。
最悪、ルーメに明かりになってもらうことはできるだろうが、できればもう少し安定した光源が欲しい。俺一人なら《光り球》を使えば済む話だが、そうもいくまい。
そう思って尋ねると、なぜかリュネの口元がわずかに吊り上がった。
「ああ、それなら大丈夫よ」
「……?」
「まあ、見てなさいって」
妙に得意げである。
何をするつもりなのか気にはなったが、本人がそこまで自信ありげに言うのなら、ひとまず任せてみてもいいだろう。
「では、準備は問題なさそうですねぇ」
「ええ。行きましょう」
リュネがひと足先に歩き出す。その肩に乗ったミリィがこちらを振り返り、外套の隙間から顔を覗かせていたルーメへ、小さく手を振った。
二人の様子に苦笑を漏らしつつ、俺は周囲へさりげなく視線を巡らせる。
特にこちらを気にしている者はいない。
それを確かめてから、リュネの後を追うようにギルドの外へ出た。
依頼先は、南東区の中でもさらに外縁に近い場所にあるらしい。
昼を少し回った通りには、荷車や買い物客が絶えず行き交っていた。中心部から離れるにつれて商店の数は減り、その代わりに鍛冶場や染物屋、革職人の工房といった、音や匂いの強い仕事場が目立つようになっていく。
俺とリュネが並んで歩く少し上では、ミリィが気ままに宙を飛んでいた。
しばらくすると、それに誘われたのか、外套の中に隠れていたルーメもひょこりと顔を出し、そのまま外へ飛び出していく。
まあ、すぐ隣でミリィが堂々と飛んでいるのだ。似たような姿のルーメが一緒にいても、それほど奇異には映らないだろう。
「ねえ、ミリィって何を食べるの?」
さっそくルーメが尋ねると、ミリィ本人ではなくリュネが答えた。
「大気に漂っている魔力と、植物の精気よ。ミリィは風の妖精だから、外にいればそれだけで十分ね」
「へぇー。そうなんだぁ」
感心したように頷くルーメを見ていたリュネが、今度はこちらを探るような目を向ける。
「……じゃあ、ルーメは何を食べるのかしら?」
「うーん? なんにも食べないよ!」
当の本人は、探られていることにも気づかずあっけらかんと答えた。
「妖精なのに?」
リュネが訝しげにルーメと俺を見比べる。
とはいえ、俺にしたところで、ルーメのことをすべて理解しているわけではない。
結晶を砕いて与えると顕現していられる時間が延びる。それを考えれば、結晶から放たれている何かが、ルーメにとって食事のような役割を果たしているのかもしれないが。
「ボク、妖精なのかな?」
今度はルーメ自身が不思議そうにこちらを見上げた。
「俺に聞かれましてもねぇ」
見た目だけなら、どう見ても妖精だ。
だが、自然の中から生まれたというミリィと、旧王国の遺物から現れたルーメが、果たして同じ存在なのかどうか。それは俺にも分からない。
リュネも同じところが気になったらしく、眉根を寄せる。
「……じゃあ、何の妖精なの?」
「ボク? うーん……救命妖精?」
「…………救命?」
聞き慣れない言葉を反芻したあと、当然のようにリュネの視線がこちらへ向いた。
「その辺りは、ちょっと複雑なんですよぅ」
苦笑しながらそう返すと、リュネは何か言いかけたものの、途中で思い直したように口を閉じた。
「……そう」
それ以上、踏み込んではこなかった。
ギルドで見せた最初の剣幕を思えば、そのまま根掘り葉掘り尋ねられてもおかしくなかっただけに、少し意外ではある。
まあ、冒険者同士で相手の懐を探るにも限度というものがある。最初の時と違い、一応今では対等の冒険者同士、と言うヤツだ。
聞かれたくないことへ無遠慮に踏み込みすぎて、抜いた抜かないの騒ぎになることだって、そう珍しくはないのだから。
南東区の外れへ近づくにつれ、通りは次第に細くなっていった。
軒を連ねる家々も古びたものが増え、ところどころ補修された壁には、色の違う板材や角材が継ぎ当てられている。
依頼先の共同住宅も、そんな一角に建っていた。
三階建ての細長い建物で、一階部分は石造り、その上に木造の二階と三階が載っている。正面の入口を抜けると、建物の奥まで一本の共用廊下が伸び、その左右に住戸の扉が並んでいた。
廊下の突き当たり近くには共同の炊事場と物置があり、その脇から、地下室へ下りる石造りの階段が続いている。
建物の右隣には、細い路地を一本挟んで古びた倉庫。左手には住人たちが使う共同井戸があり、裏手は別の住宅とほとんど背中合わせになっていた。建物同士の隙間は狭く、人が一人どうにか通れる程度しかない。
依頼書によれば、ここには二十世帯ほどが暮らしているらしい。
二階からは洗濯物を干す音が聞こえ、一階の奥からは煮炊きの匂いが漂ってくる。
今も普通に人が生活している場所だ。その真下で何かが起きているとなれば、住人たちが不安になるのも無理はない。
入口で待っていた初老の男が、俺たちの姿を見るなり片手を上げた。
「ギルドから来た人か?」
「ええ。地下室の件で伺いました」
「ああ、待ってたよ。こっちだ」
話を聞けば、この男が建物の大家らしい。
案内されるまま廊下を奥へ進んでいくと、一階の奥側へ差しかかったところで、足裏にわずかな違和感を覚えた。
床が沈んでいる。
目で見るだけでは分かりにくい程度だが、実際に歩けば、奥へ向かって僅かに傾いているのがはっきり感じ取れた。
「こうなったのは、いつ頃からです?」
「四、五日前だな。最初は床が妙に鳴るって話だったんだが、その次の日には、地下へ下りる階段の脇にひびまで入っちまってな」
大家が指した先を見る。
地下階段の入口脇。漆喰の塗られた壁には、斜めに一本、細長い亀裂が走っていた。
「それと、井戸が一度濁った。昨日の朝だ。何度か汲んでるうちに戻ったがな」
「井戸も?」
「ああ。それから夜になると、地下の方から妙な音がする。石をずるずる引きずってるみてぇな音と……壁を叩くような音だ」
そこまで話したところで、大家は顔をしかめた。
そして少しだけ声を落とし、親指で右隣を示す。
「白錫商会が、隣の古い倉庫を買ってからなんだよ」
白錫商会。
どこかで聞いた名だと思ったが、すぐに思い出した。たしか赤尾根の長老が呼ばれたと言っていた商会だったはずだ。
「何か工事でもしているんです?」
「荷車で石を運び出してるところは見たな。地下を掘ってるって噂もあるが、そこまでは俺も知らねぇ」
大家は「何をしてるんだか」と不満げにぼやいた。
もっとも、商会へ直接文句を言うつもりまではないらしい。今回ギルドへ依頼を出した際にも、その話はしていなかったという。
なるほど。依頼書に白錫商会の名前がなかったのは、そのためか。
しかし、街の外ならともかく、王都の中で勝手に地下を掘ることなど、普通は許されていないはずだ。
白錫商会とやらが規則を無視しているのか。それとも、国へ話を通せるだけの力を持っているのか。
気にはなるが、今の段階では推測に過ぎない。
まずは、現状を確かめて回るとしよう。
「地下を見ましょう」
俺が言うと、リュネも頷いた。
大家に扉を開けてもらう。
地下へ続く石階段の先は、昼間でも真っ暗だった。
「そういえば、灯りは?」
リュネが一歩前へ出て、こちらを横目で見る。
「まあ、見てなさい」
少しだけ得意げに右手を持ち上げ、指先を軽く払う。
短い言葉を呟いた直後、掌の上に淡い光が灯った。
それは火ではなく、白く柔らかな光が拳ほどの球になり、ふわりと宙へ浮かび上がる。そのままリュネの少し前へ移動すると、地下階段を上から下まで明るく照らした。
「……魔法」
思わず声が出た。
「何よ、その反応」
「直接使う人を見る機会はあまりなかったので」
火種石や獣避け香のような魔法具なら珍しくない。
だが、道具を介さず本人の魔力だけで現象を起こすとなれば話は別だ。
リュネは少し胸を張る。
「森人なんだから、これくらいはね。光を浮かべるくらいなら、子供の頃に覚える者もいるわ」
「すごいですねぇ」
「でしょ?」
どうやら自慢ではあるらしい、ピクピクとその長い耳先が揺れる。
「俺は魔法の才能がありませんので、羨ましいですよ」
「……そうみたいね。あなた、魔力がほとんど外に出てないもの」
「見れば分かるんです?」
「森人なら、それくらいはね」
なるほど、森人は人とは違った目も持っているらしい。
地下室は、建物の一階とほぼ同じ横幅を持つ細長い長方形だった。
階段を降りた正面から奥へ通路が伸び、左右には酒樽や保存食を置く区画が並ぶ。中央には太い石柱が二本あり、その上へ渡された梁が一階の床を支えていた。
奥へ進むほど空気が冷たく、湿っている。
リュネの光球を頼りに、柱、梁、床、壁の順で見ていく。
二本目の柱の根元へしゃがみ込むと、落ちた細かな石屑が片側へ偏っていた。
「こっちへ少し傾いてますね」
「柱が?」
「ええ。上も」
梁と柱の接合部にも僅かなずれがある。
リュネは見上げた後、何も言わずミリィを飛ばした。
小さな妖精は天井近くを回り、壁沿いへ進んでいく。
俺は床に残った鼠の足跡や湿った染みを追いながら奥へ進み、地下室の最奥近くで足を止めた。
石壁へ、真新しい亀裂が走っている。
腰ほどの高さから斜め上へ伸び、幅は指先が入るかどうか。
ミリィがその前で止まった。
「どうしたの?」
リュネが呼ぶ。
ミリィが耳元まで戻り、何かを伝えた。
「……風が通ってる」
「この亀裂から?」
「ええ。向こう側へ抜けてるって」
顔を近づけてみると、確かに細い亀裂から冷たい空気が流れてきていた。
「ふむ、向こうに空間があるんですかね」
事前に見せてもらった見取り図では、この先は何もなかったハズ。
「たぶん。でも、ミリィが変だって」
「何が?」
「風がかなり奥まで続いてるみたい。壁の裏に小さな隙間がある、とかじゃないみたいね」
ルーメも壁の前へ飛んでいった。
亀裂の近くで浮かび、小さな手を壁へ近づける。
「ボクも、なんか分かる。まだ遠いけど、なんだろう?」
「ルーメも?」
「うん、なんだか知っているような気配?」
要領を得ないが、壁の向こうに何かがあるのは確実のようだ。
俺とリュネは顔を見合わせた。