亀裂から漏れる風は、ごく弱いものだった。
手を寄せて気がつくかどうか。それでもミリィには十分らしく、淡い緑色の妖精は石壁の前を上下したあと、すっと右へ流れていった。
「そっち?」
リュネが呼びかける。
ミリィは答えながら――俺には聞こえないが――地下室の壁際を進み、途中で一度天井近くまで上がった。風の流れを追っているらしい。
俺も亀裂から離れ、その後を追う。
ミリィが向かったのは、地下室の右奥だった。
酒樽や古い棚が積まれた場所で、奥の壁は板切れや空箱に隠れてほとんど見えない。荷物を手前へ寄せると、そこだけ周囲と石の積み方が違っていた。
「ここね」
リュネが光球を近づける。
縦長に並ぶ石の継ぎ目。その一部から、細い風が漏れている。
壁へ目印をつけてから軽く叩いてみると、壁というより、昔あった開口部を後から埋めたような感じだった。
「塞いでありますね。元は扉か、点検口かなにかでしょうか」
「ミリィが、この奥へ風が流れてるって」
大家を呼び、事情を説明してから埋めてある壁を剥がして良いか確認する。男は不安そうな顔をしたものの、建物を支えている箇所ではないと伝えると、最後には任せると頷いた。
楔を差し込み、薄い石板を一枚ずつ外していく。
やがて、人一人なら屈んで通れるほどの暗い穴が姿を現した。
途端、さらに冷たい空気が頬を撫でる。
「……随分、奥まで続いてそうですね」
リュネが浮かべていた光球を穴の向こうへ送り込む。
白い光に照らされた先には、緩やかに下る細い通路が延びていた。共同住宅の地下室より石材が大きく、継ぎ目も妙に整っている。
この通路が建物の下をどこまで通っているのか分かれば、床の沈みや亀裂の原因を絞れるかもしれない。
「俺が前へ行きます。リュネさんは後をお願いします」
「私が前でもいいけど」
「そちらは短剣と弓ですからねぇ。後ろの警戒と合わせて、お願いしますよ」
少し考えたあと、リュネは素直に頷いた。
「分かった。ミリィ、先を見て」
淡い緑の光が俺たちの頭上を追い越す。
《四式》を手に、俺は通路へ入った。
幅は肩二つ分ほど。天井も低く、場所によっては頭を屈める必要がある。
足元には薄く砂が積もっていたが、鼠や虫の足跡はほとんどない。長い時間、人の通りは無かったようだ。
しばらく進むと、さらに整った様子の通路に出た。
というより、今まで進んできた道が横穴で、脇道だとしたら、今出てきた道が本筋のような。
地面を見ると、何かが通ったような、足跡のようなモノが二つ、通路の奥へ続いている。
「これ、最近の跡ですね」
しゃがんで指でなぞる。
埃の積もり方が周囲と違う。
「人かしら?」
「いえ、にしては形と歩幅が妙です」
その時、前方のミリィが勢いよく戻ってきた。
リュネの耳元へ飛び込み、何かを告げる。
「何か来る!」
直後、奥から硬いものが石床を打つ音がした。
一定の間隔。
重い。
俺は《四式》を構え、リュネがその後ろで弓へ矢をつがえる。
光球の光に照らされた影が映る。
「……なんです!? こいつら!?」
思わず声が出た。
人のような形をしているが、恐らく人間ではない。
背丈は俺より少し低い程度。灰白色の石とも金属ともつかない外殻で全身を覆われ、顔に当たる場所には目鼻の代わりに一本の青い線が灯っていた。
肩や肘には輪状の継ぎ目があり、歩くたび、内部から低い駆動音が響く。
そんなヤツが二体。しかも全く同じ見た目をしている。
そいつらが横並びになって、こちらへ迫ってくる。
「け、警備用ゴーレム!?」
「ゴーレム!?」
「たぶん! でもなんでこんなところに」
「止め方は!?」
「そこまでは分かんない!」
ルーメの答えより早く、先頭のゴーレムとやらが踏み込んできた。
速い……!
見た目の重さに反して、一歩が大きい。
横薙ぎに振られた腕を《四式》で受けると、衝撃が頭まで抜け、手首から肩まで痺れが走った。
「重っ……!」
まともに受け続けるのは無理だ!
「下がって!」
リュネの声と同時にしゃがみ込みながら斜め後ろへと飛ぶ。
頭上を矢が抜け、ゴーレムの顔面へ当たった。
金属音。
矢尻が弾かれ、石床へ転がる。
「硬すぎるでしょ!」
「俺に言われましても!」
二体目が横合いから腕を突き出してくる。
次の瞬間、その手首がぱかりと割れ、中から鈍い光を帯びた細縄が勢いよく射出された。
反射的に身を引きながら目を凝らす。
――縄じゃない。金属製か!
「うわっ!」
身体を捻ると、索が外套の端を掠めて背後の壁へ突き刺さった。
リュネが二射目を放つ。
今度は顔ではなく、膝の継ぎ目。
矢が輪の隙間へ食い込み、ゴーレムの動きが僅かに止まった。
ギギギ、と鈍い音を立て、鉄の矢先が歪む音が響く。
「関節!」
「分かってるわよ! デカいの行くわ!」
言うや否やの三射目。
先ほどよりも大きい矢が、同じ箇所へと突き刺さる。
継ぎ目から青白い火花が散った。
俺はその隙に足元へ潜り込み、《四式》を突き刺さった矢じりを楔に見立てて叩きこむ。
「よいっしょー!」
斬る、と言うよりも叩きつける勢いで、体重をかけて振るう。
ゴキン、と嫌な音がした。
ゴーレムの片膝が崩れ、体が倒れ壁へとめり込む。
「一体!」
「まだ!」
二体目の胸元に埋め込まれた青い玉が強く輝いていた。
周囲の光が、そこへ吸い寄せられるように集まっていく。
「なんだ!?」
「──!? だめ! 逃げて!」
ルーメの切り裂くような声が飛ぶ。
反射的に身体を捻り、その場から離れようとする。が、光がひと際強くなる。
間に合わない――。
そう思った、その瞬間。
「――停止しろ!」
奥から男の声が響いた。
今まさに何かを放とうとしていたゴーレムが、その命令に従うようにぴたりと動きを止める。
「……は?」
思わず間の抜けた声が漏れた。
壁へ倒れ込んでいた一体も同じだった。起き上がろうとしていた体が、その姿勢のまま完全に静止している。
奥から新しい灯りが近づいてきた。
魔法の光だ。
「ルーメ」
「うん」
俺が小声で声をかけると、素早くルーメは外套の内側へ潜り込んだ。
ミリィもリュネの肩へ戻る。
やがて現れたのは三人の男だった。
先頭の男だけは革鎧ではなく、灰色の長衣を着ている。右手には短い杖。左手には掌ほどの金属板を持ち、その表面へ青い文字のような光が走っていた。
後ろの二人は、胸元へ銀白色の印章を付けていた。
「何をしている」
杖を持った男が、倒れたゴーレムを見て顔をしかめた。
「それはこちらの台詞なんですがねぇ」
「ここは白錫商会の管理区画だ」
白錫……大家も言っていたが、もしやとは思ったが地下で繋がっていたのか。
「俺たちは共同住宅の地下から来ました。ギルドからの正式な調査依頼を受けてます」
そう告げながらリュネへ視線を送る。
彼女もすぐに意図を察し、荷物から依頼書の控えを取り出した。それを受け取り、相手から見えるように掲げる。
男は手元の光をこちらへ寄せ、書面を確かめるように目を細めた。
「……ふむ。少なくとも、でたらめを言っているわけではなさそうだな」
そう言いながら、男は持っている金属板へ指を走らせた。
青い文字が一度明滅すると、止まっていたゴーレムがゆっくり立ち上がった。
「こいつら、いきなり襲ってきたんですが」
「侵入者を拘束する設定になっているからな」
男は悪びれた様子もなく言い切った。
いや、そんなこと言われましてもねぇ。
こちらとしては、壁の向こうを調べていたら急に襲われたのだから、たまったものではない。
そんな俺の内心など気にも留めず、男は懐から一枚の書類を取り出した。
「この先については、白錫商会が正式な調査権を得ている。確認したいことがあるなら、ギルドを通して問い合わせてもらおう」
差し出された書面には、王都の土地管理を示す印と、地下区画の調査許可らしき印が押されていた。
本物かは分からないが、少なくとも俺には判断できない。
ちらりとリュネを見る。
彼女も書類を確かめたあと、小さく頷いた。
「分かりました。ひとまず、こちらは引き揚げます」
俺はそう答え、念を押すように続ける。
「ギルドへ確認を取っても、問題ないんですよね?」
「もちろんだ」
白錫商会の魔術師らしい男はそう言って杖を下ろした。
それに合わせるように、二体のゴーレムが彼らを守るよう左右へ移動する。
これ以上ここで揉めても仕方がない。
俺たちは踵を返し、来た道を戻ろうとした。
――そのときだった。
男たちの背後。通路がわずかに広がった先の壁に、妙なものが見えた。
人一人が通れるほどの、長方形の石枠。
扉らしきものはなく、ただ壁の中へ枠だけが埋め込まれている。
けれど、その表面に刻まれた模様には見覚えがあった。
煤鐘坑道の地下。
そこで見た、旧王国施設の意匠にひどくよく似ている。
外套の内側で、ルーメが小さく身じろぎした。
俺も思わず足を止めかける。
だが、白錫商会の男がこちらを見ていることに気づき、そのまま何も見なかったふりをして歩き続けた。
共同住宅へ戻った頃には、張り詰めていたものが切れたのか、どっと疲れが押し寄せてきた。
ひとまず地下へ続く通路口は元どおり塞ぎ、大家には、ギルドから改めて指示があるまでは必要以上に地下室へ降りないよう伝えておく。
ここから先は、もう俺たちだけで判断する話ではない。
大家が住人たちを集めて事情を説明し始めたのを見届け、俺たちは共同住宅を後にした。
通りのあちこちから夕餉の支度をする匂いが漂い始めており、煮炊きの煙や焼いた肉の香りが風に混じり、仕事帰りらしい人々が家路を急いでいる。
「……ねえ、さっきのゴーレムなんだけど」
しばらく歩いたところで、リュネがふいに口を開いた。
「あれ、何なの? ルーメは何か知ってるみたいだったけど」
すると、外套の隙間から白金色の頭がひょこりと覗く。
「旧王国の警備用ゴーレムだよ。あれは普段使い用の下級機」
「……あれで普段使い!?」
リュネは足を止めかけ、そのまま片手で顔を覆って天を仰いだ。
「旧王国って、いったいどうなってたのよ……」
まったく同感だった。
こちらは二人がかりでどうにか一体を倒しかけたというのに、ルーメに言わせれば、あれで下級らしい。
だが、それ以上に気になることがある。
「……問題は、どうして白錫商会が、あんな場所で旧王国のゴーレムまで使って調査をしているのか、ですよねぇ」
煤鐘坑道で見つけた旧王国の施設。そして今回の地下での件。
偶然と言ってしまえばそれまでだが、どうにも嫌な繋がりを感じてしまう。
とはいえ、一介の冒険者でしかない俺が、国や大商会の動きをどうこうできるわけでもない。
知ったことをギルドへ報告し、あとはせいぜい、こちらへ厄介事が飛び火してこないよう祈るくらいのものだ。
「まあ、なんにせよ、見たものは全部ギルドへ報告するわよ」
「ええ。それが一番でしょうねぇ」
リュネの肩では、ミリィも話を理解しているのか、小さく頷いている。
俺は歩きながら、一度だけ振り返った。
古びた共同住宅と、その隣に建つ白錫商会の倉庫。
窓には灯りが点り始め、通りでは子供の声が響いている。見た目だけなら、どこにでもある王都の日常だ。
けれど、その足元――人々の暮らしのさらに下で。
何かが少しずつ、動き始めているような気がしてならなかった。