突然開いた扉の向こうに見えたのは、穀物袋が山のように積み上げられた倉庫らしき場所だった。
荷運びの途中だったのだろう。麻袋を抱えた男と、真正面から目が合う。
「誰だ!?」
男はぎょっと目を見開き、抱えていた麻袋を取り落とした。
だが、その驚いた顔を確かめる間もない。
次の瞬間には扉が閉じ、灰色の壁へ戻っていた。
「……は?」
状況を飲み込む暇もなく、今度は反対側――左手の壁へ光が走る。
扉が開いた直後、大量の水が勢いよく通路へ噴き出してきた。
「うわっ!」
反射的に飛び退く。
だが、着地した足元が今度は青白く光った。
「下!?」
床そのものに四角い輪郭が浮かび、そのまま足場が消える。
一瞬感じる浮遊感。
落ちる――!
咄嗟に伸ばした手が、辛うじて床の縁を掴んだ。
ぶら下がったまま下を覗けば、その先には机がいくつも並ぶ石造りの部屋が広がっている。そこにいた鎧姿の男たちが、何事かと一斉にこちらを見上げていた。
「ダリオ!」
「大丈夫です!」
下から上がるざわめきを聞き流しながら、腕へ力を込める。
どうにか身体を引き上げると、今度は頭上で光が走った。
嫌な予感。考えるより先に横へ転がる。
直後、天井に開いた扉から木箱が三つまとめて落ちてきた。
ひとつが床へ叩きつけられて砕け、中から大量の矢束がばらばらと散らばる。
「……いったい、何が起きてるんです?」
考える間にも、扉は次々と開いた。
壁に。床に。天井に。
次々と光の輪郭が浮かび、扉が開いては閉じていく。
吹き抜けの向こう側では、縦に伸びる壁へ現れた扉から、荷車が半分ほど飛び出していた。傾いた荷台から荷物を盛大に撒き散らしたかと思えば、次の瞬間には扉ごと消えてしまう。扉から出ていた荷車の端は、まるで鋭利な刃で切り裂かれたようにスッパリと切り取られていた。
別の扉の向こうには、王都の城壁内部らしき狭い通路が見えた。
槍を抱えた衛兵が何人も走り抜けていく。
その隣には、天井まで棚の並んだ巨大な倉庫。
さらに次。
磨き上げられた白い石柱が、等間隔に立ち並ぶ大広間が現れた。
床には大きな紋章。
奥には赤い絨毯らしきものまで見えたが、どこの建物なのか確かめるより早く、扉は閉じてしまう。
「……何が何やら、ですねぇ」
目まぐるしく切り替わる光景を追いながら呟く。
隣では、ルーメも困ったように周囲を見回していた。
「ボクにも分かんない。でも――」
また一つ、遠くの壁に扉が開く。
ルーメはそれを見つめながら、小さく続けた。
「ここの扉、王都中のいろんな場所に繋がってるみたい」
ルーメが言った直後。
ゴォン――。
巨大な鐘を打ち鳴らしたような低い音が、地下空間の隅々まで響き渡った。
同時に、円形広間の壁面を埋め尽くしていた石枠が、遠いものから順番に青白く染まっていく。
一つ、また一つ。
それはまるで、閉じていた何百もの目が一斉に開いていくようだった。
「次は何ですか!?」
思わず声を上げた、その直後。
すぐ近くの壁にも光が走り、新たな扉が開いた。
向こうに見えたのは、眩しい陽光と石畳だった。
「……っ! 外です! 出ますよ!」
出た先が安全かは分からないが、この訳の分からない場所に留まり続けるよりはよっぽどマシなはず!
「ルーメ!」
「うん!」
ルーメを肩元へ呼び寄せ、そのまま迷わず扉へ飛び込む。
背後で光が収束し、振り返ったときには、入口は跡形もなく消えていた。
「……戻れた」
地上だ。
見回せば、遠くに王都南東門の塔が見える。
どうやら、元いた場所からそれほど遠くへ飛ばされたわけではないらしい。
胸を撫で下ろしかけた、そのときだった。
妙に騒がしい。
周囲には人々のざわめきと、何かが燻ったような焦げ臭さが混じっている。
遠くから警鐘が鳴り響き、それに重なるように悲鳴が上がった。
さらに、どこかで石か木材でも崩れたのか、何かが激しく壊れる音まで聞こえてくる。
「……何が起きてるんですかねぇ」
まずは状況を確かめないと。
ルーメを外套の内側へ戻しながら、俺は通りへ向かって走り出した。
できることなら、リュネたちとも早く合流したい。向こうは無事だろうか。
そんなことを考えながら大通りへ出た、その瞬間。
向かいの建物の壁へ、青白い四角の光が走った。
「また……!」
扉が開く。
中から飛び出してきたのは、四つの獣影だった。
痩せた狼によく似ている。
だが、前脚は不自然なほど太く発達し、灰色の毛皮の間からは、岩を削り出したような爪が突き出していた。
「《洞窟狼》!? ……いや、ちょっと大きいですね」
一頭目が着地するなり、こちらへ向かって地面を蹴った。
速い。
《四式》を抜き放ち、噛みついてきた頭を刃の腹で横へ逸らす。
その勢いを殺さず、すれ違いざまに喉元へ刃を滑らせた。
血が噴き上がる。
洞窟狼はそのまま数歩よろめき、俺の足元へ転がった。
だが、すぐ横から二頭目が飛びかかってくる。
「っ!」
避けきれない。
咄嗟に身を沈め、せめて喉と頭だけでも守ろうと腕を上げた。
その瞬間。
――ヒュッ。
鋭い風切り音。
飛びかかっていた洞窟狼の額へ、一本の矢が深々と突き立った。
「ダリオ!」
「リュネさん!」
通りの反対側から、リュネが次の矢をつがえながら走ってくる。肩にはミリィ。
「どこ行ってたのよ!」
「こっちも分かりませんよぅ!」
問答している間にも三頭目が迫る。
「右です!」
「分かってる!」
ミリィの風が洞窟狼の身体をぐらりと揺らし、その隙にリュネの矢が眼窩へ吸い込まれた。
最後の一頭は状況の不利を見たのか、近くに居た、逃げ遅れた親子へ進路を変えた。
「……!? やらせませんよ!」
リュネの次の矢を待つより、こちらが近い!
間に滑り込み、《四式》を両手で構える。狼が跳んだ瞬間、下から顎を打ち上げ、そのまま腹を蹴って転がす。
起き上がる前に首へ刃を入れると、喉元からごぼりと血が零れて地面を濡らした。
「大丈夫!?」
「ええ! こっちはなんとか! ですが……!」
親子は腰を抜かしていたが、何とか立ち上がれる様子だった。だが、周囲では、さらに騒ぎが広がっていた。
井戸脇に開いた扉から人の胴ほどある泥色の蛙が這い出し、別の冒険者たちが槍で押し返している。屋根の上では裂けた翼を持つ黒い蝙蝠の群れを、魔術師が風で散らしていた。
そこへ、石を叩く重い音が響く。
昨日見たのと同じ灰白色の巨体。
「警備用ゴーレム!」
ルーメが叫んだ。
なんでまたこんなところに!?
扉から二体、続けて三体目。
白錫商会らしい魔術師が少し離れた場所で金属板を掲げているが、青い術式は明滅するだけで、ゴーレムは止まらない。
「停止しろ! 命令を――」
一体が白錫商会の魔術師に向け、腕を振り上げた。
まずい! 逃げようとしていない!
助けに入ろうと《四式》を握り直した時だった。
「下がって!」
リュネが俺の外套を掴んだ。
何事かと思い、非難の視線を向けようと振り返った時だった。
背後から何かが飛び込んだ。
一瞬、黒い一陣の風が吹き抜けたのかと思った。
黒い風は走った勢いのまま踏み込み、横薙ぎに戦槌を振るう。
音が、遅れてきた。
ドン、と腹の奥まで震える衝撃。
一体目のゴーレムの胴が、抉り取られたように風穴を開けた。
「……は?」
昨日、俺とリュネが二人掛かりでようやく止めた相手だ。
それが一撃。
男は止まらない。
戦槌を地面へ一度滑らせ、その反動で持ち上げる。下から振り抜かれた鉄塊が二体目の胸へ食い込み、灰白色の外殻ごと中身を砕いた。
三体目が鎖を放つが、男は避けもしなかった。
戦槌の柄で鎖を巻き取り、そのまま腕ごと引き寄せる。
踏み込む。
兜のない頭部へ、戦槌が真上から振り下ろされる。
体を貫き、下の石畳までも陥没させる。衝撃波で周囲が波打った。
なんという威力。
「……何です、あれ」
呆然と呟く俺のことなど気にしてもいないのだろう。
男は、地面に縫い付けられた戦槌をゆっくりと抜く。
黒みがかった半身鎧。その上から、肩に黒い毛皮を掛けている。両手に握られていたのは、人間の胴ほどもある鉄塊を先端につけた長柄の戦槌だった。
「通称《城崩し》。銀級のバルガス・ロウよ」
リュネの声が少し上ずっている。
「知ってるんです?」
「王都で知らない冒険者の方が少ないわよ。助かった……あの人なら、あれくらいは」
バルガスと呼ばれた男は壊れたゴーレムを確認することすらせず、戦槌を肩へ担いだ。
いつの間にか近くに居たギルド職員が、彼に向かって叫ぶ。
「北の兵站倉庫にも三体! それと南門側で大型!」
男は片手を上げて応じると、こちらを見ることもなく駆け出した。
重装備を着ているとは思えない速度で、人混みの向こうへ消える。
「王都の銀級って、みんなあんな感じなんです?」
「そんなわけないでしょう。あれは銀級でも上の方」
ラウゼンでも、少しだが銀級が居た。だが、あんな化け物染みた人間ではなかったハズ。
流石、王都と言ったところだろうか。
とはいえ、彼のような上位冒険者が動き始めたことで、通りの混乱は少しずつ収まっていったようだ。
俺たち程度でも倒せる魔獣は、近くの冒険者たちが数人ずつで仕留める。
大型のモノは銀級、鉄級の熟練者を中心に処理が進められていった。
衛兵は住民の避難誘導や負傷者の回収、ギルド職員は冒険者間の連絡役や、討伐された魔獣の確認、開いた扉の位置を記録していく。
何が起こったか分からないなりに、各々が出来ることを進めていく。
この場で出来ることはもうなさそうだ。
リュネと視線を交えて頷く。まずはギルドへ向かって王都の状況を確認しなければ。
冒険者ギルド南東支部の前には、いつの間にか簡易の作戦所めいたものが出来上がっていた。
大きな天幕が張られ、その下には机と椅子がいくつも並べられている。中央の卓には王都全域を描いた大判の地図が広げられ、ギルド職員や冒険者、それに周辺の住人たちまでが、ひっきりなしに出入りしていた。
その一角では、職員が寄せられる情報を聞き取りながら、今回の異変の元凶と思しき《扉》の出現地点を、次々と王都図へ書き込んでいる。
俺たちはそこへ向かい、挨拶もそこそこに、地下で見たものを伝えた。
「……白い石柱が並んだ広間も見えました。それと、かなり大規模な地下空間です。少なくとも、普通の地下施設って規模じゃありません」
「場所の見当はつくかい?」
年嵩の眼鏡を掛けた職員が、地図へ印を書き込みながら尋ねてくる。
「いえ。外との位置関係が分かるものが何もなくて……どの辺りなのかまでは」
「なるほど……」
職員は眉間へ皺を寄せたものの、手を止めることはなかった。すぐさま卓の端にあった紙へ今の話を書き留め、近くにいた別の職員へ渡す。
受け取った男は内容へざっと目を通すと、そのままギルドの建物内へ駆け込んでいった。
その横で、リュネが王都図を覗き込む。
「……これ、扉が開いてる場所に何か規則性でもあるのかしら」
地図の上には、すでにいくつもの印が散らばっていた。
「どうでしょうねぇ……。俺はまだ、王都の地理にそこまで詳しくないので」
俺よりこの街に慣れているリュネですら分からないのなら、来たばかりの俺に見抜けるはずもない。
「……そうね」
リュネは腕を組み、地図を睨むように見つめる。
だが、すぐに答えが出るはずもなかった。
そうしている間にも、新たな報告が次々飛び込んでくる。
「南側で、また扉が出た!」
職員が地図へ新しい印を加え、待機していた冒険者たちへ素早く指示を飛ばした。
数人が武器を掴み、そのまま慌ただしく駆けていく。
地図の上では今も、異変を示す印が一つ、また一つと増え続けていた。
そこで俺は、ようやく別の心配に思い至った。
「……赤尾根」
「何?」
「俺が世話になってる商店です。ここから、それほど離れてないんですが……」
自分のことで手いっぱいになっていたが、赤尾根商会の方は無事だろうか。
「……一度、戻ります」
リュネは慌ただしく行き交う人々へ目を向けたあと、すぐに頷いた。
「私も行くわ」
「いいんです?」
「王都に懇意にしてる知り合いもいないしね。こんな状況で一人ずつ動くより、二人でいた方が安全でしょう。それに――」
言葉を切ったリュネの肩で、ミリィが外套の襟元へ向かって小さく手を振る。
「ミリィも一緒に行くって」
「なるほど」
外套の中で、ルーメが嬉しそうに身を揺らす気配がした。
そういうことなら、急いだ方がいい。
俺たちは近くのギルド職員へ行き先だけ告げ、赤尾根商会へ向けて走り出した。
道中も、酷い有様だった。
建物の壁には、あの青白い扉が突然現れては消えていく。通りの一角では家屋が崩れ、負傷者を背負った冒険者が人混みを掻き分けて走っていた。屋根の上では弓を構えた者たちが周囲を警戒し、遠くではまた新たな警鐘が鳴り始める。
普段なら活気に満ちているはずの街が、今はまるで戦場だ。
やがて、見覚えのある赤尾根商会の建物が通りの先に見えてきた。
壁は崩れていない。屋根も残っている。
ひとまず建物が無事なのを確かめ、俺は僅かに息を吐いた。
店の前には荷馬車が横向きに二台止められ、即席の柵にしているようだった。水桶と砂袋が積まれ、商隊の男たちが棒や短槍を手に周囲を見張っていた。
その中心で、ナジャが声を張り上げている。
「西通りは駄目! 荷を動かすなら南へ出しな! 怪我人は店の奥!」
「ナジャさん!」
振り向いた顔が、こちらを認めるとぱっと明るくなった。
「ダリオ! 無事だったのかい!」
「それはこちらの台詞ですよぅ」
店内では、長老が店の人間から話を聞き、こちらでも卓上の地図へ次々と印をつけていた。
俺たちを見ると、長老は細い目をさらに細めた。
「あんたも戻ったかい」
指先が、印だらけになった王都図を叩く。
「ちょうどいい。アンタらに頼みがある」