在庫無限の遅咲き冒険者   作:鳥獣跋扈

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第三十一話 門を閉じる

 《集積庫》は、その名前から想像していたものより遥かに大きかった。

 

 通路を抜けた先に広がっていたのは、巨大な円形の地下空間だ。そこから何本もの通路が放射状に伸び、中央には用途のよく分からない昇降台らしき機構がいくつも並んでいる。

 壁面には大小さまざまな門が数十も口を開け、青白い光を帯びていた。さらに視線を上げれば、幾重にも重なった回廊が空間を取り囲むように巡っている。

 

 もっとも、名前に反して、物資が山積みになっているわけではなかった。

 その代わり、広間の一角には明らかに後から持ち込まれたものが組み上げられていた。

 魔力灯がいくつも灯され、その下には簡易寝台が並ぶ。保存食の包みや空き瓶が転がり、何台もの作業机には書きかけらしい資料や紙束が広げられたままだった。

 

 どうやら白錫の連中は、ここに寝泊まりしながら調査を続けていたらしい。

 壁には大きな王都図が貼られ、その周囲には用途の分からない工具や魔法具が雑然と並んでいる。

 

「……ずいぶん長いこと、ここに住み込んでたみたいですねぇ」

 

 周囲を警戒しつつ、近くの作業机に積まれていた紙束を手に取る。

 縛り上げたまま連れてきた白錫の二人が後ろで何やら喚いているが、とりあえず無視した。

 

 広間に人影はない。

 さっきまで誰かいたような痕跡だけが、そこら中に残されている。

 

「こっち」

 

 少し離れたところからリュネに呼ばれ、俺は紙束を戻して駆け寄った。

 そこには大きめの乳鉢が置かれ、その中で書類がくすぶっていた。細い煙が立ち上り、周囲には掻き出したらしい灰や燃え残った紙片が散らばっている。

 床には、慌てて行き来したような足跡が残っていた。

 

「証拠を消そうとしたみたいね。でも、全部始末する前に逃げたみたい」

 

 リュネが焼け残った紙を拾い上げる。

 俺も何枚か渡され、そこに書かれた内容へ目を通した。

 

 どうやら白錫は、この《門》を狙った場所へ繋げる実験を繰り返していたらしい。

 

 《南門詰所――接続完了》

 《第一騎士武器庫――試験接続済》

 《中央伝令塔――調整中》

 《宮廷魔導院西棟――第二段階》

 《王宮東翼――門路固定中》

 

「……王都の要所ばかりですねぇ」

 

「ええ」

 

 別の紙をめくっていたリュネが、小さく息を吐く。

 そのまま壁へ貼られた王都図へ視線を移した。

 

「残ってる資料を見る限り……王都を内側から押さえるつもりだった、って考えるのが自然かしら」

 

 確かに。

 

 城門も詰所も武器庫も、王宮でさえ、壁を越えずに直接入り込める。

 これだけの場所へ好きに門を繋げられるなら、まともに攻め込む必要すらない。

 ……ずいぶん洒落にならないものを掘り当ててくれたものだ。

 

 リュネが王都図と資料を見比べ、さらに何かを探そうとした――そのとき。

 ぐらり、と広間全体が大きく揺れた。

 

「うわっ」

 

 天井から砂埃が落ち、どこか遠くで石の砕ける音が響く。

 広間に残していた白錫の男たちが、たまらず声を上げた。

 

「おい! そんなもん漁ってる場合か! 早くしないと崩れるぞ!」

 

「っち……!」

 

 リュネが舌打ちし、手元の資料をまとめて抱えた。

 

「とりあえず、これは持ち帰るわよ! 出口はどこ!?」

 

「奥だ! 地上に繋いで安定させた《門》がある! そこからなら出られる!」

 

 俺とリュネは顔を見合わせ、すぐに頷いた。

 

「持てるだけ持ちましょう」

 

「ええ!」

 

 目についた紙束を手当たり次第に物入れへ突っ込む。

 それから縛った白錫の男たちを急かし、半ば引きずるようにして教えられた方向へ走った。

 

 通路を抜け、さらに奥へ。

 ところが。

 

「……あれ?」

 

 男が示した場所まで辿り着いたところで、俺たちは揃って足を止めた。

 

 そこにあるはずの《門》はなかった。

 代わりに目の前に広がっていたのは、無残に崩れ落ちた壁だった。

 石材は通路側へ大きく吹き飛び、壁そのものが――向こう側から強い力で弾け飛んだように見えた。

 

「壊されてる……」

 

 呆然と呟いた白錫の男の顔から、みるみる血の気が引いていく。

 

「……なんてこった……! あいつら、《門》を向こう側から壊していきやがった!」

 

 激昂した男が、やり場のない怒りをぶつけるように石床を蹴った。

 

「ほかに道はないんですか!?」

 

 俺が問いかけると、奥にいた男は険しい顔のまま首を横に振る。

 だがその直後、地団駄を踏んでいた男の動きがぴたりと止まった。

 

「……中枢なら」

 

「中枢?」

 

 男は何かを思い出したように顔を上げる。

 

「中枢なら、まだ可能性はある」

 

「そこまで行けば、地上へ出られるんです?」

 

 聞き返した、その瞬間だった。

 地下全体が大きく揺れる。

 

「っ……!」

 

 遠くから、腹の底まで響くような重低音が届いた。

 

 ――ゴォン。

 

 少し間を置き、もう一度。

 

 ――ゴォン。

 

 まるで、この巨大な遺構のどこかで、途方もなく大きな何かがゆっくり動き始めたような音だった。

 

「出られると決まったわけじゃない! 可能性があるってだけだ!」

 

 男も揺れに足を取られながら、声を張り上げる。

 

「中枢は《門》の制御をまとめてる! そこまで辿り着ければ、直接新しい《門》を開けるかもしれない!」

 

「かもしれない、ですか……」

 

 ずいぶん心許ない話だ。

 とはいえ、ほかに道がないなら選択肢もない。

 

 そう思ったところで、今度は先ほどよりも強い揺れが襲ってきた。

 天井から砂埃が降り、どこかで石材の崩れる音が響く。

 

「ええい! ここでうだうだ言ってても仕方ないわ!」

 

 リュネが苛立ったように声を上げる。

 

「行くわよ! その中枢へ!」

 

「……ですねぇ!」

 

 白錫の男たちも異論はないらしい。

 俺たちは互いに頷き合うと、崩れ始めた《集積庫》を後にし、中枢へ向かって走り出した。

 

 

* * *

 

 

 中枢を目指して通路を駆ける間にも、揺れはますます激しさを増していった。

 一定の間隔で響いていた重低音も、進むほどにはっきりと近づいてくる。

 

 ――ゴォン。

 

 ――ゴォン。

 

 腹の底まで震わせるような音が、今では足元から直接響いてくるようだった。

 最後の坂道を駆け上がると、その先で不意に視界が大きく開けた。

 

「……大きい」

 

 隣で、リュネが呆然と呟く。

 

 そこは巨大な円形の空間だった。

 中央には、十人がかりでも抱えきれそうにないほど太い白い石柱が、天井へ向かって真っ直ぐ伸びている。

 そして壁や床、幾重にも重なる回廊のあらゆる場所から、青白く輝く魔力の線が走り、それらすべてが中央の柱へと集まっていた。

 

 ――《千門回廊》の心臓。

 

 そんな言葉が、自然と頭に浮かぶ。

 

「……あいつ!」

 

 中央柱の手前に、人影があった。

 こちらへ背を向け、何やら制御盤らしきものを操作している灰色の長衣。

 

「そこで何をしてるんです!?」

 

 俺の声に、男が弾かれたように振り返った。

 血走った目が、こちらを睨みつける。

 

「貴様らが……!」

 

 顔が歪む。

 

「貴様らが来なければ、すべて上手くいっていたんだ! 記録を送り、門を閉じる! だが――貴様らだけは、生きて帰さん!」

 

 口の端に泡を浮かべながら叫ぶと、男は両手を制御盤へ叩きつけた。

 

 次の瞬間。

 中央柱を走っていた青白い光が、一斉に膨れ上がる。

 

「っ!? 下がって!」

 

 リュネの声と同時に、床が砕けた。

 白い石塊が地下から次々とせり上がり、轟音を響かせながら互いに噛み合っていく。

 

 太い脚。

 巨大な胴。

 それに続いて両腕が組み上がり、最後に兜のような頭部が持ち上がった。

 

「……でかっ」

 

 思わず見上げる。

 その巨体は、二階建ての民家すら優に超えていた。

 灰白色の胸には、青く輝く円形の光。

 さらに両肩と両掌には、合わせて四枚の小さな石門が埋め込まれ、不気味な光を放っている。

 

「《門衛巨像》……!?」

 

 外套の隙間から顔を出したルーメが、珍しく切迫した声を上げた。

 

 その直後。

 

 巨像の両眼に、青い光が灯る。

 ゆっくりと両腕が持ち上がり、掌の《門》が開いた。

 

「伏せて!」

 

 ほとんど反射で地面へ身を投げる。

 右手の門から炎が噴き出し、頭上を薙ぎ払った。

 熱気が髪を焼くように通り過ぎた直後、今度は左手の門から濁流が吐き出される。

 

「うわっ!」

 

 俺とリュネはどうにか近くの柱の陰へ転がり込んだ。

 だが、背後にいた白錫の男たちは間に合わない。

 炎に巻かれた者が悲鳴を上げ、その直後には押し寄せた水に足をさらわれ、まとめて広間の端へ流されていった。

 

「こんなの、どうやって止めるんです!?」

 

「壊すしかないでしょう!」

 

「駄目!」

 

 俺とリュネの声へ被せるように、ルーメが叫ぶ。

 

「あれ、中枢と繋がってるの! 壊したら、ここ全部が崩れちゃう!」

 

「……っ!? じゃあ、どうすればいいんです!」

 

 巨像の肩にある門が開き、今度は大量の瓦礫が吐き出された。

 慌てて《障壁球》を叩きつける。

 半透明の壁へ石塊が次々と激突し、鈍い音を響かせた。

 

「胸の光!」

 

 外套の中から、ルーメが指を差す。

 

「あそこが、中の命令するところに繋がってる! そこまで入れたら、止められるかも!」

 

「つまり、外側だけ剥がせってことです!?」

 

「そう!」

 

「簡単に言いますねぇ!」

 

 そんな器用なことを、この巨体相手にやれと。どう考えても無茶だ。

 だが文句を言っている暇もない。

 

 巨像が腕を振り上げる。

 掌の門が再び青く光り、今度は無数の石礫が一斉に撃ち出された。

 

 まずい!

 

 《障壁球》はまだ戻ってきていない。

 

 避け――。

 間に合わない!

 

 思わず目を瞑った、その瞬間。

 

「――っ!」

 

 ごう、と横合いから猛烈な風が叩きつけられた。

 石礫ではない。

 俺の身体そのものが吹き飛ばされる。

 

 ミリィか!

 

「うわあぁっ!」

 

 情けない声を上げながら床を何度も転がり、肩と背中をしたたか打ちつけながら、それでもどうにか石礫の射線から外れた。

 

 慌てて起き上がる。

 少し離れた場所にいるミリィへ、大きく頷いた。

 

「助かりました!」

 

 返事をするように、ミリィが小さく手を振る。

 ただ、そのせいでリュネとは大きく離れてしまった。

 

 さて。

 

 改めて巨像を見上げる。

 まともに正面から戦って勝てる相手には、とても見えない。

 しかも壊してはいけないとなれば、なおさら厄介だ。

 

 胸の外装だけを剥がして、中の制御部まで辿り着く。

 ……どうやって?

 

 俺が必死に考えている、その最中だった。

 少し離れたところで、リュネがふいに弓を下ろした。

 

「……仕方ない。今が使い時、かしらね」

 

 リュネが小さく呟き、首元へ手を差し入れた。

 引き出したのは、指先ほどの緑色の結晶だった。

 遠目からでも分かるほど澄んだ光を宿し、脈打つように淡く輝いている。

 

「ミリィ。行くわよ」

 

 その声に、小さな妖精が頷いた。

 次の瞬間、リュネが結晶を強く握り込む。

 指の隙間から緑色の光が溢れ――弾けた。

 

「……っ!」

 

 リュネを中心に広がった無数の光の粒が、一度大きく舞い上がる。

 そして引き寄せられるように向きを変え、すべてがミリィの小さな身体へと流れ込んでいった。

 手のひらほどしかなかった羽が、一気に何倍もの大きさへ広がる。

 

 髪も衣服も輪郭を失い、吹き荒れる風そのものへ溶け込んでいくように揺らめいた。

 魔力の扱いなんてろくに分からない俺でも理解できる。

 とんでもない量の力が、あそこへ集まっている。

 

 空気が渦を巻く。

 

 いや、空気だけじゃない。

 魔力そのものが風となり、ミリィの周囲へ集まり、圧縮され、今にも弾けそうなほど押し留められていた。

 

「……!」

 

 ミリィが大きく両腕を広げる。

 

 次の瞬間。

 広間を満たしていた空気が、一斉に動いた。

 

「うわっ……!」

 

 立っているだけでも身体を持っていかれそうな暴風が吹き荒れ、そのすべてが《門衛巨像》へ叩きつけられる。

 

 ――ゴォンッ!

 

 巨体が揺れた。

 いや。

 あれだけ大きな身体が、動いている。

 石床を削りながら、門衛巨像が何歩分も後方へ押し滑らされていく。

 灰白色の外殻へ次々と亀裂が走り、肩口の装甲が一枚、轟音を立てて剥がれ落ちた。

 

「すご……」

 

 思わず声が漏れる。

 だが、まだ終わらない。

 

 吹き荒れていた風が一点へ収束し、今度は巨像の胸部へ集中していく。

 青い光を覆う外装が、みしみしと嫌な音を立てた。

 

 亀裂が広がる。

 

 あと少し。

 もう少しで――。

 

 そう思ったところで。

 緑色の光が、急速に薄れていった。

 

「……これでも、駄目なの?」

 

 リュネの掠れた声が聞こえる。

 

 暴風が途切れ、広間に残っていた空気が遅れて流れ込んでくる。

 大きく広がっていたミリィの羽も縮み、髪や衣服の揺らぎも収まっていった。

 やがて、いつもの小さな姿へ戻る。

 

 同時に、リュネが握っていた結晶からも緑色の輝きが消えていた。

 そこに残っていたのは、何の光も宿さない、ただの透明な石だった。

 

 《門衛巨像》が、軋むような音を立てながらゆっくりと身体を起こした。

 

「……もう、駄目か……」

 

 リュネががくりと肩を落とす。

 その傍らでは、元の大きさへ戻ったミリィが、慰めるように彼女の肩へ小さな手を添えていた。

 

 俺は、リュネの手の中に残った結晶へ目を向ける。

 

 光を失った、透明な石。

 空になった。

 使い切った。

 たぶん、そういう状態。

 

 なら――。

 

「リュネさん! その石、俺にください!」

 

「……は?」

 

「いいから! 早く!」

 

 呆気に取られたリュネへ向けて、《門衛巨像》が腕を振り上げる。

 

「っ!? 避けて!」

 

 俺の声に反応し、リュネは咄嗟にこちらへ転がった。

 直後、巨腕が石床へ叩きつけられる。

 

 轟音とともに床石が弾け、立ち上がった土煙が視界を覆った。

 リュネは身を起こしながらも巨像から目を離さず、苛立った声を飛ばしてくる。

 

「アンタに渡して、どうするっていうのよ!? 言っておくけど、さっきの力は溜め込んでた魔力を一気に使ったものよ! 今から周囲の魔力を掻き集めたって、雀の涙にもならないわ!」

 

「一か八かです! いいから、早く!」

 

「っ……ああ、もう!」

 

 一瞬だけ迷った末、リュネは結晶をこちらへ放り投げた。

 

「ほら! これでいいんでしょ!? 言ったからには、何とかしなさいよ!」

 

 飛んできた結晶を、掌で受け止める。

 

 できるかどうかなんて分からない。

 そもそも、これが俺の能力の対象になるのかさえ怪しい。

 

 それでも――賭けるしかない。

 

 結晶を強く握り込み、意味があるのかも分からないまま、これは俺の物だ、と念じる。

 そして、そっと掌を開いた。

 

 透明な石の奥には、消え残った火種のような、ごく小さな緑色の光が灯っている。

 だが、それだけだ。

 先ほどまでの澄み切った輝きには、到底及ばない。

 

「……」

 

 《門衛巨像》が、こちらを向いた。

 床へ叩きつけていた腕を持ち上げ、巨大な掌を俺たちへ向ける。

 

「っ、来ますよ!」

 

 掌の《門》が開く。

 次の瞬間、石や柱の破片――どこかの建物が壊れた瓦礫が、凄まじい勢いで吐き出された。

 

「うわっ!」

 

 距離があったおかげで、どうにか横へ飛んで避ける。

 石塊が背後へ次々と突き刺さり、またリュネとの距離が開いた。

 

 それでも、結晶は手放さない。

 俺は再び強く握り込み、石の中に残っているものを無理やり引き出すように力を込めた。

 

 ぽつり、と。

 

 一瞬だけ、小さな緑の光が弾ける。

 塵のような細かな粒子がミリィへ向かって流れたが――何も起こらない。

 

 直後。

 ぱきん、と乾いた音を立てて、結晶が掌の中で砕けた。

 

「……は?」

 

 少し離れたところから、リュネの低い声が聞こえた。

 怒っているのか、呆れているのか。

 

「アンタ、何やって――!」

 

「まだです!」

 

 俺は掌を閉じたまま叫ぶ。

 

 一。

 

 二。

 

 三。

 

 《門衛巨像》がこちらへ歩き始める。

 一歩ごとに床全体が揺れ、巨大な影が近づいてくる。

 

 八。

 

 九。

 

 そして――。

 

 十。

 

 掌の中へ、重みが戻った。

 

「……来た」

 

 思わず声が漏れる。

 ゆっくりと指を開く。

 

 そこにあったのは、さっきまでの結晶とは似ても似つかないものだった。

 石の内部には、まるで濃い緑色の液体を閉じ込めたかのような光が満ちている。

 

 いや、光だけじゃない。

 結晶の縁から漏れ出す魔力だけで、周囲の空気がかすかに震えているようにさえ見えた。

 

 最初の結晶も、十分すぎるほど力を蓄えていたはずだ。

 なのに。

 

 今、掌にあるものと比べれば――あれすら、か細い灯に思える。

 それほどまでに、圧倒的だった。

 

「……なに、それ」

 

 リュネが絶句する。

 目を見開いたまま結晶を凝視し、やがて何かに気づいたように眉を寄せた。

 

「これ……私の魔力?」

 

 だが、すぐに自分で首を振る。

 

「違う……でも、そんなはずない。私の魔力は……こんなに澄んでない」

 

 何を意味しているのか。考えている時間はなかった。

 俺は結晶を握り直し、そのままリュネ目掛けて思い切り投げる。

 

「使ってください!」

 

「っ!」

 

 リュネが反射的に受け取る。

 掌の中で輝く結晶を一瞬だけ見つめ――すぐに《門衛巨像》へ向き直った。

 

「なんだかよく分からないけど……!」

 

 巨像を睨み上げる。

 その口元に、獰猛な笑みが浮かんだ。

 

「ミリィ!」

 

 結晶を握った右手を、高々と掲げる。

 

 次の瞬間。

 緑色の光が、爆発した。

 

「っ――!」

 

 さっきとは比べものにならない。

 圧倒的な光が広間いっぱいに溢れ、視界のすべてを緑へ染め上げる。

 吹き荒れているはずなのに、不思議と冷たくない。

 むしろ陽だまりに触れたような温かさすら感じるほど、濃密な魔力が空間を満たしていった。

 

 やがて、眩しさが少しずつ収まっていく。

 

 そして。

 俺は、目の前に現れたものを見上げた。

 

「……うわぁ」

 

 そこにいたのは、もう手のひらほどの小さな妖精ではない。

 風が形を持ったかのような、巨大な人影。

 緑の光をまとったその輪郭が、《門衛巨像》の前へゆっくりと立ちはだかった。

 

「……精霊?」

 

 リュネが、呆然としたように呟いた。

 俺には聞こえない何かを、ミリィが返したらしい。

 リュネは一度だけ目を見開き、それから、ほんの少し口元を緩めた。

 

「……そうね」

 

 結晶を握り直し、巨大な風の輪郭を見上げる。

 

「やるわよ、ミリィ」

 

 応えるように、精霊となったミリィの周囲で風が渦巻いた。

 

 直後。

 《門衛巨像》の両掌と両肩――四枚の《門》が一斉に開く。

 

 炎。

 濁流。

 無数の石礫。

 

 それらが同時に吐き出され、広間を埋め尽くす勢いで押し寄せた。

 

「っ……!」

 

 思わず身構える。

 だが、ミリィがゆっくりと腕を持ち上げた、その瞬間。

 

 すべてが止まった。

 

 燃え盛る炎も、宙を飛ぶ石礫も、押し寄せていた大量の水さえも、見えない壁に阻まれたように空中でぴたりと静止する。

 そして次の瞬間。

 流れが、反転した。

 

「うわ……!」

 

 猛烈な風圧が広間を吹き抜ける。

 《門》から吐き出されていたものがまとめて押し返され、巨大な《門衛巨像》そのものまで石床から僅かに浮き上がった。

 先ほどの攻撃で傷んでいた胸部外殻へ、さらに亀裂が走る。

 

 一枚。

 また一枚。

 

 灰白色の装甲が風に剥ぎ取られ、吹き飛んでいく。

 そして、その奥から、細かな紋様の刻まれた青く輝く核が露出した。

 

「ダリオ!」

 

「行きます!」

 

 リュネの声に押されるように、俺は駆け出した。

 

 傾いた巨像の腕へ飛び乗り、《四式》を石の継ぎ目へ突き立てる。

 それを足掛かりに身体を引き上げ、巨大な腕の上を走る。

 

 足場なんてまともなものじゃない。

 けれど、ところどころで風が背中を押してくれた。

 身体がふっと軽くなり、まるで地面を蹴る以上の距離を一息で滑っていく。

 ミリィが助けてくれている。

 

「っ……!」

 

 肩を越え、胸部へ。

 そして――辿り着いた。

 

 目の前に、青い制御核がある。

 

「ルーメ!」

 

「うん!」

 

 外套の肩口からルーメが飛び出した。

 迷うことなく核へ近づき、その小さな手を青い光へ重ねる。

 

 瞬間。

 

 ルーメの表情から、いつもの幼さが消えた。

 

「対象、確認」

 

 声まで違う。

 聞き慣れた舌足らずなものではなく、平坦な響きだった。

 

「危険経路、閉鎖。搬送路、停止」

 

 その言葉に呼応するように、変化が起きる。

 広間を取り囲んでいた《門》の光が、遠いものから順番に消えていった。

 

 一つ。

 また一つ。

 

 中央柱へ集まっていた青白い光も徐々に細くなり、地下全体を震わせていた低い唸りが、少しずつ静まっていく。

 

「――処理を終了します」

 

 最後の《門》が閉じた。

 同時に、《門衛巨像》から力が抜ける。

 ごうん、と腹に響く鈍い音を立て、巨大な身体がその場へ膝をついた。

 

「うわっ、と!」

 

 俺は突き立てていた《四式》を引き抜き、そのまま石床へ飛び降りる。

 見上げれば、巨像の胸に残っていた青い光も弱まり――やがて、完全に消えた。

 

 もう動かない。

 

 少し離れた場所では、広間を満たしていた風もゆっくりと収まり始めていた。

 

「ミリィ!」

 

 巨大だった風の輪郭が崩れ、その中から小さな緑色の身体が落ちてくる。

 リュネが駆け寄り、両手で受け止めた。

 

「ミリィ……!」

 

 しばらく心配そうに顔を覗き込んでいたが、やがて何か返事があったらしい。

 張り詰めていた肩から力が抜け、深く息を吐く。

 

 俺もそれを見届けてから、完全に動きを止めた《門衛巨像》へ背中を預けた。

 

「……疲れたぁ」

 

 そのまま、ずるずると滑り落ちるように腰を下ろす。

 すると、いつの間に戻ってきたのか、ルーメがふわりと俺の膝へ降り立った。

 

「へへへ。やったね」

 

 いつもの声だった。

 こちらを見上げ、嬉しそうに笑う小さな相棒へ、俺も自然と笑みを返す。

 

「……ええ。そうですね」

 

 少し離れたところでは、リュネがミリィを大事そうに両手で包んでいる。

 俺の膝の上には、ルーメ。

 

 静まり返った巨大な地下空間の中。

 少なくとも今だけは――俺たち二組が、間違いなく勝者だった。

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