《千門回廊》の暴走から、六日が過ぎた。
王都南東区には、まだあちこちに事件の爪痕が残っている。
それでも、通りを行き交う人々の顔には、少しずついつもの日常が戻り始めていた。
崩れた壁には新しい板が打ち付けられ、水浸しになった倉庫の前には、濡れた荷を乾かすための縄が何本も渡されている。
その脇を荷車が軋みながら通り過ぎ、通りの露店では香辛料をまぶした肉が朝から盛大な音を立てて焼かれていた。
「だから高いって言ってんだろ!」
「嫌ならよそで買いな!」
値切る客と店主の声がここまで聞こえてくる。
人間というのは、思っていた以上に逞しいものらしい。
赤尾根商会の前で荷下ろしの様子を眺めながら、俺はぼんやりとそんなことを考えていた。
「ぼーっとしてるねぇ」
声に振り向く。
店先から出てきたナジャが、大きめの木箱を抱えたままこちらを見ていた。
彼女もこの数日は、ずっと忙しそうにしている。
今回の騒ぎで、赤尾根商会が使っていた倉庫のいくつかにも火が回ったらしい。
在庫の確認や足りなくなった品の仕入れ。
それ以外にも、俺には分からない細かな仕事が山ほどあるのだろう。
それでもナジャはへこたれた様子もなく、店の内外を駆け回りながら、いつも通りの調子で次々と指示を飛ばしていた。
「ええ、まあ。大変でしたからねぇ」
少しくらい、ぼうっとしていても許されるんじゃないですかね。
そんなことを思いながらナジャへ視線を向けると、彼女は声を上げて笑った。
「ははは! そりゃそうだ。なんせ王都の救世主サマだからねぇ。少しくらいボケッとしてたって、誰も文句は言わないさ」
「いやぁ、ははは……」
どんな顔をして良いか分からずへにょり、と口を歪めると、ナジャはますます楽しそうに笑う。
彼女は、《千門回廊》で何が起きたのか、その顛末を知っている数少ない人間の一人だ。
《門衛巨像》が膝をつき、ルーメが胸部の制御核へ触れた、あの瞬間。
王都の至るところで開いていた無数の《門》は――まるで示し合わせたように、一斉に閉じたのだ。
* * *
「――処理を終了します」
ルーメの平坦な声が響いた直後、広間の壁面を埋め尽くしていた《門》の光が順に消えていった。
中央柱を走っていた青白い導線も少しずつ細くなり、広間全体を震わせていた低い唸りも、徐々に遠ざかっていく。
やがて。
《千門回廊》は、完全に動きを止めた。
……問題は、そのあとだった。
「……帰り道、あります?」
誰に尋ねるでもなく、ぽつりと呟く。
「待ってね。今、見てみる!」
ルーメは俺の膝からふわりと飛び立つと、その場で目を閉じた。
しばらくして。
「……うん!」
ぱっと目を開き、嬉しそうにこちらへ振り返る。
「中枢に繋がったおかげで、少しだけだけど《門》を使えるようになったみたい!」
「本当です?」
「ほんとほんと!」
いまひとつ仕組みは分からないが、要するにルーメ自身が、この施設の機能を一部だけ扱えるようになったらしい。
つまり、新しく《門》を開くこともできる。
もっとも、好きな場所へ自由自在に、というわけではなさそうだった。
リュネとミリィもこちらへ寄ってきたので、集積庫から持ち出した王都の地図を床へ広げる。
その上を飛びながら、ルーメが一点を指差した。
「ここ! 昔の避難所だったみたいで、《門》の繋がりがまだ強く残ってるの。ここなら開けられそう!」
「王都の外れ……ですかね」
「うん!」
なら、それで十分だ。
少なくとも、地下で生き埋めになる心配はなくなった。
ひとまず胸を撫で下ろし、俺とリュネは改めて広間を見回す。
次に確認しなければならないのは、ここまで連れてきた白錫の男たちだ。
巨像の攻撃で広間中に瓦礫が散乱し、かなり見通しが悪くなっている。
二人で手分けして探すと、やがて壁際で折り重なるようにうずくまっている二人を見つけた。
「……生きてます?」
「一応ね」
火傷や裂傷でひどい有様だったが、二人とも息はあるが、放っておいたら危なさそうだ。
近づくと、そのうちの一人が薄く目を開けた。
「……終わった、のか」
「ええまあ」
「……そうか」
そう言ってどこか清々しそうに口元を歪める。
「ま、あんたらはこの後証人として突き出すからね。死にゃしないでしょ」
そう言って、リュネが肩を竦める。
二人の腕をそれぞれ俺とリュネの肩へ回し、ほとんど引きずるようにして広間の中央まで戻る。
その途中で、ふと気づいた。
「……あれ?」
「どうしたの?」
「灰色の長衣の男、いませんよね?」
制御盤へ術式を叩き込んだ、あの魔術師。
辺りを見回すが、倒れている様子もない。
それらしい死体もない。
念のため周囲をさらに探してみたものの、結局、男の姿はどこにも見つからなかった。
「……逃げた、んですかねぇ?」
あの状況でどうやって、とも思う。
だが、ここの《門》を利用していた連中だ。自分だけが逃げるための経路くらい、あらかじめ用意していたとしても不思議ではない。
それに、こっちは《門衛巨像》への対応だけで手一杯だった。
あの最中にこっそり抜けられていても、気づけた自信はない。
「でしょうね」
リュネも、諦めたように息を吐いた。
一応ルーメにも確認してみたが、どこへ逃げたのかを追跡するようなことまではできないらしい。
中枢に接続したことで出来ることが増えたとはいえ、何でも分かるわけではないようだ。
「じゃあ、開けるよー」
こちらの準備が整ったことを伝えると、ルーメはいつもの軽い調子でそう言った。
中央柱の一角へ、細い光が走る。
それは縦横へ伸び、人が数人並んでも通れそうな大きさの四角い輪郭を描いた。
青白い光が満ちる。
そして、その向こう側に――夜の草地が見えた。
俺たちは白錫の男二人を連れ、《門》を抜けて王都の外れへ出た。
そこから南東門まで歩いて戻る頃には、夜明け前の空がうっすらと白み始めていた。
王都へ入り、まず気づいたのは――あれほど街中に開いていた青白い《門》が、すっかり消えていることだった。
もっとも、《門》から吐き出されたものまで一緒に消えてくれたわけではない。
路地には瓦礫や泥水が残り、あちこちではまだ火の手が燻っている。何より厄介なのは、街へ流れ込んだ魔獣たちだ。
遠くから咆哮が聞こえ、別の通りでは冒険者らしき怒声も響いていた。
とはいえ、もう新たに増えることはない。
夜通し冒険者や衛兵たちが動いていたおかげもあってか、あとは残った連中を片づければ、どうにか収まりそうな雰囲気ではあった。
俺たちはそのまま、捕らえた白錫の男たちを連れて南東支部へ向かった。
最初のうちは支部の中もゴタゴタが続いている雰囲気で、こちらの話を聞くどころではない様子だったが、リュネが鉄級相当の中でも腕が立ち、この支部で長く活動していること。それから何より、俺たちが白錫商会の人間を二人も連れていたことで、話は一気に上へ通った。
結局、支部長自ら事情を聞くことになった。
もちろん、すべてを馬鹿正直に話したわけではない。
ルーメのことや俺の能力のことなんかは適当にぼかしつつ、《千門回廊》で見たものをできる限り詳しく説明して、かき集めてきた紙束も全部渡した。
正直、俺たちが持っていても手に余る代物だ。
「この件については、ひとまずギルド預かりとします」
最終的には、そういう話になった。
まあ、当然ですよねぇ。
何しろ王都全体を巻き込んだ騒ぎだ。
しかも下手をすると王国内部の権力争いにまで足を突っ込むことになる。
そこから先はギルドが然るべき場所へ情報を上げ、王国側とも話を通すらしい。
「事情が整理でき次第、こちらから改めて連絡する」
支部長はそう締めくくった。
幸い、現場の混乱も少しずつ収まりつつある。
今日はもう帰って休め、と言われた頃には、さすがに俺も限界だった。
眠気で重くなった目をこすりながら支部を出て、そこでリュネとは別れた。
そうしてようやく――赤尾根商会へ戻ってきた、というわけだ。
* * *
「――それで、六日経ってもギルドからは何の連絡もなし、と」
「そういうことです」
赤尾根商会の店の奥。
ナジャは開いていた帳面をぱたりと閉じた。
「まあ、王宮まで話が絡んでるなら仕方ないか。商会同士の揉め事だって、片がつくまでにはもっと時間がかかるからねぇ」
「俺としては、もう関わらなくてもいいんですがねぇ」
「そうはいかないだろうねぇ」
なんたって当事者だ。
そう言って、ナジャが可笑しそうに笑う。
そのときだった。
「ダリオ・クラインさん、いますか!」
店先から、張りのある声が飛んできた。
俺とナジャは思わず顔を見合わせる。
表へ出てみると、ギルドの腕章を付けた若い男が立っていた。
「ギルドからです。すぐ来てもらえますか」
どうやら、ようやく連絡が来たらしい。
ナジャへ軽く頷いてから、職員に少し待ってもらい、借りている部屋へ戻る。
外套を羽織り、部屋に居たルーメへ声を掛けた。
「行きますよ」
「うん!」
元気な返事が返ってくる。
赤尾根商会から南東支部までは、それほど遠くない。
案内する職員のあとを追って通りを歩けば、辺りはもうすっかり日常を取り戻していた。
露店からは威勢のいい呼び声が飛び、荷車が忙しなく行き交っている。
六日前、この辺りを魔獣やゴーレムが暴れ回っていたなんて、今の光景だけを見れば嘘のようだった。
「さて……どんな話になってるんでしょうねぇ」
「きっとダイジョーブだよー」
外套の中から、ルーメが呑気に答える。
「だといいんですが」
軽く返しながら、そのまま職員についていった。
南東支部へ着くと、中もすっかり平常の姿へ戻っている。
いや。
むしろ普段より、ずっと騒がしいかもしれない。
依頼板の前には冒険者たちが群がり、張り出された紙を睨むように眺めていた。
街の復旧に伴う瓦礫運びや修繕の手伝い。
壊れた外壁付近へ入り込む魔獣の討伐。
それに、ナジャたちのように今回の騒ぎで在庫を減らした商人が、仕入れへ向かう際の護衛依頼。
どうやら仕事には事欠かないらしい。
「こちらです」
俺を呼びに来た職員に促され、そのまま奥へ進む。
通されたのは、先日と同じ支部長室だった。
扉が開く。
中には、支部長。
それから、すでに呼ばれていたらしいリュネ。
そして――もう一人。
こちらへ背を向けた、見覚えのない女性が立っていた。
いや。
その背中を見た瞬間、妙な引っかかりを覚える。
女性がゆっくりと振り返った。
栗色の髪が、肩口でふわりと揺れる。
「……なんで」
思わず、声が漏れた。
細縁の眼鏡。
その奥にある、青みがかった灰色の瞳が、まっすぐ俺を見る。
見間違えるはずがない。
「……探しましたよ、ダリオさん」
ラウゼン冒険者ギルドの受付嬢。
エルナが、そこに立っていた。
第一部完!
お付き合いいただき、ありがとうございました。
ひとまずは終了となりまして、またの機会で再開できれば嬉しいでございまする。
ではまた。