在庫無限の遅咲き冒険者   作:鳥獣跋扈

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第五話 坑道へ

 

 ラウゼンの北門を抜ける。

 

 城壁の外へ出ると街の喧騒は遠ざかり、代わりに湿った土と草の匂いが濃くなった。

 街道には荷車の轍が深く刻まれ、道の左右には低い草原が広がり、その向こうに煤を被ったような黒い丘陵が連なっていた。

 

 煤鐘丘陵。

 その麓に口を開けているのが、今日の目的地である《煤鐘坑道》だ。

 

 歩いて三時間。

 十三年も冒険者を続けていれば、何度通ったか分からない道だった。

 若い頃は、この街道を歩くだけでも胸が躍ったものだ。

 丘の向こうには迷宮があり、迷宮の中には魔物や魔石がある。運がよければ旧文明の遺物が見つかり、それを売れば一夜で大金持ちになれる。

 

 十五歳の俺は、本気でそんなことを信じていた。

 二十八歳になった今では、目新しくもなんともない、寂しいただの道に過ぎない。

 

 だが、今日は違う。

 新たな発見と検証に胸が躍るのを否定できない。

 今、自分自身に起こっていることを十全に活用できれば、この先の展望など幾らでも開けてくるはずだ。

 

 大きな背負い袋の重みを直しながら、脚を動かす。

 

 

 

 いつもよりも少し早い時間、昼前には煤鐘坑道の入口へ着いた。

 黒い岩壁へ大きな穴が開き、その前には監視小屋と木柵が設けられている。

 入口の脇には、古い採掘道具や支柱の破片が積まれていて、坑内から吹き出す風には、湿った岩と鉄、それから古い油の匂いが混じっている。

 監視小屋では、白髪の老人が椅子へ座り、入坑者の記録をつけていた。

 

「おはようございます」

 

「おお、ダリオか」

 

 ここの老人も長い。俺が若手の頃から変わらずに居る。

 老人は俺の冒険者札と依頼書の控えを確認し、台帳へ視線を落とした。

 

「鉄牙鼠三体。浅層だけだな」

 

「その予定です」

 

「昨日の雨で、第二層へ下りる西側通路が緩んでる。入るなよ」

 

「ギルドでも言われましたよぅ」

 

 そうかい、と、さして興味も無さそうに相槌だけ返してくる。

 俺は曖昧に笑みを返し、坑道へ足を踏み入れた。

 

 外の光が届くのは、入口から数十歩までだった。

 その先には闇が広がっている。

 

 壁へ埋め込まれた古い魔石灯が、ところどころで青白い光を滲ませていたが、足元を十分に照らすほどではない。

 俺は松明を一本取り出し、火口箱で火をつけた。

 橙色の炎が広がり、濡れた岩肌を照らす。

 

 支柱へ染み込んだ油の臭い。

 天井から落ちる水滴。

 そして、坑道の奥から低く響く金属音。

 

 ごぅん。

 ごぅん、と。

 

 かつて鉱夫へ危険を知らせるために吊るされた金属板が、地下を抜ける風で揺れている。

 この音が、《煤鐘坑道》という名前の由来だった。

 

 まずは、人の出入りがほとんどない資材置き場へ向かう。

 入口からほど近く、魔物も寄りつかない小部屋だ。

 

 持ってきた鉄釘を岩の隙間へ挟み、松明を固定する。そこへ油を垂らし、火勢を強めた。

 

「普通なら、絶対にやらないんですけどねぇ」

 

 松明一本が銅貨三枚。

 油にも金が掛かる。

 まだ使える松明を、ただ燃やし尽くす。

 

 昨夜までの俺なら、金を捨てるのと同じにしか思えなかっただろう。

 けれど、今日は確認しなければならない。

 炎が木と布を舐め、ぱちぱちと音を立てる。

 

 燃え尽きるのを待つ間、俺は背負い袋から古い短弓を取り出した。

 矢筒には七本。

 一本を抜き、奥の深い亀裂へ向けて構える。

 

 弦を引き矢を放つと、勢いよく暗い亀裂へ吸い込まれ、奥で硬い物に当たる音がした。

 回収は難しいだろう。

 

 背負った矢筒を確認する。

 六本。

 

 しばらく待っても、変化はない。

 

「矢は駄目ですかね?」

 

 そう思った時、背後で小さな音がした。

 矢筒へ指を入れる。

 

 七本。

 

「……戻った」

 

 矢筒から視線を外し、燃えている松明へ目を向ける。

 木の半分以上が炭へ変わっていた。

 やがて最後の火が消え、黒い燃え殻が床へ落ちる。

 

 背負い袋を開くと、松明は六本。

 使う前と同じ数に戻っていた。

 

「よし……よし!」

 

 思わず声が大きくなる。

 食料だけではない。矢も、松明も戻る。

 

 冒険者にとって、あり得ないほど便利な力だ。

 自身にとって都合がよすぎることだけが不安ではあるが、だからと言って今はどうしようもない。

 降って湧いた幸運を享受するだけだ。

 

 新しい松明へ火をつけ、小部屋を出た。

 能力を確かめるだけでなく、受けた依頼も終わらせなければならない。

 

 鉄牙鼠三体。

 それが依頼達成の条件だった。

 

 浅層の通路を進みながら、壁の噛み跡や床に落ちた鉱石片を調べる。

 鉄牙鼠は鉱石を食べる。

 新しい削り跡と黒い糞があれば、近くに巣か餌場があるはずだ。

 

 やがて、通路の角で細かな鉱石片を見つけた。

 糞の量からして、二体か三体。

 

 俺は壁の金具へ松明を固定し、左腕へ盾を通す。

 矢筒から一本を抜いた。

 

 今までは戦う前に躊躇したり、装備の経費を考えていたが、もうその必要はない。

 使い放題だ。

 

 奥へ小石を投げると、乾いた音が岩壁を数度跳ねる。

 

 やがて暗闇から、爪が石を引っ掻く音が聞こえてきた。

 松明の光の端へ、犬ほどの大きさをした鼠が姿を現す。

 

 灰黒色の毛。

 太い前脚。

 口元から突き出た、金属質の門歯。

 

 一体。

 後ろにもう一体。

 さらに奥で、小さな影が動いた。

 

「三体ですかね」

 

 依頼にはちょうどいい。

 先頭の鉄牙鼠が鼻を鳴らし、こちらへ向かって走り出した。

 

 俺は短弓を引く。

 狙うのは頭ではない。

 門歯を砕けば、討伐証明として使えなくなる。

 

 矢を放つ。

 肩へ刺さった。

 鉄牙鼠は怒りの声を上げ、そのまま突進してくる。

 

 二本目。

 今度は首の付け根へ入った。

 鼠の前脚がもつれ、岩床を滑る。

 

 矢筒へ手を入れると、七本。

 既に戻っている。

 

「早いですね」

 

 二体目が倒れた仲間を飛び越えてきたところに矢を放つが、外れた……!

 岩へ当たり、軸が折れる。

 

 いつもなら、そこで胸の中へ焦りが生まれるが、今日はそんなことは無い。

 

「もう一本!」

 

 二本目を引き抜き、前脚の付け根を狙う。

 命中。

 鉄牙鼠が前のめりに転ぶ。

 次の矢を首へ撃ち込み、動きを止めた。

 

 三体目は仲間の死骸の前で立ち止まり、すぐさま暗闇へ引っ込んでいってしまった。

 

「逃げた?」

 

 右手の横穴から、爪音が響く。

 おっと、回り込みか。

 

 弓を手放し盾を構えると、直後、鉄牙鼠が横穴から飛び出してくる。

 

「そっちですか!」

 

 金属質の門歯が革盾へ食い込んだ。

 衝撃が左肩まで抜ける。

 

 勢いを殺すように二歩下がり、右手で片刃剣を抜いた。

 鼠が盾へ噛みついたまま、激しく首を振る。

 

「っく!」

 

 盾を押しつけ、剣を下から突き上げる。

 刃が柔らかな腹へ入り、熱い血が右手へ流れた。

 

 鉄牙鼠が甲高い声を上げながら前脚の爪を振り回し、俺の右腕を掠めた。

 

「痛っ!」

 

 上着が裂け、皮膚へ赤い線が走る。

 深くはない。

 

 俺は歯を食いしばり、さらに剣を押し込んだ。

 やがて鼠の身体から力が抜け、床へ崩れ落ちる。

 

「……もう、いませんよね?」

 

 周囲の音を聞く。

 

 水滴。

 遠くの煤鐘。

 松明が燃える音。

 

 ほかに動く気配はないことを確認してやっと一息ついた。

 

 剣についた血を拭い、短剣を取り出す。

 鉄牙鼠の門歯は、見えている部分を折るだけでは討伐証明にならない。

 根元に残る青い魔力線まで、傷つけずに抜く必要がある。

 

 木片を口へ噛ませ、顎を固定する。

 上下二本ずつ。

 合計四本。

 短剣の先で歯茎との隙間を慎重に広げ、根元から抜いていく。

 

「よし、これで一組」

 

 血を拭い、専用の革袋へ入れ、二体目、三体目も同じように処理した。

 

 合計三組。

 これで依頼は達成できる。

 

 胸を開き、小さな魔核も取り出しておく。

 依頼品の門歯とは別に、魔核には買い取り値がつく。

 鉄牙鼠の物は一つ銅貨数枚程度だが、三つあれば食事一回分くらいにはなる。

 

「今までなら、ここで帰ってますよねぇ」

 

 右腕の傷を見ると、ぽたぽたと血が垂れて床に赤い円を描いていた。

 

 回復薬を使うほどではないが、それでも戦闘に支障が出る可能性はある。

 これまでなら、そう判断した。

 

 安物の回復薬でも一本、大銅貨四枚。

 この傷へ薬を使えば、一日の稼ぎがほとんど消える。

 

 けれど、今日は違う。

 使った薬が戻るなら。

 

 俺は背負い袋から、薄緑色の薬液が入った小瓶を取り出し、一拍の間を持ってから栓を抜く。

 

 腐りかけた草を煮詰めたような臭いが鼻を突く。

 俺は覚悟を決め、一気に飲み干した。

 

「うぇ……」

 

 苦い。

 喉が焼け、腹の奥から熱が広がっていく。

 右腕の傷が脈打ち、流れていた血が止まった。開いた皮膚がゆっくり寄り、痛みが薄れていく。

 

 俺は空瓶を見つめるが、何も起こらない。

 

「もう少し時間がかかるかな?」

 

 そう呟いた時、瓶の輪郭が揺らいだ。

 

「え?」

 

 手にしていた瓶が、透ける。

 次の瞬間には、指の間から消えていた。

 

「ちょっと!?」

 

 落としたのかと足元を探すが、ない。

 

 背負い袋の中から、かすかなガラス音が聞こえた。

 恐る恐る袋を開くと、未開封の回復薬が一本、そこに入っていた。

 

「戻ってる……」

 

 取り出し、松明の光へ透かす。

 封蝋も、薬液の色も同じ。

 瓶の底に刻まれた印だけが、最初に買った物と僅かに違っているように見えた。

 

「こんな形でしたかね?」

 

 昨日、底まで詳しく眺めたわけではない。

 気のせいかもしれないと思いながら、薬瓶を袋へ戻した。

 

 右腕の傷は血が止まり、痛みもほとんどなくなっている。

 

 初めてだった。この程度の傷へ回復薬を使ったのは。

 

 使った方がいいと分かっていても、使えなかった。

 薬を惜しんで傷を化膿させ、仕事を休んだこともある。貧乏根性ここに極まれりだなと、笑われたこともある。

 

 だが……これなら!

 

 矢を外してもいい。

 松明の残り時間を気にせず、足元を照らせる。

 怪我を我慢しなくてもいい。

 

 俺は強くなったわけではない。

 だけれども、使える手段を失わなくなった。

 

 それが冒険者にとってどれほど大きいか、十三年間、財布とにらめっこしながら頭を捻っていた俺には分かる。

 

 その時だった。

 坑道の奥から、硬い音が響いた。

 

 鉄牙鼠の爪音ではない。

 一定の間隔で繰り返される、金属が岩を叩く音。

 

 何の音だ?

 

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