かぁん。
間を置いて、また、かぁん。
坑道の奥から硬い音が響いてくる。
鉄牙鼠の爪ではない。
つるはしが岩を叩く音に近い。
「採掘……?」
この区画は二十年前の迷宮化以降、採掘が禁じられていたはず。
今も稼働している鉱区はもっと東側だ。
音が聞こえてくる方向は、手持ちの地図では崩落した行き止まりになっている。
地図が更新されたような話も聞いたことは無い。妙だな。
松明を掲げ、通路の奥に向かい目を凝らすと、以前は崩れた岩で塞がれていた壁に、人が一人通れるほどの隙間が開いている。
足元には新しい靴跡がいくつか。
重い何かを引きずった跡に、荷車を通した轍のようなモノも薄っすらとある。
「……誰かが未踏破部分を見つけた?」
ない話ではない。地震や何かで地盤が崩れ、別の道に繋がるようなこともある。
大概はそのまま報告が上がるが、稀に発見者がそのまま己だけの特権として報告を怠る場合も、まあよくある話だ。
戻って監視役へ報告しましょうかね。
そう思った時だ。奥からかすかに人の声が聞こえた。
「少し……休ませて……」
「箱一つ分にもなってねえ。手を動かせ」
「もう、腕が……」
「ならテメェのガキを代わりに連れてくるか?」
これは……
とても鉱夫と監督者の会話、という雰囲気ではなさそうだ。
松明の灯りを手で覆いながら小さくし、そろりと横穴へ入った。
入口へ石を三つ積み、壁へ炭で印をつける。中が入り組んでいる可能性もある。無いよりはマシくらいのものだが、目印だ。
狭い通路の奥には、青灰色の光が滲んでいた。
岩壁の裂け目へ身を寄せ、そっと先を覗く。
広い空洞だった。
壁や天井から、灰青色の結晶が無数に突き出している。
境界晶。
迷宮の空間を安定させていると言われている、希少鉱石。
刻印術や転移魔法の素材として高値で取引される一方、抜けば周囲の迷宮構造が崩れる危険があるため、一般の採掘は禁じられている。
その結晶を、冒険者らしい恰好をした者や、日雇いらしい男たちが削っていた。
皆、顔色が悪い。
背後には武装した四人組が立っている。
黒い鉄釘を組み合わせた紋章が、遠目にだが何とか確認できた。
鉄級パーティー《黒釘》。
この地域では少し名が売れ始めた連中だ。
荒っぽいが腕は立ち、危険な依頼を多く達成し、リーダーは銀級への昇格審査を控えているはず。
そんな連中が、なぜこんなことを。
何か他に無いかと視線を巡らせると、隅の方に若い男が倒れていた。
胸元には青銅級の札。
頭の下に黒い血が広がり、目は開いたまま虚空を睨んでいる。
死んでいる……!?
息を呑み、ごくりと喉が鳴る。
ギルドへ報告しなければ……
一人で対処できる相手じゃない。
静かに後ろへ下がろうとしたとき、からん、と靴の下で小石が鳴った。
採掘音に紛れる程度の小さな音。
それでも、空洞の入口近くにいた女がこちらを向いた。
短い黒髪に細身の身体。
弓を持った斥候らしき女。
目が合った。
「誰だ!」
短い声が飛ぶ。
「まずい……!」
踵を返し、通ってきた横穴に飛び込む。
背後で誰かの怒鳴り声が上がる。
「逃がすな!」
通路を走りながら、松明を後ろへ投げた。
灯りが無くなるのは痛いが、道は一本、的になるよりはマシだ。
そう考えた直後、背後から風を切る音がした。
「痛っ!」
矢が左肩を掠め、岩へ突き刺さる。
危な!?
中腰になりながら、走る脚は止めず、粉末石灰の袋を開くと振り返りざまに投げつけた。
袋が裂け、白い粉が通路へ舞った。
「なにこれ!?」
ちょうど追いつきかけていたのであろう誰かの声と、咳き込む音が聞こえた。
これで距離が取れる、と前を向いた時、前方に突然大柄な男が現れ、どっしりと大盾を構えて通路を防ぐように待ち構えている。
別の横道から回り込まれた!?
「ちょ!?」
大盾が突き出された。
避けられない……!
身体ごと弾かれ、背中から岩壁へ叩きつけられる。かひゅ、と息が漏れた。
床へ膝をついたところで、首筋へ刃が当てられた。
「動くな」
「動けませんって……」
首筋に当たる冷たい感触に冷や汗を流しながら、荒い呼吸の合間に答える。
視線の先には、こちらを見下ろす連中。
目元を赤くした女斥候。
大盾を持った巨漢。
ローブを着込んだ痩せた魔術師風の男。
最後に、長身の男が彼らの背後から現れた。
《黒釘》のリーダー、ヴァルド・ケイン。
彼の名前だけは、俺でも知っている。
酒場で若い冒険者から尊敬の目を向けられ、ギルドでは銀級候補と噂される男。
ヴァルドは俺の顔を見ると、僅かに眉を寄せた。
大盾の男と位置を変え、すらりと抜いた剣を代わりに喉元に付きつける。
「誰かと思えば、万年青銅級のおっさんか」
「いやはや、手厳しいですねぇ」
声が震えたが、少しでも会話をして生を長引かせる。何か切り抜ける糸口は無いか。
「何を見た?」
「何も見てません」
「死体を見ただろう」
うぐ、と答えに詰まる様子を見て、ヴァルドは静かに笑う。
「正直な男だ」
「そんなんだから損ばっかりしてましてねぇ」
「なら、今度は得をさせてやる」
ヴァルドが腰袋から銀貨を五枚取り出した。
キラリと鈍く光る銀。俺の宿代なら二か月以上にはなる大金だ。
「見たことを忘れろ。外へ出たら、崩落で道を間違えたと報告する。そうすれば、この金はお前のものだ」
「……ずいぶん、気前がいいですね」
「お前にとっても良い話だろう?」
なるほど、分かった。
金を受け取っても、俺を帰すつもりなんてないな。
ちゃりちゃりと、手の中で銀貨を弄ぶその顔。
人を見下し、蔑むその眼。
背後の連中も、隠すつもりがあるのかないのかニヤニヤとした顔を覗かせている。
ああ、そうですよねぇ。
「嫌ですねぇ。どうせ殺すくせに」
ヴァルドの笑みが少し深くなった。
「なるほど。長いこと冒険者をしているだけはある」
「そこは、褒めてほしくなかったですねぇ」
「長く生きた。十分だろう」
首筋の刃が強く押しつけられる。
強がりを言うだけで、身体の震えを止められない。
鉄級が四人。
自分が何人居ても勝てない相手だ。
ヴァルドの顔が近づく。
「青銅級が一人、浅層で魔物に襲われた。よくあることだ」
「行方不明者が出れば、ギルドが確認班を出しますよ」
「調べたところで、見つかるのは魔物に食われた死体だけだ」
ヴァルドが顎を動かすと、目元の赤みがだいぶ引いてきた女斥候が、俺の背負い袋を強引に奪った。
矢、薬、松明、依頼証明。
使えるそうな物を手早く抜き取っていく。
「使えそうなもん以外はそのままにしとけ。穴へ捨てる」
一瞬、連中の視線が背負い袋に集まる。
喉に付きつけられた剣先が少しだけ下がる。
今だ!
俺は腰の油壺を掴み、床へ叩きつけた。
ガシャン、と鈍い音と共に油が広がる。
連中が視線を寄こす前に、火口箱から火種を落とすと、ぶわり、と炎が一気に上がった。
「火だ!」
誰かが叫び、男たちが一瞬怯む。
その隙に立ち上がり、女斥候へ体当たりすると、背負い袋が床へ落ちて中身が散らばる。
俺はそのまま炎の横を抜けて走った。
このまま逃げ切れれば……!
背後から詠唱が聞こえてくる。まずい?!
思った瞬間、衝撃が背中へぶつかった。
身体が前へ吹き飛び、岩床を転がる。
起き上がろうとするが、右脚に激痛が走った。
立てない……!
「逃げ足だけは一人前だな」
ヴァルドの声が近づいてくる。
何かないか!?
視線を巡らせると、ちょうど床に転がった回復薬が視界の端に映る。這うようにして転がりながらなんとか掴みとり、栓を歯で抜く。
飲み込むと、苦味と熱が口内と体に巡る。
脚の痛みが急速に引いていった。
よし! これで何とか……
だが、脚が使えるようになったとしても、状況はそれほど変わらない。
慌てて逃げ込んだせいで、正確な場所が分からない。逃げるにも、どちらに行けばいいのか……
片刃剣を抜いて迎え撃つ構えを取るが、刃先が震えている。
「やるつもりか?」
「できれば、帰してほしいんですけどね」
ヴァルドがニヤリと笑いながら、下げていた剣を構えなおす。
俺の安物とは違う。
厚い刃に魔力が流れ、青白い光を帯びた剣が、地面で燃える炎の照り返しと魔力光でぼんやりと光る。
鉄級上位。
まともに打ち合えば、一合も保たない。
「ほうら、来ないならこっちから行くぞ」
言いながらヴァルドが炎を踏み越えた。
着込んでいる外套が火を弾く。そっちも魔力通しですか!?
速い!
剣が横から来た。
盾で受けるが革が裂け、左腕が外へ弾かれた。
「うっ……!」
続く蹴りが腹へ入る。
胃の中身がせり上がり、膝をついた。
「げほっ!」
息をするだけで痛い。肺が苦しい。
酸っぱいモノが喉をせり上がりそうになるのを何とか飲み下した。
「迷宮じゃあ、弱いヤツから死ぬ」
頭上から声が落ちてくるが、反応する事すら億劫だ。
視界が涙で歪むのを自覚しながら、何とか顔を上げる。
ヴァルドが剣を構えていた。
背中が岩壁へ当たる。逃げ道はない。
腕が震え、歯も鳴っている。
怖い。
死にたくない。
冒険者になって十三年。
鉄級にもなれず、狭い屋根裏で暮らし、回復薬一本を惜しみながら生きてきた。
ようやく、ようやく何かが変わるかもしれないと思った。
それなのに。
「待ってください」
掠れた声が出た。
「……待ってくださいよ」
剣が来る。
裂けた盾を上げる、否、上げようとしたが間に合わなかった。
魔力を帯びた刃が、胸当てへ滑り込んだ。
冷たいものが、肉を貫く。
「あ……」
胸の内側から、焼けた鉄を押し込まれたような痛みが走る。
口から血が溢れた。
剣が抜かれる、いやな感触。
傷口からも熱が流れ出す。
膝が崩れ、床へ倒れた。暖かい液体に沈む。
音が遠い。
呼吸をしようとしても、空気の代わりに血が喉へ上がってくる。ごぼりごぼり。
頭に直接響くような嫌な音。
「……まだ生きてるぞ」
誰かが言った。
「放っておけば死ぬ」
ヴァルドの声。
「地鳴りが大きくなっている。またどこかが崩れるぞ」
岩壁の向こうから、低い唸りが響いた。
ごごご、と坑道全体が震える。
境界晶を掘っていた空洞から、何かが砕ける音が続いた。
「捨てろ」
誰かに腕を掴まれた。
引きずられる。
止めようとしても、身体は動かなかった。
視界の端に、俺の背負い袋が見えた。
女斥候が、中身を抜き取った後、裂けた袋だけを投げ捨てている。
近くには、討伐証明の門歯が散らばっていた。
依頼を終わらせた。
生きて帰れると思った。
そのはずだった。
「浅層で青銅級が一人死んだ」
ヴァルドの声が遠くから聞こえる。
「それだけの話だ」
身体が持ち上げられた。
冷たい風が頬へ当たる。
廃棄用の縦穴。
採掘の際に出た瓦礫や、処理できない魔物の死骸を落としていた古い穴だ。
底は見えない。
「待って……」
声にならない音が口から漏れる。
「運がなかったな」
手が離れ、身体が落ちた。
暗闇の中で、何度も岩へぶつかる。
肩。
背中。
脚。
ごぅん。
どこかで煤鐘が鳴った。
最後に見えたのは、遥か上で小さくなっていく、青白い境界晶の光だった。
数瞬の間。地面へ叩きつけられ、全身へ凄まじい衝撃が走る。
舞った埃と石片が降り注ぐ。
目を開けても、何も見えない。そもそも、目が開いているのかすら分からない。
呼吸をするたび、胸の奥で血が泡立つ。
指先も、脚も、ほとんど動かなかった。
ただ、すぐ近くの暗闇に、何かがある。
弱々しい。
今にも消えそうな小さな、白い光。
思わず手を伸ばそうとしたが、そこで俺の意識は途絶えた。