さて、何はともあれ、ココがどこだかを知らなければ話にならない。
出口はあるのか。
そもそも、地上へ戻れる場所なのか。
「何か、手掛かりでもあればいいんですがねぇ」
独り言のように呟き、俺は壁へ片手を添えながら通路を進んだ。
ルーメが先を飛び、白金色の光で周囲を照らしてくれているとはいえ、足元は決して安全ではない。床には細かな瓦礫が散らばり、ところどころで石材が浮き上がっていた。
「あっ」
少し先を飛んでいたルーメが、古い壁の前で止まった。
二枚の光輪を小刻みに明滅させながら、壁に掛けられた案内板らしきものを指差す。
「ここ、救命区画だよ」
「分かるんですか?」
「うん。書いてあるところだけだけどね」
光を携えたルーメの傍に近寄り、視線を向ける。
壁へ埋め込まれた金属板には、細かな文字と線が刻まれている。おそらく旧王国文字なのだろう。
文字列の下には、簡単な見取り図らしきものもあった。
ルーメは案内板の上を指でなぞった。
「ここは第三避難区画。治療室と、救難装備庫と、排水管理路があるって」
「救難装備庫?」
「緊急用の装備とか、食べ物とかを置いてあるところ!」
装備。
食料。
今の俺に必要なものが、まとめて揃っているかもしれない。
もっとも、旧王国時代から残っている食料など、口に入れて無事かどうかは怪しいが。
「案内をお願いできますか?」
「まかせて!」
ルーメが元気よく答え、通路の奥へ飛んでいく。
白金色の光が、長く閉ざされていた地下の通路を照らした。
床には、切り揃えられた石材が隙間なく敷かれている。
その中央には、細い金属の軌道が二本、通路の先へ向かって伸びていた。小さな荷車でも走らせていたのだろうか。
壁へ一定間隔で埋め込まれた金属柱には、見たことのない紋章が刻まれている。
円の中へ、三本の線。
煤鐘坑道で使われている王国鉱務局の印とは明らかに違う。
数百年、あるいはそれ以上のあいだ閉ざされていたはずなのに、通路の空気にはひどい淀みがなかった。
腐臭もない。
湿気はあるが、息苦しいほどではない。
耳を澄ませると、どこか遠くで水の流れる音がした。
細く、絶え間なく。
排水設備の一部が、今も生きているのかもしれない。
旧王国の遺構を見つけた冒険者の話は、酒場で何度か聞いたことがある。
扉が動き、勝手に灯りが灯る。
妙な拵えの人形が動いた。などなど。
どの話も、酒の勢いで膨らませているものだと思っていたが、もしかしたらいくつかは本当の話なのかもしれないな。
「こっちだよ!」
そんなことを考えていると、ルーメが通路の角から顔を出して手招きする。
目的地は、俺が治療箱を見つけた場所から、それほど離れていなかった。
ただし、すぐに入れる状態ではなかった。
黒い金属製の扉が、崩れた天井の瓦礫へ半分ほど埋もれている。
扉の中央には円形の窪みがあり、その周囲を囲むように旧王国文字が刻まれていた。
「開きますかね」
「やってみる!」
ルーメが窪みへ近づく。
白金色の光が、小さな身体から窪みへ流れ込んだ。
淡い光が環状の文字を一周する。
直後。
ご、と。
低い音が扉の奥から響いた。
長い眠りから無理やり起こされたように、黒い扉が細かな埃を落としながら、ゆっくりと横へ動き始める。
だが、途中で止まった。
瓦礫が引っ掛かっているらしい。
「むぅ」
ルーメが扉の前で腕を組んだ。
「もうちょっとなのに」
「十分ですよ」
俺は開いた隙間へ身体を差し込み、両手を扉へついた。
胸へ力を入れた途端、傷の奥が鋭く痛む。
「っ……!」
「ダリオ、無理しちゃだめだよ!?」
「とは、言ってもですね……!」
他に目星もない。多少の無茶はしなければ。
足を踏ん張り、ゆっくりと力を加える。
扉は重かった。
錆びているだけではない。瓦礫と歪んだ枠が、動きを邪魔しているようだ。
「ボクも押す!」
ルーメが小さな両手を扉へついた。
「せーのっ!」
本人は懸命なのだろう。
だが、扉へ力が加わっているようには正直まったく見えなかった。それでも、不思議と一人で押すより気が楽になった。
「もう少し……っ」
「……っぐ!」
鈍い金属音とともに、扉がさらに動く。
どうにか、人ひとりが身体を横にすれば通れる程度の隙間ができた。
「これで、十分でしょう」
「んもう! 無茶して!」
ルーメの抗議を聞き流し、俺は隙間から装備庫の中へ入る。
足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
室内には、淡い青色の光が満ちている。
天井や壁から照らされているわけではないが、空間そのものが、薄く発光しているように見えた。
保存術式。
そう呼ばれるものだろう。
壁際には、見たこともない金属製の棚が並んでいる。
中央には細長い台があり、その表面へいくつもの窪みが刻まれていた。
かつては多くの装備が置かれていたのだろうか、今は棚の大半は空になっている。
先にここへ避難した者たちが持ち出したのか。それとも、長い年月の中で壊れ、失われたのか。
それでも、保存術式が生きていると思われる一角には、いくつかの装備が残っていた。
真っ先に目へ入ったのは、中央の台へ横たえられた一振りの剣のようなモノだった。
同じものを並べていたらしい溝が、左右へいくつも続いている。
残っているのは、その一本だけだった。
俺は慎重に手を伸ばした。
柄を握り、持ち上げる。
普通の長剣より僅かに短い。飾り気がない四角い鍔。
武器にしてはひどく無骨な印象だった。
だが、長く研ぎ減らした俺の片刃剣とは、比べるのも失礼な代物だ。
鞘から引き抜けば、曇り一つない刃がキラリと光る。
刃は暗い銀色で、峰に沿って細い橙色の線が走っている。
刃元は厚く、先端へ近づくほど鋭く細くなる片刃の造り。
旧王国が滅びた年月を思えば、異様なほど美しい。
「第四式救難具、だって」
ルーメが台へ刻まれた文字を覗き込み、読み上げた。
「使えそうかな?」
「ふむ」
手に持ったソレを掲げる。
「剣ではないんですか?」
「剣みたいな形だけど、岩とか、太い木とか、壊れた扉を切るためのものだって」
……そんなものが俺に切れるとは到底思えないんですがねぇ。
ルーメは、そんな俺の心中を無視するように台の上を行ったり来たりしながら、文字を追っていく。
「魔物と戦うためのものじゃないけど、すっごく丈夫。救助する人が使う道具だね」
「コレが救難用、ですか」
俺は柄を握り直した。
見た目ほど重くない。
重心は手元に寄っており、片手でも扱いやすい。
何より、今のように怪我を抱えていても、刃に振り回されずに済みそうだった。
「気に入った?」
「ええ。勿体ないくらいです」
台の下へ視線を向けると、太い革と金属板を組み合わせて作られた腰帯が置かれている。
持ち上げると、こちらも見た目よりも軽い。
「これも一緒に使うみたい」
ルーメが腰帯へ触れた。
すると、側面に備えられていた三つの小さな収納部が軽い音を立てて開く。
最初の収納に入っていたのは、薄い六角形の結晶板だった。
親指の爪ほどの大きさ。
半透明の内部へ、橙色の光を宿している。
「《振動板》」
ルーメが一枚を両手で持ち上げて説明らしきものを読み上げる。
「救難具の柄に入れると、一回だけ、すっごく震えるんだって」
「振動する?」
「うん。岩の割れ目とか、硬いものを切りやすくするみたいだね」
「一回使うとなくなりますか?」
「ぱりんって砕けて、なくなるよ」
なるほど。使い捨ての補助具。
必要な時にだけ切断力を高める仕組みらしい。
俺は結晶板を指先で摘まみ、光へ透かした。
「これは、良いですね」
「そうなの?」
「ええ。かなり」
自然と口元が緩んだ。
二つ目の収納部には、手のひらほどの黒い杭が一本収められていた。
側面へ、白い矢印が刻まれている。
「次は、《衝撃杭》」
ルーメが杭の周りを飛びながら説明する。
「向きを決めて投げると、矢印の方へ、どーんって強く押し出すの。これも一回きり」
「ふむ」
俺は手に取り、重さを確かめた。
小さいが、ずっしりとしている。
岩盤を押し崩す。
倒れた支柱を動かす。
あるいは瓦礫の下へ差し込み、隙間を作る。
そういった用途だろう。
似た仕組みの魔道具を、市場で見たことがあった。
ただし、こちらの方が遥かに小さく、作りも精巧だ。
三つ目の収納部には、透明な球体がひとつ。
内部には、薄い金属片のようなものが複雑に折り畳まれている。
「最後に《障壁球》」
ルーメが球体を指先で軽く叩いた。
「割ると、ちょっとの間だけ壁が出るよ。落ちてくる岩とか、火とかから守るの」
「壁は動かせますか?」
「たぶん、出した場所からは動かない」
「持続時間は?」
「短いね。数を数えて、十くらいかな」
すべて、一度限りの救難装備。
本来なら、命が危険に晒されたときまで取っておく切り札だ。
使えば失われるからこそ、価値がある。
だが、俺の場合は違う。
腰帯を身につけ、三つの装備を収める。
第四式救難具。
いちいち正式な名で呼ぶのも長いな。
しばらくは、四式とでも呼ぶことにしよう。
鞘を左腰へ吊るし、何度か位置を調整する。
古い革鎧は胸を貫かれ、もはや防具としての役目を果たさない。
装備庫の棚を探すと、厚手の外套が一着残されていた。
黒灰色の布へ、細い金属糸が織り込まれている。
鎧ほどの防御力はないらしいが、多少の裂傷や小さな落石程度なら防いでくれるという。
血に濡れた鎧の上から羽織る。
少し大きいが、冷えていた身体にはありがたかった。
装備を整えている間、ルーメは空になった棚をひとつずつ覗き込んでいた。
「ほかは、ほとんど空っぽだね」
「旧王国時代の施設ですからねぇ。残っているだけでも十分でしょう」
食料は見当たらなかった。
少し期待していたが、仕方がない。
剣と装備に、外套。
今後の探索を考えれば、十分すぎる収穫だ。
「おお」
棚の向こうから戻ってきたルーメが、俺の姿を見るなり目を輝かせた。
「似合うよ、ダリオ!」
小さな両手を、ぱちぱちと打ち鳴らす。
褒められることには、あまり慣れていない。
冒険者になってから十三年。
剣の腕を褒められたことも。
装備を褒められたことも。
俺自身を褒められたことも、ほとんどなかった。
どういう顔をすればいいのか分からず、曖昧に視線を逸らす。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして!」
ルーメは満足そうに胸を張った。
そのときだった。
装備庫の外で、石が転がる音が聞こえてきた。
から。
からから、と。
静まり返っていた通路へ、小さな音が響く。
俺は動きを止め、ルーメの背に浮かぶ二枚の光輪もぴたりと明滅を止める。
空気が変わった。
先ほどまで穏やかに流れていた水音の向こうへ、別の気配が混じる。
硬いものが、石床を擦る音。
ゆっくりと。
こちらへ近づいてくる。
「ダリオ」
ルーメが小さく呼んだ。
あれほど明るかった声が、僅かに低くなっている。
俺は返事をせず、四式を鞘から引き抜いた。
暗い銀色の刃へ、装備庫の青い光が細く映る。
胸はまだ痛むし、脚にも力は入らない。
それでも、今手に入れたモノが俺に力を与えてくれた気がした。
ルーメが俺の肩口まで下がり、通路の暗がりを見つめる。
「何か、来るよ」
装備庫の外で、また石が転がった。
今度は、先ほどよりも近かった。