在庫無限の遅咲き冒険者   作:鳥獣跋扈

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第九話 強敵現る

 硬い何かが、石床を規則正しく打っていた。

 無数の硬質な何かが、わずかにずれた間隔で床を叩き、その音を幾重にも重ねながらこちらへ近づいてくる。

 

 俺は四式を握ったまま、装備庫の入口へ近づいた。

 

「ダリオ、気をつけてね」

 

「ええ」

 

 肩口まで下がってきたルーメへ小声で返し、扉の隙間から、そろりと通路を覗く。

 

 最初に見えたのは、二つの赤い光だった。

 暗い通路の奥。

 人間の目よりも遥かに低い位置で、左右へ大きく離れて浮かんでいる。

 

 近づくにつれ、輪郭が少しずつ闇から浮かび上がった。

 

 黒褐色の外殻。

 一節ごとが、小さな盾ほどもある。

 地面すれすれに構えられた頭部からは、岩をも噛み砕けそうな一対の顎が突き出し、左右へ伸びた長い触角が、通路の壁や床を撫でるように揺れていた。

 その後ろへ、節の連なった胴体が延々と続いている。

 長さは、大人が何人も横たわったほど。

 通路そのものが動いているような圧迫感があった。

 

 ――《岩喰い百足》。

 

 昔、魔物の討伐記録で読んだ覚えがある。

 坑道や地下洞窟を好み、鉱石を含んだ岩盤さえ顎で噛み砕く大型の魔物。

 硬い外殻に覆われ、並の剣では傷をつけることすら難しい。

 

 記録に載っていた成体も、十分に大きかったが、目の前の個体は、それよりもさらに一回り大きく見える。

 

 討伐難易度は、鉄級冒険者を含んだ複数のパーティーで挑む相手。

 少なくとも、青銅級の冒険者がひとりで立ち向かうような魔物ではない。

 

 ましてや俺は、つい先ほどまで死にかけていた身だ。

 胸の傷は塞がり切っておらず、右脚もまともに踏み込めない。

 

 なんだって、こんな場所に、こんなやつが。

 

「……大きいねぇ」

 

 耳元でルーメが囁いた。

 

「ええ。ずいぶんと」

 

「戦うの?」

 

「無理ですよぅ」

 

 考えるまでもなく即答した。

 

「万全の状態でも、一度剣を合わせられるかどうか。そのあとには、顎に挟まれて終わりです」

 

「じゃあ、逃げる?」

 

 俺が頷くと、岩喰い百足が顎を鳴らした。

 がちん、と。

 金属同士を打ち合わせたような音が通路へ響く。

 

 百足は通路の左右にある入口へ順番に頭を差し入れ、長い触角を蠢かせていた。

 

 何かの匂いを探っているのか、それとも別の器官が働いているのか。

 どちらにせよ、こちらを見つけるのも、時間の問題だった。

 

「ただし」

 

 俺は腰帯の収納部から、薄い六角形の結晶板を抜き取った。

 

「少しばかり、痛い目には遭ってもらいましょう」

 

「逃げるんじゃないの?」

 

「逃げるために、ですよ」

 

 四式の柄頭には、小さな差し込み口があった。

 そこへ結晶板を押し込む。

 

 かちり、と硬い音が鳴ると、刃の峰へ走る橙色の線に淡い光が灯る。

 次いで、低い振動が柄を通して手のひらへ伝わってきた。

 

 手元で感じる揺れは小さい。

 だが、目を凝らすと、暗銀色の刃だけが霞むほどの速さで細かく震えている。

 

「一回だけだからね」

 

 ルーメが念を押す。

 

「分かっています」

 

 一度切れば、結晶板は砕ける。やり直しは利かない。

 ――少なくとも、本来なら。

 

「さて、どこを狙うべきか……」

 

 外殻を正面から斬っても、刃が通るとは思えない。

 眼を狙うにしても、あの顎の正面へ立たなければならない。

 

 俺の呟きを聞いたルーメが、岩喰い百足へ視線を向けた。

 丸い瞳の奥に、細い光の線が走る。

 光は百足の頭部から胴体へ滑り、その内部を測るように何度か往復した。

 

「頭の下」

 

 ルーメが小声で言う。

 

「二つ目と三つ目の殻の間。そこが薄いみたい」

 

「……分かるんですか?」

 

「うん。患者さんの身体を見るのと一緒だね」

 

「患者扱い、でいいんでしょうかねぇ、あれは」

 

「元気すぎる患者さん?」

 

「暴れそうですもんねぇ」

 

 軽口を叩きながらも、視線は相手から外さない。

 暑くもないはずだが、額に汗が浮くのが分かる。

 

 仕組みは分からないが、勘だけで斬りつけるよりは遥かにマシだ。

 ルーメを信じるとしよう。

 

 俺は百足とは逆、通路の先へ視線を向けた。

 逃げ込む予定の場所は、装備庫とは反対側にある扉だ。

 

 ルーメによれば、施設を管理する者が使っていた通路へ繋がっているらしい。

 管理用だけあって、扉は通常のものよりも厚く、頑丈に造られているという。

 

 そこまでの距離は、数十歩。

 だが、このまま背を向けて走れば、扉へ辿り着く前に追いつかれるだろう。

 

 岩喰い百足がゆっくりと頭部を上げ、二つの赤い目が、こちらへ向く。

 

 見つかった……!

 

 一拍遅れて、百足が顎を大きく開いた。

 

「きしゃああああっ!」

 

 金属を引き裂くような鳴き声が、狭い通路へ反響する。

 開かれた顎の奥には、粘ついた黄色い液体が溜まっていた。

 

 喉元が大きく膨らむ。

 

 何かを吐く!?

 

「下がって!」

 

 俺は反射的に《障壁球》を腰帯から掴み取り、装備庫の床へ叩きつけた。

 透明な球体が床へ触れた瞬間、乾いた音を立てて砕ける。

 

 内部に折り畳まれていたエネルギーが光へ変わり、一気に展開した。

 半透明の六角形が次々と重なり、俺たちの目の前へ一枚の壁を作る。

 

 その直後だった。

 

 岩喰い百足の顎から、黄色い液体が勢いよく吐き出された。

 酸液が瞬壁へぶつかる。

 

 じゅうううう、と。

 

 濡れた鉄を火へ投げ込んだような音が鳴り、白い蒸気が一気に広がった。

 鼻を刺す刺激臭。

 光壁の表面が黒く変色し、六角形の一枚一枚へ細かな亀裂が走る。

 

「もう壊れちゃうよ!?」

 

「分かってます!」

 

 慌てるルーメへ叫び返し、四式を両手で握った。

 

 ゆっくりと息を吸う。

 

 肺へ空気が入るたび、胸の内側が痛んだ。

 右脚へも、満足に体重を乗せられない。

 こちらから踏み込むのは無理だ。

 

 ならば。

 向こうから、斬れる位置まで来てもらう。

 

 光壁全体へ大きな亀裂が広がった次の瞬間、瞬壁が無数の光片となって砕け散った。

 白い蒸気の向こうから、岩喰い百足の頭部が飛び出してくる。

 巨大な顎を開き、装備庫の入口へそのまま突っ込んできた。

 俺は左脚で床を蹴り、身体を横へ投げ出す。

 

「っ……!」

 

 踏み込んだ瞬間、右脚へ鋭い痛みが走る。

 身体の動きが僅かに鈍ったと思った瞬間、百足の顎が外套の裾を掠める。

 次いで、背後の金属棚へ食らいついた。

 

 轟音。

 

 保存術式に守られていた分厚い棚が、飴細工のようにひしゃげ、支柱ごと噛み砕かれる。

 

 恐ろしい。

 

 正面から挟まれれば、鎧を着ていても胴体ごと千切られるだろう。

 だが、百足は勢い余って、頭部を装備庫の奥まで突っ込んでいる。

 長い胴体が入口へ引っ掛かり、一瞬だけ動きが止まった。

 

 頭の下。

 二つ目と三つ目の外殻の間。

 黒褐色の節が衝突の余波で蠢く中、わずかに色の薄い継ぎ目が見えた。

 

「そこ!」

 

 ルーメの声と同時、四式を振り下ろす。

 暗銀色の刃が、外殻の隙間へ滑り込む。

 硬い手応え。だが!

 

 直後、柄の内部で結晶板が砕け、刃全体が低い唸りを上げる。

 手の骨へ直接響くような振動が、刃先から百足の肉へ流れ込んだ。

 硬い外殻の継ぎ目を押し広げ、その内側にある肉を抉る。

 

 ぎち、と。

 

 何か太いものが断ち切れる感触があった。

 黒褐色の外殻へ細い亀裂が走り、傷口から黒い体液が噴き出す。

 

「ぎしゃあああああっ!」

 

 百足が甲高い悲鳴を上げ、全身を激しく捩る。

 

「うわっ……!」

 

 頭部を振り回され、肉へ食い込んだ四式ごと俺の身体が宙へ持ち上げられかける。

 

 このままだと壁へ叩きつけられる!

 

 そう認識するや、四式から手を離し、床へ転がった。

 受け身を取る余裕などない。

 肩から石床へ落ち、肺から息が抜ける。

 

「ダリオ!」

 

「大丈夫……!」

 

 こちらを心配げに見てくるルーメにやせ我慢で返す。

 岩喰い百足は、外殻へ四式を食い込ませたまま、頭部を壁へ何度も打ちつけていた。

 刃を抜こうとしているらしい。

 

 四式は俺が得たばかりの、唯一まともな武器だ。失うわけにはいかない。

 だが、今近づけば、暴れる脚に触れただけで身体を砕かれる。

 

 俺は腰帯から《衝撃杭》を抜き、視線を百足の頭部から、崩れかけた側壁へ向ける。

 使うなら、今しかない。

 

「ルーメ、これはどうやって使うんですか!」

 

「後ろの輪っかを引いて、投げるの!」

 

「作動するまでの時間は!」

 

「三つ数えたら!」

 

「了解!」

 

 答えを聞くなり、反衝杭の後部にある輪へ指を掛け、引き抜く。

 杭の側面へ刻まれた白い矢印が明滅し、その周囲へ細かな術式が浮かび上がった。

 

 狙いは、百足の頭部とひび割れた壁の間。

 投げつけると、黒い杭が床を滑り、外殻のすぐ横で止まった。

 

 一。

 岩喰い百足が頭を振り、二つの赤い目をこちらへ向ける。

 

 二。

 傷口から黒い体液を垂らしながら、巨大な顎を開く。

 

 三。

 白い光が弾けた。

 

 爆発とは違う。

 反衝杭に刻まれた矢印の方向へ、すべての力が一気に放たれた。

 空気そのものを巨大な槌で打ちつけたような轟音。

 

 岩喰い百足の頭部が真横から殴り飛ばされ、ひび割れた石壁へ叩き込まれる。

 

 施設全体が揺れた。

 足元の石材が浮き上がり、天井から細かな砂と埃が降り注ぐ。

 

 外殻へ刺さっていた四式が衝撃で抜け、床へ落ちた。

 暗銀色の剣は回転しながら石床を滑り、俺の数歩手前で止まる。

 

 さらに石壁の亀裂が一気に広がった。

 崩れた壁と天井の一部が、百足の上半身へ降り注ぐと、岩塊が何度も外殻を叩き、その巨体を瓦礫の下へ押し潰した。

 

 俺は、思わず息を止めたままその様子を見つめる。

 外殻の隙間からは、黒い体液が絶え間なく流れ出していた。

 

 ――やったか。

 

 そう思ったのは、一瞬だった。

 瓦礫の下から、低い振動が伝わってくる。

 

 崩れた石が、ひとつ持ち上がった。

 

「ぎゃああああああっ!」

 

 耳をつんざく絶叫。

 岩喰い百足が全身を捩り、頭上の瓦礫を跳ね飛ばし始める。

 

 生きている!

 傷ついているどころか、怒り狂っている。

 

 まだ窮地は脱していないようだ。

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