警視庁 広域(すぎる)情報(過多)統括(できない)室の(脅威)事件簿   作:駄文亭

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第十一話 宇宙最大の遺失物保管庫にも受領印は必要です

 落下している。

 

 大安文徳は、そう判断した。

 

 しかし風圧はない。

 

 身体が浮く感覚もない。

 

 上下の区別すら存在しない。

 

 周囲を漂っているのは、傘、鍵、財布、片方だけの手袋、古い携帯電話、ぬいぐるみ、封の切られていない手紙。

 

 人類が失くした物が、星のように暗闇を流れている。

 

「全員、返事をしてください」

 

 大安は声を張った。

 

「私はいる」

 

 三嶋あかねの声が右側から返る。

 

「こちらも問題ありません」

 

 遠藤真実は上にいた。

 

 ただし上下が存在しないので、正確には大安の頭上に見える位置を漂っているだけである。

 

「僕もいます!」

 

 羽柴信彦が、学習机にしがみつきながら流れてきた。

 

「何で机?」

 

「僕のじゃありません!」

 

「離してください。所有者が探しています」

 

「今それ言います!?」

 

「拾得物ですから」

 

 猪俣睦は大剣の柄を掴み、胡蝶わかばはランドセルを背負い、宇佐美美琴は大量の充電ケーブルに絡まり、天野ひすいは古いアルバムを胸に抱いていた。

 

 成井舜佐だけは、なぜか直立している。

 

 何もない場所に足を置き、普通に立っていた。

 

「成井さん」

 

「はい」

 

「どうやって立っているんです?」

 

「立つ場所を失くしていないからです」

 

「説明になってません」

 

「気持ちの問題です」

 

「急に雑ですね」

 

 キュウが大安の肩へ巻きつく。

 

 ツーは三嶋の頭に乗っていた。

 

「ここ、広いで」

 

 キュウが周囲を見回す。

 

「どれくらい?」

 

「宇宙三つ分くらい」

 

「単位として扱いにくいですね」

 

「迷子袋の中身やから、外より広い」

 

 三嶋が暗闇を睨む。

 

「吉良はどこだ」

 

「奥です」

 

 成井が指を差した。

 

「奥って、どちらです?」

 

「もっと失われている方角です」

 

「一般人にも分かるように」

 

 羽柴が言う。

 

「悲しい方です」

 

「分かりやすいけど行きたくない!」

 

     ◇

 

 やがて、大安たちの足元に床が現れた。

 

 黒い石造り。

 

 無限に続く棚。

 

 棚には、番号札を付けられた遺失物が整然と並んでいる。

 

 一本の傘。

 

 子どもの靴。

 

 婚約指輪。

 

 割れた眼鏡。

 

 古びた写真。

 

 さらに奥には、物ではないものまで保管されていた。

 

小学三年生の夏休み

初めて褒められた日の記憶

諦めなかったはずの夢

言うつもりだった告白

帰ってくると思っていた人

自分を好きだった頃の気持ち

 

「物じゃないのもある」

 

 宇佐美が眉を寄せる。

 

「遺失物の定義が広すぎます」

 

 遠藤は端末を操作した。

 

 だが画面には、圏外の表示すら出ていない。

 

「通信不能です」

 

「統括システムへも?」

 

「接続先そのものが存在しません」

 

「現在地は?」

 

「行政区域外です」

 

「国外ですか?」

 

「宇宙外です」

 

「管轄が面倒ですね」

 

 三嶋が大安を見る。

 

「そこを先に気にするのか」

 

「警視庁の権限が及ぶか確認しないと、逮捕手続きに問題が出ます」

 

「袋の中に連れ込まれてるんだぞ」

 

「現行犯逮捕なら私人でも可能です」

 

「なら私が殴って捕まえる」

 

「殴打は逮捕手続きではありません」

 

 胡蝶が棚の一角で足を止めた。

 

「あった」

 

 そこには古い卒業アルバムが置かれていた。

 

 表紙には、彼女の小学校名。

 

「ほんまに、うちのや」

 

 手を伸ばす。

 

 成井の剣が、その指先を止めた。

 

「触らないでください」

 

「何でや」

 

「持ち主であることを証明できません」

 

「名前書いてあるわ!」

 

「名前だけでは不十分です」

 

「何が要るんや!」

 

 棚の上に、札が浮かび上がった。

 

返還条件

当時の自分と同一人物であることを証明せよ

 

 胡蝶の表情が固まる。

 

「そんなん、どう証明すんねん」

 

「難しいですね」

 

 大安が札を見る。

 

「人間は変わります。氏名や身体が同じでも、当時と同一の人格とは限らない」

 

「ほな、返してもらえへんの?」

 

 成井が答える。

 

「この場所は、失った物を保管する場所ではありません」

 

「何?」

 

「取り戻せないことを証明する場所です」

 

 棚の奥から、拍手が響いた。

 

 ゆっくりと。

 

 規則正しく。

 

「正解だ」

 

 吉良徴喜が姿を現した。

 

 黒い長衣をまとい、胸には金色の鍵を下げている。

 

 その背後には、巨大な受付窓口。

 

 窓口の上には看板。

 

宇宙遺失物管理局

返還受付

 

「吉良」

 

 大安が前へ出る。

 

「警視庁です」

 

「ここで警察手帳が通用するとでも?」

 

「通用するか確認するために提示しました」

 

「相変わらず面白みがない」

 

「犯罪者に評価される必要はありません」

 

 吉良は両腕を広げた。

 

「見ろ」

 

「人類が失ったすべてだ」

 

「失くした玩具」

 

「忘れた約束」

 

「捨てた夢」

 

「愛されていた記憶」

 

「選ばなかった人生」

 

「誰もが取り戻したい」

 

「だが、取り戻せない」

 

 羽柴が机の陰から顔を出す。

 

「それを集めて、何がしたいんです?」

 

「返すのさ」

 

 吉良は笑った。

 

「正しい持ち主へ」

 

「良いことみたいに言うな」

 

 三嶋が睨む。

 

「返還条件を満たせば、本当に戻る」

 

「失くした恋も」

 

「死んだ家族も」

 

「諦めた夢も」

 

「時間すら」

 

「その代わりは?」

 

 大安が尋ねた。

 

 吉良の笑みが深くなる。

 

「現在だ」

 

     ◇

 

 受付窓口に、音もなく書類が並んだ。

 

遺失物返還申請書

 

返還希望物

失った時期

所有権の根拠

現在との交換に同意するか

 

「過去を取り戻す代わりに、今を失う」

 

 遠藤が呟く。

 

「等価交換というわけですか」

 

「等価かどうかを決めるのは本人だ」

 

 吉良は答えた。

 

「不幸な現在より、幸福だった過去を選ぶ者は多い」

 

「選択を強制するつもりですか?」

 

「自由意思だ」

 

「情報を隠した自由意思は、自由ではありません」

 

 大安は書類を一枚取った。

 

 細かな文字が裏面に続いている。

 

返還後、現在の人間関係、財産、記憶、法的地位、存在履歴は失効します。

返還された遺失物に関係しない第三者は、申請者を認識できなくなる場合があります。

返還物が人物の場合、当該人物の意思は考慮されません。

時間的矛盾により宇宙が消滅する場合、管理局は責任を負いません。

 

「最後が大きすぎます」

 

「利用規約には書いてある」

 

「読ませる気のない文字サイズですね」

 

「同意欄は大きい」

 

「悪質な契約の典型です」

 

 吉良が指を鳴らした。

 

 無限の棚が光る。

 

 地球上のあらゆる場所に、同じ申請書が現れ始めた。

 

 駅。

 

 病院。

 

 学校。

 

 葬儀場。

 

 役所。

 

 老人ホーム。

 

 失った物を思うすべての人間の前に。

 

「全人類へ選ばせる」

 

 吉良が宣言する。

 

「過去か」

 

「現在か」

 

「どちらが大切かを」

 

 遠藤の端末が一瞬だけ復旧した。

 

 画面には、地球各地からの異常報告が流れ込む。

 

「申請書の出現を確認」

 

「署名者は?」

 

「すでに十二万件を超えています」

 

「早すぎる!」

 

 羽柴が叫ぶ。

 

「規約を読んでないんですか!?」

 

「人は規約を読みません」

 

 大安が答えた。

 

「それを利用した犯罪です」

 

「室長」

 

 遠藤の顔が険しくなる。

 

「署名のたびに、現在の情報が消失しています」

 

 画面上の地図から、建物が消える。

 

 家族写真から人物が抜け落ちる。

 

 会社の記録から社員が消える。

 

 婚姻情報、住民票、学校の在籍記録。

 

 現在を構成する無数の関係が、過去と交換されていく。

 

「このままでは?」

 

「現在の地球社会が成立しなくなります」

 

 三嶋が拳を構えた。

 

「吉良を殴れば止まるか?」

 

「止まらない」

 

 成井が言った。

 

「管理局が稼働しています」

 

「なら管理局を壊す」

 

「遺失物まで消えます」

 

「失った物なら、もう無いのと同じだろ」

 

「違います」

 

 天野ひすいが静かに言った。

 

 彼女は胸に抱いていたアルバムを見ている。

 

「失ったものも、今のわたしたちを作っています」

 

 棚の一角が光る。

 

 そこには、天野ひすいの札があった。

 

失ったもの

普通の人生

 

 羽柴が息を呑む。

 

「ひすいちゃん」

 

「わたしが要石でなければ」

 

 天野は札を見つめる。

 

「誰かと同じように学校へ行って、好きな場所へ行って、失敗しても日本が沈まない人生があったかもしれません」

 

「返してもらうの?」

 

 ツーが尋ねる。

 

 天野は、しばらく考えた。

 

「欲しいです」

 

 正直な答えだった。

 

「でも」

 

 羽柴たちを見る。

 

「今の皆さんを失うなら、いりません」

 

 札の光が消えた。

 

 棚が一つ、静かに閉じる。

 

 成井が目を細める。

 

「返還を拒否すれば、管理局との接続が弱まるようです」

 

「つまり全員に拒否させればいい?」

 

 三嶋が聞く。

 

「すでに署名した者もいます」

 

「撤回できますか?」

 

 大安が書類を見る。

 

「撤回条項がありません」

 

「悪質ですね」

 

「管理局の規則を書き換える必要があります」

 

 遠藤が受付窓口を見た。

 

「権限は?」

 

「管理者だけです」

 

 全員が吉良を見る。

 

 吉良は金色の鍵を持ち上げた。

 

「これが欲しいか?」

 

「逮捕時に押収します」

 

「できるものならな」

 

     ◇

 

 吉良の背後から、無数の人影が現れた。

 

 過去を選んだ者たち。

 

 子どもの姿へ戻った老人。

 

 死んだ恋人と手を繋ぐ女性。

 

 失敗する前の姿へ戻った男。

 

 彼らは幸福そうに笑っている。

 

 ただし顔には、現在の記憶がない。

 

「彼らは被害者です」

 

 大安が言った。

 

「救済された者だ」

 

 吉良が反論する。

 

「本人が望んだ」

 

「代償を理解していません」

 

「今より幸福だ」

 

「あなたが決めることではない」

 

「なら本人へ聞け」

 

 大安の前へ、小さな少年が出てきた。

 

 十歳ほど。

 

 手には、古い野球のグローブ。

 

「返してもらった」

 

 少年は笑う。

 

「父さんがくれたグローブ」

 

「お父さんは?」

 

「家にいる」

 

「今の家族は?」

 

「今?」

 

 少年は首を傾げた。

 

 遠藤が端末を確認する。

 

「この人物は現在六十七歳。妻、子ども二人、孫三人」

 

「知らない」

 

 少年が言う。

 

「僕は十歳だよ」

 

 大安は目を閉じた。

 

「返還ではありません」

 

「何?」

 

「人生を奪っています」

 

 吉良の笑みが消える。

 

「失った一つを返すために、その後の五十七年を全部捨てさせた」

 

「本人は幸福だ」

 

「残された家族は?」

 

「それも選択だ」

 

「十歳の自分に、六十七歳までの責任を判断させるんですか?」

 

 吉良は答えない。

 

 大安は少年へしゃがみ込む。

 

「そのグローブ、大切ですか?」

 

「うん」

 

「返したくない?」

 

「うん」

 

「では、持っていてください」

 

 三嶋が大安を見る。

 

「大安?」

 

「無理に奪えば、同じことをします」

 

「でも現在へ戻さないと」

 

「戻す方法を作ります」

 

 大安は立ち上がり、受付窓口へ歩く。

 

「遠藤さん」

 

「はい」

 

「管理局の規則体系を解析」

 

「接続できません」

 

「窓口があります」

 

「窓口は申請用です」

 

「行政システムなら、必ず内部処理と記録があります」

 

「宇宙の管理局ですよ」

 

「宇宙でも管理局を名乗るなら、受付番号と決裁経路があるはずです」

 

 吉良が眉を寄せる。

 

「何をするつもりだ」

 

「情報公開請求です」

 

 全員が止まった。

 

「今?」

 

 羽柴が聞いた。

 

「今です」

 

「宇宙が消えそうなのに?」

 

「だからです」

 

 大安は受付窓口の呼び鈴を押した。

 

 ちん、と乾いた音が響く。

 

 窓口の奥から、巨大な影が現れた。

 

 頭部は印章。

 

 身体は書類の束。

 

 無数の腕には、受領印、訂正印、割印、契印が握られている。

 

「申請内容ヲ述ベヨ」

 

「管理規則、運用基準、権限規程、監査記録、返還処理履歴の開示を請求します」

 

「開示請求ノ根拠ヲ示セ」

 

「返還処理によって地球の現在が損なわれています。利害関係者として、処分の適法性を確認します」

 

「地球法ハ適用外」

 

「こちらも地球法だけで争うつもりはありません」

 

 大安は周囲の棚を指した。

 

「この管理局は、所有権を根拠に返還を行っています」

 

「然リ」

 

「ならば所有権の判定基準が必要です」

 

「然リ」

 

「過去の自分と現在の自分を別人として扱う一方で、現在の人間に過去の遺失物を返している。主体の同一性に矛盾があります」

 

 印章頭の怪物が止まった。

 

「……審査スル」

 

 吉良が表情を変えた。

 

「待て」

 

「さらに」

 

 大安は続ける。

 

「人物を遺失物として扱っていますが、人間は物ではありません。本人の意思を無視した返還は、管理対象の分類誤りです」

 

「審査スル」

 

「返還によって第三者の権利と現在の宇宙が消滅する可能性を認識しながら、同意書だけで免責している。安全管理義務にも反します」

 

「審査スル」

 

「申請書の文字が小さすぎます」

 

「……審査スル」

 

「そこも通るんですか」

 

 羽柴が驚く。

 

「重要です」

 

 大安は吉良を見る。

 

「管理者権限の取得経緯も開示してください」

 

「やめろ!」

 

 吉良が初めて声を荒らげた。

 

 管理局全体が震える。

 

 印章頭の怪物の胸部から、長大な紙が吐き出された。

 

管理者権限付与記録

 

現管理者:吉良徴喜

権限区分:暫定代理

取得方法:拾得

正式任命:なし

任期:正式管理者帰還まで

 

 三嶋が笑った。

 

「拾っただけか」

 

「管理者ですらないじゃないですか」

 

 遠藤が記録を読み込む。

 

「暫定代理権限には、管理規則の変更権がありません」

 

「では、この返還制度は?」

 

「吉良による無権限改変です」

 

 印章頭の怪物が吉良へ向く。

 

「権限逸脱ヲ確認」

 

「私はこの場所を完成させた!」

 

「不正処理ヲ確認」

 

「黙れ!」

 

 吉良が金色の鍵を掲げる。

 

 無数の棚が崩れ、遺失物が嵐のように舞い上がった。

 

「管理者は私だ!」

 

「暫定代理です」

 

 大安が訂正する。

 

「細かい!」

 

「権限の範囲は重要です」

 

「貴様はいつもそうだ!」

 

「仕事なので」

 

     ◇

 

 吉良が鍵を振る。

 

 失われた武器が一斉に現れた。

 

 折れた名剣。

 

 沈没船の大砲。

 

 戦場へ置き去りにされた銃。

 

 異世界で失われた魔剣。

 

 神話から消えた雷。

 

「撃て!」

 

 三嶋が大安を押し倒す。

 

 その頭上を、砲弾と稲妻が通過した。

 

「危ないですね」

 

「感想が軽い!」

 

 三嶋は拳銃を抜き、吉良へ発砲する。

 

 弾丸は金色の鍵に弾かれた。

 

 猪俣が剣を構える。

 

「私の剣もある!」

 

 棚の中には、異世界で失くした彼女の聖剣が浮かんでいる。

 

「取るな!」

 

 大安が叫ぶ。

 

「でも、あれがあれば!」

 

「現在との交換になります!」

 

 猪俣の足が止まる。

 

 彼女が異世界で失った聖剣。

 

 勇者だった証。

 

 帰還と引き換えに置いてきたもの。

 

「……分かってる」

 

 猪俣は今持っている剣を握り直した。

 

「今の私の剣は、こっち」

 

 棚の聖剣が光を失う。

 

 接続が切れた。

 

 胡蝶も卒業アルバムを見る。

 

「別に、なくてもええ」

 

「いいんですか?」

 

 羽柴が聞く。

 

「嫌な思い出もあるしな」

 

「じゃあ何で探してたの?」

 

「失くしたから腹立っとっただけや」

 

「理由が胡蝶さんらしい」

 

「今のアルバムは、高校卒業ん時に作ればええ」

 

 卒業アルバムの棚も閉じる。

 

 宇佐美は大量のイヤホンと携帯電話を見た。

 

「これは返してほしい」

 

「現在を失いますよ」

 

「じゃあ、いらない」

 

「判断が早いですね」

 

「新しいの買ったし」

 

 棚が閉じた。

 

 羽柴の前には、古い携帯ゲーム機が浮かぶ。

 

「僕のセーブデータ……」

 

「羽柴君」

 

「分かってます」

 

「本当に?」

 

「百三十時間やったデータなんですよ」

 

「現在と比べてください」

 

「分かってますって!」

 

 羽柴は涙目で顔を背けた。

 

「今の方が大事です!」

 

 ゲーム機が消える。

 

「でもバックアップは欲しかった!」

 

「気持ちは分かります」

 

 大安も少しだけ真剣に頷いた。

 

 次々に棚が閉じていく。

 

 人々が、過去ではなく現在を選ぶたび、吉良の鍵へ走る亀裂が増えた。

 

「やめろ!」

 

 吉良が叫ぶ。

 

「人は失った物を求める!」

 

「それは当然です」

 

 大安は立ち上がる。

 

「取り戻したいと思うことも」

 

「後悔することも」

 

「過去をやり直したいと思うことも」

 

「間違いではありません」

 

「ならなぜ拒む!」

 

「失ったからこそ、今あるものまで失っていい理由にはならない」

 

 キュウが大安の肩へ戻る。

 

「とーちゃん、失くした物ある?」

 

「ありますよ」

 

「何?」

 

「休日」

 

 三嶋が吹き出した。

 

「それは毎週失ってるな」

 

「笑い事ではありません」

 

「返してもらう?」

 

 キュウが尋ねる。

 

「現在と交換なら要りません」

 

「何で?」

 

「今の俺には、あなたたちがいるので」

 

 言ってから、大安は止まった。

 

 三嶋も。

 

 遠藤も。

 

 羽柴たちも。

 

 全員が大安を見る。

 

「……失言です」

 

「取り消すな」

 

 三嶋が即座に言う。

 

「記録しました」

 

 遠藤も答える。

 

「消してください」

 

「重要な養育発言です」

 

 キュウの触手が、大安の頬へ巻きつく。

 

「とーちゃん、ワイら大事?」

 

「今それを確認します?」

 

「大事?」

 

「大事です」

 

 ツーが三嶋の頭上から翼を広げる。

 

「おかーちゃんも?」

 

「何で私に振る!」

 

「大事?」

 

 三嶋は吉良を睨んだまま答えた。

 

「大事だ」

 

「とーちゃんは?」

 

「そいつもだ!」

 

「私まで含めないでください」

 

「今は黙れ!」

 

 キュウとツーの身体から、黒い光が広がる。

 

 二体の周囲に、細い糸が現れた。

 

 大安。

 

 三嶋。

 

 遠藤。

 

 成井。

 

 羽柴たち。

 

 星見総合学園。

 

 警視庁広域情報統括室。

 

 水族館。

 

 児童相談センター。

 

 今まで関わったすべての場所と人へ、糸が伸びていく。

 

「何が起きています?」

 

 遠藤が解析する。

 

「キュウとツーが、現在の因果関係を固定しています」

 

 成井が答えた。

 

「一般人にも」

 

「今の家族と友達を、絶対に失くさないと決めました」

 

「それで管理局に勝てるんですか?」

 

「遺失物として回収できなくなります」

 

 管理局全体に亀裂が走った。

 

 無限の棚から、無数の物が持ち主の元へ飛び始める。

 

 ただし過去を上書きする形ではない。

 

 忘れていた場所を思い出す。

 

 机の裏から鍵が見つかる。

 

 昔の友人へ連絡する勇気が戻る。

 

 捨てた夢を、もう一度始めようと思う。

 

 死んだ人は戻らない。

 

 過ぎた時間も戻らない。

 

 だが失ったものが残した意味だけが、現在へ返っていく。

 

「勝手に返還方式を変えただと!?」

 

 吉良が叫ぶ。

 

「権限がないのに変更したのは、あなたが先です」

 

 大安が言う。

 

 金色の鍵が砕けた。

 

 管理局の印章頭が、巨大な受領印を振り上げる。

 

「不正管理者ヲ排除スル」

 

「待て!」

 

 印章が吉良の頭上へ落ちた。

 

 轟音。

 

 床に巨大な赤文字が刻まれる。

 

却下

 

 吉良の身体が、薄い申請書へ変わった。

 

 大安は即座に踏み込む。

 

「確保!」

 

 三嶋が紙を掴む。

 

 成井が逃走経路を剣で断つ。

 

 遠藤が封印用の透明袋を広げた。

 

 大安が申請書を中へ入れ、封を閉じる。

 

 袋の中で吉良の顔が浮かぶ。

 

『こんな逮捕があるか!』

 

「現行犯です」

 

『私は書類だぞ!』

 

「証拠物兼被疑者として扱います」

 

『人権は!』

 

「人間へ戻ってから主張してください」

 

 三嶋が透明袋を叩いた。

 

「やっと捕まえたな」

 

『叩くな!』

 

「生きてるじゃないか」

 

「被疑者への不必要な有形力は控えてください」

 

「紙だぞ」

 

「本人が人権を主張しています」

 

「面倒だな」

 

「逮捕手続きですから」

 

     ◇

 

 宇宙遺失物管理局は、静かに閉鎖処理へ移行した。

 

 印章頭の管理者代理が、大安へ一枚の書類を差し出す。

 

遺失物管理局臨時監査協力確認書

 

「署名ヲ求ム」

 

「報酬は?」

 

「ナシ」

 

「交通費は?」

 

「支給対象外」

 

「時間外勤務手当は?」

 

「地球外勤務ノタメ対象外」

 

 大安は書類を見た。

 

「署名を拒否します」

 

「受領済ミ」

 

 書類には、すでに大安の印が押されていた。

 

「何で?」

 

「先ホドノ開示請求時ニ取得シタ」

 

「印影を目的外利用しないでください!」

 

「規則上問題ナシ」

 

「規則を開示してください」

 

「閉庁時間デアル」

 

「宇宙の行政機関まで同じことを!」

 

 遠藤が淡々と記録する。

 

「室長、地球外機関との初の情報公開請求事例です」

 

「不名誉な前例ですね」

 

「歴史的成果です」

 

「残業代が出ません」

 

 三嶋が大安の背中を叩く。

 

「諦めろ」

 

「諦めた物は、この管理局に収容されませんか?」

 

「されるかもしれんな」

 

「残業代を探しましょう」

 

「棚が宇宙三つ分あるぞ」

 

「見つかるまで帰りません」

 

「帰るで、とーちゃん」

 

 キュウが触手を引く。

 

「家庭訪問あるんやろ?」

 

 大安が時計を確認した。

 

 腕時計は、なぜか正常に動いている。

 

 午後五時四十二分。

 

「十八分しかありません!」

 

「地球まで戻れるのか?」

 

 三嶋が尋ねる。

 

「管理局」

 

 大安は印章頭へ向き直る。

 

「至急、東京都内へ返還してください」

 

「返還申請書ヲ提出セヨ」

 

「今から?」

 

「所有権ノ証明ヲ添付セヨ」

 

「俺たちは自分自身です!」

 

「過去ノ自分ト同一人物デアル証明ヲ――」

 

「その規則は矛盾していると、さっき認めたでしょう!」

 

「改正手続キ中」

 

「施行は?」

 

「宇宙標準時デ三百年後」

 

 三嶋が拳を握る。

 

「殴っていいか?」

 

「行政機関です」

 

「机ならいいだろ」

 

「器物損壊になります」

 

 成井が外套から一枚の札を取り出した。

 

「非常出口があります」

 

「どこです?」

 

「最初から、後ろに」

 

 全員が振り返る。

 

 壁に緑色の非常口表示が光っていた。

 

「どうして早く言わなかったんです?」

 

「聞かれませんでしたので」

 

「大安と同じこと言うな!」

 

 三嶋が叫んだ。

 

     ◇

 

 午後五時五十九分。

 

 大安文徳の自宅。

 

 玄関の呼び鈴が鳴った。

 

 大安は床へ転がり出るように、非常口から帰還した。

 

 その上へキュウ。

 

 さらに羽柴。

 

 胡蝶。

 

 大量の傘。

 

 最後に三嶋が落ちてくる。

 

「重い!」

 

「受け止めろ!」

 

「無理です!」

 

 遠藤と成井は、なぜか普通に着地した。

 

 ツーは三嶋の頭に張りついている。

 

 居間には、管理局から一緒に流出した遺失物が散乱していた。

 

 片方だけの靴下。

 

 鍵。

 

 玩具。

 

 古い手紙。

 

 誰かの入れ歯。

 

「家庭環境が悪化しましたね」

 

 遠藤が言う。

 

「今それを言います?」

 

 呼び鈴がもう一度鳴った。

 

「東京都児童相談センターです」

 

 玄関の向こうから、聞き覚えのある女性職員の声。

 

 全員が室内を見回した。

 

 宇宙から持ち帰った無数の遺失物。

 

 床に倒れた高校生五人。

 

 武装した自衛官。

 

 外套姿の探偵。

 

 透明な証拠袋の中で暴れる犯罪者。

 

『ここから出せ!』

 

 三嶋が証拠袋を棚へ押し込んだ。

 

「静かにしろ」

 

『不当な扱いだ!』

 

「大安」

 

 三嶋が小声で言う。

 

「どうする?」

 

「正直に説明します」

 

「信じてもらえるか?」

 

「前回よりは軽微です」

 

「どこが?」

 

 大安は眼鏡を直し、玄関を開けた。

 

「お待たせしました」

 

 児童相談センターの職員が、室内を覗く。

 

 床一面の遺失物。

 

 疲れ果てた人間たち。

 

 キュウとツー。

 

 棚から聞こえる吉良の抗議。

 

 数秒の沈黙。

 

「……お片づけは、進みましたか?」

 

「これからです」

 

 大安は答えた。

 

 女性職員は端末へ記録した。

 

「家庭環境改善、未達成と」

 

「今、世界を救ってきたところなんです」

 

「それと片づけは別です」

 

「正論ですね」

 

「一時間後に再確認します」

 

 三嶋が腕をまくる。

 

「全員でやるぞ」

 

「俺も?」

 

 羽柴が尋ねる。

 

「お前も散らかした側だ」

 

「落とされただけですよ!」

 

 胡蝶がランドセルを拾う。

 

「これ、誰のや?」

 

「拾得物として分類してください」

 

 遠藤が袋を配る。

 

「所有者不明、危険物、思念付着物、呪物に分けます」

 

「片づけの分類じゃない!」

 

 宇佐美が叫ぶ。

 

 キュウとツーは、小さな靴下を一枚ずつ持ち上げた。

 

「ワイらもやる」

 

「やる」

 

 大安は二体を見る。

 

「食べないでくださいよ」

 

「分かっとる」

 

「これは?」

 

 キュウが古いリモコンを見せる。

 

「食べ物ではありません」

 

「注意書きないで」

 

「なくても駄目です」

 

「地球、難しいなあ」

 

 その日も、日本は滅びなかった。

 

 吉良徴喜は、ついに逮捕された。

 

 ただし被疑者が一枚の申請書になっていたため、留置施設で人間一名として数えるか、証拠物一点として数えるかを巡り、警視庁と検察庁の協議は深夜まで続いた。

 

 なお、大安文徳の家庭訪問評価には、

 

養育者と保護対象が共同で片づけを行う姿勢は良好。

ただし、宇宙由来の拾得物を居間へ保管しないこと。

 

 との所見が追記された。

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