警視庁 広域(すぎる)情報(過多)統括(できない)室の(脅威)事件簿   作:駄文亭

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第二話 告白一つで日本が滅ぶ

 警視庁広域情報統括室には、朝から妙な静けさが漂っていた。

 

 警報は鳴っていない。

 

 地震計も正常。

 

 人工衛星の軌道に異常はなく、日本列島の霊的位相も安定している。太平洋上に正体不明の円盤が三機ほど浮いているが、昨日から同じ場所にいるため、現在は経過観察扱いだった。

 

 つまり、平常時である。

 

「おかしいなぁ」

 

 大安文徳は、壁面モニターを眺めながら呟いた。

 

「異常がないことを異常扱いするのは、統括システムの設計思想として問題があると思います」

 

 遠藤真実が指摘した。

 

「でも、こういう日は何か起きるんですよ」

 

「経験則ですか?」

 

「嫌な経験則です」

 

 三嶋あかねは、自席で細長い紙袋を開いていた。中から取り出したのは、庁舎近くのベーカリーで買ったらしいカレーパンである。

 

 遠藤が眉を寄せる。

 

「室内で匂いの強い食品を食べないでください」

 

「換気すればいいだろ」

 

「機密区画の空調設備を、カレーパンのために操作するつもりですか?」

 

「昨日、室長がカップ麺食べてたけど」

 

「緊急時だったので例外です」

 

 大安は二人の会話を聞きながら、コーヒーを啜った。

 

 若手のホープを希望した結果、内閣情報調査室の才媛と、特殊作戦群のレンジャー資格者が送られてきた。

 

 どちらも優秀である。

 

 優秀すぎるくらいだった。

 

 ただし二人を同じ部屋へ置くと、空調、昼食、資料の並べ方、椅子の高さといった、世界の存亡とは無関係な問題で衝突する。

 

 黙っていれば美人なのになぁ。

 

 大安は一日に一度くらい、同じことを考えていた。

 

「カレーパンは休憩室で食べてください」

 

「ほら、室長もこう言っています」

 

「遠藤さんも昨日、この部屋でチョコ食べてたでしょ」

 

「チョコレートには匂いがありません」

 

「あるだろ」

 

「二人とも」

 

 大安が声をかける。

 

「ここは女子校じゃないんだから、食べ物で揉めないでください」

 

 二人は同時に大安を睨んだ。

 

「女子校に対する偏見です」

 

「今のは良くないな、室長」

 

「はい。すみません」

 

 大安は素直に謝った。

 

 管理職は、勝てない戦いを始めてはならない。

 

 統括室の隅では、成井舜佐が資料を読んでいた。

 

 私立探偵にして、東西を問わない魔術、超物理学、超心理学の専門家である。作中でも最強格の戦闘能力を有し、超常現象に対する知識は大安の統括システムでも代替できない。

 

 ただし推理を始めると、誰にも理解できない。

 

「静かすぎますね」

 

 成井が言った。

 

 大安は嫌な予感を覚えた。

 

「成井さんまで言いますか」

 

「ええ。世界は静止していません。静止しているように見える時は、複数の運動が完全に打ち消し合っているだけです」

 

「それは物理の話ですか?」

 

「犯罪の話です」

 

 成井は資料を閉じた。

 

「犯罪者が何もしない時、犯罪を企てていないとは限らない。すでに企て終え、結果を待っている可能性があります」

 

 遠藤が端末へ向き直る。

 

「特定の犯罪者を念頭に置いた発言ですか?」

 

「吉良徴喜です」

 

 室内の空気が少しだけ冷えた。

 

 吉良徴喜。

 

 かつて犯罪学の権威と呼ばれた男である。

 

 犯罪者の心理、組織構造、群衆操作、捜査機関の行動予測。人間が悪事へ至る過程を研究し続けた末、いつしか悪そのものに魅了され、自ら犯罪へ手を染めた。

 

 彼は金銭や権力を求めているわけではない。

 

 人間が壊れる瞬間を見たいだけだ。

 

 その思想に魅了された信者も多く、吉良本人が何もしなくても、世界のどこかで誰かが彼のために事件を起こす。

 

「今週はまだですね」

 

 三嶋がカレーパンを袋へ戻した。

 

「先週は火曜。その前は金曜。その前は水曜でした」

 

 遠藤が過去の記録を表示する。

 

「曜日に規則性はありません。ただし、七日間以上の間隔を空けたことはない」

 

「几帳面な犯罪者だなぁ」

 

 大安は時計を見た。

 

 金曜日、午前九時四十分。

 

 今週は今日が最後だった。

 

「だから静かなんでしょうか」

 

 大安が呟いた直後、統括システムの画面が切り替わった。

 

 緊急警報ではない。

 

 ただ、複数の監視項目がほぼ同時に、わずかな異常を示した。

 

 都立星見総合学園周辺における通信量の急増。

 

 学校関係者の検索履歴に、特定の単語が頻出。

 

 告白。

 

 二股。

 

 四股。

 

 修羅場。

 

 屋上。

 

 遺書。

 

「最後の単語だけ重くないですか?」

 

 三嶋が言った。

 

「検索したのは演劇部員です。来月の公演に関する資料収集でしょう」

 

 遠藤が調べて答える。

 

「他は?」

 

「生徒間で、羽柴信彦に関する噂が急速に拡散しています」

 

 大安の表情が止まった。

 

「内容は?」

 

「本日の放課後、羽柴信彦が女子生徒へ告白するそうです」

 

「それのどこが広域案件なんです?」

 

 三嶋が首を傾げる。

 

 遠藤は画面を操作した。

 

「問題は、告白される予定の女子生徒が四名いることです」

 

 四人の写真が並んだ。

 

 猪俣睦。

 

 天野ひすい。

 

 宇佐美美琴。

 

 胡蝶わかば。

 

 三嶋は、食べかけのカレーパンを紙袋へ戻した。

 

「非常時だな」

 

「非常時ですね」

 

 大安はタンブラーの蓋を閉じた。

 

     ◇

 

 噂は、午前七時十二分に発生していた。

 

 最初は匿名の校内掲示板に投稿された、短い書き込みだった。

 

 羽柴信彦が放課後、校舎の屋上で猪俣睦に告白する。

 

 投稿は三分後に削除されたが、その画像はすでに複数の生徒によって保存されていた。

 

 午前七時十九分。

 

 宇佐美美琴へ告白するという別の書き込みが現れた。

 

 午前七時二十八分。

 

 胡蝶わかば。

 

 午前七時四十分。

 

 天野ひすい。

 

 四つの書き込みは、それぞれ異なる文体、異なる端末、異なる通信経路から投稿されていた。単純な悪戯ならば、ずいぶんと手が込んでいる。

 

「羽柴本人は?」

 

 大安は車の後部座席で尋ねた。

 

 運転席には三嶋あかね。助手席で遠藤真実が端末を操作している。

 

「先ほど電話をかけましたが、繋がりません」

 

「宇佐美さんの影響ですか?」

 

「違います。羽柴信彦本人が電源を切っています」

 

「どうして?」

 

「授業中だからでしょう」

 

「真面目だなぁ」

 

 高校生としては正しい。

 

 世界の命運を背負わされる者としては、少し困る。

 

「噂の発生源は追えますか?」

 

 三嶋が前を見ながら尋ねる。

 

「投稿に使用された端末はいずれも実在しますが、所有者に接点はありません。高校生、会社員、主婦、無職の男性。居住地域も異なります」

 

「乗っ取られた?」

 

「痕跡はありません。本人たちは投稿した記憶がないと証言しています」

 

「遠隔催眠か、記憶操作か」

 

「どちらも証拠がありません」

 

 三嶋はハンドルを切った。

 

「でも吉良だろ」

 

「結論を先に決めるのは危険です」

 

「じゃあ違うと思う?」

 

「吉良でしょうね」

 

「同じじゃないか」

 

「私は分析結果を述べています。あなたは勘です」

 

「当たれば同じだろ」

 

「過程が違います」

 

 大安は後部座席で目を閉じた。

 

「喧嘩は着いてからにしてください」

 

「喧嘩ではありません」

 

「見解の相違だ」

 

 二人が同時に答える。

 

 大安は目を開けた。

 

「息ぴったりだなぁ」

 

     ◇

 

 昼休み。

 

 羽柴信彦は、校舎裏の自動販売機前で途方に暮れていた。

 

 午前中だけで、二十七人から声をかけられた。

 

 今日、誰かに告白するらしいね。

 

 四股は良くないと思う。

 

 命は大切にしろ。

 

 骨は拾ってやる。

 

 誰が流したのか知らないが、彼が放課後に四人の少女を屋上へ呼び出し、何らかの重大発表をするという話になっている。

 

「なんでこうなるんだ……」

 

「羽柴君」

 

 背後から名前を呼ばれ、信彦は肩を跳ねさせた。

 

 天野ひすいが立っていた。

 

 長い黒髪に、学校指定の制服。両手で紙パックのジュースを持ち、不安そうに信彦を見ている。

 

「ひすいちゃん」

 

「今日の放課後、屋上に来てほしいって……」

 

「言ってない!」

 

 信彦の声が裏返った。

 

「そうなんですか?」

 

「誰にも言ってない。そもそも屋上は立入禁止だよ」

 

「そうですよね」

 

 ひすいは安心したように笑った。

 

 その瞬間、校舎がわずかに沈んだ。

 

 沈下量、三ミリメートル。

 

 一般人には気づけない程度だったが、日本全国の精密地殻観測網が異常値を記録した。

 

「でも」

 

 ひすいが続ける。

 

「少しだけ、残念です」

 

 校舎がさらに一ミリ沈んだ。

 

 信彦は何と答えるべきか分からなかった。

 

 女の子の扱いくらい学んでおかないと駄目だよ。

 

 以前、大安に言われた言葉を思い出す。

 

 大安のようになりたくはなかった。

 

「放課後じゃなくても、話くらいならいつでも聞くよ」

 

「本当ですか?」

 

「うん」

 

 地殻変動が止まった。

 

 信彦は知らなかったが、たった今、日本列島が救われた。

 

「何、二人で話してるの?」

 

 宇佐美美琴が現れた。

 

 赤みがかった髪を揺らし、片手にスマートフォンを持っている。

 

 端末の画面には、匿名掲示板の書き込みが表示されていた。

 

「羽柴。今日、私を屋上に呼んだ?」

 

「呼んでない!」

 

「じゃあ、ひすいは?」

 

「呼んでない!」

 

「ふうん」

 

 周囲の携帯電話が一斉に圏外になった。

 

「信じてないよね?」

 

「別に。確認しただけ」

 

 校内放送が突然、途切れた。

 

「美琴ちゃん、落ち着いて」

 

「落ち着いてる」

 

 自動販売機の価格表示が、すべて九百九十九万円になった。

 

「絶対に落ち着いてないよ!」

 

 その時、自動販売機の陰から胡蝶わかばが現れた。

 

「どういうことや、羽柴」

 

「なんで隠れてたの?」

 

「隠れとらん。たまたまここにおっただけや」

 

「壁に耳つけてたよね?」

 

「気のせいや!」

 

 わかばは信彦の胸元を掴んだ。

 

「うちを屋上に呼び出す度胸は認めたる。せやけど、他の三人にも同じこと言うたんはどういう了見や!」

 

「だから言ってないって!」

 

「なら誰が言うたんや!」

 

「僕が聞きたいよ!」

 

 校舎の角から、猪俣睦が歩いてきた。

 

 手には、異世界から持ち帰った長剣の入った細長い袋。

 

「全員揃って何してるの?」

 

「お前も呼ばれたんやろ」

 

「何に?」

 

「羽柴の告白や」

 

「は?」

 

 空間が鳴った。

 

 猪俣睦の周囲だけ、地球とは異なる法則が展開され始める。空気中の光が屈折し、風もないのに彼女の髪が揺れた。

 

「羽柴」

 

「はい」

 

「私を屋上に呼んだ?」

 

「呼んでません」

 

「じゃあ、誰を呼んだの?」

 

「誰も呼んでません!」

 

「四人の中から選ぶとしたら?」

 

「どうしてそうなるの!?」

 

 羽柴信彦は、ついに頭を抱えた。

 

     ◇

 

「始まりましたね」

 

 遠藤が端末を見た。

 

 学校から二百メートル離れた路上に、三人は車を停めていた。

 

 校内通信網は沈黙。

 

 周辺の地殻応力が上昇。

 

 局地的な異世界法則の流入。

 

 携帯電話基地局では、未知のプログラムが自己生成を始めている。

 

「あと何分くらいで日本が滅びます?」

 

 大安が尋ねる。

 

「どの要因を基準にしますか?」

 

「一番早いもの」

 

「宇佐美美琴の感情状態から推測すると、世界規模の情報インフラ破壊まで約十七分。天野ひすいの情緒不安定による日本列島の沈降開始まで二十三分。猪俣睦の異世界法則が定着した場合、物理法則の再編まで三十一分」

 

「胡蝶わかばは?」

 

 三嶋が尋ねる。

 

「予測不能です」

 

「一番危ないの、あいつだろ」

 

「私もそう思います」

 

 大安が車を降りる。

 

「遠藤さん、通信系統を遮断。美琴さんの能力が外部へ漏れないようにしてください」

 

「遮断すれば、内部で増幅する可能性があります」

 

「三分だけ持たせて」

 

「五分は必要です」

 

「四分で」

 

「努力します」

 

「三嶋さんは?」

 

「もう行ってます」

 

 三嶋はすでに校門を越えていた。

 

「現場の人は行動が早いなぁ」

 

 大安も後を追った。

 

     ◇

 

 校舎裏では、四人の少女が羽柴信彦を囲んでいた。

 

「結局、誰なんや」

 

「だから誰でもないよ!」

 

「誰でもないというのは、私たち全員に魅力がないという意味?」

 

 美琴が冷たい目を向ける。

 

「どうして悪い方向に解釈するの?」

 

「羽柴さんが困っています」

 

 ひすいが言った。

 

「ひすいは黙っとき。お前だけ良い子ぶるんは卑怯やぞ」

 

「そんなつもりは……」

 

 地面が揺れた。

 

「胡蝶、ひすいを責めるのは違うでしょ」

 

 睦が前へ出る。

 

「なんや。勇者様が守ってやるんか」

 

「その言い方が気に入らないのよ!」

 

「うちもお前が気に入らんわ!」

 

 わかばが拳を構える。

 

 睦が剣袋へ手を伸ばす。

 

 美琴の髪が静電気で浮き上がる。

 

 ひすいの足元から、目に見えない亀裂が日本列島全体へ走り始める。

 

 羽柴信彦は空を見上げた。

 

「大安さん……」

 

「はいはい。呼びました?」

 

 大安文徳が、校舎の陰から歩いてきた。

 

 四人が一斉に振り返る。

 

「おっさん、なんでここにおんねん!」

 

「仕事だからです」

 

「警察が学校の恋愛に介入するんですか?」

 

 美琴が睨む。

 

「恋愛なら介入しません。ただ、恋愛を原因に日本が沈み、世界中の電子機器が破壊され、物理法則が書き換わる場合は、所管になります」

 

「うちらは何もしてへん!」

 

「胡蝶さん、今から殴ろうとしてたよね」

 

「これは話し合いや!」

 

「拳を構える話し合いは、警察では暴行未遂と呼びます」

 

 わかばが拳を下ろした。

 

「猪俣さんも剣から手を離して」

 

「抜いてないわよ」

 

「抜かなければ安全という武器じゃないでしょう」

 

 睦も手を離す。

 

「宇佐美さん。周辺の通信を戻してください」

 

「私じゃない」

 

「自動販売機が九百九十九万円になってます」

 

「それは関係ない」

 

「関係ありますね」

 

「証拠は?」

 

「君の感情が安定するまで、携帯電話の補償申請を保留します」

 

 美琴は数秒、大安を睨んだ。

 

 やがて通信網が復旧した。

 

「公務員のくせに卑怯」

 

「公務員だから手続きを使うんですよ」

 

 最後に、大安は天野ひすいを見る。

 

「天野さん。誰かに選ばれなかったとしても、日本列島まで落ち込む必要はありません」

 

「わたしは、そんなつもりでは……」

 

「分かってます。ただ、地面が沈んでるから」

 

 ひすいは足元を見た。

 

「ごめんなさい」

 

「謝らなくていいから、楽しいことを考えて」

 

「楽しいこと……」

 

 ひすいは羽柴を見た。

 

 地殻変動が止まった。

 

「それで止まるんだ」

 

 羽柴が複雑な顔をした。

 

「羽柴君」

 

「はい」

 

「後で女の子の扱いについて話しましょう」

 

「僕、被害者ですよね?」

 

「結果として四人とも傷つけかけたから」

 

「何もしてないのに!?」

 

「何もしないのが悪い場合もあるんだよ」

 

「大安さんは、何かしてるんですか?」

 

 大安は黙った。

 

 三嶋が少し離れた場所で吹き出した。

 

「室長の負けだな」

 

「三嶋さん、外周警戒をお願いします」

 

「はいはい」

 

     ◇

 

「さて」

 

 大安は四人を見渡した。

 

「そもそも、羽柴君が告白するという話は嘘です」

 

「誰が流したんや」

 

「それを調べるのが俺たちの仕事です」

 

 大安の携帯電話が鳴った。

 

 遠藤からだった。

 

『投稿経路を解析しました。発信者に共通点はありませんが、全員が過去一週間以内に同じ動画を視聴しています』

 

「内容は?」

 

『犯罪学の公開講座です。講師は偽名を使用していますが、音声照合では吉良徴喜と一致しました』

 

「動画に暗示が?」

 

『特定の画像と音声の組み合わせにより、視聴者へ条件付きの行動を刷り込んでいます。指定時刻になると、本人の意識を介さず投稿を実行する仕組みです』

 

「解除できますか?」

 

『宇佐美美琴の能力を借りれば、拡散前に全動画を無力化できます』

 

 大安は美琴を見た。

 

「仕事をお願いできます?」

 

「どうして私が」

 

「君の携帯電話の修理と交換条件で」

 

「新品?」

 

「同等品」

 

「最新機種」

 

「予算が通れば」

 

「絶対に通らない言い方」

 

「俺の自腹なら中古になります」

 

 美琴は大きくため息を吐いた。

 

「分かった。やればいいんでしょ」

 

 彼女は目を閉じた。

 

 デバイスには触れない。

 

 ただ、世界中の通信網へ意識を伸ばした。

 

 一秒。

 

 二秒。

 

 三秒。

 

 吉良の動画に仕込まれた命令文が、ネットワーク上から消滅する。

 

 美琴が目を開いた。

 

「終わった」

 

「ありがとうございます」

 

「最新機種」

 

「努力します」

 

     ◇

 

 東京都内のホテル。

 

 吉良徴喜は、窓際の椅子に腰を下ろし、タブレットの画面を眺めていた。

 

 計画は失敗した。

 

 投稿は予定通り実行された。

 

 少女たちも集まった。

 

 それぞれの感情は刺激され、国家存亡へ至る連鎖反応が始まった。

 

 だが大安文徳は、開始から二十三分で連鎖を止めた。

 

「相変わらず、興醒めな男だ」

 

 吉良は楽しそうに笑った。

 

「いいえ。あなたが期待しすぎているだけです」

 

 背後から声がした。

 

 吉良の笑みが止まる。

 

 部屋の中央に、成井舜佐が立っていた。

 

 長い外套。

 

 腰には剣。

 

 扉も窓も開いていない。

 

「どうやって入った?」

 

「あなたの部屋へ至る経路を推理しました」

 

「説明してもらえるかな」

 

「ホテルの地下には、江戸期に封じられた鬼門があります。あなたは無意識に陰の気を引き寄せ、部屋と鬼門を超心理学的に接続した。その経路を逆行しました」

 

 吉良は数秒、黙った。

 

「何を言っているのか分からないな」

 

「一般人には、よく言われます」

 

 成井が剣へ手をかける。

 

 吉良は椅子から立ち上がった。

 

「君は探偵ではないな」

 

「私立探偵です」

 

「推理が成立していない」

 

「犯人へ辿り着ければ、問題ありません」

 

「それは捜査ではなく、怪異だよ」

 

「あなたに言われるとは思いませんでした」

 

 吉良は笑った。

 

 成井も、わずかに目を細めた。

 

 ホテルの部屋が、現実から切り離された。

 

     ◇

 

 広域情報統括室では、午後六時を知らせる音が鳴った。

 

 遠藤が端末を見つめている。

 

「吉良徴喜の潜伏地点付近で、観測不能領域が発生しました」

 

 三嶋は帰り支度の手を止めた。

 

「成井か?」

 

「可能性は九十八・七パーセントです」

 

「応援を出す?」

 

 大安は画面を一度見た。

 

 観測不能。

 

 空間位相の断絶。

 

 局地的な重力異常。

 

 超心理波動の衝突。

 

 一般の警察官を近づければ、命がいくつあっても足りない。

 

「放置で」

 

「いいんですか?」

 

「成井さんと吉良が死闘を演じてる間に、こっちは通常業務を終わらせましょう」

 

 大安は報告書を開いた。

 

「事件名は?」

 

 遠藤が尋ねる。

 

「虚偽恋愛情報を利用した広域複合災害誘発未遂事件」

 

「長いですね」

 

「じゃあ、校内風説流布事件で」

 

「規模を矮小化しすぎです」

 

「報告書を読む人が理解できる範囲にしてください」

 

 三嶋が笑う。

 

「結局、吉良の事件は週一で来たな」

 

「来週は休んでくれるといいんですけど」

 

「犯罪者に週休二日を期待するんですか?」

 

「公務員にも週休二日は必要ですよ」

 

 遠くで、世界の一部が裂けた。

 

 統括室の照明が一度だけ明滅する。

 

 誰も顔を上げなかった。

 

 大安文徳は、書類へ判を押した。

 

 その日も日本は滅びなかった。

 

 羽柴信彦の放課後が平穏だったかどうかは、また別の問題である。

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