警視庁 広域(すぎる)情報(過多)統括(できない)室の(脅威)事件簿 作:駄文亭
午前三時十三分。
大安文徳は、誰かに頬を叩かれて目を覚ました。
「なあ。ちょっと起きてえな」
「……嫌です」
「まだ何も言うてへんやろ」
「聞いたら仕事になるから嫌です」
目を閉じたまま答える。
昨夜、布団へ入ったのは午前一時四十八分だった。入浴は諦めた。夕食は庁舎で食べた栄養補助食品だけ。自宅へ帰ってから一時間二十五分が経過しているが、睡眠時間として計上できるのは、せいぜい四十分ほどである。
再び頬を叩かれた。
手の感触はない。
冷たい霧が顔の表面を撫でているような、ひどく不快な感覚だった。
「きいてくれよぉ」
「夢に出るなと言いましたよね」
「夢ちゃうで。現実や」
大安は目を開いた。
黒い霧のような巨体が、布団の横へ寝そべっている。
太い角が二本。
闇の中に、赤い眼が一つ。
直視すれば人間の脳が、自らの存在意義について不必要な再検討を始める類の宇宙的存在だった。
通称、だいうちゅうのいーし。
自称、アザ様の分霊の一つ。
大安の認識では、冷蔵庫のビールを勝手に飲む不法侵入者である。
「どうやって戻ってきたんです?」
「転送先から歩いてきた」
「次元を?」
「近所みたいなもんや」
大安は枕元の時計を見た。
「午前三時ですよ」
「宇宙に時差はない」
「地球にはあります」
「ほなら、朝まで待つわ」
だいうちゅうのいーしは、布団の横で丸くなった。
「ここで?」
「静かにしとくさかい」
「帰ってください」
「冷たいなあ。ワイとお前の仲やろ」
「どういう仲です?」
「中間管理職仲間」
「一緒にしないでください」
大安は布団から起き上がった。
寝室の隅に設置した次元転送装置へ手を伸ばす。
「待て待て待て。今日はちゃんと用事があるんや」
「早く言ってください」
「下僕のひとりが地球に来る」
「止めてください」
「止めようとしたで」
「過去形ですね」
「申請書類が揃うとったから、止められへんかった」
大安の手が止まった。
「申請?」
「正式な文明交流や」
「訪問先は?」
「日本」
「日本のどこです?」
「ほしみ、なんとかいう学び舎」
大安は数秒、黙った。
悪い予感がした。
星見総合学園。
猪俣睦、天野ひすい、宇佐美美琴、胡蝶わかばの四人が通う学校である。
「目的は?」
「地球文明との友好的接触やて」
「具体的には?」
「要石の回収」
「侵略じゃないですか」
「向こうの法令では資源保護らしいで」
大安は携帯電話を手に取った。
統括システムへ接続し、当直監視網を開く。
太平洋上空。
高度三万六千キロメートル。
静止軌道の外側に、直径二百メートルほどの未確認物体が出現していた。
日本へ向けて降下している。
「到着予定は?」
「地球時間で、昼頃やな」
「どうしてもっと早く言わなかったんです?」
「寝とるかなと思うて」
「寝ていましたよ!」
「せやから遠慮して三時まで待ったんや」
「遠慮の基準がおかしい!」
大安は布団から立ち上がった。
シャツを着て、ネクタイを締め、上着を掴む。
だいうちゅうのいーしが、その様子を眺めていた。
「働き者やなあ」
「原因の半分はあなたです」
「ワイは止めようとしたんやで」
「残り半分もあなたですね」
◇
午前四時二十七分。
警視庁広域情報統括室には、すでに二人の女性が出勤していた。
「室長からの緊急招集は四時です」
遠藤真実が腕時計を確認した。
「現在、四時二十七分。二十七分の遅刻ですね」
「召集を受けたの三時五十分だから。無茶言うなよ」
三嶋あかねは、髪を後ろで束ねながら答えた。
制服ではない。
黒いシャツとカーゴパンツ。その上から、薄手の防弾ジャケットを羽織っている。自衛隊の駐屯地を出てから、ここまで十五分で来たらしい。
「あなたの居住地から通常の経路で移動した場合、最短でも三十二分です」
「近道した」
「道路交通法は守りましたか?」
「緊急時だろ」
「公用車ではありません」
「捕まってないから大丈夫」
「違法行為が発覚しなかったことは、適法だったことを意味しません」
「朝から元気ですね」
大安が統括室へ入ってきた。
二人が同時に振り返る。
「室長こそ、ひどい顔ですね」
三嶋が言った。
「何時間寝たんです?」
「四十分くらいです」
「それは睡眠ではなく気絶です」
遠藤が断じた。
「本人としては、どちらでも構いません」
大安は自席へ座り、統括システムを起動する。
壁面モニターに、未確認物体の映像が表示された。
黒い楕円形の飛行物体。
輪郭は時折歪み、複数の形状を同時に取っているように見える。衛星からの映像でありながら、画面を見ているだけで軽い吐き気を覚える。
三嶋が眉を寄せた。
「嫌な感じがする」
「未確認物体を見れば、誰でもそう思います」
遠藤が言う。
「そういう意味じゃない。見た目より中身が小さい」
「中身?」
「でかく見せてるだけだ。たぶん弱い」
大安は二人の会話を聞きながら、飛行物体の降下経路を表示した。
「星見総合学園へ向かっています」
「またあの学校ですか」
遠藤が露骨に嫌そうな顔をした。
「目的は天野ひすいの回収。向こうは彼女を、地球の生態系を固定する人工構造物と認識しています」
「間違ってはいませんね」
「本人の意思を無視しています」
「それは問題です」
三嶋が腕を組む。
「撃ち落とす?」
「東京都の上空で?」
「海上にいるうちなら」
「未知の動力炉を搭載した飛行物体を爆破するのは、合理的とは言えません」
「落ちてくるまで待つ方が危ないだろ」
「防衛省と航空自衛隊には連絡済みです。ただし現段階では、物理的攻撃は行いません」
大安は資料を開いた。
「相手は正式な文明交流を主張しています」
「正式?」
「宇宙側の申請書類が揃っているそうです」
三嶋が大安を見た。
「そんな制度があるんですか?」
「俺も今朝知りました」
「誰から?」
「情報源は秘密です」
「また寿命が縮む情報ですか?」
遠藤が尋ねる。
「ビールが減る情報です」
「意味が分かりません」
統括室の隅から、低い声がした。
「意味はあります」
成井舜佐が立っていた。
長い外套の裾が焦げ、左肩には大きな裂け目がある。昨日までなかった傷だった。
いつ入室したのか、誰にも分からなかった。
「成井さん」
大安は外套を見る。
「吉良は?」
「逃げました」
「捕まえられなかったんですか?」
三嶋が尋ねる。
「捕まえる寸前まではいきました。しかし彼は、自分の肉体を一時的に犯罪概念へ変換し、ホテル内で発生した三百二十四件の軽犯罪へ分散しました」
沈黙が落ちた。
遠藤がゆっくりと口を開く。
「一般人にも理解できる説明をお願いします」
「逃げられました」
「最初からそう言ってください」
大安は飛行物体を指した。
「こちらについて、分かることは?」
成井は映像を見た。
「地球外生命体の乗り物ではありません」
「宇宙から来てますけど」
「厳密には、生命体が乗り物の形を模倣しています」
「生きているんですか?」
「はい。交渉に応じる可能性はあります」
「言葉は?」
「使用しません。感情と概念を直接伝達します」
三嶋が嫌そうな顔をする。
「頭の中へ入ってくるやつか」
「防げます?」
大安が尋ねた。
「強固な自我を持つ者であれば」
「一般人は?」
「自分が何者だったかを、一時的に忘れる可能性があります」
「学校を休校にしましょう」
遠藤が即答した。
「理由は?」
「設備点検、感染症、爆破予告、何でも構いません」
「爆破予告は後始末が増えるので、設備点検で」
大安が指示を入力する。
「星見総合学園は本日臨時休校。周辺住民には、不発弾処理を名目に避難要請。航空自衛隊は対象を追尾。警察航空隊は待機」
「生徒はまだ登校前ですね」
「羽柴君たちへ個別に連絡してください。特に四人は、学校へ近づけないように」
遠藤と三嶋が、わずかに目を逸らした。
大安は二人を見る。
「どうしました?」
「学校の位置情報を確認してください」
遠藤が画面を切り替えた。
四人分の携帯端末が、すでに星見総合学園の敷地内にある。
羽柴信彦の端末も一緒だった。
「午前四時半ですよ」
「胡蝶わかばが、猪俣睦へ果たし状を送ったようです」
「なんで今日に限って」
「決闘の開始時刻が、日の出に設定されています」
三嶋が言う。
「不良は朝が早いんだな」
「感心してる場合ですか」
大安は立ち上がった。
「現場へ行きます」
◇
午前五時十一分。
星見総合学園の校庭に、二人の少女が向かい合っていた。
猪俣睦は、異世界から持ち帰った剣を袋に入れたまま肩へ担いでいる。
胡蝶わかばは、白い鉢巻きを締めていた。
鉢巻きには、赤い文字で必勝と書かれている。
「なんで鉢巻きなんかしてるの?」
羽柴信彦が尋ねた。
「雰囲気や」
「学校で決闘する雰囲気って何?」
「黙って見届けろ。男やろ」
「僕は止めるために呼ばれたんだよね?」
「立会人や」
「話が違う!」
少し離れた場所には、天野ひすいと宇佐美美琴がいる。
ひすいは困った顔で二人を見ていた。
「やっぱり、やめた方がいいと思います」
「放っておけば?」
美琴は携帯電話を操作している。
「二人とも、一度痛い目を見ないと分からないから」
「学校が壊れませんか?」
「大安さんが直すでしょ」
「俺、建築業者じゃないんだけどなぁ」
背後から聞こえた声に、五人が振り返った。
大安文徳が、校庭の入口に立っている。
その後ろには三嶋あかねと遠藤真実。さらに、長剣を携えた成井舜佐もいた。
「おっさん、なんで来たんや!」
「仕事です。それより胡蝶さん、その鉢巻きは校則違反じゃないですか?」
「そこからか!」
「決闘は法律違反になる可能性があるので、その後です」
猪俣が剣袋を下ろした。
「私から始めたんじゃないわよ」
「分かっています。胡蝶さん、理由は?」
「こいつが昨日、体育の授業で、うちより速く走った」
大安は数秒、黙った。
「それだけ?」
「それだけとはなんや!」
「運動能力に関しては、猪俣さんは異世界由来の強化を受けています。競技条件が公平ではありません」
「せやから勝って証明するんや。チートがなくてもうちの方が強いってな!」
「どうやってチートなしを確認するんです?」
「根性や!」
「確認方法を聞いています」
胡蝶は答えなかった。
大安はため息をついた。
「決闘は中止。今日は学校も休みです」
「なんで?」
美琴が尋ねる。
「宇宙から天野さんを回収しに来るので」
全員がひすいを見た。
ひすいが、自分を指差す。
「わたしですか?」
「はい」
「どうして?」
「地球を固定する設備だと思われています」
「人間ですけど……」
「その説明をこれからします」
羽柴が空を見上げた。
「宇宙からって、まさかあれですか?」
朝焼けの空に、黒い点が浮かんでいた。
飛行機でも、鳥でもない。
点は急速に大きくなり、楕円形の巨大な影となる。
空気が低く震えた。
校舎の窓ガラスが一斉に鳴る。
大安の携帯端末へ、航空自衛隊からの通信が入った。
『対象、高度一万二千。減速しません』
「攻撃は待ってください」
『市街地へ侵入します』
「交渉を試みます」
『交信手段がありません』
「こちらに専門家がいます」
大安は成井を見た。
「できます?」
「試します」
成井は校庭の中央へ歩き出した。
飛行物体が彼の頭上で停止する。
太陽が隠れ、学校全体が影に包まれた。
次の瞬間、音ではない何かが全員の頭へ流れ込んだ。
冷たい海。
誕生前の暗闇。
終わりのない孤独。
星々の死。
地球という小さな惑星を外側から眺める、巨大な視線。
羽柴が膝をついた。
「何だ、これ……」
天野ひすいも胸元を押さえる。
宇佐美美琴の携帯電話から火花が散った。
猪俣睦が剣を抜く。
「攻撃してきた!」
「待ってください!」
大安が叫ぶ。
しかし飛行物体から、黒い光の柱が降りた。
光は天野ひすいを包み、彼女の身体を空中へ持ち上げる。
「ひすいちゃん!」
羽柴が手を伸ばす。
大地が鳴った。
日本列島全体が、ゆっくりと東へ傾き始める。
統括システムから、遠藤の携帯端末へ緊急警報が届いた。
「地殻応力が急上昇。天野ひすいを地表から離した影響です!」
「分かりました!」
大安は成井を見る。
「引力場を切れますか?」
「可能です。ただし相手との交渉経路も切断されます」
「まず天野さんを戻してください」
成井が剣を抜いた。
刀身が朝日を反射する。
いや、反射ではない。
光そのものが、刀身の周囲から逃げている。
一閃。
黒い光柱が途中で断ち切られた。
天野ひすいの身体が落下する。
羽柴が駆け出した。
「無茶です!」
三嶋が叫ぶ。
ひすいが地面へ落ちる直前、羽柴はその身体を受け止めた。
二人まとめて校庭を転がる。
「痛っ……」
「羽柴さん、大丈夫ですか?」
「それ、僕が聞く方じゃない?」
ひすいの足が再び地面へ触れた。
地殻応力が低下する。
日本列島の傾斜が止まった。
だが、飛行物体の表面に無数の光点が現れた。
「武装展開を確認!」
遠藤が叫ぶ。
「大安さん、もういいでしょ!」
猪俣睦が剣を構える。
「落とす!」
「駄目です!」
「撃たれるわよ!」
「胡蝶さん、猪俣さんを止めて!」
「うちに命令すんな!」
「彼女が撃ったら、街ごと消えます!」
「しゃあないな!」
胡蝶が背後から猪俣へ飛びついた。
「離しなさい!」
「落ち着け勇者!」
「さっき決闘しようとしてた人に言われたくない!」
二人が校庭を転がる。
宇佐美美琴は飛行物体を睨み、右手を空へ向けた。
「なら私が止める」
「待ってください。相手の制御系へ入ったら、感情を逆流されます」
「もう繋がった」
美琴の瞳に、細かな光の文字列が流れた。
上空の飛行物体が激しく震える。
同時に、美琴の顔から血の気が引いた。
「美琴ちゃん?」
「こいつ……中身がない」
「どういう意味です?」
大安が尋ねる。
「全部がひとつの生き物。機械も、武器も、通信も、考えてることも。どこを壊せば止まるのか分からない」
飛行物体の感情が、美琴を通じて周囲へ漏れ始めた。
使命。
焦燥。
上位存在から与えられた命令。
要石を回収しなければ、処罰されるという恐怖。
大安は上空を見た。
「成井さん。もう一度、交渉経路だけ繋げられます?」
「可能です」
「お願いします」
「何を伝えます?」
「こちらで話します」
成井が剣を横へ振った。
何もない空間に、細い亀裂が走る。
飛行物体と大安の意識が、一瞬だけ接続された。
冷たい。
広い。
人間の言葉が存在しない場所だった。
それでも大安は、頭の中で語りかけた。
天野ひすいは、日本国の保護を受ける人間である。
本人の同意なく連れ去る行為は、未成年者略取及び誘拐に該当する。
領空侵犯、建造物侵入、傷害未遂、器物損壊。
地球側の法令に照らせば、すでに複数の犯罪が成立している。
飛行物体から、理解不能という感情が返ってきた。
「そうでしょうね」
大安は現実でも呟いた。
「ですが、こちらにも手続きがあります」
彼は携帯端末を操作した。
統括システムから、宇宙的存在の申請情報を引き出す。
申請者。
訪問目的。
回収対象。
許可番号。
保証者。
保証者の欄には、発音不能な文字列が並んでいた。
大安は、だいうちゅうのいーしから聞いた名前と照合する。
「申請上の保証者へ、問い合わせを行います」
大安は次元通信を開いた。
統括システムの全モニターが暗転する。
校庭の空間が一部だけ黒く染まり、赤い眼が浮かび上がった。
「なんや。朝から騒がしいなあ」
だいうちゅうのいーしが、空間の向こうから顔を出した。
四人の少女と羽柴が固まる。
遠藤は反射的に視線を逸らした。
三嶋は拳銃へ手を伸ばしたが、大安が止める。
「こちらの訪問者ですが、あなたの保証で入域申請が通っています」
「知らんで」
「署名があります」
「ワイの下僕が勝手に判子使うたんやろ」
「管理責任がありますね」
「ひどない?」
「こちらの台詞です」
大安は上空の飛行物体を指した。
「要石を誘拐し、日本列島を沈めかけました」
「そらアカンな」
「引き取ってください」
「ワイ、今忙しいねん」
「何をしてるんです?」
「寝とる」
「起きてるでしょう!」
「目ぇ閉じたら寝られる」
「知りません。今すぐ引き取らない場合、地球側で不法投棄物として処分します」
だいうちゅうのいーしの赤い眼が、成井の剣へ向いた。
「それは困るなあ。後で始末書書かされる」
「こちらも報告書が増えます」
「しゃあない」
黒い霧が、空全体へ広がった。
「おい。帰るで」
飛行物体から、拒絶と恐怖が伝わってくる。
「嫌やない。ワイかて帰りたない日ある。せやけど仕事や。ほら、行くで」
巨大な飛行物体が、空間の裂け目へ少しずつ吸い込まれていく。
最後に、小さな光の塊が落下した。
三嶋が反射的に受け止める。
手の中にあったのは、銀色の円盤だった。
直径十センチほど。
表面に、謝罪に近い感情が浮かんでいる。
「これ、何?」
「菓子折りみたいなものだと思います」
成井が答えた。
「食べられる?」
「試してみなければ分かりません」
「試さないでください」
大安が即座に止めた。
空が元へ戻る。
朝日が校庭を照らした。
宇宙的存在も、飛行物体も消えている。
残されたのは、地面に座り込む羽柴と天野ひすい。
絡み合ったまま睨み合う猪俣睦と胡蝶わかば。
鼻血を出している宇佐美美琴。
銀色の円盤を持った三嶋あかね。
そして、大量の報告書を予感して頭を抱える大安文徳だった。
「終わったんですか?」
羽柴が尋ねた。
「一応ね」
「じゃあ、学校は?」
「今日は休校です」
胡蝶が立ち上がった。
「ほな、決闘の続きや!」
「まだやるんですか?」
「宇宙人に邪魔されたまま終われるか!」
猪俣も剣を拾う。
「望むところよ!」
「二人とも」
大安の声が低くなった。
「今から警視庁で事情聴取を受けたいですか?」
二人は同時に口を閉じた。
◇
午後八時三十二分。
広域情報統括室では、遠藤真実が報告書を確認していた。
「事件名は、地球外知的生命体による未成年者略取未遂及び広域地殻災害誘発事件」
「長いですね」
三嶋が銀色の円盤を机上で転がしている。
「宇宙人騒動でいいだろ」
「公文書に宇宙人という表現は不適切です」
「じゃあ、あれは何なんだ?」
「地球外由来の高次元生命体です」
「もっと長いだろ」
大安は端末へ入力を続けていた。
「未確認飛行物体侵入事案でいいですよ」
「目的が記録されません」
「本文に書いてください」
「関係省庁への報告は?」
「警察庁、防衛省、内閣官房、外務省、文部科学省、総務省、それから宇宙航空研究開発機構です」
三嶋が数えた。
「七か所?」
「宮内庁からも照会が来ています」
「なんで?」
「日本の要石に関する案件だからでしょう」
「環境省からも来ました」
遠藤が画面を見た。
「地殻変動を伴ったため、自然環境への影響を確認したいそうです」
「八か所ですね」
「財務省から、経費負担の所管を確認する問い合わせがあります」
「九か所」
大安は両手で顔を覆った。
「宇宙から来る方が早いのに、報告先は増えるんだなぁ」
統括室の隅では、成井舜佐が銀色の円盤を観察していた。
「興味深い」
「食べないでくださいね」
「食用ではありません」
「何です?」
「卵です」
室内が静まり返った。
三嶋が円盤から手を離す。
遠藤が椅子を引いた。
大安は、ゆっくりと成井を見る。
「何の?」
「先ほどの生命体です」
銀色の円盤が、小さく脈打った。
「処分できます?」
「孵化前なら」
「待ってください」
遠藤が制止する。
「地球外生命体の卵は、極めて貴重な研究対象です」
「危険性が不明です」
「だからこそ研究が必要です」
「現場感覚で言うと、今すぐ外へ捨てたい」
三嶋が言う。
「不法投棄になります」
大安が答えた。
「宇宙へ返せば?」
「誰が運ぶんです?」
銀色の円盤に、ひびが入った。
全員が黙る。
中から、小さな黒い触手が一本だけ現れた。
「きゅう」
妙に可愛らしい声だった。
三嶋が触手を指でつつく。
「可愛いな」
「触らないでください!」
「大丈夫。嫌な感じはしない」
「あなたの勘を飼育許可の根拠にはできません」
触手が三嶋の指へ巻きついた。
「懐いた」
「外してください」
「室長」
遠藤が大安を見る。
「管理をどうしますか?」
「どうして俺を見るんです?」
「統括室で発見された未確認生物です。責任者は室長です」
「発見場所は学校ですよ」
「持ち帰ったのは三嶋さんです」
三嶋は円盤を大安の机へ置いた。
「はい、室長」
「渡さないでください」
円盤の隙間から、赤い眼が一つ開いた。
「きいてくれよぉ」
大安は立ち上がった。
「お前かぁぁぁぁぁ!」
その日も、日本は沈まなかった。
ただし警視庁の機密区画では、宇宙的脅威の幼体を誰が飼育するかについて、深夜まで会議が続いた。