警視庁 広域(すぎる)情報(過多)統括(できない)室の(脅威)事件簿 作:駄文亭
午前六時四十八分。
大安文徳の自宅に、呼び鈴が鳴り響いた。
一度。
二度。
三度。
緊急性を訴えるような連打ではない。
住人が起きてくるまで、規則正しく待つ押し方だった。
大安は布団の中で目を開いた。
昨夜、自宅へ戻ったのは午前二時十一分。
入浴を終えたのが二時二十九分。
キュウが冷蔵庫の南京錠を開けようと試行錯誤を始めたため、寝かしつけたのが三時四分。
睡眠時間は、三時間四十四分である。
最近としては長い方だった。
「とーちゃん」
枕元で丸くなっていたキュウが、赤い眼を開く。
「誰か来たで」
「分かっています」
「借金取り?」
「借金はありません」
「新聞?」
「取っていません」
「宗教?」
「早朝から来る宗教は、かなり困りますね」
呼び鈴が、もう一度鳴った。
大安は布団から起き上がり、眼鏡をかける。
寝間着の上へ上着だけを羽織った。
玄関へ向かう途中、居間の惨状が目に入る。
食べかけの壊れた携帯電話。
人工衛星の外装材。
成井が築地で買ってきた、正体不明の鉱物。
黒い霧を受け止めるため、床へ敷いた防水シート。
壁には、キュウが触手で描いた大安と三嶋らしき絵。
事情を知らない人間が見れば、異常な住居である。
「片づけておけばよかったなぁ」
「昨日、とーちゃんが明日やる言うた」
「明日になりましたね」
「ほな、今日やる?」
「今は来客対応です」
玄関の扉を開ける。
スーツ姿の男女が二人立っていた。
女性は四十代ほど。
男性は三十代前半。
二人とも穏やかな表情だが、胸元には身分証を下げている。
「朝早くに申し訳ありません。東京都児童相談センターの者です」
大安は黙った。
もう一度、身分証を見る。
本物だった。
「児童相談センター?」
「はい。こちらで保護されている、キュウさんについて確認したいことがございます」
「誰からの通報です?」
「通報者に関する情報は、お答えできません」
「それはそうですね」
大安は玄関を少し広く開けた。
「どうぞ」
女性職員が、わずかに驚く。
「よろしいのですか?」
「拒否しても、確認の必要性が消えるわけではないでしょう」
「ご理解ありがとうございます」
二人が室内へ入る。
居間を見た。
床に散らばる電子機器。
用途不明の金属片。
防水シート。
冷蔵庫の南京錠。
壁の絵。
寝室から伸びてくる黒い触手。
女性職員が足を止めた。
「……キュウさんは、どちらに?」
「ここやで」
キュウが大安の肩へ飛び乗った。
「おはようさん」
男性職員が一歩下がる。
女性職員は踏みとどまった。
さすがに専門職である。
「おはようございます。キュウさん」
「誰?」
「困っている子どものお話を聞く仕事をしています」
「ワイ、困っとらんで」
「そうですか。お話を聞かせてもらってもいいですか?」
「ええで」
キュウは大安の肩から、居間の机へ移った。
女性職員が腰を下ろす。
男性職員は周囲を確認しながら、端末へ記録を始めた。
「キュウさんは、こちらで生活しているのですね」
「うん」
「ご飯は、毎日食べていますか?」
「食べとる」
「何を食べています?」
「壊れた携帯と、人工衛星と、たまにとーちゃんのコーヒー」
男性職員の指が止まった。
大安は額へ手を当てた。
「地球外生命体としては適切な食事です」
「人間用の食物は?」
「食べられません」
「無理に食べさせられたことは?」
「ないで」
「お腹が空いたままにされたことは?」
「昨日の夜、コーヒーくれへんかった」
「一日一口の約束です」
大安が訂正する。
「もっと欲しかった」
「依存性が確認されていないので、摂取量を制限しています」
「冷蔵庫には鍵がかかっていますね」
「俺のビールを守るためです」
二人の職員が大安を見る。
「キュウさんの食事を制限する目的ではありません」
「ビール飲みたい」
「飲ませていません」
「一回だけ飲んだ」
「勝手に飲んだんでしょう!」
女性職員が端末へ何かを書き込む。
大安は嫌な予感を覚えた。
「どこで寝ていますか?」
「とーちゃんの布団」
「大安さんと一緒に?」
「初日は。今は横へ専用の箱を置いています」
女性職員が箱を見る。
家電製品の梱包に使われていた段ボール箱である。
中には柔らかな布と、宇宙由来の砂らしきものが敷かれている。
「これが寝床ですか?」
「高次元生命体用の寝具が市販されていないので」
「段ボール箱ですね」
「今週中に専用容器が納品されます」
「昨日、発注したばかりです」
キュウが触手を上げた。
「ワイ、箱好きやで」
「本当ですか?」
「落ち着く」
「狭くありませんか?」
「中は宇宙やから広いで」
女性職員は箱の中を覗いた。
無数の星々が見えた。
静かに顔を上げる。
「見た目よりは広いようですね」
「ご理解いただけて助かります」
男性職員が大安へ質問する。
「危険な場所へ連れていかれたことはありますか?」
「学校」
キュウが答えた。
「学校が危険なのですか?」
「鬼が出た」
「概念生命体です」
大安が説明する。
「巨大な赤鬼でした」
「大きかったで」
「キュウさんが呼び出しました」
「ワイだけのせいやない」
「授業参観中に、学校の校庭へ出現しました」
「他には?」
「宇宙人が来た」
「それはキュウの誕生前です」
「とーちゃん、いつも世界滅びそうな所に行く」
「職務です」
女性職員は大安を見た。
「その現場へ、キュウさんを同行させているのですか?」
「留守番させると、機密書類と通信機器を食べます」
「保育を任せられる方はいないのでしょうか」
「現在、関係省庁と協議中です」
「キュウさんが一人で過ごす時間は?」
「ほとんどありません。俺か三嶋が一緒にいます」
「三嶋さんとは?」
「副保護責任者です」
「おかーちゃん」
「違います」
「大安さんは?」
「保護責任者です」
「とーちゃん」
「宇宙的な呼称です」
「学校の申請書には、父と記載されていますね」
大安の動きが止まった。
「キュウが勝手に入力しました」
「電子申請は受理されています」
「訂正手続き中です」
「昨日の授業参観にも、保護者として出席されています」
「公務です」
「保護者証を着用していたとの記録があります」
「受付で渡されました」
「キュウさんを守るため、研究機関からの引き渡し要請も拒否したそうですね」
「保護責任者として当然です」
女性職員は、少しだけ微笑んだ。
「よく分かりました」
「何がです?」
「少なくとも、キュウさんとの関係を放棄しているわけではなさそうです」
「それは最初から説明しています」
「ただし、養育環境には問題があります」
大安は室内を見回した。
反論しにくかった。
「具体的には?」
「食事の安定供給」
「安全な寝床」
「危険な現場への同行回避」
「生活環境の整理」
「保護者の睡眠時間」
最後だけ、大安は首を傾げた。
「俺ですか?」
「養育者の健康状態は、養育環境へ影響します」
「公務員の労働問題になりますね」
「それは勤務先と相談してください」
「相談相手は俺なんですよ」
◇
午前七時十九分。
三嶋あかねの宿舎にも、児童相談センターの職員が来ていた。
「ツーさんは、普段どちらで寝ていますか?」
「ここだ」
三嶋は自室の隅に置かれた、耐衝撃性の軍用コンテナを指した。
蓋には穴が開けられ、内側には毛布が敷かれている。
ツーが、その中から顔を出した。
「おはよう」
職員はコンテナを見た。
「これは?」
「精密機器の輸送用だ。頑丈で、電磁波もある程度遮断できる」
「閉じ込めることは?」
「本人が入りたがる」
「暗い所、好き」
ツーが答える。
「蓋を閉められたことはありますか?」
「ある」
職員が三嶋を見る。
「寝る時だけだ。本人から閉めろと言われた」
「外から開けられますか?」
「開けられる」
ツーが触手で留め具を外した。
「何か食べましたか?」
「昨日は携行食と、壊れた暗視装置」
「暗視装置?」
「廃棄予定の物だ」
「おかーちゃんの靴も食べた」
「それは食事として与えてない」
「うまかった」
「革靴は食べるなと言っただろ」
職員が記録する。
「叱られることはありますか?」
「ある」
「どのように?」
「口で」
「ぶん殴る言うた」
「悪いことをしたら、ぶん殴ってでも止めると言っただけだ。実際に殴ってはいない」
「鉄拳制裁を示唆したのですか?」
「敵を殺しかけた時の話だ!」
職員が記録を続ける。
三嶋は頭を抱えた。
「待て。言葉だけ切り取るな」
「事実確認です」
「お前ら、遠藤みたいだな」
「遠藤さんとは?」
「気にするな」
ツーが三嶋の肩へ飛び乗る。
「おかーちゃん、怒っとる?」
「怒ってない」
「眉間にしわ」
「元からだ」
「嘘」
「誰に覚えた」
「とーちゃん」
「大安か」
◇
午前九時三十分。
警視庁広域情報統括室。
大安と三嶋は、並んで会議机へ座っていた。
向かい側には、児童相談センターの職員四名。
遠藤真実は記録担当として同席。
成井舜佐は窓際で、何かの骨を削っていた。
「成井さん」
大安が呼ぶ。
「それ、何です?」
「地下神殿で拾った猫の餌です」
「猫、見つかったんですか?」
「はい。神殿の祭壇で寝ていました」
「普通の猫だったんですよね」
「猫は普通でした」
「その骨は?」
「普通ではありません」
「しまってください」
成井は骨を外套へ戻した。
女性職員が資料を開く。
「本日の家庭訪問を踏まえ、暫定的な判断をお伝えします」
三嶋が腕を組む。
「連れていくつもりか?」
「現時点で、大安さんや三嶋さんによる身体的虐待、養育放棄が行われているとは判断していません」
「当然です」
「ただし、高次元生命体を養育する環境としては、不十分な点が多くあります」
「前例がないんですよ」
大安が答える。
「その点は理解しています。だからこそ、支援計画が必要です」
「支援?」
「食料の確保」
「適切な居住設備」
「通学中の安全管理」
「養育者不在時の預かり先」
「情緒的な安定」
「生活習慣の形成」
「保護者間の情報共有」
三嶋が眉を寄せる。
「保護者間?」
「大安さんと三嶋さんの間で、養育方針が統一されていません」
「共同生活しているわけじゃない」
「ですが、二人の間を行き来しています」
「昨日からです」
「昨日からでも、必要です」
遠藤が端末へ入力しながら頷く。
「合理的な指摘です」
「お前はどっちの味方だ」
三嶋が睨む。
「事実の味方です」
「一番信用できない答えだな」
女性職員が続ける。
「本日は、キュウさんとツーさんを一時保護し、個別面談を行うことも検討しています」
キュウとツーの動きが止まった。
「一時保護?」
キュウが大安を見る。
「とーちゃん、ワイら捨てるん?」
「違います」
大安は即座に答えた。
「専門家が話を聞くだけです」
「迎えに来る?」
「もちろん」
ツーが三嶋の袖へ巻きつく。
「おかーちゃんも?」
「行く」
三嶋も即答した。
「どこだろうが迎えに行く」
二体の赤い眼が、少し落ち着く。
女性職員は、その反応を確認していた。
「一時保護には、必ずしも保護者との分離を伴いません。今回は特別な事例ですから、大安さんと三嶋さんの同席も可能です」
「なら、俺たちも行きます」
「室長」
遠藤が予定表を表示する。
「十時から警察庁との会議があります」
「延期してください」
「十二時から内閣官房」
「延期」
「十四時から防衛省」
「延期」
「十六時から北海道警」
「延期」
「本日の予定が、すべて消えます」
「保護責任者の責務です」
三嶋が大安を見る。
「父親らしくなったな」
「今はそういう話をしていません」
「否定もしなかった」
「時間がないだけです」
成井が静かに立ち上がった。
「大安さん」
「何です?」
「二体を一時保護施設へ移動させない方がよいでしょう」
室内の空気が変わる。
「理由は?」
「今回の通報には、吉良徴喜が関与しています」
大安の表情から、疲労だけが消えた。
「根拠は?」
「通報文書へ、犯罪誘発のための認知構文が組み込まれていました」
「一般人にも分かるように」
「読んだ職員が、二体を保護したくなるよう細工されています」
女性職員が顔を険しくする。
「我々の判断が操作されていたと?」
「いいえ」
成井は首を振った。
「通報内容には、実際に確認すべき問題が含まれています。あなた方が家庭訪問を行った判断は正しい」
「では、何が目的です?」
「吉良は、正規の保護手続きを利用して二体を大安さんと三嶋さんから引き離そうとしています」
「何のために?」
「親権を盗むためです」
会議室が静まり返った。
三嶋が目を細める。
「親権?」
「法的な親権ではありません。キュウとツーは、名付けと保護によって、二人を親に相当する存在として認識しています」
「その関係を、行政手続きで上書きするつもりです」
大安が続きを推測した。
「その通りです」
「親権を犯罪に使うのか」
三嶋が拳を握る。
「最低だな」
大安は児童相談センターの職員を見る。
「二体の移送予定先は?」
「中央特別保護施設です」
「そこへ吉良がいる可能性があります」
「施設へ警告を」
女性職員が電話を取り出す。
大安の端末も鳴った。
発信元は、星見総合学園。
「はい」
『大安さん!』
羽柴信彦の声だった。
『キュウたちが、急に消えました!』
大安は会議机を見る。
先ほどまでいたはずのキュウとツーが、いない。
三嶋の袖に巻きついていた触手も消えている。
机の上には、一枚の紙だけが残されていた。
一時保護通知書
対象児童:キュウ、ツー
移送先:理想家庭形成支援室
保護責任者:吉良徴喜
三嶋が立ち上がった。
「殺す」
「逮捕です」
大安も上着を掴む。
「できるだけ生きたまま確保してください」
◇
中央特別保護施設の地下には、存在しない部屋があった。
扉には、真新しい札がかかっている。
理想家庭形成支援室。
室内には、柔らかな色の壁紙。
丸い机。
子ども向けの椅子。
棚には玩具と絵本。
窓の外には、青空と白い雲。
すべてが過剰なまでに整っていた。
キュウとツーは、丸い机の前に座っている。
向かい側には吉良徴喜。
白いシャツ。
穏やかな笑顔。
胸元には、児童心理司と書かれた偽の身分証。
「怖がらなくていい」
吉良は優しく言った。
「ここは安全な場所だ」
「とーちゃんは?」
キュウが尋ねる。
「来ないよ」
「おかーちゃんは?」
ツーが翼を震わせる。
「仕事が忙しいからね」
吉良は二体の前へ、壊れた携帯電話を置いた。
「君たちより、仕事の方が大切なんだ」
「嘘や」
「どうしてそう思う?」
「迎えに来る言うた」
「大人は、子どもを安心させるために嘘をつくことがある」
「とーちゃん、嘘下手やで」
キュウが言った。
「隠し事すると、眉間押さえる」
「おかーちゃんは?」
「嘘つくと声が大きくなる」
「随分と観察しているんだね」
「家族やから」
吉良の笑顔が、わずかに揺れた。
「家族とは、血縁や法律で決まるものだ。君たちには、どちらもない」
「学校で習うた」
ツーが言った。
「家族の形は、一つやない」
「学校の道徳は、法律ではない」
「法律が家族を決めるのか?」
「社会ではね」
「ほな、とーちゃんが申請した父でええやん」
吉良は数秒黙った。
「それは操作ミスだ」
「ワイが押した」
「本人が押したなら、本人の意思や」
「そういう制度ではないんだよ」
「地球、細かいなあ」
吉良は机の引き出しから、二枚の書類を取り出した。
「ここへ署名すれば、私が君たちの正式な保護者になる」
「何してくれるん?」
「望む物は何でも与えよう」
「コーヒーは?」
「最高級の豆を用意する」
「とーちゃんのやないと、味せえへんで」
「携行食は?」
「いくらでも」
「おかーちゃんが半分に割ってくれへんと、うまくない」
吉良の笑顔が消えた。
「君たちは、もっと合理的になるべきだ」
「とーちゃんも、よく言う」
「合理的なことを言うた後、だいたい諦める」
「おかーちゃんは、考える前に殴る」
「それは合理的ではない」
「せやけど来る」
二体が同時に扉を見る。
吉良も振り返った。
部屋の外から、規則正しい足音が聞こえる。
一つは、疲れているが速い。
一つは、迷いがなく力強い。
「来たで」
キュウの赤い眼が細くなる。
「迎えに来た」
◇
理想家庭形成支援室の扉が、内側へ吹き飛んだ。
三嶋あかねの蹴りだった。
「吉良ぁ!」
「三嶋さん」
大安が後ろから入ってくる。
「生きたまま確保すると言いましたよね」
「生きてる」
「確認してから言ってください」
その後ろには遠藤真実。
成井舜佐。
児童相談センターの職員。
さらに羽柴信彦と四人の少女までいる。
「どうして高校生まで?」
大安が振り返る。
「勝手についてきました」
遠藤が答えた。
「置いていったら、別行動で侵入すると判断しました」
「正しい判断です」
猪俣睦は剣を持っている。
「返してもらうわよ」
胡蝶わかばは拳を鳴らす。
「うちの身内に手ぇ出したんや。覚悟できとるやろな」
「身内なの?」
羽柴が尋ねる。
「細かいこと言うな!」
宇佐美美琴は、施設の制御系へ接続していた。
「この部屋、行政記録と繋がってる。書類に署名すると、現実の関係まで上書きされる仕組み」
天野ひすいがキュウとツーへ手を伸ばす。
「もう大丈夫です」
「ひすい姉ちゃん」
二体が机から飛び降りた。
吉良が指を鳴らす。
床から無数の書類が舞い上がった。
出生届。
婚姻届。
離婚届。
養子縁組届。
住民票。
戸籍謄本。
家族に関わるあらゆる書類が、刃のように回転する。
「家族とは、書類だ」
吉良が言った。
「社会が認めなければ、どれほど情を注ごうと家族ではない」
「極端ですね」
大安は一歩前へ出る。
「家族関係を法的に証明する書類は必要です。相続、扶養、医療、教育。社会生活を守るためには欠かせない」
「なら、私の勝ちだ」
「ですが」
大安はキュウとツーを見る。
「書類が先に家族を作るとは限りません」
「感情論か?」
「実務上の話です」
「先に生活の実態があり、後から制度が追いつく場合もあります。現にこの二体について、法律は何も決めていない」
「だから私が最初の保護者になる」
「無理です」
「なぜだ?」
「二人とも、あなたを選んでいません」
キュウが大安の肩へ飛び乗る。
ツーは三嶋へ抱きついた。
「迎えに来るって言ったでしょう」
大安がキュウの触手へ手を添える。
「遅かった」
「移動経路を三回歪められました」
「二十分待った」
「ごめん」
「コーヒー二口」
「それは別問題です」
三嶋はツーを片腕で抱えた。
「怪我は?」
「ない」
「怖かったか?」
「ちょっと」
「そうか」
三嶋はツーの頭らしき部分を撫でる。
「よく待ってたな」
「おかーちゃん」
「今だけ許す」
「おかーちゃん!」
「一回だけだ!」
吉良の顔が歪んだ。
「茶番だ」
書類の刃が一斉に動く。
「家族という概念を、そんな曖昧な感情へ委ねるから犯罪が生まれる!」
成井が剣を抜いた。
「それは逆です」
「何?」
「あなたは犯罪を理解しても、人間を理解していない」
「探偵風情が」
「私の推理によれば、あなたは家族という制度を盗もうとしたのではありません」
成井の剣が、空中の書類を一枚だけ貫いた。
保護者変更届。
吉良の名が記された紙である。
「家族に選ばれるという経験を、奪おうとした」
吉良の表情が止まった。
室内の書類も止まる。
「一般人にも分かるように」
大安が言った。
「寂しかったのでしょう」
「急に簡単になったな!」
吉良が叫ぶ。
「私は犯罪を完成させようとしただけだ!」
「なら、黙秘してください」
大安は手錠を取り出した。
「話を続けるほど不利になります」
「警察官らしいな」
「警察官ですから」
吉良は机を蹴り上げた。
無数の書類が彼の身体へ集まる。
「今回は退こう」
「逃がすと思うか!」
三嶋が踏み込む。
拳が吉良の顔面を捉える直前。
彼の身体が、白い紙片へ変わった。
一枚。
十枚。
百枚。
数千枚。
紙片は部屋の隙間から外へ流れ出していく。
遠藤が端末を確認した。
「吉良徴喜の意識が、都内の行政相談記録へ分散しています」
「追えます?」
大安が尋ねる。
「可能ですが、すべての相談記録を精査する必要があります」
「本当に困っている人の記録へ干渉しないでください」
「分かっています」
成井が剣を収める。
「今回も逃げられましたね」
「いつも通り言わないでください」
「次は捕まえます」
「毎回聞いてます」
胡蝶が床に落ちた書類を拾う。
「こいつ、ほんまに寂しかっただけなんか?」
「可能性はあります」
成井が答える。
「犯罪を好む理由と、孤独であることは両立します」
「同情はせえへんで」
「必要ありません」
大安が言った。
「孤独でも、他人の家族を奪っていい理由にはならない」
キュウが肩の上から大安を見る。
「とーちゃん、怒っとる?」
「怒っています」
「ワイら取られそうになったから?」
「保護対象が犯罪に利用されたからです」
「それだけ?」
大安は少し黙った。
「怖かったでしょう」
「ちょっとだけ」
「なら、それもです」
キュウの赤い眼が細くなる。
「とーちゃん、好き」
「はいはい」
「大安さん」
三嶋が言った。
「ちゃんと返せ」
「何を?」
「気持ちだ」
「三嶋さんまで、児童相談員みたいなことを言わないでください」
「言え」
キュウが待っている。
ツーも見ている。
高校生たちも。
児童相談センターの職員も。
遠藤は記録端末を構えていた。
「記録しないでくださいよ」
「公務です」
「何の公務です?」
「養育状況の確認です」
大安は諦めた。
「俺も好きですよ」
「誰を?」
「キュウです」
「ツーは?」
ツーが尋ねる。
「ツーもです」
「おかーちゃんは?」
三嶋の顔が引きつる。
「何で私へ飛ぶんだ」
「言ってやれよ」
羽柴が言った。
「大安さんだけ言わされるのは不公平です」
「羽柴、後で覚えてろ」
猪俣が三嶋の肩を叩く。
「素直になりなさいよ」
「お前に言われたくない」
胡蝶も笑う。
「ほら、おかーちゃん」
「誰がおかーちゃんだ!」
ツーの翼が萎れた。
三嶋は頭を掻いた。
「……好きだ」
「聞こえへん」
「好きだと言った!」
ツーが三嶋の顔へ飛びつく。
「おかーちゃん!」
「顔に張りつくな!」
児童相談センターの女性職員が、静かに端末へ入力した。
「情緒的な関係は、良好と」
「今のを記録するんですか?」
三嶋が叫んだ。
「重要な養育状況です」
◇
午後六時三十分。
警視庁広域情報統括室。
机の上には、新たな書類が二十七枚積まれていた。
「一時保護誘拐事件」
「行政文書改竄」
「施設への不正侵入」
「高次元的親権侵害」
「認知構文による公務員への心理的干渉」
「容疑が増えましたね」
遠藤が読み上げる。
「最後の二つは、法律にありません」
大安が答える。
「新設を検討する必要があります」
「立法府へ任せてください」
三嶋は、机の上でツーへ携行食を与えている。
「半分だけだぞ」
「今日は一枚」
「怖い目に遭ったから、特別だ」
「甘やかしていますね」
遠藤が言う。
「今日だけだ」
「昨日も同じことを言っていました」
「記録するな」
「すでに記録済みです」
キュウは、大安のタンブラーを見つめていた。
「二口」
「一口です」
「約束した」
「迎えが遅れた補償として、要求しただけでしょう」
「とーちゃん、約束守る人やろ」
「合意していません」
「子どもが怖い思いしたんやで」
三嶋が言った。
「二口くらいやれ」
「そちらも甘やかしていますね」
大安はタンブラーの蓋へ、コーヒーを注いだ。
一口分。
少し考え、もう一口足す。
キュウが嬉しそうに飲み始めた。
「今日だけですよ」
「うん」
「明日から一口」
「明日のワイと交渉して」
「それ、誰に覚えたんです?」
「とーちゃん」
「俺はそんな責任逃れを教えていません」
統括室の扉が開いた。
児童相談センターの女性職員が、書類を持って入ってくる。
「本日の確認結果をお持ちしました」
大安は受け取った。
暫定養育支援計画
キュウ、ツーの現行保護体制を継続する。
ただし、以下の改善を求める。
安定した食料供給経路の確保。
専用居住設備の整備。
危険事案への同行制限。
緊急時の代替保護者選任。
大安文徳及び三嶋あかねの定期的な養育面談。
週一回以上の家族交流時間。
大安は最後の一行を見た。
「家族交流時間?」
「二体の情緒安定に必要です」
「何をするんです?」
「一緒に食事をする」
「遊ぶ」
「話を聞く」
「買い物や外出をする」
「一般的な家族の時間です」
三嶋も書類を覗き込む。
「いつやる?」
「俺に聞かれても」
「今週の日曜は?」
「人類滅亡予告が二件入っています」
「午前で終わらせろ」
「終わる保証はありません」
「午後から水族館」
キュウが言った。
「海の生き物、食べていい?」
「駄目です」
「見るだけ?」
「見るだけです」
ツーが翼を広げる。
「家族で行く?」
大安と三嶋は、同時に書類を見た。
公的な支援計画である。
拒否すれば、養育環境の改善意思がないと受け取られる可能性がある。
「……公務扱いになりますか?」
大安が尋ねる。
「なりません」
児童相談センターの職員は即答した。
「有給を取得してください」
三嶋が大安の肩を叩く。
「諦めろ、とーちゃん」
「あなたまで呼ばないでください」
「水族館の次は、飯だな」
「外食先の電子機器を食べないよう、事前説明が必要です」
「遠藤も来るか?」
三嶋が尋ねる。
「私は代替保護者ではありません」
「叔母やろ」
キュウが言った。
「違います」
「家族交流やで」
「私は独身の叔母ではありません」
「独身は事実や」
遠藤の眉が動いた。
大安は立ち上がる。
「キュウ」
「何?」
「今のは謝りなさい」
「ごめんなさい」
「素直ですね」
三嶋が笑う。
「とーちゃんに嫌われたくない」
「俺は簡単に嫌いになりませんよ」
「ほんま?」
「悪いことをしたら叱りますが、見捨てません」
キュウが大安の腕へ触手を巻く。
ツーも三嶋の肩へ乗った。
児童相談センターの職員は、その様子を確認してから頭を下げた。
「これからも定期的に訪問します」
「お願いします」
「嫌がらないんですね」
三嶋が尋ねる。
大安は書類の山を見た。
「問題があるなら、早めに指摘してもらった方がいい。俺たちは宇宙生物の育て方なんて知りませんから」
「父親らしい発言ですね」
「保護責任者です」
「まだ言うか」
キュウが笑った。
「とーちゃん、頑固やから」
その日も、日本は滅びなかった。
ただし大安文徳と三嶋あかねには、世界を救う仕事に加えて、毎週一回の家族サービスが正式に義務づけられた。
なお、最初の水族館訪問でキュウが水槽の制御端末を食べ、巨大ダイオウイカが脱走することになるのは、翌週の話である。