訳が分からない。
「どういう意味だ」
「変だと思わない?どうせここ数年⋯それどころか、ほとんど記憶が無いんじゃない?」
「何を訳の分からない事を言っている!僕はずっと⋯⋯ず⋯っと?」
何故だろう、思い出せない。僕は、今まで、何をしていた?
今日の記憶はある。ずっとひたすら書類の整理。いつもやっている事だ。それで、こんな目にあって。
なのに、昨日からの事が、思い出せない。
多分昨日も同じように書類を整理していた。その筈だ。
なんとなく、ぼんやりした脳が昨日の事を思い出そうとする。
だけど、まるで眠るときに見た夢のように、ぼんやりしているのだ。はっきりと、思い出せる事が、一つも無い。
「何で、僕は、いつも通り⋯いつも通りって、何を⋯?」
有翼族は、対して特に驚いていないようだ。
ただポツリと呟いた。
「支配っていうのは厄介だねえ」
「⋯??何それ、どういう意味⋯?」
支配は絶対で、支配は⋯絶対って何が?
ああ、もう、何でおかしい事ばかり起こるんだ。
そうだ、そもそも可笑しくなったのは───
「⋯あの夢を見てから、変な目に会ってばかりだ⋯⋯」
夢の中で声が聞こえてから、夢の中で目を覚ましてから、何かが変わっている。
自分の中で何か大きなものが欠けているような感覚。
この胸が騒ぐような、締め付けられるような感覚を無くしたいのに、何故だが無くしてはいけない気がする。
どうして。
「夢?」
きょとんとした顔で、有翼族の男は言う。
「どんな夢?」
「誰かが話しかけてくる夢だ。姿は見えないんだが⋯」
するとより興味ありげに聞いてきた。
「え〜、夢?誰誰?どんな姿?」
ぐいぐいと聞いてくる。
「知らないよ、真っ暗でなんでか自分以外見えないんだから。そういえば、一瞬羽が見えたな⋯」
羽と聞いた瞬間、一瞬ピタリと表情が止まった気がする。けど、すぐにさっきのテンションに戻った。
「羽?どんな?なあなあどうだった?綺麗な羽だった?僕より綺麗?」
今度はぐいぐい翼を押し付けてきた。顔に当たる羽は、柔らかくて、少し痒い。
「知るか!近づけるな!⋯そういえば、凄い鮮やかな青色だったな」
「⋯ふーん」
「なんだよその反応。君が聞いたんだろう。全く、何で僕の夢に羽なんて出てくるんだか⋯」
「君はここから逃げたいと思わない?」
何の会話の繋がりも無く、唐突にそう言った。
というか何故。
「別に無いさ。理由が無いだろう?それよりそろそろ良いだろ?そろそろ寝かせてくれ」
「その夢の正体が分かるって言っても?」
ピタリと止まった。
「知ってるのか?」
「夢自体というより、それの〜居座ってる奴?」
「⋯居座る?」
それってつまり、僕の夢にいるのはやはり赤の他人で、どういう訳か勝手に夢を住処にしてると⋯。
「意味が分からない」
「反則だよねえ」
「お前だって得体が知れないぞ」
「え〜?」
本当に今日はとんでもない日だ⋯。
いっその事全部夢であってくれ⋯⋯。
だけど、これが夢だったら、何が現実なんだろう。
「辛気臭い顔。ほらほらもっと景色を楽しめよ!此処は景色だけは良いんだから。⋯それとも、空へ連れてってやろうか?」
手を引いてぐいぐい窓辺へ近づく、力が強くて、引かれるがままに進んでしまう。
「いや待て待て!僕が飛べる訳無いだろ!」
「別に僕が君を掴めば良いだけだ。脚で掴むことになるけど」
「無理無理無理無理だって行かねえ!」
「⋯チッ」
「舌打ちしやがった⋯。」
「別に君一人くらい運んで飛べるし?上手く言って空に連れ出せば此処から連れ出しも容易だし?」
何も問題ない、という言い方だが。まず僕が大人しく連れて行かれる事が可笑しいんだが?
「この頑固者」
「頑固以前の問題だ」
何で僕は敵である筈の有翼族と悠長に話なんかしてるんだ。何から何まで本当に可笑しい。
「頼むからもう寝かせてくれ。今日の事は無かったことにする。それでいいだろ」
すると目の前の彼は拗ねたように顔を反らした。
「む、じゃあ夢の中の奴が言ったらそっちに従うわけ?」
「なんでそうなる。夢は夢だ。君にも夢に居座る奴にも従う事は無いよ」
早く帰ってほしいという気持ちを込めて手で払う仕草をする。
渋々外へ出る準備を始めた彼は、振り返りまた喋る。
「言っておくけど、そいつは僕より我儘で横暴で暴虐武人だからね。それに凄く面倒くさがりだけど⋯僕より手が付けられないんだからね!」
「分かったから早く行け」
はあ⋯寝たら寝たで今度はまたあの夢を見るのだろうか。
「⋯思い出してくれないなら崖から落とすからね〜」
ニッコリと嘲笑ってじゃあねーと言いながらやっと去っていった。
最後のはただただ脅しじゃないか。
金色の羽が舞う。部屋の中に落ちる金の羽。拾ってみると明かりに反射して羽の繊維が輝いていた。
羽、翼、どうして、懐かしい感じがしてしまうのだろう。
脅迫してくるような奴など知らない筈だが。
ああ、でも、もういいや。今はもう、さっさと寝てしまいたい。
寝る準備を済ませ、ベッドへ横になる。
そのままどんどん、眠くなる。
その夜また、不思議な夢を見た。
相変わらず暗いくて、自分の姿だけがはっきり見える。
それと、今日は夢の中では、声をかけられなくとも目を開けることが出来た。
「またここ⋯」
「ようねぼすけ。なんか面白い事になってそうじゃないの」
姿は見えないが声は聞こえる。やっぱり、引き続き同じ相手なのだろう。
この声は一体誰なのか。
「ねぼすけって⋯此処は夢の中の筈だろ。それに面白い事って何の事だ」
此処は夢だ。
夢の相手にそう伝えたところで、相手が分かるわけない。夢は自分が創り出した幻覚でしかないのだから。
「あいつが来た。本当に今日、ああ、昨日か?まあどっちでも良いさ。夢の中は日付なんてどうでもいい。やっと俺は退屈をしなくて済みそうだ!」
おかしな話だ。夢の中で幻覚が夢だと認識しているなんて。
姿が見えない相手はケラケラと笑っている。
「あまりにも退屈すぎて、今は何でも笑えそうだ。にしてもあいつ⋯あれはねえだろ⁉マジ腹痛い!不器用にも程がある!俺の事を随分と好き放題言ってくれたじゃないか?ククッ⋯ブハッ!ハハハ!俺が我儘で横暴で暴虐武人ならあいつは暴君に相応しいだろ!」
さっきから言う面白い事とあいつ、とは寝る前に会った有翼族の事だろうか。
余程面白かったらしい。それはそれは愉快に笑う。
「楽しそうだな。夢の中にいる奴の方が僕の知らない事を知っているとは滑稽だな」
そう言うと相手はピタリと笑いを止めた。
「あー、今のはつまんねえな。確かに俺はお前が見ていないものも見ているさ。だが、あいつの事はお前も知っているぞ」
知っている?それはない、僕は知らない。僕は、会ったことはない筈だ。
「あははっ。はあ⋯やっと起きたと思ったら、随分つまらない顔をするようになったもんだ。此処はずっと暗くてお前以外見えないんだが、もう少し面白い事があってほしいもんだ」
退屈すぎて俺が寝そう、とだるそうに言う。
「じゃあ寝れば?僕は困らないよ」
今度ははあ〜と言うため息。何なんだ。
夢の中の一部の筈なのに、まるで主導権は聞こえる声の持ち主⋯彼、だろうか、彼がずっと握っているようだ。
「俺が寝たら元も子もねえよ。しょうがない、つまんねえけど話し相手ぐらいにはしてやるよ」
「いや、別に僕は話さなくても困らないんだが」
目を覚ますにはどうすれば良いのだろうか。やはり医師に見せたほうが良いだろうか。
「医師には見せなくていい。どうせまともな答えは返って来ないさ。あとお前のお母様とやらにも絶対に言うな」
「僕の考えている事が分かるのか」
まるで相手は、自分の意志があるように会話をする。
「ああ、此処はお前の夢だ。お前の考える事が伝わりやすい」
「女王に言うなとはどういう事だ」
彼は絶対に言うなと口にした。
夢をわざわざ話す事は無いが、何故口止めをされなければならないのだろうか。
「言ってもろくな事にならないさ。良いから聞いとけ。なあ、お前明日城の外に出んの?」
「そうだな」
明確な理由ははぐらかされてしまった。
「ふーん、じゃあさ、森へ行けよ。あ、やっぱり今からでも行こう。どうせあいつを追いかけんだろ?だったらこっちが先に行動してあいつをビビらせてやろう。好き放題言いやがった仕返しだ」
今からって、今何時なのだろうか。
確かに森は有翼族が潜んでいるかもしれないと踏んでいた場所だ。城を囲んでいる森は、広く、飛ばなければ良い隠れ家になるだろう。
「にしてもあいつは何もかも雑すぎる。荒療治にも程がある」
あいつ前にも〜、とぶつぶつ呟いている。
「あの有翼族を知っているのか」
「有翼族、ね。安易なネーミング。知ってるよ、相変わらず脳筋野郎みたいで安心すればいいのかなんなのか」
呆れたような声が返ってきた。
種族名なんて当時の人が付けた呼び方だろう。こちらに言われても困るものだ。
そして、夜会った奴の事だろう、脳筋野郎と言うあたり、やはり知っている事が多いらしい。
「あいつの事はお前が知りな〜。俺はお前の事は助けてやるけどあいつの事はどーでもいい。それに俺が話したらどうせあいつは拗ねる。めんどくさい」
助けてやる、って何から?
というか。
「仕返しなら自分でしてくれ。君も彼と同じなんだろ」
そう言った途端、見えないけれど、姿が見えない彼は、確かに笑った気がする。
「同じ?どうしてそう思う?」
先程よりも楽しそうに、だけどどことなく緊迫感がある声だった。
「別に、仲は良さそうだし、同族なのかなって」
「あいつと仲が良い人間かもしれないだろ。それとも、魔女かもしれないな?」
「魔女?誰?それ」
「魔法を使う女だよ。特に力が強いんだけどね。で、どうなんだ?」
「⋯魔女⋯ではないかな。だって君男だろ。それに、羽があるんだろ」
あの時一瞬だけ見た青い羽。確証は無いが、声の持ち主である彼のものだと思った。
また彼はクククッと笑った。
「声だけで判断はしないほうがいいぞ。まあ確かに俺は男だ。良いよ、当たりだ。俺の翼だ」
愉快そうに楽しそうに笑う。自分の姿を当てられた事がそんなに嬉しいのだろうか。
「で、どうなんだ。同族なら仕返しは自分ですれば良いだろう。勝手にこんな所に居座らずに」
「出来てたらしてたんだけどな」
笑いながらそんな事を言う。
「出来ないのか?」
「そうだな。もうそんな力は俺には無い。精々この世界で退屈に過ごす事にするよ」
「いや、僕が居座られる意味が分からないんだが」
夢を軸に生きる有翼族?聞いた事は無いが。特殊なのだろうか。
「俺が此処にいる礼に、森へ行こうよ」
「だからなんで森なんだよ」
「此処はつまらない。窮屈。センスがない」
凄い好き放題に言ってくる。
「じゃあさっさと夢から出ていけ」
「此処じゃない。この城、この街全てが何も綺麗じゃない。まあ、この夢も退屈だけど」
「我儘⋯」
あいつが言っていた通り我儘ではあるんだろう。
まさか街と城にケチをつけるとは。
「お前だって知らない事を知りたがってる」
「⋯⋯⋯」
だから行けと追い打ちをかけてくる。
警戒をするべきだ。
有翼族は、人を誑かす。
なのに、なんでこいつといい、さっきの奴といい、信じたくなるんだろう。そういう力なのかもしれない。
謎が多い。
夢の中にしかいない筈の相手と意思疎通が出来る。
あの有翼族と関わりがある。
おそらく僕の事も、知っている。
僕の知らない事を、夢の中にいる君は知っている。
⋯僕は君達を、知っている⋯。
「なあ、お前はどんな姿をしてるんだよ」
そう言うと、声は気怠そうに返ってきた
「俺の姿を見たけりゃ、さっさとお前が知れば良いだけだ。そしたら、この暗闇も晴れたりするんじゃねーの」
行けと言うことか。
「お前が色々思い出したら、お前の知らない事教えてやるよ。だからさっさとそのつまらねー顔どうにかして来い」
「つまらない。⋯普通の顔だろ」
「表情が死んでる」
「⋯⋯⋯」
そんな事を言われても、元々こうなのだが。
「そもそも城を抜け出すって、兵達がいるんだぞ。巡回してるに決まってるだろ」
巡回を掻い潜っても、門には見張りがいるだろう。
この城に抜け道などあるのだろうか。
「この塔の一番下、床の模様の一部に抜け道の通路がある。一応非常用なんだろうな。まあ、逃げると言うよりこの塔に入れなかったらの為の、だろうが⋯そこを行けば城を抜け出す事は可能なんじゃないか?この塔の外には見張りがいても、中にはいないからな」
知らなかった。この塔にその通路がある事すら伝えられていない。
それより、抜け道が逃げる為のものではない?それじゃあまるで、この塔は──いや、今考えるのはよそう。
「どうしてそんな事を知ってるんだ」
「俺はお前の視覚から視る事が出来るからな、感覚の共有くらいは出来るし、俺は感覚がお前より鋭いんだ。通路っぽいものを見つけるくらいは出来る」
「有翼族ってそういうもんなのか⋯」
俺は特に他より強いだけ〜と返ってきた。
こいつの全てが馬鹿げている。
何故夢の中で意思を持って会話できるのか、何故僕と視覚その他の共有が出来るのか、そもそもこいつは何処から来たのか、何者なのか。
手掛かりといえば青い羽の有翼族であいつの知り合いというところだろう。
「もうお前は目が覚めてる。あいつを追えば思い出すさ。そんじゃ、とっとと森へ行ってこい」
「お前ほんとに」
誰、と言ったときには目が覚めた。いつも通りの部屋の天井。
窓の方を見るとまだ薄暗い。
あいつ僕を物理的に起こす事も可能なのかよ。
とは思っても、夢にいないから何も聞こえない。
静かだ。久しぶりと思うくらいに騒がしい連続だった。
「どうせ行かなきゃ行けないんだろ⋯」
森に行ってすぐに戻る。これで良い。
今は、ほんの少し、今が変わる方へ、行ってみたい。