帰山湊は先生を見送る   作:宵闇 行方

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第十一話 藤堂史也

藤堂史也(とうどう ふみや)。

 

知らない名前だった。

僕も。

三枝も。

聞いたことがない。

けれど。

その名前が。

この金庫の中に残されていた。

それだけで十分だった。

 

⸻

 

資料倉庫は静かだった。

僕は古いノートを机の上へ置いた。

三枝が向かい側へ座る。

開いたままの金庫は空っぽだった。

中に入っていたのは。

このノート一冊だけ。

 

⸻

 

僕は最初のページをめくった。

名前の下に日付がある。

平成三年十月三日。

僕は次のページを開いた。

 

⸻

 

十月三日

 

特別取材のため、新聞部の金庫を使った。

過去の記事や資料を確認するためだ。

中には歴代の部員が残した資料が入っている。

顧問からは、必要な時に自由に使っていいと言われている。

 

⸻

 

僕は思わず顔を上げた。

「使ってた?」

三枝も驚いている。

「普通に開いていたってことですよね」

僕は頷く。

開かずの金庫ではなかった。

少なくとも。

藤堂史也が新聞部員だった頃は。

 

⸻

 

ページをめくる。

 

⸻

 

十月十日

 

金庫の中から気になる資料を見つけた。

過去の新聞部の発行物。

文化祭の議事録。

写真。

学校の記録と一致しないものがある。

最初は記載ミスだと思った。

だが違う。

何かが意図的に抜け落ちている。

 

⸻

 

『なるほど』

先生が言った。

『ここまでは神谷君と同じだな』

僕もそう思った。

神谷先輩が追っていたもの。

藤堂史也が追っていたもの。

出発点は同じだった。

学校資料に残された空白。

その正体。

 

⸻

 

さらに読み進める。

そして。

あるページで。

文章の雰囲気が変わった。

 

⸻

 

十月二十九日

 

調べれば調べるほど分からなくなる。

このまま残せば。

誰かが同じ場所へ辿り着く。

だから残す。

だが簡単には見つからない形で残す。

顧問には話した。

部員たちにも。

全員が賛成した。

 

⸻

 

僕と三枝は顔を見合わせた。

「全員……?」

三枝が呟く。

顧問。

部員たち。

つまり。

藤堂一人ではなかった。

 

⸻

 

次のページを開く。

そこに書かれていた一文で。

僕は息を止めた。

 

⸻

 

今日で金庫を閉じる。

以後、この金庫は使わない。

開け方を知る者も残さない。

必要になった時だけ。

辿り着けるようにする。

 

⸻

 

僕は無意識に金庫を見る。

先生も黙っていた。

そして。

ようやく理解する。

この金庫は。

最初から開かなかったわけじゃない。

誰かが閉じたのだ。

意図的に。

未来の誰かのために。

 

⸻

 

藤堂史也。

その人物は。

ただ謎を追っていたのではない。

自ら謎を残した側だった。

 

⸻

 

僕は次のページをめくった。

紙は少し黄ばんでいる。

端も傷んでいた。

過ぎ去った時間の長さを感じる。

 

⸻

 

十一月三日

 

確認した。

やはり記録が一致しない。

生徒数が合わない。

名前の数が合わない。

文化祭実行委員の資料には残っている。

生徒名簿にも残っている。

だが学校要覧だけ一致しない。

一箇所だけ説明できない空白がある。

 

⸻

 

僕は顔を上げた。

「一致しない?」

三枝も首を傾げている。

「誤植じゃないんですか」

僕はそう言いかけた。

けれど。

先生の声が先に聞こえた。

『誤植なら一度きりだ』

『複数の資料で同じ現象は起こらん』

僕は黙る。

確かにそうだった。

名簿。

学校要覧。

文化祭実行委員の資料。

全部違う。

それは偶然ではない。

 

⸻

 

ページをめくる。

 

⸻

 

十一月五日

 

存在していた痕跡はある。

だが資料によって扱いが違う。

残っている記録と消えている記録がある。

単なる誤りなのか。

意図的なものなのか。

まだ判断できない。

 

⸻

 

十一月六日

 

文化祭実行委員会の副委員長と会計に聞いた。

どちらも曖昧な反応だった。

話したくないのか。

口止めされているのか。

判断できない。

 

⸻

 

僕はノートから顔を上げた。

「誰かについて調べていた……?」

三枝が言う。

僕も同じことを考えていた。

人数が合わない。

名前がない。

存在の痕跡だけが残る。

それは。

誰か一人について調べているようにしか思えなかった。

 

⸻

 

『湊君』

先生が言う。

「うん」

『藤堂君は記録を調べている』

『そして』

『人を探している』

僕はゆっくり頷いた。

その結論は自然だった。

ノートの内容が。

全部そちらへ向かっている。

 

⸻

 

さらにページをめくる。

 

⸻

 

十一月八日

 

今日、写真を見た。

人数が合わない。

説明できない。

だが確かに写っている。

 

⸻

 

十一月九日

 

名前がない。

しかし写真にはいる。

記録には残っていない。

だが存在していた。

 

⸻

 

十一月十一日

 

ようやく確信した。

空白は記録ではない。

 

人だ。

 

⸻

 

僕はそこで読むのを止めた。

三枝も黙っている。

資料倉庫は静かだった。

 

⸻

 

「人……」

三枝が呟く。

僕も同じだった。

学校資料に残された空白。

消された記録。

未掲載になった記事。

全部。

一人の人間へ繋がっている。

藤堂史也はそう考えていた。

 

⸻

 

『面白い』

先生が言った。

「面白い?」

『記録を追っていたと思わせて』

『実際には人物へ辿り着いている』

先生の声は静かだった。

『つまり』

『問題の中心は資料ではない』

 

『人間だ』

 

⸻

 

僕は再びノートを見る。

藤堂史也は。

何を見つけたのか。

誰を追っていたのか。

まだ分からない。

けれど。

一つだけ確かなことがある。

その人物は。

学校の記録から消えている。

 

⸻

 

ページをめくる。

すると。

これまでより短い文章が目に入った。

 

⸻

 

十一月十二日

 

ようやく確信した。

 

⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎が空白の人物だ。

 

⸻

 

僕は思わず息を止めた。

三枝も身を乗り出す。

何かが書かれていた。

だが。

そこだけ。

黒いペンで塗り潰されていた。

 

⸻

 

「え……」

思わず声が漏れる。

名前が読めない。

誰かが後から消したようだった。

『違う』

先生が言う。

「違う?」

『筆跡が同じだ』

僕は目を凝らす。

確かに。

ノート本文と同じ筆圧。

同じ癖。

同じインク。

 

⸻

 

『藤堂君自身が消した』

先生は静かに言った。

資料倉庫の空気が少し重くなる。

僕は塗り潰された箇所を見つめた。

せっかく辿り着いた名前。

なのに。

藤堂史也は。

自分でそれを隠していた。

 

⸻

 

そして。

その下に。

もう一行だけ。

短い文章が残されていた。

 

⸻

 

まだ早い。

 

⸻

 

僕はその言葉を見つめた。

藤堂史也が残した言葉。

それはまるで。

未来の誰かに向けたメッセージのようだった。

 

⸻

 

「どういう意味なんでしょう」

三枝が言う。

僕は首を振った。

分からない。

名前を見つけた。

なのに隠した。

しかも。

わざわざ自分で塗り潰している。

普通なら逆だ。

見つけた事実を書く。

証拠を残す。

そうするはずだ。

 

⸻

 

『湊君』

先生が言う。

「うん」

『藤堂君は隠そうとしたのではない』

「え?」

『残そうとした』

僕は眉をひそめる。

先生は続けた。

『本当に隠したいなら』

『名前そのものを書かなければいい』

『あるいはページを破れば済む』

確かにそうだった。

わざわざ書く。

そして塗り潰す。

その行動には意味がある。

 

⸻

 

『つまり』

先生は言う。

『誰かがここへ辿り着くことを前提にしている』

僕は塗り潰された部分を見る。

『その上で』

『今はまだ読むべきではないと判断した』

「……だから」

「まだ早い」

『そういうことだ』

 

⸻

 

僕は黙った。

正直なところ。

納得はできない。

名前を見つけたなら教えてほしい。

その方がずっと楽だ。

けれど。

藤堂史也はそうしなかった。

 

⸻

 

ページをめくる。

次のページにも日付があった。

 

⸻

 

十一月十三日

 

神谷(かみや)なら辿り着くかもしれない。

 

⸻

 

僕は動きを止めた。

「神谷……?」

三枝も驚いた顔をしている。

神谷。

その名前が。

初めてノートの中に現れた。

 

⸻

 

僕はもう一度その行を読む。

 

十一月十三日。

 

神谷なら辿り着くかもしれない。

 

⸻

 

『ほう』

先生が言う。

『面白いな』

「何が?」

『年代から考えて、現在の神谷君ではない』

先生は静かに言った。

『藤堂君が指している神谷は、現在の神谷君とは別の人物だろう』

僕はノートを見る。

確かにそうだった。

僕が知っている神谷先輩は、最近の卒業生だ。

まだこの学校で新聞部の活動をしていた時代とは一致しない。

なら。

藤堂史也が書いた神谷は――

別の人物なのかもしれない。

僕はページを見つめる。

神谷。

偶然なのか。

それとも。

何か意味があるのか。

まだ分からない。

 

⸻

 

さらに読み進める。

 

⸻

 

十一月十四日

 

資料を整理した。

記事を残した。

場所も決めた。

見つかる可能性は低い。

だがゼロではない。

それでいい。

 

⸻

 

十一月十五日

 

私は一人ではない。

同じ結論へ辿り着いた人間がいる。

顧問も知っている。

だから記録を残す。

だが今は公開しない。

公開するべきではない。

 

⸻

 

僕は思わず顔を上げた。

「顧問」

三枝も同じ箇所を見ている。

「新聞部の顧問ですよね」

「多分」

藤堂だけではなかった。

顧問も。

少なくとも一部始終を知っていた。

 

⸻

 

さらにページをめくる。

残りは少なくなっていた。

そして。

最後から二枚目。

そこにはこれまでとは違う文字が書かれていた。

大きく。

強く。

まるで自分へ言い聞かせるように。

 

⸻

 

忘れるな。

 

記録は消せても。

 

存在は消えない。

 

⸻

 

資料倉庫の空気が張り詰める。

僕も。

三枝も。

言葉を失った。

 

⸻

 

その人物は誰なのか。

なぜ記録から消されたのか。

藤堂史也は何を知ったのか。

そして。

どうして神谷という名前が出てきたのか。

金庫は開いた。

だが。

謎は増える一方だった。

 

⸻

 

最後のページへ。

僕はゆっくり手を伸ばした。

紙をめくる。

古い紙の擦れる音だけが響く。

資料倉庫は静まり返っていた。

 

⸻

 

最後のページには。

文章はほとんどなかった。

日記でもない。

記録でもない。

ただ。

数行だけ。

短い文章が残されていた。

 

⸻

 

もしここまで辿り着いたなら。

未掲載の記事を探してほしい。

記事だけでは足りない。

写真。

レイアウト。

本文原稿。

全部揃った時。

意味が見える。

 

⸻

 

僕は息を止めた。

三枝も黙ったまま読んでいる。

 

⸻

 

未掲載の記事。

写真。

レイアウト。

本文原稿。

僕たちが集めたものだった。

図書室。

印刷室。

新聞部室。

そして。

この金庫。

ここまでの行動が。

全部この文章に書かれている。

まるで。

僕たちが来ることを知っていたみたいに。

 

⸻

 

その下に。

さらに文章が続いていた。

 

⸻

 

私は真実を残す。

だが答えは残さない。

答えは自分で見つけるべきだ。

 

⸻

 

「答えは残さない……」

三枝が呟く。

僕も同じ箇所を見る。

確かに。

ここまで読んでも。

肝心な部分は分からない。

消された人物。

空白期間。

記録改ざん。

全部。

輪郭しか見えていない。

 

⸻

 

先生が言った。

『当然だな』

「当然?」

『答えを書けば終わる』

先生の声は静かだった。

『だが』

『藤堂君が残したかったのは結論ではない』

『過程だ』

僕は黙る。

 

確かに。

 

このノートには推理の跡が残っている。

発見。

疑問。

確認。

考察。

そして。

また疑問。

藤堂史也自身が辿った道筋だった。

 

⸻

 

最後の一行へ目を向ける。

そこには。

これまでで最も短い文章が書かれていた。

 

⸻

 

新聞は鍵だった。

 

⸻

 

それだけだった。

 

⸻

 

僕はノートを閉じた。

しばらく誰も喋らない。

やがて。

三枝が小さく息を吐いた。

「終わり……ですかね」

「うん」

僕は答えた。

確かに終わっている。

最後のページだった。

これ以上の記録はない。

 

⸻

 

けれど。

何も終わっていなかった。

むしろ逆だった。

未掲載新聞。

学校資料の空白。

神谷の調査。

藤堂史也の記録。

全部が一本の線で繋がった。

だが。

その先にある肝心なものだけが見えていない。

 

⸻

 

消された人物は誰なのか。

なぜ記録から消されたのか。

どうして未掲載になったのか。

そして。

藤堂史也は何を知ったのか。

 

⸻

 

僕は机の上のノートを見る。

過去の新聞部員。

名前だけが分かっている人物。

その人が残した最後の言葉。

 

⸻

 

新聞は鍵だった。

 

⸻

 

「先生」

僕は小さく言った。

「僕たち、まだ入口なんだね」

しばらく沈黙が続いた。

そして。

先生は静かに答えた。

『ああ』

『ようやく入口だ』

 

⸻

 

資料倉庫の窓から夕陽が差し込んでいた。

開いた金庫。

机の上のノート。

そして。

まだ見えない真実。

僕はその全てを見つめながら。

次に何を調べるべきかを考えていた。

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