最後のページを閉じても。
僕たちはすぐには席を立てなかった。
机の上には古いノート。
開いたままの金庫。
そして完成した新聞。
全部が揃っている。
なのに。
答えだけが見えてこない。
⸻
「空白は人だ」
三枝がぽつりと呟いた。
藤堂史也が残した言葉だった。
僕は静かに頷く。
学校資料の空白。
消された記録。
人数の不一致。
全部。
一人の人間へ繋がっている。
そこまでは分かった。
けれど。
その人物が誰なのかは、まだ分からない。
⸻
未掲載の記事をもう一度広げる。
『学校資料に残された空白』
その見出しの下には、記録の欠落や人数の矛盾について書かれていた。
新聞として完成している。
掲載されてもおかしくない内容だった。
それなのに掲載されなかった。
理由は分からない。
ただ一つ。
藤堂史也は、この時点で何かを掴んでいた。
それだけは確かだった。
⸻
『湊君』
先生が言う。
「何?」
『藤堂君は答えを書かなかった』
僕はノートを見る。
確かにそうだった。
疑問は残している。
違和感も記している。
だが決定的な答えだけがない。
『書けなかったのか』
『書かなかったのか』
先生は続ける。
『そこは大きな違いだ』
⸻
僕は少し考える。
藤堂史也は優秀だった。
新聞部でありながら、ここまで調べている。
もし答えに辿り着いていたのなら。
書かなかった理由がある。
辿り着いていなかったのなら。
続きを託したことになる。
どちらなのだろう。
⸻
「今は考えても分からないな」
僕は言った。
『その通りだ』
先生はあっさり同意した。
『だから痕跡を追う』
⸻
痕跡。
その言葉で自然と視線が向く。
机の端に置かれた一枚の写真だった。
⸻
古い学校行事の集合写真。
色褪せている。
けれど保存状態は悪くない。
十五年前。
二〇一一年の文化祭。
その記録写真だった。
⸻
藤堂史也のノートにはこう書かれていた。
写真を見た。
人数が合わない。
説明できない。
だが確かに写っている。
⸻
僕は写真を手に取る。
三枝も隣から覗き込んだ。
「人数ですよね」
「たぶん」
僕は答えた。
「藤堂さんが最初に違和感を持ったのは」
「そこだと思う」
⸻
『ならば確認しろ』
先生が言った。
『推測より先に事実だ』
⸻
僕は写真を机に置いた。
そして一人ずつ数え始める。
前列。
中列。
後列。
教師。
何度も数え直す。
途中で数を間違えないよう、列ごとに指で追っていく。
⸻
しばらくして。
僕は顔を上げた。
「四十二人」
⸻
三枝も同じだったらしい。
「俺も四十二です」
⸻
人数は一致した。
少なくとも数え間違いではない。
⸻
『次だ』
先生が言う。
⸻
僕は写真の下へ視線を落とした。
そこには説明文が添えられていた。
小さな文字。
色褪せているが読める。
⸻
二〇一一年文化祭実行委員
三年生
四十一名
⸻
僕は言葉を失った。
⸻
写真には四十二人いる。
説明には四十一名と書かれている。
⸻
一人多い。
⸻
「本当に……」
三枝が息を呑む。
「人数が合わない」
⸻
藤堂史也の言葉は正しかった。
思い込みではない。
錯覚でもない。
確かに。
人数が合っていない。
⸻
『ようやく見つけたな』
先生が静かに言った。
⸻
僕は写真を見つめる。
存在しないはずの一人。
記録に残っていない一人。
けれど。
写真には写っている。
⸻
「じゃあ」
三枝が言う。
「この中の誰かが」
⸻
消された一人。
⸻
僕は答えなかった。
まだ分からない。
けれど。
ここから先は人数ではない。
人物を探す段階だった。
⸻
『湊君』
先生が言った。
『人物を探す時』
『まず全体を見るな』
「え?」
『違和感を見る』
⸻
違和感。
僕はもう一度写真を見る。
今度は人数ではない。
配置を見る。
立ち位置。
距離。
並び方。
⸻
集合写真には秩序がある。
中心。
左右対称。
役職。
身長。
何らかの規則で並ぶ。
⸻
その時だった。
「あれ?」
⸻
思わず声が漏れる。
⸻
写真の中央。
一番目立つ位置。
本来なら実行委員長が立つような場所。
そこにいる生徒だけ。
胸元が不自然だった。
⸻
僕は写真を近付ける。
三枝も覗き込む。
⸻
「削られてる」
⸻
胸の名札。
そこだけが。
不自然に傷付いている。
⸻
自然な劣化ではない。
紙が擦れたわけでもない。
そこだけ。
意図的に削られている。
⸻
『なるほど』
先生が言った。
『ようやく見えてきたな』
⸻
僕は息を呑む。
⸻
四十二人いる。
四十一人しか記録されていない。
そして。
中央に立つ生徒だけ。
名前が消されている。
⸻
偶然ではない。
⸻
「この人か」
僕は呟いた。
⸻
藤堂史也が追っていた人物。
学校の記録から消された人物。
⸻
その人は。
確かに存在していた。
⸻
しばらく誰も喋らなかった。
資料倉庫の中は静かだった。
窓の外から運動部の声だけが聞こえる。
⸻
僕は写真を持ち上げた。
夕陽に透かす。
角度を変える。
何か読めないか試してみる。
⸻
だが。
名前の部分だけが綺麗に削られている。
文字は残っていない。
⸻
「徹底してるな」
僕は言った。
⸻
『名前だけではない』
先生が言う。
『存在そのものを消そうとしている』
⸻
その言葉に背筋が少し冷えた。
⸻
名前を隠すだけなら簡単だ。
資料を一枚処分すればいい。
だが。
人数の記録まで変える。
写真の名札まで削る。
⸻
そこまでして消された人物。
⸻
普通ではない。
⸻
「藤堂さんは」
三枝が小さく言った。
「ここまで辿り着いてたんですね」
⸻
僕は頷いた。
⸻
人数が合わない。
説明できない。
だが確かに写っている。
⸻
ノートに残された言葉の意味が。
ようやく理解できた。
⸻
藤堂史也は。
この人物の存在を見つけていた。
⸻
そして。
その先を調べていた。
⸻
『湊君』
先生が言った。
⸻
「何?」
⸻
『今分かったことを整理しろ』
⸻
僕は深呼吸する。
そして口にした。
⸻
「写真には四十二人いる」
「記録は四十一人」
「中央の生徒だけ名札が削られている」
「だから」
⸻
僕は写真を見る。
⸻
「この人が」
「消された一人だ」
⸻
先生は何も言わなかった。
だが。
否定もしなかった。
⸻
僕たちはようやく。
十五年前の空白へ辿り着いたのだった。
第十二話 消された一人(後編①)
写真には四十二人いた。
説明文には四十一人と書かれていた。
その事実はもう分かっている。
藤堂史也が気付いた違和感。
僕たちが辿り着いた違和感。
そこまでは同じだった。
問題は、その先だった。
⸻
「誰なんだろう」
三枝が呟く。
僕は写真を見つめたまま答えなかった。
四十二人のうち一人。
学校の記録から消された人物。
その存在だけが分かっている。
名前も。
理由も。
まだ何も分からない。
⸻
『人数を見るな』
先生が言った。
⸻
「え?」
⸻
『人数の不一致は既に分かっている』
『そこから先へ進め』
⸻
僕は写真へ視線を落とす。
先生は続けた。
⸻
『集合写真には秩序がある』
『秩序を見ろ』
⸻
秩序。
⸻
前列。
中央。
後列。
教師。
生徒。
⸻
確かに適当に並んでいるわけではない。
何らかの規則がある。
⸻
僕は改めて写真全体を眺めた。
⸻
その時だった。
⸻
「あれ……」
⸻
思わず声が漏れた。
⸻
写真の中央。
一番目立つ場所。
⸻
そこに立つ生徒だけが。
ほんの少し前へ出ている。
⸻
周囲の生徒より自然に視線が集まる位置だった。
⸻
「この人」
三枝も気付いたらしい。
⸻
「実行委員長じゃないですか」
⸻
僕もそう思った。
文化祭実行委員会の記念写真。
中央。
代表者の位置。
⸻
おそらく間違いない。
⸻
『なるほど』
先生が言う。
⸻
『だが問題はそこではない』
⸻
「違うの?」
⸻
『役職があるなら』
『本来は最も記録が残る人物だ』
⸻
僕は黙った。
⸻
確かにそうだった。
⸻
実行委員長なら。
写真に残る。
名簿に残る。
記事に残る。
学校資料にも残る。
⸻
それなのに。
⸻
この人物だけが消えている。
⸻
『名前を隠したいのではない』
先生が静かに言う。
⸻
『学校が隠したいのは存在そのものだ』
⸻
その言葉に。
僕は息を止めた。
⸻
存在。
⸻
もし名前だけを隠したいなら。
黒く塗り潰せばいい。
削ればいい。
⸻
けれど。
今回起きているのはそんな話ではない。
⸻
人数。
名簿。
記事。
記録。
⸻
全部から消されている。
⸻
「……怖いな」
三枝が小さく言った。
⸻
僕も同じだった。
⸻
写真の中にはいる。
だが記録の中にはいない。
⸻
そんなことが本当にあるのだろうか。
⸻
『少なくとも』
先生が言う。
『藤堂君はそれを見つけた』
⸻
僕はノートを見る。
⸻
空白は人だ
⸻
藤堂史也が残した言葉。
⸻
今なら意味が分かる。
⸻
学校資料の空白。
人数の不一致。
欠落した記録。
⸻
全部。
この人物へ繋がっている。
⸻
『だが』
先生が言った。
⸻
『写真一枚で結論を出すな』
⸻
「どういうこと?」
⸻
『藤堂君も写真を見ている』
『だが一枚だけとは限らん』
⸻
僕はハッとした。
⸻
確かにそうだ。
⸻
写真が一枚しかなければ。
説明文の誤記で終わる可能性もある。
⸻
けれど藤堂は違った。
確信していた。
⸻
ならば。
もっと資料を見ている。
⸻
『他の写真を探せ』
先生が言った。
⸻
僕は立ち上がる。
⸻
「探してみよう」
⸻
三枝も頷いた。
⸻
資料倉庫の棚を見る。
古いアルバム。
学校行事の写真帳。
新聞部の保管資料。
⸻
まだ調べていない物は大量にある。
⸻
僕たちは手分けして探し始めた。
⸻
棚の奥には埃を被った段ボールが積まれている。
古いアルバムも並んでいた。
⸻
十分ほど経った頃だった。
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「あった」
⸻
三枝が声を上げる。
⸻
彼の手には一冊の分厚いアルバムがあった。
⸻
文化祭写真集
二〇一一年
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そう書かれている。
⸻
僕はすぐに受け取った。
⸻
文化祭。
同じ年。
同じ行事。
⸻
求めていたものだった。
⸻
先生も静かに言う。
⸻
『おそらく』
『藤堂君も見た資料だ』
⸻
僕はゆっくり表紙を開く。
⸻
模擬店。
演劇。
吹奏楽。
ステージ発表。
⸻
文化祭当日の写真が続いている。
⸻
そして。
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